レッドブル・ホンダ・RBPT Red Bull
エントリー名
オラクル・レッドブル・レーシング チーム国籍
オーストリア チーム本拠地
イギリス ( イングランド ) バッキンガムシャー州 ミルトン・キーンズ チーム創設者
ディートリヒ・マテシッツ 主なチーム関係者
テクニカルディレクター
公式ウェブサイト
https://www.redbullracing.com/int-en 以前のチーム名称
ジャガー・レーシング 2025年のF1世界選手権 ドライバー
リザーブドライバー
TBA シャシー
RB21 エンジン
ホンダ ・RBPT タイヤ
ピレリ F1世界選手権 におけるチーム履歴参戦年度
2005 - 出走回数
393 (392スタート) コンストラクターズ タイトル
6 (2010 , 2011 , 2012 , 2013 , 2022 , 2023 ) ドライバーズ タイトル
8 (2010 , 2011 , 2012 , 2013 , 2021 , 2022 , 2023 , 2024 ) 優勝回数
122 通算獲得ポイント
7,837 表彰台(3位以内)回数
282 ポールポジション
103 ファステストラップ
99 F1デビュー戦
2005年オーストラリアGP 初勝利
2009年中国GP 2024年 順位
3位 (589ポイント) (記録は2024年最終戦アブダビGP 終了時) テンプレートを表示
レッドブル・レーシング (Red Bull Racing Limited )は、2005年 からF1 に参戦しているレーシングコンストラクター。母体はオーストリア の飲料メーカー「レッドブル」グループ 。本拠地はイギリス ・ミルトン・キーンズ 。チーム代表はクリスチャン・ホーナー が務める。
概要
オーストリア資本の飲料メーカー レッドブルGmbH は、1995年 から2004年 までザウバー の、2002年 はアロウズ のスポンサーとしてF1との関わりを深めていた。特にメインスポンサーであったザウバーでは1995年から2001年 までチームエントリー名はレッドブル・ザウバー・ペトロナス であった。
元ワールドチャンピオンのジャッキー・スチュワート が率いて1997年 からF1に参戦していたスチュワート からの歴史を持つジャガー・レーシング は、2004年 11月15日 にフォード グループの再編によりF1から撤退することを宣言した。フォードはチームをレッドブルに売却し(金額は1ドル と言われた)、チーム代表に当時31歳の若さでクリスチャン・ホーナー を起用してレッドブル・レーシングが設立された。
トップドライバーや有力デザイナーを獲得して短期間でチームの戦力を上げつつ、多数ある下部組織(F3 などのジュニアチーム )から若手の育成ドライバーを参戦させるチーム方針を執っている。また、若手の育成ドライバーを参戦できる環境を確保すべく、親会社であるレッドブルは、豊富な資金力を背景に参戦した同じ年(2005年 )に別のF1チームミナルディ を買収し、2006年 からスクーデリア・トロ・ロッソ として再スタートさせた。これにより、親チームのレッドブルと兄弟チームであるレーシングブルズ・フォーミュラワン・チーム (旧トロ・ロッソ、スクーデリア・アルファタウリ 、RB・フォーミュラワン・チーム)という体制を構築し、レッドブルとして直接関与できるF1のシートを4つ占有するなど、F1界の新興勢力として新進著しい存在となっている。そのため、自動車メーカー が闊歩するモータースポーツ 界でも異色の存在となっている。
2009年 にトロ・ロッソからセバスチャン・ベッテル の加入と同年のレギュレーション変更に合わせたマシン開発の成功(詳細はレッドブル・RB5 )をきっかけにチームは常に優勝を争うレベルまで向上する。エイドリアン・ニューウェイ が手掛ける斬新な空力設計、ルノー エンジンとの強固なパートナーシップなどを武器に、2010年 から2013年 にかけてドライバーズ・コンストラクターズ両部門4連覇を達成した。2019年 から2021年 まではホンダ 製パワーユニット (Power Unit, PU ) を搭載。2022年 からはレッドブル 製PUとして、ホンダ (HRC)から技術的支援を受けつつ参戦し、マックス・フェルスタッペン が2021年からドライバーズ4連覇、2022年-2023年 にはコンストラクターズとの2冠を達成している。
歴史
2005年 - 2009年
2005年
RB1(2005年イギリスGP )
F1参戦初年度となる2005年は、旧ジャガーから引き続きコスワース エンジンを搭載、シャシー も旧ジャガーで「R6」として設計されたものを「RB1 」と名称を変えて使用した。
ドライバーは、2004年までマクラーレン に在籍していたデビッド・クルサード をエース待遇で獲得。セカンドドライバーには、旧ジャガーから残留のクリスチャン・クリエン と共に、レッドブル社のスポンサードのもと2004年国際F3000 チャンピオンを獲得したヴィタントニオ・リウッツィ とも契約。第3戦のバーレーンGP まではクリエンが出走し、リウッツィはサードドライバーとして金曜日のフリー走行に参加、第4戦サンマリノGP から4戦はリウッツィが出走し、クリエンがサードドライバーとしてフリー走行に参加し、その後も交互に参戦レースを決めることとしていた。しかし2005年レギュレーションでは、前戦に出走していないドライバーは予選セッションの走行順が1番目となることから不利になるとして、第8戦以降は開幕時と同様にクリエンをレースに出走させ、リウッツィはサードドライバーの役目を務めた。ただし、マーケティング 上の理由からカナダ ・アメリカ の両GPではサードドライバーに、同じくレッドブルのスポンサードを受けているアメリカ人のスコット・スピード を起用した。
2004年シーズンオフ 、レッドブルは買収に関する話題はともかく、マシン性能面においてはほとんど注目されていなかったが、開幕からクルサードは3戦連続、クリエンは2戦連続でポイントを獲得。その後もクルサードを中心にシーズンを通してコンスタントにポイント獲得を続け、最終的にB・A・R の38ポイントに迫る34ポイントを獲得し、コンストラクターズランキング7位となった。
2006年
RB2(2006年アメリカGP )
