この項目では、女子代表について説明しています。男子代表については「サッカー日本代表 」をご覧ください。
サッカー日本女子代表 (サッカーにっぽんじょしだいひょう、サッカーにほんじょしだいひょう)は、日本サッカー協会 (JFA)により編成される女子サッカーの日本代表チーム (年齢制限のないベストメンバーによる代表)。愛称は「なでしこジャパン 」。
FIFA女子ワールドカップ には全9大会に、オリンピック には7大会中5回に出場している。2011年のFIFA女子ワールドカップ ではアジア勢の代表チームとして初優勝 した。
シニア 、U-20 、U-17 と全カテゴリーのFIFAワールドカップを制覇した経験のある国である[1] 。
歴史
黎明期から鈴木良平監督時代
1977年、台湾 ・台北市 開催のアジア女子選手権 に、FCジンナンの選手たちが「日本代表」として参加した。この大会が日本女子サッカーにおける初の国際試合である。1981年の1981 AFC女子選手権 において、全国各地のチームから選手を選抜して結成した初の日本代表チームが結成され、当時京都府 所在の西山高等学校 教諭であった市原聖曠 が監督となった[2] 。同年9月にはポートピア81関連事業として日本代表とイングランド代表 およびイタリア代表 による試合が行われ、イングランドとの試合では0-4[2] 、イタリアとの試合では0-9の成績であった。
1986年、鈴木良平 が初の専任代表監督として就任。1986年に開催された1986 AFC女子選手権 にて準優勝の成績をおさめた。
鈴木保・宮内聡監督時代
女子サッカー がオリンピック種目となったのは1996年 のアトランタ大会 からである。
鈴木保 率いる日本女子代表は、オリンピック出場権獲得を目指して1995年にスウェーデン で開催された第2回FIFA女子世界選手権 に出場。この大会においてグループリーグでドイツ に0-1、スウェーデン に0-2で敗戦したもののブラジル に2-1で勝利して決勝トーナメントに進出し、トーナメント進出国に与えられるオリンピック出場権を獲得した。しかし、オリンピック本大会ではドイツに2-3、ブラジルに0-2、ノルウェー に0-4で敗れてグループリーグ敗退となった。
2000年のシドニーオリンピック 出場に照準をあわせた宮内聡 率いる日本女子代表は、1999年6月に五輪予選を兼ねてアメリカ合衆国 で開催された開催された第3回FIFA女子世界選手権 に出場。カナダ との初戦は1-1で引き分けたもののロシア に0-5、ノルウェーに0-4で敗戦しシドニーオリンピックの出場権を逃した。その結果日本国内での女子サッカーへの関心は瞬く間に低下してL・リーグの観客動員は急速な落ち込みをみせ、リーグからチームの脱退も相次いだ[3] 。
上田栄治監督時代
2002年 8月、マカオ男子代表 の監督を務めていた上田栄治 が代表監督に就任。10月に韓国 で行なわれた第14回アジア競技大会 では3位となった。
2003年6月にタイ ・バンコク で開催された2003 AFC女子選手権 に出場。第4回FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会 のアジア地区予選を兼ねたこの大会では準決勝で北朝鮮 に0-3、3位決定戦で韓国 に0-1で敗れて4位となり、残る出場枠を賭けてメキシコ (北中米カリブ海地区)との大陸間プレーオフ (ホーム・アンド・アウェー 方式)に回ることとなった。7月5日にメキシコシティ のエスタディオ・アステカ で行なわれたアウェー戦は2-2の引き分けに終わったが、7日後の7月12日に12,743人の観客を集めて国立競技場 で行われたホーム戦は澤穂希 と丸山桂里奈 のゴールにより2-0で勝利しワールドカップ出場権を獲得[4] 。この試合はマスメディアに大きく取り上げられ、女子サッカーが再び注目されるきっかけとなった。本大会ではアルゼンチン との初戦でFW大谷未央 がハットトリック を決め6-0で勝利したもののドイツ に0-3、カナダ に1-3で敗れグループリーグ敗退となった。
2004年4月に出場チームが10に拡大したアテネオリンピック のアジア枠2を決める大会「AFC女子サッカー予選大会2004 」が日本で開催され、日本は1次リーグでベトナム に7-0、タイ に6-0で圧勝して1位で通過。北朝鮮 との準決勝は国立競技場に31,324人の観客を集めて行なわれ[5] 、荒川恵理子 や大谷未央がゴールを決めて3-0で勝利し2大会ぶり2度目のオリンピック出場を決める[6] 。なお、決勝は中国 に0-1で敗戦し準優勝となった。
オリンピック本大会前の7月には女子A代表チームの愛称がなでしこジャパン に決定した。そして、8月に開催されたオリンピック本大会ではグループステージ初戦でスウェーデン に1-0で勝って本大会初勝利を収め、続くナイジェリア 戦では0-1で敗れたが、他グループ3位との総得点差で初の決勝トーナメント進出を果たした。準々決勝でアメリカ と対戦し1-2で敗れベスト8に終わったが、チームは3試合を通して「警告・退場者ゼロ」により「フェアプレー賞」を受賞した。
