リアム・ローソン(Liam Lawson, 2002年2月11日 - )は、ニュージーランド・ヘイスティングズ出身のレーシングドライバー。
ニュージーランド・ヘイスティングズで誕生し、オークランド地方にあるプケコヘ(英語版)で育つ。7歳でカートを始め、2014年には2つのタイトルを獲得するなどニュージーランド国内様々なレースに出場した[1]。
2015年、セイバー・モータースポーツ(英語版)から「フォーミュラ・ファースト・マンフィールド・ウィンター・シリーズ」へエントリーしシングルシーターデビューを果たす。優勝1回・表彰台圏内10回という走りを見せ、総合2位で終える[2]。その後、再びセイバー・モータースポーツより「NZ・フォーミュラ・ファースト(英語版)」へ参戦する。総合6位とルーキー・オブ・ザ・イヤーのタイトルを獲得した[3][4]。2016年-17年シーズンの「NZ・F1600・チャンピオンシップ・シリーズ(英語版)」では15戦中14回の優勝を果たしタイトルを獲得[5]、圧倒的なシーズンとなった。「フォーミュラ・フォード・シリーズ」の史上最年少王者記録を更新する[6]。
2017年よりローソンは、「オーストラリア・フォーミュラ4選手権(英語版)」へBRM(英語版)から参戦する。ルーキーイヤーながらもシーズン5勝を挙げ、総合2位となる[7]。翌年も、「フォーミュラ4」カテゴリーに留まりファン・アメルスフォールト・レーシング(英語版)から「ADAC・フォーミュラ4選手権(英語版)」にエントリーした。ポールポジション3回・優勝3回の走りで、シリーズ違いではあるが2年連続の総合2位で終える[8]。ニュージーランド国内に展開する中古車販売業者ターナーズとスポンサー契約を結んでいる[9]。
2018年11月、M2・コンペティション(英語版)から2019年シーズンの「トヨタ・レーシング・シリーズ(英語版)」へ参戦することを発表する[10]。開幕戦レース1でいきなり優勝を決め、レース2を5位、レース3は再び首位でチェッカーを受けた。その後も3勝を挙げ356ポイントを獲得、10ポイント差でマーカス・アームストロングとのタイトル争いを制した[11][12]。翌年もチームへ残留し2シーズン目を戦ったが、イゴール・フラガに6ポイント差で敗れ総合2位となり、大会2連覇はならなかった[13]。
2019年、レッドブル・ジュニアの角田裕毅と共に「フォーミュラ・ヨーロピアン・マスターズ」へ参戦予定だったが参加者不足により大会自体が中止となってしまう[14][15]。その代替として「ユーロフォーミュラ・オープン・チャンピオンシップ(英語版)」にエントリーすることとなった[16]。佐藤万璃音に次ぐ総合2位(179ポイント)となり[17]、ルーキーズ・チャンピオンシップでは1位を獲得した。
2018年11月、ピナクル・モータースポーツ(英語版)から「F3・アジア選手権(英語版)」の最終戦にエントリーする[18]。レース1・2・3すべてポールスタートから優勝を果たした[19]。最終成績は総合8位(75ポイント)。
2017年12月、ワイルド・ホース・パス・モータースポーツ・パーク(英語版)で行われた「ロード・トゥ・インディ」のシュートアウトに参加した[20]。
ローソンは2021年のドイツツーリングカー選手権(DTM)へアレクサンダー・アルボンと共に、レッドブルがスポンサーとなったAFコルセから参戦する[21]。「FIA フォーミュラ2選手権(英語版)」と同時進行でレース参戦していく形となった。
開幕戦モンツァ・レース1で初優勝し[22]、「DTM」の最年少優勝記録を更新した。レース2は接触によりスピンを喫するなど優勝争いから後退、13位でチェッカーを受けた[22]。第2戦ラウジッツは、レース1・2共に2位に入る[23]。第3戦ゾルダーと第4戦ニュルブルクリンクで行われた4レースでは、僅か1レースのみのポイント獲得(第3戦ゾルダー・レース2の3位)に留まった。第5戦レッドブル・リンク・レース1は、ポール・トゥ・ウィンを果たしシーズン2勝目を挙げた[24]。続くレース2は2番手スタートから首位を奪還し3勝目を飾った[24]。
その後もドライバーズランク争いを繰り広げ、2位のケルヴィン・ヴァン・デル・リンデと14ポイント差、3位のマクシミリアン・ゲッツとは26ポイント差をつけランキング首位で最終戦ノリスリンクを迎えた[25]。レース1は予選でポールポジションを獲得するも、決勝レースはスタート直後の接触もあり順位を下げ3位でチェッカーを受けた[26]。レース2の予選では2戦連続でポールポジションを獲得、最前列を確保し決勝レースに臨む。しかし決勝ではスタート直後の1コーナーで後方を走るヴァン・デル・リンデのオーバースピードに巻き込まれ接触、順位を大きく下げてしまう。レース序盤で優勝争いはおろかポイント圏外へ落ちる展開となった。クラッシュの原因となったヴァン・デル・リンデもその後、他車との接触によりリアタイヤが破損するなどポイント圏外へ脱落する。波乱となったレース2を制したゲッツが逆転で初タイトルを獲得した[26]。ランキング首位となったゲッツ(230ポイント)とは僅か3ポイント足りずタイトル争いに敗れる結果となった[27]。
