飾り付けの例(2005年8月7日)
バス停に施された飾り付け(2007年8月4日)
仙台七夕まつり(2008年8月8日)
ベガルタ仙台 の応援飾り(2009年8月6日)
仙台七夕 (せんだいたなばた)は、旧仙台藩 内各地で五節句 の1つ「七夕 」に因んで毎年行われている年中行事 および祭 である。地元では「たなばたさん」とも呼ばれている。宮城県 仙台市 で開催されている仙台七夕まつり が特に著名で、東北三大祭り[ 2] の一つとされている。
概要
仙台七夕まつりは例年7月7日の月遅れ である8月7日 を中日として、8月6日 から8日 の3日間にわたって行われる。大規模な飾り付けがされるのは一番町 や中央通 などのアーケード 街、仙台駅 周辺などであるが、それ以外の商店街組織ごとの飾り付けや店舗や家庭など個別の飾り付けなど市内各地至るところに小から大まで合計3000本と言われる飾り付けがなされ[ 3] 、街中が七夕一色になる。東北三大祭り の1つに数えられ、例年200万人以上の人が訪れる。
仙台市周辺の自治体各地の商店街などでも同時に大小さまざまな七夕飾りがなされるため、市境を越えて広がりを持つ。また、国内各地の七夕まつりに影響を与えてきたこともあって首都圏 などの企業や駅や空港の七夕飾りを作成する業者も存在しており、その豪華な飾り付けが各地に移出され続けている。
歴史
江戸時代 初期、仙台藩 祖の伊達政宗 が婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したため当地で盛んな年中行事の1つになったともされるが、詳細は不明のままである。年中行事としての七夕は江戸時代中期頃から全国各地で行われている。1783年 (天明 3年)には、天明の大飢饉 発生による荒廃した世俗の世直しを目的に藩内で盛大に行われた。1873年 (明治 6年)の新暦 採用を境にして年々七夕の風習は廃れ始め、第一次世界大戦 後の不景気 以降はそれに拍車がかかった。
1927年 (昭和 2年)、この状況を憂えた商店街の有志らによって大規模に七夕飾りが飾られた。すると、大勢の見物客で商店街は賑わった。翌1928年 (昭和3年)には旧暦 開催を新暦日付の月遅れ (8月6日・7日・8日)に開催することとし、東北産業博覧会 と関連して「飾りつけコンクール」も行われ、以降は華麗な飾りつけが発達するようになった。このようにして、「七夕」という庶民の風習は「七夕祭り」という昼間の商店街で行われるイベントへ転換した。
戦後の1946年 (昭和21年)、仙台空襲 で焼け野原となった街に52本の竹飾りで仙台七夕は復活した。翌1947年 (昭和22年)の昭和天皇 巡幸 の際、沿道に5000本の竹飾りを並べて大規模な飾りつけの「七夕祭り」が復活した。1949年 (昭和24年)には七夕協賛会が発足した。高度経済成長 以降は、「東北三大祭り」の1つに数えられたことで日本各地から団体旅行 客が集まる祭りへと変化した。1970年 (昭和45年)からは「動く七夕パレード」(開催末期は「星の宵まつり」に改題)と「仙台七夕花火祭 」が始まり[ 4] 、夜のイベントが加わった。1983年 (昭和58年)からは「夕涼みコンサート 」が始まり、無料の屋外音楽イベントの面も持ち合わせるようになった。
2021年現在では「動く七夕パレード」「夕涼みコンサート」はともに廃止されている[ 4] 。
2020年4月10日、新型コロナウイルス感染症 の拡大を受け、この年の仙台七夕まつりは開催が中止されている[ 5] 。
七夕飾り
宮城県仙台七夕では、"7つ飾り"と呼ばれる、7種類の飾りで構成されている。それぞれの飾りに意味がある。
短冊 :学問や書の上達を願う。
紙衣 :病や災いの身代わり、または、裁縫の上達を願う。
折鶴 :長寿を願う。
巾着 :富貴と貯蓄、商売繁盛を願う。
投網 :豊漁を願う。
くずかご :飾り付けを作るとき出た裁ち屑・紙屑を入れる。清潔と倹約を願う。
吹き流し :織姫 の織り糸を象徴する。
この内、吹き流しが現在の飾りつけの中心となっているが他の6種類の飾りも諸所に見られる。吹き流しにはくす玉 が付く例が多い。この吹き流し5本で1セットとして1つの竹竿に飾られるのが正式とされるが、飾る場所や飾りのデザインの都合で数は増減する。また仙台七夕の特徴として、飾りが和紙ないしは紙で作られ、他の七夕のようにビニール製の飾りはほとんど見られない。