アテネオリンピックにおけるなでしこジャパンの活躍によって女子サッカーは広く認知されるようになり、国内トップリーグの日本女子サッカーリーグ の人気も再上昇した。また、オリンピック後にはリーグ名の新愛称「なでしこリーグ」が採用され、2005年より「なでしこスーパーカップ 」[注釈 1] 、2007年より「なでしこリーグカップ 」が開催されるなど、「なでしこ」は女子サッカーのブランド名として活用されている。
また、ユニバーシアード日本女子代表はユニバーシアード の2003年大邱大会で銀メダル、2005年イズミル大会 で銅メダルを獲得した。このイズミル大会では本田美登里 が男女・各年代通じて日本初の「女性代表監督」として采配をとった。
大橋浩司監督時代
2004年 10月に前月に退任した上田の後任に大橋浩司 が新監督として就任。就任後初の試合となった12月18日 のチャイニーズタイペイ 戦は11-0で勝利と上々のスタートを切った。なお、この試合のチラシやプログラム、応援用のブルーシートにはナデシコ の花をイメージした模様がはじめて描かれた。
2006年 7月にオーストラリア で開催された2006 AFC女子アジアカップ に出場。翌年に開催される2007 FIFA女子ワールドカップ のアジア予選をかねたこの大会で準決勝で地元オーストラリア に、3位決定戦で北朝鮮に敗れて4位に終わり、出場権をこの時点で獲得できず大陸間プレーオフに回ることとなった。その一方で12月にカタール の首都 ・ドーハ で行われた第15回アジア競技大会 では阪口夢穂 、永里優季 ら新戦力が活躍し、グループリーグで中国を破り決勝トーナメント進出。決勝の北朝鮮 戦では0-0のままPK戦に突入するも敗れて準優勝となった。
2007年 3月にFIFA女子ワールドカップ の出場権をかけた大陸間プレーオフ で2003年と同様 にメキシコ とホーム・アンド・アウェー で対戦。ホームで行なわれた第1戦は2-0で勝利し、アウェーで行なわれた第2戦は1-2で敗れたものの2試合合計3-2で勝利し出場権を獲得。また、4月から8月に行われた北京オリンピックアジア予選 では5勝1分の1位でオリンピック出場権を獲得した。
9月、中国 で開催されたFIFA女子ワールドカップではグループリーグA組となり、初戦でイングランド と引き分け、続くアルゼンチン 戦には勝利したものの最後のドイツ 戦で敗北しグループリーグ敗退となった。この大会では日中関係の問題から日本選手に対し会場のブーイングが多かったが、ドイツ戦終了後には「謝謝」(ありがとう)と書かれた横断幕を揚げ、中国メディアから称賛された[7] 。
佐々木則夫監督時代
2008年
2007年12月7日、大橋の任期満了による退任に伴い、コーチを務めていた佐々木則夫 が監督に就任した[8] 。2008年2月に行われた東アジアサッカー女子選手権2008 では3戦全勝で初優勝し、日本女子代表にとって初めての公式大会タイトル獲得となった[9] [10] 。続く5月末から6月初めにベトナム で行なわれた2008 AFC女子アジアカップ では準決勝で中国に敗れたものの[11] 、3位決定戦でオーストラリアに快勝して3位となった[12] (澤穂希 が大会MVP、チームはフェアプレー賞を受賞した)。
8月に行なわれた北京オリンピック は、グループリーグ初戦でニュージーランド に2-2で引き分け[13] 、続くアメリカ戦では0-1で敗北したが[14] 、第3戦のノルウェー戦で5-1の勝利で2大会連続でグループリーグを突破[15] [16] 。準々決勝の中国戦は2-0で勝利し初のオリンピックベスト4進出を果たすも[17] 、準決勝でアメリカに2-4で敗れ[18] 、3位決定戦ではドイツに0-2で敗れて4位に終わりメダルを逃した[19] 。
2010年
2010年1月 、チリ で行われたコパ・ビセンテナリオ 2010に参戦。5カ国による総当たり戦を3勝1分の成績で優勝した。
東アジア女子サッカー選手権2010 は前大会に続き3戦全勝で2連覇を達成。5月に中国で開催された2010 AFC女子アジアカップ では準決勝でオーストラリアに敗れたものの3位決定戦で地元中国に勝利し翌年のFIFA女子ワールドカップの出場権を獲得(安藤梢 が大会得点王を獲得)。11月に中国の広州 で行われた第16回アジア競技大会 では無失点で決勝へ進出し、前大会王者の北朝鮮を1-0で下し初優勝した。
2011年
2011 FIFA女子ワールドカップ優勝に歓喜するなでしこジャパン。
2011年3月、ポルトガル で開催された女子ナショナルチームの国際大会「アルガルヴェ・カップ2011 」に参加。グループリーグ初戦でアメリカに1-2で敗北したもののフィンランド とノルウェーに勝利してグループリーグ2位となり、3位決定戦でスウェーデンに2-1で勝利し3位となった。
