ロバート・ドーンボス(Robert Doornbos, 1981年9月23日 - )は、オランダ出身のレーシングドライバー。2006年はF1レッドブル・レーシングの第3ドライバーを務めていたが、中国GPからレッドブルの正ドライバーに起用されていた。
名字の「Doornbos」については、オランダ語の発音では「ドールンボス」が近い。
プロフィール
異色の経歴
少年時代からテニスプレーヤーを目指していた。しかし17歳のとき訪れたF1ベルギーGPで、ウィリアムズ・メカクロームのジャック・ヴィルヌーヴに会ってから、レーシングドライバーに転向した異色の経歴を持っている。
以後、イタリア出身の元F1ドライバー、ピエルカルロ・ギンザーニが運営するチームに入りイタリアF3選手権に参戦、好成績を残し頭角を現す。その後はF3000にステップアップする。
F1
- 2004年
F3000参戦中の2004年にF1のジョーダン・グランプリでテストドライバーを務めることとなり、その後同チームのサードドライバーに抜擢された。
- 2005年
2005年も引き続いてサードドライバーに起用された。 その後ミナルディのパトリック・フリーザッハーの金銭的理由(スポンサーの経営不振によるスポンサーマネーの未払い)による解雇に伴い、2005年のドイツGPでミナルディよりF1デビューした。
- 2006年
2006年はレッドブルの第3ドライバーとして金曜日のフリー走行セッションを走ることになったが、中国GPから正ドライバーであったクリスチャン・クリエンの離脱にともない、同チームの正ドライバーに起用された。
F1以降
- 2007年 アメリカへ
2007年はレッドブルF1チームのテストドライバーを務めつつ、アメリカに渡りミナルディチームUSAからチャンプカーに参戦し、参戦初年度ながら第6戦モントランブランで初優勝を達成した。
その後、第9戦のサンノゼ市街地レースでも優勝。シーズン全14レース中6レースで表彰台に上がり、シーズンポイントランキングでも3位とルーキーではトップの成績を残した。
- 2008年
2008年は、ミナルディチームUSAがチャンプカーと統合したインディカー・シリーズ (IRL) へ参戦しなかったために、スーパーリーグ・フォーミュラ、ACミランのクラブチームから参戦し、また2008年-2009年A1グランプリの第2戦・4戦・6戦に乗りジェローン・ブリーケモレンと共にオランダチームにも参戦してチーム3位に貢献した(ドーンボスの最高位、1位1回)。
前半戦に不振であったネルソン・ピケJr.の代わりにルノーF1チームのナンバー2ドライバーとして参戦するとの噂も持ち上がったが結果的には、オランダで行なわれるルノーのF1イベントでデモランを行なうためのドライバーとして契約を交わしたことが判明した。これはオランダの大手金融グループでルノーのメインスポンサーであるINGグループがオランダ人ドライバーを望んだことによるものである。
IRL
- 2009年
旧チャンプカーチームのニューマン・ハース・レーシングからインディカー・シリーズにフル参戦した。ミッドオハイオからHVMレーシングに移籍した。第3戦のカンザスでは予選で2位に入り、決勝ではラップリードも記録した。
年間を通した成績では5度のトップ10フィニッシュを記録し、ランキング16位に入った。
- 2010年
インディカー・シリーズには参戦せず、スーパーリーグ・フォーミュラにSCコリンチャンス・パウリスタ・レーシングから参戦している。
レース戦績
イギリス・フォーミュラ3選手権
(key)
ドイツ・フォーミュラ3選手権
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F3・ユーロシリーズ
(key)
国際F3000選手権
F1
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関連項目
外部リンク
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太字はレッドブルにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。 |