横内 昭展(よこうち あきのぶ、1967年11月30日 - )は、福岡県北九州市出身[2]の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。東海大学付属第五高等学校卒業。
1986年、マツダSCに前川和也、島卓視らと共に入団する[3]。現役時代はスピードの乗ったドリブル突破と正確なセンタリングを持ったチャンスメーカー[4] で、サイドアタッカー・攻撃的なMFやウイングバックとして活躍した。1990/91シーズンのJSL2部ではアシストランキング3位に入っている。しかしプロ化後の現役晩年は怪我しがちであり、1994年の1stステージ優勝時も怪我で全く出場していない[5]。1995年、怪我を理由に引退。
そのままサンフレッチェ広島のスタッフ入りした[6]。
指導者を始めるのは1996年からだが、現役時代から評価されていた。例えば、1987年当時コーチだったハンス・オフトは将来プロのコーチとしてやれる見込みのある選手として前川・森保一とともに横内の名前を挙げている[7]。
1997年から中村重和率いる広島ジュニアユースのコーチ、1999年から木村孝洋率いる広島ユースのコーチ、2000年から広島ユース含めたアカデミーを統括する広島ユースダイレクターとして活躍する。
日本サッカー協会(JFA)に派遣され年代別代表コーチとしても活動する。2002年、小野剛ヘッドコーチ率いるU-21日本代表のコーチとしてトゥーロン国際大会に出場し、3位に輝いた。同年鈴木淳暫定監督率いるU-17日本代表コーチ。同2002年にJFA 公認S級コーチライセンス取得。
2003年、広島トップチームコーチに就任し、小野やミハイロ・ペトロヴィッチの下でチームを支える。2011年末、ペトロヴィッチ監督退任の際に横内自身も退任する考えだったが、後任監督でありマツダの1年後輩にあたる森保に懇願されヘッドコーチ職として留任している[8]。
暫定ではあるが、監督も経験している。2007年1月、カタール国際ユーストーナメントではU-22日本選抜チーム監督としてチームを率いている(1勝1敗1分でGL敗退)[9][10]。2010年から2011年にかけて、関節の手術のため一時帰国したペトロヴィッチ監督に代わり、数試合広島監督代行として指揮を執った[11][12]。
2017年7月、森保が監督を辞任した事に伴い、暫定的に指揮を執る[13]。
2018年、サッカー日本代表およびU-21サッカー日本代表のコーチに就任。さらに2020年には東京オリンピックが1年延期となったことに伴い組織改編を行った結果、U-24サッカー日本代表監督に昇格した[14]。ただし、東京オリンピック本大会はコーチ登録となり、監督はA代表の森保が務める。
2022年12月、サッカー日本代表のコーチを退任。
2023シーズンよりジュビロ磐田のトップチーム監督に就任を発表[15]。若手の育成などに力を入れ、チームを1年でJ1昇格に導いた。
2024年シーズン、成績不振のため監督を辞任した。
ジュビロ磐田の強化ダイレクターである藤田俊哉とは藤田がオランダのチームで強化部に在籍していた頃、森保ジャパンのコーチとして横内がオランダへ視察にきたときに、5,6時間のドライブをした仲[16]。
2017年は代行監督として指揮。