2006年 からはフェラーリ と2年間のエンジン供給契約を結んだ。ドライバーは前年からのクルサード、クリエンに加え、ロバート・ドーンボス を起用しサードドライバーに据えた。また、マクラーレン より移籍したエイドリアン・ニューウェイ がチーフテクニカルオフィサーに就いた。シャシーはフェラーリ V8 エンジンに対応して製作された「RB2 」を投入。
第7戦モナコGP においてクルサードが3位に入り、チーム初の表彰台を獲得した。第16戦から残り3戦はセカンドドライバーをクリエンからドーンボスに代えた(クリエンはレッドブル陣営から離脱し、2007年 からホンダF1 のテストドライバーとなった)。それと同時に、レッドブルの育成ドライバーとして、テストドライバーを務めながらGP2 に参戦していたミハエル・アメルミューラー がドーンボスに代わってサードドライバーに昇格した。
2007年
RB3(2007年アメリカGP )
2007年はフェラーリとのエンジン供給の契約が継続していたが、これをジュニアチームであるトロ・ロッソ ヘ移譲。レッドブルはルノー のエンジンを搭載した。マシンは「RB3 」。この年からワンメイクとなったブリヂストン タイヤを使用。レギュラードライバーはクルサードに加え、新たにマーク・ウェバー を起用。リザーブドライバーには、テストドライバーのアマミューラー、ドーンボス、セバスチャン・ブエミ を、各レース毎に変則起用した。
シーズン途中から導入したクイックシフトタイプのトランスミッション などの信頼性不足もあって、決勝ではトラブルに泣かされ、予選で見せた速さを結果につなげられないという状態が続いていた。しかし、第10戦ヨーロッパGP では、豪雨で赤旗中断などの混乱の中で見事に走り切り、ウェバーがレッドブルで初めての表彰台3位(チームとしては2度目)、クルサードも5位に入賞した。
2008年
RB4(2008年カナダGP )
ドライバーは引き続きクルサードとウェバーが務め、テストドライバー兼リザーブドライバーにブエミを起用。マシンは「RB4 」。カナダGP では、クルサードが2008年シーズン唯一となる表彰台(3位)を獲得したが、シーズンを通しては弟チームのトロ・ロッソに遅れを取り、この年はコンストラクターズランキングでトロ・ロッソに敗れたばかりか初優勝もトロ・ロッソに先を越されてしまった。
クルサードはこの年をもって現役を引退することを7月3日にシルバーストン で発表した。最終戦となる第18戦ブラジルGP では、脊髄 損傷を受けた人々をサポートするチャリティー 団体「Wings for Life」の特別カラーリングを纏ったマシンをドライブした。その後、2009年 以降もアドバイザーとしてチームに残留することが発表された。
2009年
RB5(2009年日本GP )
2008年イタリアGP で史上最年少で初優勝を遂げたセバスチャン・ベッテル がトロ・ロッソから移籍。ウェバーは残留。リザーブドライバーにはブレンドン・ハートレイ を起用する予定だったが、スーパーライセンス が発給されなかったため、第2戦までは2008年いっぱいで引退したクルサードが登録された。
マシンは「RB5 」。少々タイヤに厳しいマシンとの評価があるが、スタートから終盤まで安定した速さをもっているのが特徴であった。この年はワークス勢がKERS開発に注力する中、敢えて空力開発を優先させた決断が幸いする結果になる。
第3戦中国GP においてウェットコンディションの中、ベッテルがポール・トゥ・ウィン で自身2勝目、チームに初優勝をもたらした[ 3] 。また、ニュルブルクリンク で開催されたドイツGP ではマーク・ウェバー が自身にとって初優勝を獲得した。
第15戦日本GP において、セバスチャン・ベッテルがポール・トゥ・ウィン。マーク・ウェバーはピットスタートで最下位に終わったが、ファステストラップを記録するなど、最終的にベッテル4勝、ウェバー2勝と、ブラウンGP に次ぐコンストラクターズランキング2位と好成績を収めた。
2010年 - 2014年
2010年
RB6(2010年カナダGP )
ドライバーは前年に引き続きウェバーとベッテル。
マシンは「RB6 」。RB6に採り入れられた「ブロウンディフューザー 」(吹き付けディフューザー)は、マクラーレン のMP4-25 が搭載したFダクトとともに2010年のトレンドとなった。
第7戦トルコGP において、チームメイト同士のクラッシュを演じた(ベッテルはリタイア、ウェバーは3位)。この件を巡るチームの対応をきっかけにドライバー間の緊張状態が目立つようになり[ 4] 、それが表れたのが第10戦イギリスGP である。このGPに合わせ、チームは新型のフロントウイングを2つ用意していたが、そのうちの1つをベッテルが金曜日のフリー走行時に破損させ、決勝でチームは残り1つの新型ウイングをウェバー車から外しベッテル車に装着する。しかし、結果はポールのベッテルをスタート後の1コーナーでパスしたウェバーが優勝。レース後のウィニングランで「ナンバー2ドライバーにとっては悪くない結果だね」と無線で皮肉った。
マレーシアGP、モナコGP、日本GP、ブラジルGPの計4回のワンツーフィニッシュを達成。また第18戦ブラジルGP において、チーム初となるコンストラクターズタイトル獲得を決めた。続く最終戦アブダビGP にてセバスチャン・ベッテルがポールトゥウィンを達成。チャンピオン争いで前戦まで首位に立っていたフェルナンド・アロンソ が7位入賞に終わった為、最終戦でポイントランキングを逆転する形となり、同時にベッテルがドライバーズチャンピオンに輝き、ダブルタイトルを獲得した。
2011年
RB7(2011年イタリアGP )
ドライバーは変わらずウェバーとベッテル。マシンはRB7 を使用する。
シーズン開幕前には、エンジン供給元のルノーと連合を組む日産自動車 の高級車ブランド・インフィニティ とマーケティング契約を交わしたことを発表した。当初噂されていた「エンジン名のバッジネーム 」契約ではなかったものの、マシンやドライバーのレーシングスーツ等に「Infiniti」のロゴが掲出される[ 5] 。将来的にはレッドブル・テクノロジーとインフィニティの研究開発部門との間での技術供与等に発展する可能性も示唆した[ 6] 。