その他に特徴的な飾りとして、「からくり七夕」がある。これは数体の糸操り人形 がのった小型舞台で、一定の動きが自動で繰り返される。また、仙台七夕まつりの初日である8月6日が原爆の日 であることから「平和七夕」が行われている。これは全国から寄せられる100万羽もの折鶴から18万羽を5本の吹流しにして飾られるもので、その他の折鶴は花輪状にして観光客に平和のメッセージとともに贈られる[ 6] 。
飾りの設置は、まず商店街内に店舗を構える各事業所が滑車 をつけた10m以上の竹 を道に埋め込んである専用の差し入れ口に差し込んで立てる。次に滑車に通した紐に吹流しなどの飾り付けをつけ、紐を引っ張って飾り付けを引き上げる。最後に紐を固定する。この方法により、道の中央にアーケードのない一番町四丁目商店街では急に雨が降ってきた場合に吹流しを降ろしてビニールを被せることが出来るようになり、適宜天候に合わせた展示が出来るようになった。また他の全天候型アーケードのある商店街も含め、夜になると一度飾り付けを降ろして折り畳むかビニール袋などに包んで小さくし通行人が触れられないほど高くに引き上げている。これによって、深夜・早朝において飾り付けの破壊行為をされるのを防いでいる。
企業の飾り
企業が展示する飾り付けは、七十七銀行 などの地元企業が中心だったが、近年ではメセナ の一環として仙台に支店を置く他地域の企業も展示している。特に多数の店が並ぶクリスロードでは、企業のロゴが入った飾りを目にすることが多い。
スターバックス が仙台クリスロード店の前に設置した飾り(2009年8月6日)
ソフトバンク が仙台クリスロード店の前に設置した飾り(2009年8月6日)
七夕花火祭
附随イベント
仙台七夕には秋田竿燈 や青森ねぶた のような熱気はなく従来、飾り付けを見て商店街の七夕セールや露店をひやかすというものであったため、観光客からは「期待外れでつまらない」という感想もあった[ 4] 。不満を解消する目的もあり、以下のような付随イベントが企画・実施された。このうち、2023年現在でも開催されているのは瑞鳳殿七夕ナイトのみである。
商店街の店舗でも人形劇など「仕掛け物」と呼ばれる出しものを行っていた[ 4] 。
地元では企画により伝統という側面が薄れ、観光イベント化していったという意見もある[ 4] 。
瑞鳳殿七夕ナイト
伊達政宗らの霊廟 である瑞鳳殿 において開催されるイルミネーション イベント。瑞鳳殿の参道 から境内 まで、竹灯籠 が点される。
動く七夕パレード⇒星の宵まつり( - 2010年)
定禅寺通 にて、本祭り期間中の17:00〜19:30に行われたパレード。踊りに使用される曲は「七夕おどり」と「星の宵まつりサンバ」。2006年は、conomi (ローカルアイドル )の「CATCH A SHOOTING STAR」が応援ソングとなった(公式・非公式は不明)。人出は3夜合計で15万人以上。しかし2011年の東日本大震災以降、星の宵まつりは開催されなくなり、七夕期間中の定禅寺通の交通規制も行われなくなった。
夕涼みコンサート( - 2013年)
勾当台公園 の野外音楽堂にて行われる無料の音楽イベント。本祭り期間中3日間連続で昼から夜まで続き、人出は20万人以上に上る。第30回目の開催となる2013年をもって開催終了。近年は「Date fm スターライト・エクスプロージョン」という名称が使われていた。詳細は夕涼みコンサート を参照。
七夕ヴィレッジ( - 2013年)
勾当台公園の時の広場(円形公園)の出店ブースおよびステージの総称として2013年まで用いられた。本祭り期間中3日間連続で昼から夜まで開催された。ステージでは、ラジオ3 主催の公開録音やミニライブ など各種イベントが行われた。
仙台七夕をテーマにした作品
仙台から他地域へ
1919年 (大正 8年)、七十七銀行 (仙台市)が福島県 磐前郡 平町 (現在の同県いわき市 )に平支店を開設した際に仙台七夕を紹介した[ 7] 。この年を第1回として、現在は「いわき七夕まつり 」との名称で毎年仙台七夕と同様の日程で開催されている[ 7] 。
