東京電力女子サッカー部マリーゼ(とうきょうでんりょくじょしサッカーぶ マリーゼ)は、福島県を拠点とし、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)に所属していた女子サッカーチーム。呼称はTEPCOマリーゼ。ベガルタ仙台レディースの実質的な前身である。
本項では、前身チームのYKK東北女子サッカー部フラッパーズについても記す。
概要
1997年に宮城県を拠点とするYKKの実業団チームとして創設。YKK APへの移管を経て、2004年秋に東京電力(現在の東京電力ホールディングス)がチームを承継して、福島県双葉郡楢葉町・広野町のJヴィレッジを拠点として活動していた。
愛称の「マリーゼ」(Mareeze) は、「海(マリーン、marine)のように力強く、風(ブリーズ、breeze)のようにさっそうと」との意味が込められている。選手・スタッフは全員が東京電力(当時)の社員で、選手は午前中に各地の職場で勤務し、午後に専用のラッピングを施した「マリーゼバス」でJヴィレッジに集合して練習するという活動を行っており、なでしこリーグでは唯一の「実業団チーム」であった。
2011年シーズン開幕直前に福島第一原子力発電所事故の影響で活動を自粛し、9月に正式に休部を発表。選手の多くは新たに設立されたベガルタ仙台レディースが引き受けて再出発した。
チーム運営費が発送電コストに計上されてきたことが指摘されている[1]。
歴史
フラッパーズ(1997年 - 2004年)
地元・宮城県で開催される「新世紀・みやぎ国体」(2001年)での活躍を目標に、1997年4月にYKK東北工場(現・YKK東北事業所)のある宮城県志田郡三本木町(現・大崎市)を本拠としてYKK東北女子サッカー部フラッパーズとして創部された。チームの愛称である「フラッパー」 (flapper) とは「おてんば娘」という意味で、三本木町民とYKK AP従業員の公募により命名された。
企業所有のチームで、YKK東北工場で主に事務所での仕事をこなしてからナイター練習という、日本女子サッカーリーグ(当時L・リーグ)チームにおいて、恵まれた環境であった。
2000年からL・リーグに加盟。前シーズン限りで廃部となったOKIから移籍した佐藤春詠、大部由美の加入もあって4位と好成績を残す。2001年も3位となり、2002年こそリーグ戦7位と低迷するも、翌2003年は一次リーグ(東日本)を1位、決勝リーグでも5位と中位をキープし、着実なレベルアップが展開された。
国体では、1998年のかながわ・ゆめ国体で優勝、2000年のとやま国体、2001年の新世紀・みやぎ国体では2連覇を果たすなど、常に上位に進出した。しかし創部当初の目的であるみやぎ国体優勝を達成したため、その存在意義があいまいになり、廃部の噂がつきまとうようになった。
2003年10月、運営母体がYKKから子会社であるYKK APへ移管され、2004年からチーム名をYKK AP東北女子サッカー部フラッパーズと改称。
マリーゼ(2004年 - 2011年)
2004年9月、東京電力への移管が発表された。2005年から本拠地を福島県双葉郡楢葉町および広野町にあるJヴィレッジに移して再スタートすることになり、一般公募により愛称を「マリーゼ」 (Mareeze) とした。初年度は、ディビジョン1で4位と好発進した。ホーム観客動員数が平均4,000人を超え、「マリーゼ10,001人プロジェクト」として、福島県営あづま陸上競技場で開催された浦和戦では、7,670人を集客した。県内で生中継された試合の視聴率が7%に届く。
2006年シーズンは、引分けと敗戦が続いて1勝しか挙げることができず、年間成績最下位に終わり、翌2007年のディビジョン2降格が決まった。同年11月17日に木村孝洋監督は引責辞任し、年末の全日本女子サッカー選手権大会は、DF大部由美が選手兼任の形で監督に就いた。シーズン終了後、チーム草創期を支えた大部、GK石川敦惠、MF棚橋美智子、FW佐藤春詠の4選手が退団。5名の選手が新たに加わった。
2007年シーズンは監督に野村貢を招聘し、チームの建て直しを図った。高槻、千葉との昇格争いを制して優勝。1年でのディビジョン1復帰を決めた。また同年のなでしこリーグカップではTASAKIや伊賀を破り、ベスト4に進出した。シーズン終了後はDF青木知里、DF宇野涼子、DF北郷裕子、FW桑原沙緒莉、FW鈴木玲美が退団し、6名の選手が入団した。
2008年シーズン、ディビジョン1に復帰。順位は6位。シーズン終了後、野村監督は任期終了で退任。全日本女子サッカー選手権大会では、快進撃を続け、3位(ベスト4)という成績を勝ち取った。シーズン終了後はGK内田由布子、DF池田瑞穂、DF藤本まどか、MF早坂優が退団した。