シーズンだが、前半戦はベッテルがオーストラリアGPとマレーシアGPをポール・トゥ・ウィンで連勝し勢いに乗り、ウェバーも勝ち星はなかったものの安定して2桁ポイント(5位以上)を獲得したため、両タイトルはレッドブルが独走する形となった。折り返しとなる第10戦ドイツGP以降はライバル勢が戦闘力を増して追撃を開始するが、ライバルの一つフェラーリ は前半戦の段階でタイトル争いから脱落。もう一つのライバルマクラーレン は同チーム所属のジェンソン・バトン が最後までベッテルを追撃する形となった。タイトル争い自体は、ベッテルが開幕戦から第9戦まで2位以上で完走という成績で独走態勢を築き、日本GPで史上最年少2年連続ワールドチャンピオンを獲得。韓国GPでチームの2年連続コンストラクターズチャンピオンが決定した。ウェバーも最終戦ブラジルGPで念願の優勝を果たし、ドライバーズランキング3位を獲得した。
この年は優勝12回(ベッテル11回、ウェバー1回)、表彰台18回(ベッテル17回、ウェバー10回)と前年を大きく上回る好成績を残した。
2012年
RB8(2012年マレーシアGP )
この年もドライバーはベッテルとウェバーで、マシンは段差ノーズが特徴のRB8 を使用する。この年からエンジン排気の空力的利用(ブロウンディフューザー )が規制され、この分野をリードしていたレッドブルは不利になった。
シーズンの半分となる第10戦までの成績だが、ベッテルは1勝を含めた表彰台3回ながらも着実にポイントを獲得しており、ノーポイントは2戦のみと大きく後れを取ったわけではなかったが、ポイントリーダーには一時的には立つものの、それを維持できなかった。一方で、ウェバーは開幕戦オーストラリアGP から4戦連続4位入賞を果たすなど、調子の上がらないベッテルを尻目に安定した走りを見せ、第6戦モナコGP ではポールスタートからロズベルグやアロンソらの追撃を振り切り、シーズン初勝利かつモナコ2勝目を達成した。また、モナコで2勝以上達成した初のオーストラリア人ドライバーとなった。イギリスGP ではトップのアロンソを残り5周で抜きシーズン2勝目を挙げたが、これがウェバーのF1での最終勝利となる。そのため、サマーブレイク直前の第11戦の段階では、コンストラクターズ争いでは優勢であったが、ドライバーズタイトル争いではフェルナンド・アロンソが暫定のポイントリーダーであり、それをウェバーと共に追うという展開となった。だが、後半戦は第14戦シンガポールGPから投入したアップグレードの成功も手伝い、一気に復調。ウェバーもさらに調子を上げるが、ベッテルはそこから前年のような速さが復活し猛追。アロンソが巻き込まれ事故などの第三者が原因で失速した間、ベッテルが差を詰める形となり、最終的にベッテルがアロンソとのタイトル争いに競り勝ち、ベッテルの3連覇という形で決着がついた。また、コンストラクターズも第19戦でチームの3年連続コンストラクターズチャンピオンが決定した。
最終的に優勝7回(ベッテル5回、ウェバー2回)と前年より成績は落としたものの、安定した入賞が効いてタイトルを死守することとなった。
2013年
ベッテルとウェバーによるチーム内バトルが繰り広げられた2013年マレーシアGP
ドライバーはこの年もウェバーとベッテルで、マシンは段差ノーズを隠す短いバニティパネルが装着されたRB9 を使用する。
ベッテルは第11戦ベルギーGP から最終戦ブラジルGP までのグランプリ9連勝という記録を打ち立てた。第9戦ドイツGP では悲願の母国初制覇を果たした。
第2戦マレーシアGP では終盤に差し掛かりピット戦略でベッテルをかわし首位を走行。レッドブルの2台に争わないようチームオーダーが出るが、従ったウェバーに対し無視したベッテルが暖まらないタイヤで走るウェバーに勝負を仕掛け、ウェバーは優勝をさらわれる。
ウェバーはイギリスGP 前に今シーズン限りの引退・及び来年からポルシェ からWEC に参戦する事を発表。その後は度々表彰台に上るも勝利には至らず、終盤9連勝を達成したベッテルの影に隠れる形でF1のキャリアを終えた。ラストレースとなった最終戦ブラジルGP ではレース後のインラップでヘルメットを外して走行し、観衆の声援に応えた。
2014年
リカルドがRB10で3勝(2014年シンガポールGP )
ドライバーはベッテルとトロ・ロッソから昇格したダニエル・リカルド で、マシンはレギュレーションの大幅改訂で26年ぶりのターボ復活となるV6シングルターボ 付きパワーユニットが搭載されたRB10 を使用する。
しかし、ルノー製パワーユニットの戦闘力および信頼性の低さが露呈したことで前年までの勢いは一気に失われ、対照的に戦闘力を向上させたメルセデスの後塵を拝することとなった。ベッテルにおいては終盤にはエンジン交換ペナルティを受けるなど、レッドブル加入以来初の未勝利に終わった。一方のリカルドは母国での開幕戦オーストラリアGPで2位を獲得しながら失格となる屈辱も味わいながらも、カナダGPで初優勝。その後さらに2勝をあげる活躍をみせ、この年のメルセデス以外のドライバーで唯一勝利をあげた。最終的にリカルドはランキング3位、ベッテルはランキング5位となった。コンストラクターズランキングは2位を確保したものの、メルセデスには大きく差をつけられた。
この年限りでベッテルはレッドブルを離脱、フェラーリへ移籍した。
2015 - 2019年
2015年
クビアトとリカルド(2015年マレーシアGP )
ドライバーはリカルドとトロ・ロッソから昇格したダニール・クビアト で、マシンはRB11 を使用する。
前年以上にルノー製パワーユニットのパフォーマンス不足と信頼性の低さに悩まされる。前年にメルセデス以外のドライバーで唯一勝利をあげたリカルドでさえ優勝はおろか表彰台にも立てないレースが続き、早くも第8戦オーストリアGP (レッドブルのホームグランプリ)でリカルドとクビアトの両者ともこの年の規定を超える5基目のエンジンに交換したため、グリッド降格ペナルティを受けた[ 7] 。ハンガリーGP で2人揃って表彰台に上るレースもあったが、このほかの表彰台はシンガポールGP のリカルドの2位表彰台のみに留まり、最終的に未勝利でコンストラクターズ4位でシーズンを終えた。