6月末よりドイツ で開催された2011 FIFA女子ワールドカップ では、グループリーグB組でイングランドには敗れたもののニュージーランドとメキシコに勝利し、2位で決勝トーナメント進出を決めると[20] 、準々決勝で開催国ドイツに延長戦の末1-0で[21] 、準決勝でスウェーデンに3-1で勝利して初の決勝進出を果たす[22] [23] 。アメリカとの決勝戦 は延長戦終了時点で2-2の同点でPK戦 に突入し、3-1で勝利して大会初優勝(男女を通じてもアジア勢では初) を果たす(チームはフェアプレー賞を、澤 が大会最優秀選手賞と大会得点王を受賞)[24] [25] 。FIFA主催の世界大会で日本代表が優勝したのは男女・年代別通じてこれが初めてとなった。決勝戦はフジテレビ系列およびNHK-BS1で生放送され、フジテレビの視聴率は前半部分(午前3時35分 - 5時)が平均11.8%、後半部分(午前5時 - 6時30分)は平均21.8%(瞬間最高27.7%)、NHK-BS1では関東地区において平均10.7%を記録した[26] 。
2011 FIFA女子ワールドカップ決勝戦試合開始前に東日本大震災に対する各国からの支援に謝意を示すバナーを手に一礼するなでしこジャパン。To Our Friends Around the World Thank You for Your Supportのメッセージが書かれている。
大会中、チームは試合後に同年3月11日に発生した東日本大震災 に対する世界からの支援へ感謝を表す横断幕を掲げて会場より拍手を受けたが、各国メディアは復興への思いも勝利へのモチベーションとなっていると分析、なでしこジャパンの素早いパスサッカー[注釈 2] とともに、その戦いぶりを賞賛した[28] [29] 。なでしこジャパンはこの優勝により、国際Aマッチの代表ユニフォーム左胸エンブレム上にワールドカップ優勝回数を示す「星」を、そして右胸には直近のワールドカップ優勝国であることを示すチャンピオンエンブレム(2015年ワールドカップ開催まで)を付け加える栄誉も獲得した。8月2日には日本政府から国民栄誉賞 授与(団体に対しては初)と女子サッカー支援充実の検討も発表された[30] 。
9月、中国で行われたロンドンオリンピックアジア予選 では4勝1分の1位でロンドンオリンピック出場権を獲得、11月3日には女子団体スポーツでは初の紫綬褒章 が授与され[31] 、12月1日には愛称の「なでしこジャパン」が新語・流行語大賞 年間大賞を受賞した[32] 。アメリカのスポーツサイト・FOXスポーツ が発表した「FOX Soccer 2011: Top 10 Teams of 2011(2011年サッカーベストチームTOP10)」において第1位に選ばれた[33] 。
2012年
2011年度のFIFA年間表彰式 において澤がFIFA女子最優秀選手賞 を、佐々木監督がFIFA女子最優秀監督賞を受賞した(どちらもアジア人が受賞するのは初めて)[34] 。
3月のアルガルヴェ・カップ2012 ではグループリーグでノルウェーとデンマークに勝利し、アメリカとの最終戦でも勝利して初の決勝進出を果たすも、決勝でドイツに3-4で敗れ準優勝となった。
7月のロンドンオリンピック ではグループリーグ初戦でカナダに2-1で勝利し、続くスウェーデンと南アフリカ 相手にはいずれも0-0の引き分けであったが1勝2分の2位で3大会連続でグループリーグを突破。準々決勝でブラジルに2-0、準決勝でフランス に2-1で競り勝って初の決勝進出を果たし、決勝でアメリカに1-2で敗れたものの銀メダルを獲得した。男女通じてオリンピックのサッカー競技で日本がメダルを獲得したのは1968年メキシコシティーオリンピック で獲得した銅メダル以来44年ぶりとなった。
2014年
2014年5月、ベトナムで開催された2014 AFC女子アジアカップ では、海外組の主力選手を招集できず国内組中心の選手構成で出場、グループリーグを2勝1分で突破し翌年のワールドカップ出場権を得ると、準決勝の中国戦では延長戦を制し5大会ぶりに決勝に進出。決勝では前回王者のオーストラリアを破り、15回目の出場でアジアカップ初優勝を成し遂げた(宮間あや が大会MVPを受賞)。
2015年
2015年3月、ポルトガル で開催されたアルガルヴェ・カップ2015 に出場、グループCのリーグ戦では1勝2敗となりグループ3位となったため9位決定戦に回り、アイスランド 戦に2-0と勝って9位となった[35] 。
2015年5月、第1回「MS&ADカップ 」として、なでしこジャパンvsニュージーランド女子代表 の試合を開催[注釈 3] 。
2015年6月、カナダ で開催された2015 FIFA女子ワールドカップ に出場、グループリーグではスイス 、カメルーン 、エクアドル と対戦し3戦全勝で決勝トーナメントに進出[36] [37] [38] 、ノックアウトステージ1回戦ではオランダ を2-1で下し[39] 、準々決勝のオーストラリア戦では1-0で勝利してベスト4に進出[40] 、準決勝でイングランド を2-1で破り、2大会連続で決勝へと駒を進んだ[41] が、全て1-0、或いは2-1と3得点以上のゴールがなく、決勝ではアメリカに前半3分、コーナーキックから高さを警戒してか低いボールから3年前のロンドン五輪決勝で2ゴールを奪われたカーリー・ロイド にゴールを決められ、この大会で初めて追いかける展開に持ち込まれると、その2分後にも自陣左サイドからのフリーキックをまたも低い弾道で蹴り込まれた末に混戦からロイドに押し込まれ、前半14分にロイド同様2012年ロンドン五輪金メダルメンバーの一人であるアレックス・モーガン のクロスをヘディングした岩清水梓 のクリアが中途半端になった所をローレン・ホリデー にダイレクトで叩き込まれると2分後、ペナルティスポット付近にポジショニングを取っていた海堀あゆみ の頭上を越すシュートをハーフウェーラインからロイドに決められて前半16分までに0-4とリードされ、且つロイドのハットトリック を許す結末となった。