アンドレア・キミ・アントネッリ(Andrea Kimi Antonelli, 2006年8月25日 - )は、イタリア・ボローニャ出身のレーシングドライバー。
経歴
カート
アントネッリは7歳からカートを始め、多くのカテゴリーで成功を収めている。「イージーカート・インターナショナル・グランド・ファイナル(イージー60)[1]」「南ガルダ・ウィンター・カップ[2]」「WSK・チャンピオンズ・カップ[3]」「WSK・スーパー・マスター・シリーズ[4]」「WSK・ユーロ・シリーズ[5]」などで優勝し、2020年と2021年には2年連続で「CIK-FIA カーティング・ヨーロピアン・チャンピオンシップ」のタイトルを獲得している[6]。
フォーミュラ4
イタリアF4選手権
2021年
15歳を迎え3週間後の2021年、プレマのレースドライバーとしてレッドブル・リンクで開催された「イタリアF4選手権(英語版)」の第5戦へエントリーする[7]。シングルシーターデビューを果たした最初のレースで2度の9位入賞(レース1・3)を果たし4ポイントを持ち帰った[8]。第6戦(ムジェロ)も入賞し、続く最終戦(モンツァ)・レース1ではランキング首位のオリバー・ベアマンと首位争いを繰り広げ敗れるが初の2位表彰台を獲得した[9]。総合成績はシーズン途中からの参戦にもかかわらずプレマのフルタイムドライバーであるコンラッド・ラウルセン(英語版)に6ポイント差のランキング10位でシーズンを終えた[10]。ルーキーズ・チャンピオンシップの成績では4勝を挙げランキング4位というスコアになった。
2022年
2022年もプレマに残留し、「イタリアF4」へフル参戦する。チャーリー・ヴルツ(英語版)、コンラッド・ラウルセン、フェラーリ・アカデミーのジェームズ・ウォートン、ラファエル・カマラ(英語版)が主なチームメイトとなった。開幕戦(イモラ)・レース1では、ラスト残り5周でギアボックストラブルによりリタイアを余儀なくされた。レース2は縁石に接触しフロントウィングにダメージを負い入賞圏内から遠ざかり、レース3ではチームメイトのウォートンと接触しペナルティを受け4位から10位へ後退した[11]。不運の開幕戦以降、第2戦(ミサノ)から第4戦(ヴァレルンガ)までで8勝を挙げる快進撃が続いた[12][13][14]。最終戦(ムジェロ)・レース1で優勝したことでアントネッリのタイトル獲得が確定する。シーズン13勝、2位へ104ポイントもの大差をつける圧勝劇となった[15]。
フォーミュラ4・UAE選手権
2022年の本戦出場前に、「フォーミュラ4・UAE選手権(英語版)」の一部に参加した。2021年のF1最終戦アブダビGPのサポートレースとして行われた「トロフィー・ラウンド」で3位フィニッシュを受ける。2022年の本戦は第3戦のみのエントリーであったが、開幕戦でラファエル・カマラが健康上の理由で欠場が決まりその代役としてエントリーすることとなった。開幕戦はレース1・2と連勝する。レース3は3位、レース4は2位と開幕レースをすべて表彰台に登壇した[16]。第3戦もレース4で2位表彰台を獲得し、スポット参戦ながらも総合8位(117ポイント)でシーズンを終える[17]。
ADAC・フォーミュラ4選手権
2022年、「イタリアF4」と並行して「ADAC・フォーミュラ4(英語版)」へ参戦する。開幕戦(スパ・フランコルシャン)でいきなり2勝すると[18]、第2戦(ホッケンハイムリンク)は3レース全勝しポールポジションとファステストラップを総なめにする圧倒的な走りを見せた[19]。第3戦(ザントフォールト)もPPとFLを2レース続けて記録し2勝する。レース3ではわずか0.058秒差でハットトリックを逃し、チームメイトのコンラッド・ラウルセンに敗れ2位となった。第5戦(ラウジッツ)は欠場、最終戦(ニュルブルクリンク)はレース1・2で優勝しタイトル獲得が決定した[20]。
モータースポーツ・ゲームス・F4カップ
2022年10月、アントネッリが「FIA モータースポーツ・ゲームス(英語版)」のF4カップにイタリア代表として出場することが発表される[21]。本戦では予選終了間際の接触で左手首を骨折していたにもかかわらず予選・予選レース・決勝すべてで首位に立った[22]。
フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ
2023年、ムンバイ・ファルコンズ・レーシング・リミテッド(英語版)から「フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ(英語版)」へ参戦する[23]。表彰台圏内7回・シーズン3勝をマークして、初出場初タイトルを獲得する[24][25]。
フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ
2023年、プレマから「フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ(英語版)」へエントリーする。第9戦(ザントフォールト)・レース2で優勝したことにより史上5人目のタイトル獲得が確定した[26]。
FIA フォーミュラ2選手権
飛び級でFIA フォーミュラ3を回避し、2024年のFIA フォーミュラ2選手権へ出場することが明らかとなる[27]。チームはプレマ・レーシングからのエントリーとなった[27]。
フォーミュラ1
2019年、メルセデスAMG・ペトロナス・フォーミュラ1チームはアントネッリがメルセデス・ジュニア・チームへ加入したことを発表した[28]。
メルセデス(2025 - )
2025
2024年のイタリアGPでFP1デビューを果たし、その翌日、2025年にジョージ・ラッセルのチームメイトとして契約したことを発表した[29]。
私生活
ミドルネームに「キミ」が入る若手ドライバーであることで、その由来がF1チャンピオンであるキミ・ライコネンにあると勘違いされやすいが関連性はない。アントネッリの両親が外国風のミドルネーム候補を探していたところ、家族の友人が「キミ」を提案して名付けられたものである[30]。
父のマルコ(英語版)もレーシングドライバーで、「イタリアF4選手権」にエントリーしているAKM・モータースポーツのオーナーでもある[31]。
レース戦績
略歴
イタリアF4選手権
フォーミュラ4・UAE選手権
ADAC・フォーミュラ4選手権
FIA モータースポーツ・ゲームス
フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ
フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ
FIA フォーミュラ2選手権
フォーミュラ1
脚注
出典