パワーユニットに改善の兆しは見られなかったことからルノーとの関係も悪化の一途を辿り[ 8] [ 9] 、ルノーとの供給契約をこの年一杯で打ち切ることを決断[ 10] したが、メルセデスからは供給を拒否された上にフェラーリからは前年型しか供給しないと通告されたため[ 11] 、兄弟チームのトロ・ロッソとともに一時はF1からの撤退も検討するまでに至り[ 12] 、結局ルノー製パワーユニットに「タグ・ホイヤー 」のバッジネーム を付けてイルモア が同PUを改良する形で2016年シーズンを戦うことが決定した[ 13] 。なおトロ・ロッソは2015年型のフェラーリPUを搭載する。この件についてはバーニー・エクレストン の介入があったとされ、自社ブランドでのパワーユニット供給を行わないという条件でルノー側が引き受けたことによる苦肉の策であった[ 14] 。そのまたこの年限りでインフィニティが翌年から活動を再開するルノーワークスチームへ移籍する形でタイトルスポンサー契約を終えた。
2016年
マレーシアGP でワン・ツー・フィニッシュを果たしたRB12(前:リカルド、後:フェルスタッペン)
ドライバーはリカルドとクビアトが残留。マシンは「タグ・ホイヤー」ブランドのルノー製PUを搭載したRB12 を使用する。インフィニティに代わってアストンマーティン とパートナー契約を結び、高性能スポーツカー「アストンマーティン・ヴァルキリー 」を共同開発することになる。
マシン性能は前年と比較すると向上し、予選ではフェラーリをしばしば上回り、第3戦中国GP ではクビアトが3位表彰台を獲得した。しかしクビアトは母国グランプリとなる第4戦ロシアGP で1コーナーでベッテルに追突、その弾みでベッテルがリカルドにも接触したことにより、レッドブル勢は共倒れに終わる。この結果にレッドブル首脳陣はクビアトに対して激怒、翌戦のスペインGP でクビアトと入れ替わりにトロ・ロッソからマックス・フェルスタッペン を昇格させるという采配を見せ大きな物議を醸した。そんな中フェルスタッペンは移籍初戦のスペインGPでいきなり初優勝を成し遂げて史上最年少記録(18歳227日)を樹立。チームにとっても2014年ベルギーGP以来となる優勝を果たした。モナコGP ではアップデートしたルノーエンジンを搭載したリカルドが自身初のポールポジションを獲得。しかし決勝ではピットのミスでハミルトンに逆転され2位に終わった。それでもリカルド、フェルスタッペン共に安定したパフォーマンスを見せ、マレーシアGP では3年ぶりのワン・ツー・フィニッシュを果たした(リカルドは2年ぶりの勝利)。コンストラクターズランキングはフェラーリを抜いて2位となった。
5月にレッドブルは、ルノーのパワーユニットの進歩を評価し、ルノーとパワーユニット供給契約を2018年まで結んだと発表した[ 15] [ 16] 。なお、最終戦アブダビGP でタグ・ホイヤーとの契約を2018年まで延長、引き続き「タグ・ホイヤー」のバッジネームを使用する[ 17] 。12月1日、チームパートナー、公式燃料パートナー、公式潤滑油パートナー、公式モーターオイルパートナーとしてエクソンモービル と契約したことを発表した[ 18] 。
2017年
RB13(オーストラリアGP )
ドライバーはリカルドとフェルスタッペンの両名が残留。マシンはRB13 を使用する。アゼルバイジャンGP でリカルドが優勝を達成。しかし、度重なるトラブルに見舞われ、第8戦の段階[ 19] では全チーム中最も周回数が少ないチームとなってしまった。特にフェルスタッペンはカナダGP からオーストリアGP まで3戦連続リタイアを喫した。秋以降はメルセデスやフェラーリと互角に戦えるほどに復調し、フェルスタッペンはマレーシアGP とメキシコGP で優勝した。しかしフェルスタッペンが復調すると今度はリカルドにトラブルが続出。終盤の4戦中3戦をトラブルでリタイアするなど最後まで信頼性の問題に悩まされる1年となった。ドライバーズランキングはリカルドが5位、フェルスタッペンが6位となった。9月25日、前年からスポンサーとして参画のイギリスの自動車メーカー・アストンマーティン と2018年からのタイトルスポンサー契約の締結を発表[ 20] 。アストンマーティン側は将来的にF1にエンジンサプライヤーとして参入することにも関心を寄せているとコメントした。
2018年
RB14(優勝した2018年中国GP )
ドライバーはリカルドとフェルスタッペンが残留、マシンはRB14 を使用する。この年も特にリカルド側にマシントラブルが続発する中、リカルドは第3戦中国GP で逆転勝利を果たし、第6戦モナコGP はMGU-Kのトラブルに見舞われながらもベッテルを抑えきり、ポール・トゥ・ウィン を飾った。フェルスタッペンは第9戦オーストリアGP および第19戦メキシコGP で勝利を収める。一方で第4戦アゼルバイジャンGP はリカルドとの激しいバトルの末に同士討ちとなってしまったが、その後は走りの荒さは影を潜め、シーズン終盤にはリカルドとフェルスタッペンのいずれかが6戦連続で「ドライバー・オブ・ザ・デイ」に選出された。年間ランキングは3位のままで終わったが、メルセデスとフェラーリとのポイント差は縮小した。
ルノーとのパワーユニット供給契約がこの年までであること、ジュニアチームのトロ・ロッソがホンダ 製パワーユニット使用を開始したことで、翌年以降のパワーユニット選択に関する決断がルノー側[ 21] から迫られたが、交渉の一貫でもあるが、早期決断をしないなど[ 22] [ 23] [ 24] 、これ以上両者の関係が継続しないことは示唆されていた。そして、6月19日にホンダと2020年までのパワーユニット供給契約を発表、ルノーとの関係は延べ12年で終止符が打たれることになった[ 25] 。クリスチャン・ホーナーは「今シーズンのホンダには大きな進歩が見られた。カナダGPで投入されたルノーとホンダの各新パワーユニットへの調査の結果、パワーユニット変更への決心が付いた」「ルノーの意向もあり、予定を繰り上げて発表した」「純粋に技術的な理由により、これが将来に向けて正しい動きであるという結論に達した」[ 26] 「初めて自動車メーカーと緊密に連携することになり、当初から車体とパワーユニットの融合を考慮したマシン造りができる」[ 27] とコメントしている。なお、アストンマーティンとのタイトルスポンサー契約は継続する意向を示し、チーム名については後日発表となった[ 28] [ 29] 。一方でルノーとは、ドイツGP でリカルドのパワーユニット交換の際に一部のパーツの交換しか許可されなかったこと[ 30] や、ハンガリーGP でのフェルスタッペンのパワーユニットが故障したことに、「標準以下のパワーユニット」とコメントした[ 31] のに対し、ルノー側は「2015年以降、彼らが語ることには目を通していない」「我々がもう彼らとは何の関係もないことは非常にはっきりとしている」[ 32] と反論するなど、両者の関係は険悪なままであった。