27分に川澄奈穂美 のクロスを大儀見優季 がペナルティーエリア内で相手の寄せをいなしてからの反転シュートで1点を返すと、後半にもフリーキックから相手に寄せられながらも澤のバックヘッドがオウンゴールを誘い2点差まで詰め寄るも2分後、パンチングした海堀に向かってのコーナーキックから最後はトビン・ヒース にも押し込まれて試合終了。2-5と女子ワールドカップ決勝史上最多失点で敗れての準優勝で大会を終えた[42] 。
2016年
男子高校生等を相手にした練習試合を組んだ一方国際試合を組まなかったのに加え、20人の登録メンバーの内2011年ワールドカップ優勝と翌年のロンドン五輪銀メダルメンバーが12人[注釈 4] と新陳代謝が進まなかった影響で、2月から3月にかけて大阪市 で行われたリオデジャネイロオリンピックサッカーアジア最終予選 で初戦のオーストラリア に1-3で敗れるとその後も韓国 戦では後半39分に川澄のクロスに岩渕真奈 がゴールキーパーと競り合いながら押し込んで先制するも、一度は収めた筈のクロスボールを後半25分に絶体絶命のPKを止めた福元美穂 が熊谷紗希 と交錯してファンブルしてしまった末、押し込まれて試合終了間際に引き分けに持ち込まれ、中国 戦でも川村優理 のバックパスを田中明日菜 が福本とお見合いをしている間に奪われるミスから失点し、後半13分にもミドルシュートを決められ、反撃はその後返した1点のみ。最初の3戦で1分け2敗と大きく出遅れた事が祟り、結局2勝1分2敗の3位、2000年のシドニーオリンピック以来2位以内に与えられる2016年リオデジャネイロオリンピック 出場権を失い[43] 、2大会連続メダル獲得が五輪予選敗退でなくなった。そして佐々木則夫監督は3月10日で監督退任となった[44] 。
高倉麻子監督時代
2016年4月27日、佐々木前監督の退任に伴い、後任にU-20サッカー日本女子代表 監督の高倉麻子 が就任、日本のA代表では男女通じて初の女性監督となった[45] 。
2017年12月、日本で開催されたEAFF E-1サッカー選手権2017 決勝大会 では第1戦で韓国 と対戦。この試合でキャプテンを務めたチョ・ソヒョン にPKを決められるなど相手に2度追いつかれたが、83分に岩渕真奈 が決勝ゴールを決め、3-2で勝利[46] 。第2戦では中国 と対戦し、20分に田中美南 が先制ゴールを決めて前半を折り返す。1点リードで迎えた後半は追加点を挙げることができなかったが、最後までリードを守り抜いて1-0の勝利。3大会ぶりの優勝へ王手をかけた[47] 。第3戦の北朝鮮 戦では、前半に日本ペースで試合を進めたものの、ここまで無失点と強固の守備の前に決定機を作れず、スコアレスで前半を折り返すと後半にミドルシュートとクロスから2つのゴールを奪われ、そのまま逃げ切りを許して0-2で敗戦。3大会ぶりの優勝を逃した[48] 。
2018年3月に発表されたFIFAランキング では11位に後退し、2007年12月以来約10年ぶりにトップ10から外れた[49] 。同年4月、ヨルダン で開催された2018 AFC女子アジアカップ (=2019 FIFA女子ワールドカップ 予選)では初戦のベトナム戦は4-0と快勝[50] 。第2戦の韓国戦は互いに譲らない攻防戦を繰り広げた末に最後までゴールを奪えずスコアレスドロー[51] 。第3戦のオーストラリア戦では63分に阪口夢穂 のゴールで先制するも、86分に守備のミスを突かれて失点を献上し、1-1で引き分けたが、グループリーグを2位で通過して準決勝に進出し、規定により5位までに与えられるワールドカップの出場権を獲得し、この後の準決勝では中国を3-1で退け決勝進出。決勝ではオーストラリア相手に攻め込まれる時間が続いたが、守備陣が相手のパワープレーに耐え抜き、84分に横山久美 が決勝ゴールをたたき込んで1-0で勝利。大会連覇を達成した[52] 。
