菅野 将晃(かんの まさあき、1960年8月15日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
息子は元サッカー選手でサッカー指導者の菅野将太。
神奈川県立旭高等学校卒業後、古河電気工業入社。
現役時代は古河電工サッカー部、ジェフユナイテッド市原、当時ジャパンフットボールリーグ所属の京都パープルサンガを最後に現役引退。
現役引退後の1995年から京都パープルサンガのユースチームコーチに就任、1998年からはトップチームコーチ兼サテライト監督、1999年からはジュニアユースの監督を務めた。この間、1997年にJFA公認S級コーチライセンス研修を受講し合格している。
2001年からは水戸ホーリーホックのヘッドコーチとなっていたが、7月に小林寛監督がゼネラルマネージャーに転身したのに伴い監督に昇格、2002年まで務めた。
2003年、大宮アルディージャの監督を務めたものの、成績不振で10月に解任された。
2004年、浦和レッドダイヤモンズユースチームの監督に就任した[1]。
2005年からは湘南ベルマーレのコーチに就任。2006年6月8日には上田栄治監督の辞任に伴い、監督に昇格。2007年、2008年と続けてJ1昇格争いを繰り広げたが、それぞれ6位、5位と昇格を逃し、責任を取る形で2008年限りで退任した[2]。
2009年からは福島県楢葉町・広野町を本拠地とするなでしこリーグ所属の東京電力女子サッカー部マリーゼ監督に就任した。リーグ戦での2年連続3位をはじめ[3]、好成績を挙げたが、2011年の東日本大震災によってチームが休部となった[4]。当時、菅野は「震災後、1カ月は何もする気が起きなかった」状態だったという[5]。同年7月にドイツで行われた2011 FIFA女子ワールドカップで優勝したサッカー日本女子代表のメンバーには、マリーゼで指導した鮫島彩と丸山桂里奈がいた[6]。
2012年、ノジマが立ち上げた「ノジマステラ神奈川」の初代監督兼GMに就任[7]。活動初年度には神奈川県3部リーグ優勝、皇后杯本選出場(最終的には3回戦進出)、さらにプレナスチャレンジリーグ参入決定戦を2連勝し、2013年からのチャレンジリーグ昇格を勝ち取った。
2015年シーズンはなでしこリーグ2部で2位となり、スペランツァFC大阪高槻との1、2部入れ替え戦に挑んだが、2戦合計2-2ながらアウェーゴール数で下回り、1部昇格を逃した[8]。
2016年シーズン、なでしこリーグ2部で優勝を果たし、チームを1部昇格に導いた[9]。
2018年シーズンまでノジマステラを率いて退任。
2019年シーズンから山梨県に発足する女子サッカーチームFCふじざくらに初代監督として就任。[10][11]
※1986年度の天皇杯は、古河電工がアジアクラブ選手権1986-87出場のため辞退
その他の公式戦
中野雄二 1991 - 1996
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