8月3日、直前まで翌年への残留交渉を進めていた[ 33] リカルドが一転してルノーへ移籍することを発表[ 34] 。その後、8月21日にリカルドの後任としてトロ・ロッソからピエール・ガスリー の昇格が発表された[ 35] 。
2019年
ホンダ製PU搭載 RB15
マシンは本年のRB15 からホンダ製PUを搭載した。
プレシーズンテストで目立ったマシントラブルはなかったが、ガスリーが2度のクラッシュによりテスト計画に狂いが生じ、不安を残した[ 36] 。
開幕戦オーストラリアGPではフェルスタッペンが3位を獲得。ホンダとしては2008年イギリスGP のルーベンス・バリチェロ 以来となる11年ぶりの表彰台を飾った[ 37] 。一方でヘルムート・マルコが「我々(のクルマ)はダウンフォースが小さすぎる。(前年のルノーエンジンの)パワー不足を補う必要があったからだ」「それは我々の想像の中には存在していなかった」と、ホンダ製PUのパワーを受け止めきれていないシャシーの問題もあると認めた[ 38] 。第2戦バーレーンGPでは終始マシンのセッティングが決まらずに2台とも表彰台圏外に終わり、ホンダの山本雅史は「(エイドリアン・)ニューウェイも「どうしてこうなんだ」と首を傾げている」と述べた[ 39] 。
第5戦スペインGPではフェルスタッペンが「メルセデスだけが今年のマシンを速く走らせる方法を理解している」と考察し[ 40] 、同GP終了後には「いたるところでメルセデスの方が僕らよりも速い」とシャシー性能の面でもレッドブルの不利を認め[ 41] 、信頼性は上がったものの戦闘力としてはメルセデスおよびフェラーリ勢に続く3番手の地位に留まる序盤戦となった。
オーストリアGPでフェルスタッペンが逆転勝利を飾り、ホンダに13年ぶりかつ第4期としては初の勝利を獲得し、ドイツGPでは目まぐるしく変わるコンディションをフェルスタッペンが制し勝利した。ハンガリーGPではフェルスタッペンが自身初であり、ホンダにとっては13年ぶりポールポジションを獲得。決勝ではタイヤ戦略で賭けに出たメルセデスのルイス・ハミルトン に最終的に敗れはしたものの、名勝負を繰り広げ2位表彰台を獲得した。
サマーブレイク期間の8月12日、トロ・ロッソで走っていたアレクサンダー・アルボン がドライバーとして昇格し、ガスリーがトロ・ロッソに入れ替わりの降格となったと発表された[ 42] 。これはフェルスタッペンとクビアトのトレードを彷彿とさせたが、アルボンのF1参戦期間及び出走回数を考慮すればそれを超える異例の判断[ 43] となった。チーム側は「2020年以降のフェルスタッペンのチームメイトとして誰を起用するべきか決定するために、アルボンのパフォーマンスの評価を目的としている」とコメントし、2020年のフェルスタッペンのチームメイト選定[ 44] と位置づけ、クビアトの一件を彷彿させる出来事もあった。
後半戦は一時、精彩を欠いたレースが続いたがブラジルGPでフェルスタッペンが2度目のポールポジションを獲得すると決勝でも快走し、シーズン3勝目を自身初のポールトゥウィンであげた。最終的にコンストラクターズは前年と同ポイントの3位となったが、フェルスタッペンはドライバーズランキングでフェラーリの2人を上回る3位を獲得した。レッドブル加入後のアルボンも表彰台獲得こそはなかったが、終盤に2位走行中にハミルトンに追突され後退したブラジルGPを除いた全戦で4位〜6位でフィニッシュするなど安定した結果を残した。また昨年まではPUを中心にマシントラブルでのリタイアが少なくなかったが、この年のマシントラブルが原因でのリタイアは第4戦のガスリーのトラブルのみであった。
2020年 - 2024年
2020年
アレクサンダー・アルボンがドライブするRB16
マシンはホンダPU搭載としては2年目となるRB16 を投入。ドライバーはフェルスタッペンとアルボンが残留。
開幕戦オーストリアGP では、2台ともPUの電気系トラブル[ 45] でリタイア。第2戦シュタイアーマルクGP でフェルスタッペンが今季初の表彰台を獲得するものの、メルセデスとの差は大きく[ 46] 、フェルスタッペンは表彰台の一角に食い込むものの[ 47] 、差を詰められない状況が続いた。それでも、第5戦70周年記念GP でフェルスタッペンがタイヤ戦略も駆使して優勝を飾った[ 48] 。ただし、タイトル争いという点では、第7戦ベルギーGP で3位を獲得[ 49] し、第7戦終了時点ではドライバーズランキングは暫定2位[ 50] となり、ポイント上では自力でタイトルを獲得できる可能性も残していた[ 51] 。しかし、第8戦イタリアGP 、第9戦トスカーナGP と2戦続いてホンダPUにトラブルが発生[ 52] [ 53] しフェルスタッペンは2戦ともリタイアしてしまったため、この時点で自力で逆転できる可能性は消滅。最終的には第13戦エミリア・ロマーニャGP でのフェルスタッペンのリタイアによりタイトル獲得の可能性が完全に消滅[ 54] することとなった。その一方で最終戦アブダビGP でフェルスタッペンがポール・トゥ・ウィン[ 55] を飾りシーズンを終えた。
2020年をもって、タイトルスポンサーを務めたアストンマーティンが来シーズンよりレーシング・ポイント から名称を変える形でコンストラクターとして参戦するため、スポンサー契約を終了した。
2021年
マシン はホンダPU搭載としては3年目となるRB16B を投入。ただし、新型コロナウイルス感染症の影響 により、基本的に前年度のシャシー が持ち越すレギュレーションが可決されたため[ 56] 、マシン名の通り、2020年のRB16の延長線上のマシンとなる。ドライバーはフェルスタッペンは継続。アルボンは成績不振と判断されてリザーブドライバー兼テストドライバーに降格[ 57] [ 58] 。代わってレーシング・ポイントから放出されたセルジオ・ペレス を起用した[ 59] 。