同年8月、インドネシア で開催されたアジア競技大会 に出場。初戦のタイ戦は2-0で勝利。第2戦では4月に行われたAFC女子アジアカップで対戦したベトナム に7-0と大勝し、2連勝でグループリーグを1位で通過[53] 。準々決勝では4年前の前回大会[注釈 5] と去年12月のEAFF E-1サッカー選手権[注釈 6] の雪辱を賭けて北朝鮮 と対戦。40分に岩渕が先制ゴール、62分には長谷川唯 が追加点となるゴールを決めて2点をリードする。70分にPKから失点を献上するが、同点とはさせずに最後までリードを守り切って2-1で勝利し準決勝進出[54] 。準決勝では4月に行われたAFC女子アジアカップでスコアレスドローに終わった韓国 と対戦。5分に菅澤優衣香 のゴールで1点を先行。しかし、その後は韓国に攻め込まれる時間が続いたが、失点を許すことなく前半を終了。後半も韓国が押し込む展開となり、日本は必死に耐える時間が続いた。ペースを握られたまま得点を奪えずにいると、63分にクロスからイ・ミナ にヘディングシュートを決められ同点に追いつかれる。このまま延長戦突入かと思われた中で86分に菅澤が左サイドからクロスを上げると反応したイム・ソンジュ が頭で合わせてオウンゴール。これが決勝点となり2-1で勝利し決勝進出[55] 。決勝では2大会ぶりの優勝をかけて中国 と対戦。立ち上がりから中国の積極的な守備に翻弄され、攻撃のリズムを作れず、消化不良のまま前半を終了。後半は中国が日本を押し込む展開となったが、守備に集中を切らすことなく守り続け、90分には中島のクロスから菅澤が決勝ゴールを決めて1-0で勝利し、2大会ぶり2回目の優勝を飾った(2018年のアジア大会では4月のAFC女子アジアカップに続いて2冠達成となった)[56] 。
2019年6月、フランスで開催された2019 FIFA女子ワールドカップ に出場。グループステージではアルゼンチン 、スコットランド 、イングランド と同組になった。初戦のアルゼンチン戦は相手の4バックを最後まで崩しきれず、スコアレスドローに終わった。第2戦のスコットランド戦は前半を岩渕、菅澤のゴールで前半を2-0で折り返した。しかし後半は再三の決定機を幾度か迎えるも決めきれず、88分に守備のミスからラナ・クレランド に1点を返されるも同点とはさせることなく2-1と辛勝した。第3戦のイングランド戦はエレン・ホワイト に2ゴールを奪われて0-2で敗れたが、1勝1分1敗のグループD2位で決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦(ラウンド16)では3連勝でグループE1位のオランダ と対戦。17分にリーケ・マルテンス に先制点を許したが、43分に長谷川がループシュートを決めて1-1で前半を折り返した。同点で試合を折り返した後半は日本のペースで試合を進めたが、再三の決定機を決めきれず。延長戦突入が近づいてきた試合終盤の90分にフィフィアネ・ミデマー が放ったシュートが熊谷の腕に当たってハンドの反則を取られてPKを与えると、これをリーケ・マルテンスに決められて1-2で敗戦[57] 。ベスト16で大会を去ることとなった。日本がベスト8以上に進出できなかったのは、2007年の中国大会以来、3大会ぶりのことだった。また、アジア勢がベスト16で全滅するのは、大会史上最速のことでもあった[58] 。
同年12月、韓国で開催されたEAFF E-1サッカー選手権2019 に出場。初戦のチャイニーズタイペイ 戦は新戦力が躍動し、すさまじいゴールラッシュを見せて9-0の大勝を飾った[59] (この試合で日本が打ち込んだシュートは46本で、相手には1本も許さないパーフェクトな内容で大勝を飾った)。第2戦の中国 戦では岩渕が代表初のハットトリックを達成し、3-0の快勝で4大会ぶりの優勝に王手をかけた[60] 。勝つか引き分けで優勝が決まる最終戦の韓国 戦では、両チーム息詰まる攻防戦を繰り広げた中、試合終盤の88分に籾木結花 が放ったシュートがシム・ソヨン の左手を直撃し、ハンドの判定。獲得したPKを籾木自らが決め、1-0で日韓戦を制した。最終的には3試合で13得点無失点の3戦全勝という圧倒的な強さを見せつけて4大会ぶりの優勝を飾り、翌年の東京オリンピック へ弾みをつける結果を残した(この試合の翌日には男子 も韓国と対戦。しかし、そちらは28分に失点を喫してそのまま0-1で敗れた。そのため、この大会では史上初となる男女ダブル優勝はかなわなかった)[61] 。
2021年、1年延期された東京オリンピックを前に4月のパラグアイ 戦とパナマ 戦で共に7-0の大勝、6月のウクライナ 戦でも8-0の完勝、メキシコ 戦では2021年初失点を喫するも5ゴールを挙げての勝利と親善試合では27得点1失点とオリンピック本番に向けて多くの選手が結果を残すなど五輪本番への期待は高まっていた。五輪前最後のオーストラリア 戦では後半9分に岩渕がPKを決めて1-0で勝利し、2021年全勝のまま五輪本番に挑むこととなった。
五輪本番ではグループEに入り、カナダ 、イギリス 、チリ と同組となった。ところが、初戦のカナダ戦では開始わずか6分でこの試合でA代表マッチ通算300試合達成となるクリスティン・シンクレア に先制ゴールを奪われ立ち上がりに失点。後半から出場した田中美南 もステファニー・ラベー にPKを止められ同点のチャンスを活かすことができず、終盤に岩渕のゴールで追いつくも勝ち越しゴールは奪えず1-1で引き分け。続くイギリス戦はカナダ戦で立ち上がりに失点した課題を払拭するべく相手の攻撃を懸命に凌いでいたが、後半29分にこれまで日本戦で何度もゴールを奪ってきたエレン・ホワイトにまたしても先制ゴールを決められ0-1で敗戦。