2009年シーズンに向けて、伊賀の中心選手でなでしこジャパンでの経験豊富なMF宮本ともみら7名を獲得。また監督には昨シーズンまでJリーグ・湘南を指揮していた菅野将晃が就任し、「リーグ3位以内」を目標にする事が発表された。走力向上を主とした厳しい練習の成果もありリーグ戦は3位。また、全日本女子サッカー選手権大会でも2年連続の3位となった。シーズン終了後はGK増田亜矢子、DF宮崎由香(ボストンへ移籍→ホッケーに転身)、MF五十嵐章恵、MF神原史(アギラス神戸へ移籍)、MF松野みどり、MF神戸成美、FW丸山桂里奈(フィラデルフィアへ移籍→ジェフレディース→スペランツァFC大阪高槻)、FW本間真喜子、FW森田牧子の9名が退団した。
東日本大震災(2011年)
2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した当時、マリーゼのメンバーは宮崎県でキャンプ中であったため、直接的な被災を免れた。しかし、その後の福島第一原子力発電所事故により、本拠地のJヴィレッジは事故の対応拠点となり、選手・スタッフ全員が自宅待機となった。公式サイトも事故後間もなく休止した。
3月23日にリーグ戦の開幕延期(4月3日から4月29日に変更)がリーグから発表された後、4月11日に東京電力がマリーゼと長距離・駅伝チームの活動一時中止を発表[2]。4月12日に東京電力が日本女子サッカーリーグに2011年シーズンの活動自粛を申し入れ、理事会で承認された。選手のうち、MF鮫島彩はボストンに完全移籍、DF長船加奈・FW井手上麻子(以上日テレ)・DF山本りさ(狭山)・MF上辻佑実(新潟)・FW田原のぞみ・MF齊藤あかね(以上浦和)・FW安本紗和子(千葉)・DF髙橋奈々(世田谷)・MF松長佳恵(伊賀)・FW伊藤美菜子(日体大)・FW浜田遥(高槻)の11名が「一時移籍」して他チームでプレーした。
6月に東京電力の社長に就任した西沢俊夫は産経新聞のインタビューに対し、福島第一原子力発電所事故の賠償資金を捻出するため、人員削減と合わせて実業団スポーツから撤退することを明らかにした[3]。リーグ側は7月の時点で、仮に2011年9月までに新しい受け入れ先が決まり「存続」となった場合でも、2012年度シーズンは2部にあたる「チャレンジリーグ」に参加となる方針が確認された[4]。受け入れ先については、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に参加するチームの運営企業への譲渡が検討された(スポーツニッポンは川崎フロンターレが有力と報じた[5])が、日本サッカー協会からの申し出もあり、9月28日に東京電力からマリーゼの「休部」決定が発表された[6]。東電はマリーゼについて、「一時的な『休部』として存続し、福島県の復興とともにマリーゼの活動を再開する際には、改めて当社女子サッカー部としての活動を認めていただけることについて、日本サッカー協会および日本女子サッカーリーグより特別のご了解をいただいております」と、将来的な活動再開にも含みを持たせたものの、社員以外のチームスタッフはこの時点で全員契約解除となり、事実上のチーム解散となった。
マリーゼ所属選手は新たな正式所属先を探すことになったが、10月13日、なでしこリーグ理事会は、Jリーグクラブを運営し、宮城県仙台市を拠点とする株式会社ベガルタ仙台がマリーゼの選手を受け入れてチャレンジリーグに加盟することを承認し、11月4日に正式決定した。休部前にマリーゼに登録していた選手26名のうち一時移籍の選手を含む18名が新設されたベガルタ仙台レディースに移籍、海外移籍したMF鮫島の他、MF松長・MF齋藤・FW浜田の3名が一時移籍先にそのまま完全移籍、GK山根恵里奈が千葉に、DF吉冨桃子が世田谷にそれぞれ移籍。森本華江と保格彩乃の2名が東京電力に社員として留まると発表された[7][8]。2012年2月1日、ベガルタ仙台レディースはマリーゼからの18名にセレクションによる2名を加えた20名体制で正式発足した。
本拠地
マリーゼ時代の本拠地(事務局・練習場)はJヴィレッジであり、ホームゲームの半分はJヴィレッジ内にあるJヴィレッジスタジアム(福島県双葉郡広野町)で行っていた。Jヴィレッジスタジアム以外では、福島県内と東京電力の給電地域内(首都圏)でホームゲームを開催していた。
- その他のホームゲーム開催地
なお、国体では福島県代表に一部の選手を出場させていた。
年度別成績・歴代監督