プレシーズンテストから好調[ 60] で、少なくともメディアはテストでのマシンパフォーマンスだけ見れば、前年よりタイトルに近い位置にいると分析されていた[ 61] [ 62] 。開幕戦バーレーンGP ではフェルスタッペンがポールポジション(PP)を獲得する[ 63] が、決勝ではハミルトンに僅差で敗れ2位に終わる[ 64] 。第2戦エミリア・ロマーニャGP ではフェルスタッペンがハミルトンを逆転し今季初優勝[ 65] するが、そこからの2戦はハミルトンの後塵を拝した[ 66] [ 67] 。そんななか、市街地コース となる第5戦モナコGP と第6戦アゼルバイジャンGP では、前者は2番手スタート[ 68] [ 69] のフェルスタッペンが今季2勝目を挙げ、後者は最終盤に首位走行中のフェルスタッペンが突然左リアのバーストでクラッシュ[ 70] しリタイアとなるが、ここで2位であったペレスが首位へ浮上し今季初優勝[ 71] を記録。また、第5戦終了時点でドライバーズ(フェルスタッペン)、コンストラクターズ両方のランキングにおけるポイントリーダーとなった[ 72] 。
第7戦フランスGP から第9戦オーストリアGP では、フェルスタッペンが3戦連続PP獲得からの3連続ポール・トゥ・ウィンを飾り、レッドブルにとっては2013年 以来となるチームとしての5連勝およびドライバー個人の3連勝も記録。また、フェルスタッペンにとっては第7戦はハットトリック での優勝[ 73] [ 74] 、第9戦はグランドスラム での優勝[ 75] となり、両方ともフェルスタッペンにとってはキャリア初記録となったうえ、グランドスラムに関しては最年少記録を更新することとなった[ 76] 。
8年ぶりのドライバーズタイトルを獲得したRB16B
5連勝によって1レースで逆転できないポイント差を築くが、第10戦のフェルスタッペンのリタイア、第11戦の2台ともアクシデントに巻き込まれたことによってポイントを大きく失い、両タイトルのポイントリーダーの座はメルセデスに移った[ 77] 。サマーブレイク後のポイントリーダーの座だが、コンストラクターズの方はメルセデスが堅守し続けるも、ドライバーズタイトルは一進一退の争いとなり、第16戦の結果によりフェルスタッペンがポイントリーダーの座を奪取[ 78] 。第18戦でフェルスタッペンが今季9勝目を挙げ、2位ハミルトンに19ポイント差をつけた[ 79] 。だが、ハミルトンが3連勝という形で反撃し、最終戦をフェルスタッペン、ハミルトンが同点という状況で迎えることとなった。最終戦は、予選でフェルスタッペンがPPを獲得するも、決勝はハミルトンがスタートダッシュを決めて首位を独走[ 80] 。2位に落ちたフェルスタッペンは、ペレスの援護[ 81] 、VSC導入時のタイヤ交換によって得たタイヤの性能差を生かし猛追するも、決勝でのハミルトンのペースは速く、差をわずかに縮めるので精一杯という状況であった。しかし、レース終盤に接触事故によりセーフティカーが導入され、フェルスタッペンはタイヤ交換を実施。最終ラップ直前にレース再開となり、ステイアウトせざるをえなかったハミルトンを最後に逆転。そのままトップでチェッカーを受け、今季10勝目を挙げると共にレッドブルとしては2013年以来、ホンダF1としては第4期最終年でドライバーズタイトル獲得を果たすこととなった。ただしコンストラクターズの方は、第20戦終了時には5ポイント差まで詰めたが、第21戦でのペレスのリタイアによるノーポイントが響き[ 82] 、メルセデスが接戦を制してコンストラクターズタイトルを死守する結果となった。
2022年
9年ぶりにダブルタイトルを獲得したRB18
ドライバーはフェルスタッペンとペレスの両名が残留。マシンはRB18 を使用し、RB17は欠番となった[ 83] 。PUはこの年からレッドブル・パワートレインズ (以下RBPT)名義に変わったが、引き続きホンダ(この年からホンダ・レーシング (HRC)に移管)が2025年まで製造と供給を行うことになった[ 84] 。2021年にオラクル と複数年のパートナーシップ契約を締結していたが[ 85] 、今季の新車発表が行われた2月9日、オラクルとのタイトルスポンサー契約を発表[ 86] 。同日以降のチームのエントリー名は「オラクル・レッドブル・レーシング」へ変更された[ 87] 。開幕戦のバーレーンGP はフェルスタッペンが2位を走行中に燃料ラインの問題でリタイア(19位完走扱い)、ペレスも同様のトラブルでフィニッシュできず、第2戦サウジアラビアGP はフェルスタッペンが勝ったものの、第3戦オーストラリア GPはフェルスタッペンにPUトラブルが発生してリタイアするなど2勝したフェラーリに水をあけられる展開になった。しかし、ヨーロッパラウンドに入ってからフェルスタッペンが連勝を重ねて第18戦日本GP までに12勝する強さを見せ、4戦を残して2022年のドライバーズタイトルを獲得し、連覇を達成した。第19戦アメリカGP ではフェルスタッペンが2年連続で優勝し年間最多勝利数に並び、ペレスも4位フィニッシュ。この結果により2013年以来のコンストラクターズタイトルを獲得した[ 88] 。
2023年
ドライバーはフェルスタッペンとペレスが残留。PU名はこの年からホンダ のバッジネームが付き「ホンダ・RBPT」に変更された。開幕戦バーレーンGP ではレッドブル勢が圧倒的な速さを見せ、フェルスタッペンが優勝、ペレスが2位に続きワンツーフィニッシュを達成した。さらに第5戦マイアミGP から第15戦イタリアGP にかけて前人未到の10連勝[ 89] を達成し、アルベルト・アスカリ とセバスチャン・ベッテル が持っていた単独連勝記録を更新した。また、チームもイタリアGPでチームの開幕からの連勝記録を14に、前年の最終戦アブダビGP からの連勝記録を15に更新した。第17戦日本GP ではメルセデスよりも多くポイントを獲得し、2年連続でコンスタラクターズタイトルを獲得した。次戦のカタールGP ではスプリントレースでフェルスタッペンが3年連続となるドライバーズタイトルを獲得した。さらに第22戦ラスベガスGP でペレスがドライバーズランキング2位を確定させ、レッドブルにとっては初めてのドライバーズランキングでのワンツーフィニッシュを達成した。この年勝てなかったのは第16戦シンガポールGP のみで、22戦21勝と圧倒的な結果を見せ、2016年 に19勝したメルセデスの年間最多勝利数と1988年 に16戦15勝したマクラーレン・ホンダの年間勝率を上回った。