最終戦のチリ戦も再三の決定機をGKのクリスティアネ・エンドレル の好セーブの前に決めきれず、20本以上のシュートを放ちながら迎えた後半32分にようやく田中が先制ゴールを決めて1-0で勝利したが、自国開催ながらグループ3位通過とこれまでの親善試合とは全くの大違いという結果を残した。史上初の金メダル獲得を目指して挑んだ準々決勝では女子サッカー界No.1のアメリカ を3-0で破った今大会唯一のグループステージ3連勝で勝ち上がったスウェーデン と対戦。初戦同様立ち上がりに先制ゴールを決められて失点するが、前半23分に田中がワンチャンスを生かして前半のうちに同点に追いついて前半を終える。だが、前半同様またしても後半の立ち上がりに勝ち越しゴールを決められると、後半23分には三浦成美 がVAR判定の末にペナルティエリア内でハンドの反則を取られ与えたPKをコソバレ・アスラニ に決められ痛恨の3点目を献上。その後は相手の集中した守備に苦戦し、最後まで決定機を作れないまま1-3で終了し、ベスト8で大会を去ることとなった[62] [63] [64] 。五輪前に行われた親善試合では28得点1失点と好成績を残していただけに、五輪本番では3得点5失点と大会を通じて強豪国相手に力の差を露呈し本番前の期待とは大違いの結果を残してしまった[65] 。また、高倉麻子体制となって以降1度も逆転勝利を手にすることができなかった[66] 。そして、高倉麻子監督は東京2020オリンピック終了後の8月31日付で監督退任となった。
池田太監督時代
2021年10月1日、高倉麻子監督の後任に前U-20サッカー日本女子代表 監督の池田太 が就任[67] 。
2022年、2022 AFC女子アジアカップ に出場し、初戦でミャンマー を相手に5-0の快勝を収めると、続くベトナム にも3-0の快勝でノックアウトステージ進出を決める。全勝対決となった第3戦の韓国 戦では植木理子 がキックオフからわずか30秒で先制ゴールを決める。その後は相手に危うい場面を作られながらも山下杏也加 の度重なる好セーブで相手の攻撃を凌いでいたが、試合終盤にセットプレーから失点して1-1の引き分けに終わるも、グループ1位でノックアウトステージに駒を進める。2023 FIFA女子ワールドカップ 出場がかかったタイ 戦では菅澤優衣香 の4ゴールなど7得点の大勝で2023 FIFA女子ワールドカップの出場権を獲得した。アジアカップ3連覇を目指して挑んだ準決勝の中国 戦では前半26分に植木理子が先制ゴールを決め、前半を1点リードで折り返す。しかし、後半始まってわずか2分で同点ゴールを決められると、その後は度重なる決定機を活かせず90分で決着はつかずに延長戦へ。延長戦では今大会絶好調の植木理子がセットプレーから勝ち越し点を奪うが、5バックで逃げ切りを図った後の終了直前に追い付かれてPK戦へ。そのPK戦では終了直前の失点が影響したのか、2つのシュートストップで敗戦を喫し、アジアカップ3連覇を逃した。
同年7月に行われたEAFF E-1サッカー選手権2022 は、池田太体制となって初めての国内試合となった。初戦で2022 AFC女子アジアカップのGS第3戦で終了直前の失点で1-1の引き分けに終わった韓国と対戦。前半33分に宮澤ひなた が先制ゴールを決め、前半を1点リードで終える。59分にチ・ソヨン のゴールで一時は追いつかれるが、65分に長野風花 が代表初ゴールを決め2-1で勝利した。第2戦は前回大会でシュート46本かつ被シュート0本、9得点の大勝を挙げたチャイニーズタイペイ と対戦した。ところが、前半8分に相手にセットプレーのチャンスを与えてしまうと、このセットプレーからスー・シンユン にヘディングシュートを決められ先制点を献上。前半終了直前に上野真実 の代表初得点で2-1と逆転して試合を折り返すが、前回対戦時の9得点とは大違いの結果を残すことに。後半は菅澤が投入されるとそこから攻守で立て直しを図り、4-1の逆転勝利で大会連覇まであと1勝に迫った。最後は2022 AFC女子アジアカップ・準決勝で2度のリードを守れずにPK戦で敗れた中国と対戦。負け以外で優勝が決まる中で日本は終始攻め続けたが得点を挙げることはできず、0-0のまま試合は終了し、大会連覇を達成したが相手の4倍ものシュートを放ちながら決定力不足を露呈する結果に終わった。
2023 FIFA女子ワールドカップ [68] ではグループC に入り、初出場のザンビア 、コスタリカ 、スペイン と同居するザンビア以外2022 FIFAワールドカップ で日本 が対戦した2か国と同じ顔触れになった。初戦のザンビア戦を5-0で大勝すると、続くコスタリカ戦もワールドカップ初出場の藤野あおば がW杯初ゴールを決めたことで2-0の勝利で4大会連続の決勝トーナメント進出を大会史上最速で決めた[69] [70] [71] [72] [73] 。勝利以外1位通過はないという状況で挑んだ3戦目のスペイン戦は藤野と同じくワールドカップ初出場の宮澤ひなた が2ゴールを決めるなど4-0の快勝を収め、1次リーグを11得点無失点という圧倒的な強さで1位通過を決めた[74] [75] 。