仙台以外で開催される「仙台七夕」を冠したイベントとしては、「サンパウロ仙台七夕祭り 」がある。1979年 (昭和54年)6月2日 にブラジル ・サンパウロ市 中心部のリベルダージ 地区で初開催され[ 8] 、現在はサンパウロ市のイベントカレンダーに載るほどの規模になっている。例年7月下旬から8月上旬の開催である。またブラジル各都市にも広がりを見せ、南半球 にあるブラジルにとっては「冬 の風物詩 」として定着している[ 9] [ 10] 。
またフランス のパリ市 では「仙台七夕まつり IN パリ」[ 11] [ 12] が行われるなど仙台市のシティセールスでも用いられている。その他、仙台市が海外での七夕普及も行っており、仙台七夕国際交流実行委員会(市民組織)などが各国での七夕飾り付けを行っている。
日本国内においても2007年 (平成 19年)に仙台七夕で使用された七夕飾りが鹿児島県 鹿児島市 に運ばれ、同市の中心部商店街である天文館 の11の通りに計90個飾り付けられ「奥州仙台夏飾り[ 13] 」が開催された。さらに同県薩摩川内市 の中心部商店街にも仙台七夕の飾りを5体寄贈し、仙台の七夕工房の職人が薩摩川内に赴いて七夕飾りの作り方を指導した。仙台七夕の飾りは川内花火大会(2007年(平成19年)8月16日 )の際に飾られた。また2008年 (平成20年)からは、薩摩川内市民が作る仙台式と川内式の双方の七夕飾りが「川内七夕まつり」で飾られる。
2009年 (平成 21年)からは、南カリフォルニアの宮城県人会が中心となり、アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス のリトル・トーキョー において、二世週日本祭 に合わせて「ロサンゼルス七夕祭り」を開催している[ 14] [ 15] 。
その他
鐘崎 は自社工場内に、江戸時代から現代までの七夕飾りを常設展示している。
仙台七夕のテーマソングは決まっていないが、島倉千代子 の『七夕おどり 』、二葉あき子 ・(二代目)コロムビア・ローズ ・島倉千代子などが歌った『ミス仙台 』、さとう宗幸 の『青葉城恋唄 』など、歌詞に仙台七夕の情景が歌い込まれているご当地ソング が、期間中の会場ではBGM として繰り返し流されている。
仙台七夕が近付くと、地元ラジオ局のTBCラジオ やDate fm などで、星にまつわる曲が特集やリクエストによりしばしば流れる。ディズニー映画 「ピノキオ 」の主題歌『星に願いを 』(1940年)、ビリー・ヴォーン 『星を求めて』(1960年)、坂本九 『見上げてごらん夜の星を 』(1963年)、今井美樹 『PRIDE 』(1996年)、福耳 『星のかけらを探しに行こう Again 』(1999年)、BUMP OF CHICKEN 『天体観測 』(2001年)、中島美嘉 『STARS 』『WILL 』『見えない星 』『ORION 』など、各々の思い入れと共にリクエストされている。
暴走族 が、祭り期間中に郊外 から祭り会場のある仙台市都心部 に進入を試みる暴走行為を「七夕暴走」と言う[ 16] 。20世紀 末と比べて2000年代 末までに暴走族グループ数は半減し、構成員も1/3に減少したが、大人数で中型オートバイや自動車を連ねる集団暴走から、少人数で小型バイクを使用し、携帯電話で連絡を取り合いながら、アーケード街や細道に散り散りに逃げ込むように変化したため、取り締まりが難しくなった[ 16] 。また、旧車會 も出現するようになった[ 16] 。しかし、2004年 の道路交通法 改正によって被害者がいなくても共同危険行為 を取り締まり出来るようになったため、暴走行為参加人員は急減し[ 17] 、「七夕暴走」は過去のものとなりつつある。
交通
8月初旬は東北三大祭りなどを巡る観光バス が日本各地から東北地方 に集まってくるため、一般道路及び各公共交通機関は非常に混雑する。仙台七夕開催期間中はそれらが仙台に集中するため、観光バスに限って一時的に路上駐車 禁止が解除される区間やその他の交通規制が敷かれる。また、JRや仙台市交通局が祭り期間中に列車やバスの臨時便を運行している。
都心部への鉄道によるアクセスには、次の駅が最寄駅となる。
脚注
関連項目
外部リンク
座標 : 北緯38度15分37.79秒 東経140度52分19.09秒 / 北緯38.2604972度 東経140.8719694度 / 38.2604972; 140.8719694