2024年
ドライバーは昨年同様にフェルスタッペンとペレスのコンビが続投。開幕2戦で1-2フィニッシュを達成し、その後も第10戦スペインGP まではフェルスタッペンが安定して勝利を積み重ねていたが、後半戦に入るとマクラーレンとフェラーリが急激な進化を見せる一方で、レッドブルは急激に戦闘力が低下し、優勝はおろか表彰台獲得にも苦労するようになり、ペレスに至ってはポイント獲得もままならなくなってしまう。前半戦の貯金もあってフェルスタッペンが何とか逃げ切り、第22戦ラスベガスGP で4年連続のドライバーズタイトルは確保したものの、マクラーレンとフェラーリに抜かれてコンストラクターズは3位に転落してしまった。人事面においても、5月にニューウェイがF1のデザイン作業から退き[ 90] 、翌年からアストンマーティン への移籍が9月に発表された[ 91] 。シーズン後半にはスポーティングディレクターのジョナサン・ウィートリーもチームを離脱し[ 92] 、この年不振を極めたペレスの退団がシーズン終了後に決定[ 93] するなど、失ったものが多かった年であった。
2025年 -
2025年
ドライバーはフェルスタッペンが残留し、RB(レーシングブルズ) からリアム・ローソン が昇格。
エピソード
2009年からの活躍は目覚ましいものがあるが、ニューウェイが2014年にフェラーリから巨額のオファーを受けた際に「不振だからと言って去りたくはない、だが同じくらい、エンジン部門に片手を縛られているような状況にもいたくなかった」と率直に発言したり[ 94] 、2015年にはレッドブル側がルノー首脳陣を公然と批判する[ 95] など、提携相手に容赦ない態度を示すことがしばし見られる。ルノーとの供給契約が切れる2018年にはトロ・ロッソへパワーユニット供給を開始したホンダへの変更が検討されたことに対し、ルノー側は変更のための最終期限を当初の5月15日から5月末まで伸ばしたものの、レッドブルは最短でも6月と応じず、痺れを切らしたルノーのシリル・アビテブール は「サプライヤーへのロイヤリティとコミットメントがない」と批判した[ 96] 。
ルノーとはPU導入後関係が険悪化したのとは対照的に、2019年からタッグを組むホンダとの関係は良好なものを構築しつつあり、先述のように2019年開幕戦後にシャシー側の問題がある事を認めたこともある[ 38] 。
レッドブル・ジュニアチーム として自前の育成ドライバーを保持し、ベッテルやフェルスタッペンという青田買いの成功例がある一方で、成績の出せないドライバーは容赦なく解雇することから「大虐殺だ[ 97] 」「残酷な面がある[ 98] 」というコメントもある。なお、参戦開始した2005年から現在に至るまでレギュラードライバーはほぼレッドブル傘下のドライバーを起用し続けており、直接のスポンサードを受けていないドライバーは、チーム発足時に加入したクルサード、2007年に移籍してきたウェバー[ 99] 、2021年のドライバーとして起用されたセルジオ・ペレス [ 100] のみ。トロ・ロッソ、アルファタウリを含めても2008年に在籍したセバスチャン・ボーデ 、2023年に加入したニック・デ・フリース のみである。残酷な面もあるがF1ドライバーへの道筋が他の育成ドライバーより確立されていることや成績を基準に判断されているため、その方針については認める声もある[ 98] 。
2016年 1月 、オーストリア のスキーコースで雪上デモ走行を行った[ 101] 。ドライバーはマックス・フェルスタッペン。
レッドブル公式サイトで、自社保有の2チームの活動を紹介しているのはもちろんのこと、無関係のチームやドライバーに関する記事も度々アップしている。例として2019年にマクラーレンから10代F1デビューを果たしたランド・ノリス を特集した記事をアップしている[ 102] 。
2023年第12戦ベルギーグランプリ にて、1988年 にマクラーレン・ホンダ によって打ち立てられた開幕からの連続優勝記録である11戦を突破し、35年振りの記録更新という快挙を成し遂げた。
戦績
太字 はポールポジション 、斜字 はファステストラップ 。(key )
† 印はリタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
決勝順位右上の小数字はスプリント予選・スプリントレースでの順位。
2009年第2戦マレーシアGPは雨天で赤旗中断となり規定周回数の75%を満たさなかったため、獲得ポイントは半分となる。
* は現時点の暫定。
車両ギャラリー
関連会社
レッドブル・テクノロジー
RBT:レッドブル・テクノロジー
現地語社名
Red Bull Technology Ltd. 種類
非公開会社 業種
自動車産業 事業分野
レッドブルF1の"製造業者"部分 前身
レッドブル・レーシング・ホールディングス Ltd. (2004.11.09-2006.12.20) 設立
2006年12月20日[ 103] 創業者
ディートリヒ・マテシッツ 本社
Building 1 ,Bradbourne Drive
Tilbrook,ミルトン・キーンズ ,イギリス 主要人物
クリスチャン・ホーナー 製品
ギアボックス , シミュレーター , 油圧マニホールド, KERS 売上高
3億8560万ポンド (2022) 利益
1340万ポンド (2022) 従業員数
736人 (2022) 親会社
レッドブル GmbH 子会社
レッドブル・レーシング 脚注 / 出典 2018年に改修されているが Building 1はこのサイトで一番古い建物で その建設はスチュワート時代まで遡る。
レッドブル・テクノロジー (Red Bull Technology、RBT)は、レッドブル・レーシングを運営する企業。レッドブルは他のチームとは異なるビジネスモデルとなっており、RBTグループはレッドブル・レーシングの親会社として機能している。そのため、レッドブル・レーシングに直接雇用されているスタッフの数はわずか50人となっている[ 104] 。