そうして迎えた決勝トーナメント 1回戦のノルウェー 戦は前半20分にグーロ・レイテン のゴールで今大会初失点を喫するも、後半に清水梨紗 と宮澤ひなたの活躍で2得点を奪い、3-1の勝利で2大会ぶりのベスト8進出を決めた[76] [77] 。中6日で迎えた準々決勝は東京2020オリンピック 準々決勝で1-3と完敗したスウェーデン と対戦。日本は開始からスウェーデンにボールを持たれる展開の中で前半32分にアマンダ・イレステト にゴールを決められ今大会初めて先制点を許す苦しい展開に。シュートを1本も打てないまま前半を終えると後半も開始わずか6分で長野風花 がCKでハンドの反則をVAR判定 で取られてしまい、与えたPKをフィリパ・アンイエルダール に決められて2点ビハインドを負う展開に。その後は積極的な攻撃姿勢で徐々に突破口を開いていき、87分には2018 FIFA U-20女子ワールドカップ 優勝メンバーの1人である林穂之香 が1点差に詰め寄るゴールを決めるも同点に追いつくことはできず1-2で敗戦。東京2020オリンピックの雪辱を果たせず、ベスト8で大会を去ることとなった(チームは2度目のフェアプレー賞を、宮澤ひなた は2人目となる大会得点王を受賞)[78] [79] 。
殊勲の得点王となった宮澤は「今大会はチームメイト全員の団結力も勝ち上がる基盤を作ったと思います。チーム力の向上のためにも、まずは個のレベルアップが必要と感じました。W杯はプレーや判断など全てにおいてスピードが違いました。」と大会後に語り[80] 、2011年大会 の優勝に刺激され、全試合に出場した長野は「若い世代に『なでしこは誰にも勝てるんだ』ということを示し、一人でも多くの若い観客に勇気を与えたいです。」と、ビッグトーナメントで結果を残す事の重要性を説いた[81] 。
優勝したスペインを唯一破ったのが日本代表であるが、FIFA のジャンニ・インファンティーノ 会長は自身のインスタグラム上で「準々決勝のスウェーデン戦では敗戦に終わったが、今回の大会が史上最高のFIFA女子ワールドカップになったことへの貢献は、フィールド内外で誰もが忘れない」と、特定のチームに異例とも言えるメッセージを綴った[82] 。また、今大会から配分金が大幅に増額され、準々決勝敗退による支給額は全選手に1人あたり9万ドル(約1300万円)となった[83] 。
2023年9月23日、秋分の日 の土曜日 に北九州スタジアム (福岡県北九州市)にて行われた国際強化試合で、2019 FIFA女子ワールドカップ 初戦でスコアレスで引き分けたアルゼンチン と対戦した。前半2分に田中美南 が先制ゴールを決めるとその後も10分に長谷川唯 がPK を決め、25分には高橋はな が、39分には長谷川唯がこの試合4点目となるゴールを決め、前半を4点リードで終える。後半も清家貴子 が5点目のゴールを決め、66分に杉田妃和 も6点目のゴールを決める。80分には植木理子 が2023 FIFA女子ワールドカップ・準々決勝で失敗したPKを決めて7点目を奪うと、最後は清家貴子が8点目のゴールを決めて試合終了。10月に開催されるパリ五輪予選 に向けて圧巻の大勝劇を繰り広げた[84] [85] [86] 。
一方で、第19回アジア競技大会 の開催が2022年から1年延期の2023年9月下旬開催となり、パリ五輪アジア2次予選と日程が近接することから、JFAではU-19日本女子代表 を指揮する狩野倫久 の下、パリ五輪予選に臨むチームとは別の、WEリーグ所属選手を中心としたチームを結成してアジア大会に臨み[87] 、準決勝で中国に1点差に迫られる以外はいずれの試合も相手を圧倒し、男女を通じて初のアジア大会連覇を果たした[88] 。
パリ五輪予選 では1次予選を免除され2次予選からの出場となる。予選ではグループCに入り、インド 、ウズベキスタン 、ベトナム を全て無失点で破り、2次予選を3連勝し11得点無失点という圧倒的な強さで1位通過し、グループB1位で2次予選を通過した北朝鮮 との最終予選に挑んだ。第1戦のアウェーゲームは試合3日前に開催地がサウジアラビアに決まるトラブルに見舞われ、試合も開始からピッチコンディションにも苦しみ、後半は北朝鮮に流れを掴まれる劣勢の時間が続いたが最後まで相手に得点を与えないまま0-0の引き分けで第2戦・国立競技場 で行われるホームゲームに挑んだ。開始から北朝鮮に自陣で押し込まれる時間が続くも、前半26分にフリーキック の流れから高橋はな が待望の先制ゴールを挙げる。しかし、前半終了間際にコーナーキック を与えなかった直後の流れからチェ・クンオク にシュートを放たれると、これがゴールに向かうも山下杏也加 がゴールラインギリギリでかき出すスーパーセーブを見せ、前半を1点リードで折り返し2大会連続の五輪出場に1歩近づく。後半は一転して守勢に回る時間が続くが、粘り強い守備で相手に得点を与えず76分にはショートカウンターから藤野あおば がヘディングでゴールを決め五輪出場を手繰り寄せる大きな追加点を挙げる。しかし、5分後の81分にキム・ヒヨン にループシュート でゴールを決められ、試合終了間際にはゴール前でヒヤリとする場面を作られるも山下がしっかりとキャッチして2-1で勝利したことでリオ五輪予選 の雪辱を果たし、パリ五輪 出場権を獲得した[89] [90] [91] 。