2019年から2年間にわたり、「FIA フォーミュラ3選手権(英語版)」へ参戦した後、ユーリ・ビップスと共に2021年シーズンの「FIA フォーミュラ2選手権」へ参戦することとなった[28]。チームはF3時代と同じハイテック・グランプリ(英語版)。開幕戦バーレーン・レース1でいきなり初優勝を飾る[29]。第2戦モナコ・レース2にてトップチェッカーを受けるも、レーススタートの際規定違反となるスロットルマップを使用したため失格処分を受けた[30]。その後は優勝争いから遠ざかり、総合9位(103ポイント)でシーズンを終えた[31]。2022年1月14日、2022年シーズンはローガン・サージェントと共にカーリンから参戦することを発表した。
2023年は、レッドブルF1のリザーブドライバーを務めつつ、日本でTEAM MUGENからスーパーフォーミュラに参戦。富士スピードウェイで行われた開幕戦でいきなり優勝すると[32]、第4戦オートポリス、第6戦富士でも優勝を飾り[33]、参戦初年度からシリーズチャンピオン争いに絡む活躍を見せた。
2019年2月、ローソンはレッドブル・ジュニア・チームのメンバーへ加入する[34]。2021年11月、アルファタウリはシーズン終了後のヤングドライバーテストへローソンを起用すると発表する[35]。2022年7月レッドブル・レーシングのリザーブドライバーに昇格した。
2023年はスーパーフォーミュラ参戦の合間を縫ってF1のレースにも帯同していたが、8月末に行われた第14戦・オランダGPにおいて、アルファタウリのレギュラードライバーであるダニエル・リカルドが金曜フリー走行中のクラッシュで左手を骨折。このため急遽ローソンが代役に起用され、初めて乗るマシン(アルファタウリ・AT04)に加え急変する天候に苦しみながらも決勝13位で完走した。デビュー3戦目となるシンガポールGPでは、初入賞となる9位で2ポイントを獲得した[36] 。代役の期間はリカルドが骨折から回復するまでとされていた[37]が、リカルドのアメリカGPでの復帰が決まり[38]、ローソンはカタールGPまでの計5戦で役割を終えた。
2024年9月27日、RBはリカルドに代わり、次戦となる第19戦アメリカGPより残るシーズン6戦について、ローソンの起用を発表した[39]。初戦となるアメリカGPではグリッド降格により19番手からのスタートとなったが、決勝ではライバルを次々とオーバーテイクし、同僚の角田裕毅を上回る9位で入賞した。
当初レッドブルはセルジオ・ペレスとの2年間の契約延長を発表していた[40]が、ペレスの不調が続いたことやそれが響いてコンストラクターズランクが3位となったこと、契約解除条項や持ち込みスポンサーの絡みもあり去就が注目されていた。そして2024年12月18日にペレスの更迭を発表し[41]、翌12月19日に2025年よりローソンをRBより昇格させることを発表した[42]。
しかし、チームメイトであった角田裕毅を上回れなかったことや、F1での経験がわずか11戦のみであることを踏まえ当初からローソンの昇格という決定には疑問の声が挙がった[43]。レッドブルでは過去にアレクサンダー・アルボン、ダニール・クビアト、ピエール・ガスリーといったドライバーが失敗に終わっており、それらの繰り返しとなることが懸念されていた。
開幕戦のオーストラリアGPの予選ではQ1でノックアウトされ[44]、決勝でもレース中盤の時点でチームメイトから周回遅れとなるなどペースに苦しんだ末47周目に単独クラッシュを喫しリタイアとなった[45]。
続く中国GPでもスプリント予選、本戦の予選で共に最下位[46]に沈むなど精彩を欠いた走りに終始し、解説者・他チーム代表からローソンの起用を決定したレッドブル陣営の決断に対し再び疑問の声が噴出した。
さらにこの2戦における不振を踏まえ、レッドブルはドライバーラインナップを再検討するという報道がなされ始めた。実際にチームの首脳陣も即時交代の可能性を除外せず[47][48]、動向に注目が集まっていた。その後、3月27日に公式発表がなされ、次戦となる第3戦日本GPより昨シーズンRBでコンビを組んだ角田裕毅がレッドブルに昇格し、ローソンはレーシングブルズへ復帰することが決定した[49]。
レッドブルでの出走はわずか2戦となり、これはロバート・ドーンボスの3戦を下回りチーム史上最も短いキャリアとなってしまった。
チームメイトはルーキーのアイザック・ハジャー。レーシングブルズへの復帰戦となった日本GPでは、予選で7番手を獲得したハジャーの後塵を拝し14番手でQ2敗退。決勝レースでも終始ペースを上げられず、ハジャーが8位に入賞する中戦略の失敗も相まって17位完走という結果に終わった。