2007年からレッドブル・テクノロジーは、1980年代以来F1では禁止されていた、同じシャシーで2つのチームを走らせることを可能にする抜け穴とみなされていた。ライバルチームからFIA に対して抗議が出されたが、却下された。レッドブル・レーシングもスクーデリア・トロロッソも、基本的に同じシャシーを使用していることは否定しなかったが、別々の開発プログラム、異なるエンジンを使用して合法であると主張した[ 105] 。コンコルド協定 の改訂により、2010年 よりシャシー供給規定が厳しく強化され、トロ・ロッソとレッドブル・レーシング間のシャシー設計共有も終焉を迎えた。2009年6月1日、Scuderia AlphaTauri S.p.A (UK establishment office) が設立され、ビスターにある風洞をレッドブルから委託[ 106] 。チームは独自に車を設計、製造し、必要なインフラを社内で構築した。
ミルトン・キーンズでの拡充を経て、レッドブル・テクノロジーはトロ・ロッソ(アルファタウリ)以外のF1チームへのパーツ供給も始め、その第1弾として、2011年 からはレッドブルと同じルノーエンジンを使用するチーム・ロータス(後のケータハムF1チーム )に対しギアボックスや油圧システム等を供給していた[ 107] 。
レッドブル・アドバンスド・テクノロジーズ
レッドブル・アドバンスド・テクノロジーズ (Red Bull Advanced Technologies、RBAT)は、レッドブルの商用テクノロジーおよびエンジニアリングサービス部門。FIAの予算上限を超えるリソースを使用することを目的としている[ 104] 。
開発実績には以下のような物がある。
レッドブル・パワートレインズ
レッドブル・パワートレインズ (Red Bull Power Trains、RBPT)は、2021年 に設立されたF1用パワーユニット(PU)の製造会社。当初は2022年よりホンダF1 に代わってPUの製造及び供給を行う予定だったが、実際にはホンダ・レーシング (HRC)が製造・供給するPUのメンテナンスを行う形となっている。2023年2月にフォード との提携を発表し、2026年シーズンより独自PUを供給する予定である。
スポンサー
チームパートナー
テクニカルパートナー
メディアプロモーション
レッドブルは豊富な資金力とユニークな発想で、広報活動においても注目を集めている。
ジャガー時代からの継続で、2005年と2006年のモナコGP には映画 とのタイアップ でスペシャルペイントを施したマシンが出走した。
パドックで招待客をもてなすモーターホームは、レッドブルとトロ・ロッソの駐車スペースに総3階立ての巨大な建造物を設営して他チームを圧倒した(すでに「モーターホーム」ではないという声もある)。2006年のモナコGPでは、ヨットハーバーの艀 の上に設営する特別仕様まで用意した。
参戦当初、毎レースパドックに印刷機材を持ち込み、「The RED BULLETIN 」(レッドブリティン—Red Bull+Bulletin(速報)の造語)という日刊紙を発行して、F1関係者にパドックで無料配布していた。実際には安価ではあるものの有料なのだが、ディートリヒ・マテシッツ 会長が全数買い取った上で配布するという形が取られているため、実質的に無料である。日本グランプリでは、各日レッドブルのブースでレッドブル購入者に先着順でプレゼントされる。なお、Web上でもPDF 形式で公開している。なお「The RED BULLETIN」は、2009年 からレッドブルがスポンサードするスポーツ活動全般をカバーする広報誌としてリニューアルされており、F1のパドックでの発行は2008年シーズンで終了した[ 120] 。
F1においては「女性蔑視[ 121] に当たる」との理由から他チームがレースクイーン 等の起用に及び腰な中、毎レース「フォーミュラ・ウナ(Formula Una)」と題して開催国の美女を集め、自チームのモーターホームにおいてコンテストを実施していた。ただし経費節減策の一環として、「フォーミュラ・ウナ」も2008年一杯で終了した[ 120] 。
F1マシンのデモ走行や、イベント「Red Bull Showrun」が日本でも行われている。2007年には東京都 台東区 の浅草寺 で、2009年は9月20日に大阪府 の大阪城公園 [ 122] 、同月22日に埼玉県 越谷市 のイオンレイクタウンmori で、同月30日は三重県 鈴鹿スポーツガーデンで開催された。同月29日には、明治神宮野球場 で行われていたプロ野球の阪神タイガース 対東京ヤクルトスワローズ の試合で走行を披露した[ 123] 。
プレイステーション3 用ゲームソフト「グランツーリスモ5 」に収録された架空のレーシングカー「レッドブル・X2010 」の開発に全面協力している。「レギュレーションの枠にとらわれない、地上最速のレーシングカー」を実現するため、エイドリアン・ニューウェイ が空力システムについて全面的にアイディア[ 124] [ 125] を出している。テストドライブはベッテルが担当。
脚注
関連項目
外部リンク
創業者 現在のチーム首脳・関係者 元チーム関係者
首脳 テクニカル ディレクター ビークル パフォーマンス 空力 エンジン その他
現在のドライバー 過去のドライバー F1マシン ロードカー チーム関連会社 現在のスポンサー 過去のタイトルスポンサー 架空のマシン
太字はレッドブルにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。
設立創業者 設立関係者 主な関係者 風洞
カズマロ風洞
カズマロ風洞 =ゴヴォーニ風洞 =
ボロニェーゼ風洞
サンタガータ・ボロニェーゼ風洞
Aerolab風洞
サンタガータ・ボロニェーゼ風洞
F1マシン/ 空力担当者
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
飲料 創業者 所有者 イベント スポーツ チーム
F1 カー
ハイパーカー エンジン ビルダー
サブ コンスト ラクター
スポーツ施設
その他