日本女子サッカーリーグでの成績
回 |
年度 |
チーム名 |
リーグ |
チーム数 |
試合 |
勝点 |
勝利 |
引分 |
敗戦 |
リーグ順位 |
リーグ杯 |
皇后杯 |
監督
|
|
1997 |
YKK東北女子サッカー部 フラッパーズ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1回戦 |
|
|
1998 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2回戦 |
|
|
1999 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2回戦 |
|
12 |
2000 |
L・リーグ |
9 |
12 |
15 |
3 |
6 |
3 |
4位 |
- |
準々決勝 |
齋藤誠
|
13 |
2001 |
8 |
12 |
19 |
4 |
1 |
7 |
3位 |
準決勝
|
14 |
2002 |
10 |
11 |
21 |
6 |
3 |
2 |
7位 |
準決勝
|
15 |
2003 |
13 |
22 |
34 |
10 |
4 |
8 |
5位 |
準々決勝
|
(16) |
2004 |
YKK AP東北女子サッカー部 フラッパーズ |
L・リーグ1部 (L1) |
8 |
14 |
12 |
3 |
3 |
8 |
5位 |
準々決勝 |
黒澤尚
|
(17) |
2005 |
東京電力女子サッカー部 マリーゼ |
8 |
21 |
34 |
11 |
1 |
9 |
4位 |
準々決勝
|
木村孝洋
|
(18) |
2006 |
なでしこリーグ ディビジョン1 |
12 |
20 |
9 |
1 |
6 |
10 |
8位 |
準々決勝 |
木村孝洋
大部由美 (選手兼任)
|
(19) |
2007 |
なでしこリーグ ディビジョン2 |
8 |
21 |
56 |
18 |
2 |
1 |
優勝 |
準決勝 |
3回戦 |
野村貢
|
(20) |
2008 |
なでしこリーグ ディビジョン1 |
8 |
21 |
17 |
5 |
2 |
14 |
6位 |
- |
準決勝
|
(21) |
2009 |
8 |
21 |
38 |
12 |
2 |
7 |
3位 |
準決勝 |
菅野将晃
|
(22) |
2010 |
なでしこリーグ |
10 |
18 |
34 |
11 |
1 |
6 |
3位 |
準決勝 |
準々決勝
|
(23) |
2011 |
不参加
|
- 2004年から二部制に移行。チーム数は所属リーグのみ。
- 2003年まではシーズン名に「第○回」と表記されていたが、2004年からは西暦年で表記するようになった。
- 2006年は8チーム2回戦総当たりの「レギュラーリーグ」(RL)後、その順位に基づき上位と下位の各4チームによる1回戦総当たりの「プレーオフ」(PO)を実施。
選手
2011年シーズン当初に所属していた選手
2012年2月1日付東京電力ニュースリリースの添付資料[9]に基づく。
2010年以前に所属していた選手
タイトル
- 2003年 第15回L・リーグ(一次リーグ)東日本リーグ1位
- 2007年 モックなでしこリーグ2007 ディビジョン2 優勝
- 全日本女子サッカー選手権大会 ベスト4 (2008年、2009年)
チームカラー
ユニフォームの色
カラー
|
シャツ
|
パンツ
|
ストッキング
|
FP(1st)
|
水色
|
水色
|
水色
|
FP(2nd)
|
白
|
白
|
白
|
GK(1st)
|
赤
|
黒
|
赤
|
GK(2nd)
|
黄
|
黄
|
黄
|
|
|
|
- チームカラーはマリーゼブルー(水色)
- 2008年度より、1stユニと2ndユニを入れ替えた。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 |
スポンサー名 |
表記
|
胸 |
(チーム名) |
Mareeze
|
背中 |
東京電力 |
Switch!
|
袖 |
東京電力 |
TEPCO
|
パンツ |
なし |
-
|
チーム名変遷
- 1997 - 2003年 YKK東北女子サッカー部フラッパーズ
- 2004年 YKK AP東北女子サッカー部フラッパーズ
- 2005 - 2011年 東京電力女子サッカー部マリーゼ
- 2012年 - チームとしては休部扱い(選手はベガルタ仙台レディースへ)
オフィシャルチームソング
サポーターズソング
応援番組
脚注
外部リンク