歴代監督
2024年6月3日 ニュージーランド 戦終了時。
愛称
2004年から採用されているなでしこジャパン の由来は、アテネオリンピック アジア予選として行われた「AFC 女子サッカー予選大会2004」の際に「大和撫子 」(やまとなでしこ)という言葉がよく使われたことと、その大和撫子が「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「大和」が「ジャパン」となったものである。
採用のきっかけは日本サッカー協会(JFA)の女性スタッフ[92] の提案で、「日本代表という呼称は男子のイメージ。オーストラリア女子代表 はMatildas(マティルダス)の愛称で親しまれており、日本女子代表も愛称を使えば認知度も高まり女子サッカー発展につながる」というものであった。JFAでも日本サッカーの発展には女子サッカーの発展が必須との考えで、キャプテン・ヘッドクオーターズ(CHQ)において女子サッカー活性化に積極的に取り組み、2004年5月14日に女子代表愛称の募集を開始した。約2,700通の応募から2回の予備選考を経て下記の審査委員会による最終選考が行なわれ、その結果7月5日に愛称が「なでしこジャパン」に決定(発表は7月7日)、7月30日のキリンチャレンジカップ ・カナダ 戦(国立霞ヶ丘競技場 )から採用された。なお、なでしこジャパンはアテネオリンピック終了後の2005年3月11日に商標登録 されたほか、2004年と2011年には新語・流行語大賞 候補にノミネートされ、2011年には年間大賞に選ばれた。
愛称の候補として次点(優秀賞)には日本サッカー協会のシンボル八咫烏 (やたがらす、やたのからす)にちなんだ「ヤタガールズ」、またユニフォームカラーのブルーにladyの頭文字エル (L) やドリーム(夢)を組み合わせた「エルブルー」や「ドリームブルー」があった[93] 。
成績
国際大会におけるトーナメント戦などでPK戦 まで突入した場合は、勝敗関わらず公式記録上では引き分けとして扱われる。
主な成績
世界レベル
大陸レベル
地域レベル
FIFA女子ワールドカップ(FIFA女子世界選手権)
FIFA女子ワールドカップ
FIFA女子ワールドカップ・予選
開催国 / 年
成績
試
勝
分
敗
得点
失点
得失差
試
勝
分
負
得点
失点
得失差
1991年
グループリーグ敗退
3
0
0
3
0
12
-12
6
4
1
1
27
6
+21
1995年
ベスト8
4
1
0
3
2
8
-6
4
2
1
1
9
3
+6
1999年
グループリーグ敗退
3
0
1
2
1
10
-9
5
4
0
1
33
1
+32
2003年
3
1
0
2
7
6
+1
7
4
1
2
38
6
+32
2007年
3
1
1
1
3
4
-1
5
3
0
2
19
6
+13
2011年
優勝
6
4
1
1
12
6
+6
5
4
0
1
16
2
+14
2015年
準優勝
7
6
0
1
11
8
+3
5
4
1
0
16
3
+13
2019年
ベスト16
4
1
1
2
3
5
-2
5
3
2
0
9
2
+7
2023年
ベスト8
5
4
0
1
15
3
+12
5
3
2
0
18
3
+15
合計
出場9回/優勝1回
38
18
4
16
54
62
-8
47
31
8
8
185
32
+153
各大会の試合詳細
オリンピック
ロンドンオリンピック決勝戦の終了後、サポーターに一礼するなでしこジャパン
女子サッカーは1996年アトランタ大会 からオリンピックの正式種目となった。男子サッカーは1992年バルセロナ大会 から23歳以下(U-23)の大会となったが、女子はワールドカップと同じくA代表が参加する。
1996年アトランタ大会と2000年シドニー大会 は、開催国と前年のFIFA女子世界選手権の上位7チームが参加するものとされ、1995年世界選手権でベスト8入りしたことで1996年アトランタオリンピックの出場権を得たものの、1999年世界選手権ではベスト8入りを逃し2000年シドニーオリンピックの出場権は得られなかった。2004年アテネ大会 以降は各地区の予選を突破したチーム(2004年アテネ大会は10チーム、2008年北京大会 以降は12チーム)が参加する。
* 赤枠は自国開催
各大会の試合詳細
AFC女子アジアカップ(AFC女子選手権)
日本は第4回大会 (1981年)で初参加。第6回大会 (1986年)以降は全てベスト4以上の成績を残している。
* 赤枠は自国開催
アジア競技大会
開催国 / 年
成績
試
勝
分
敗
得
失
1990年
準優勝
5
3
1
1
17
8
1994年
準優勝
4
2
1
1
9
3
1998年
3位
5
3
0
2
18
7
2002年
3位
5
3
1
1
8
3
2006年
準優勝
5
4
1
0
21
1
2010年
優勝
4
3
1
0
6
0
2014年
準優勝
6
4
1
1
28
3
2018年
優勝
5
5
0
0
14
2
2023年
優勝
6
6
0
0
39
5
合計
出場9回/優勝3回
45
33
6
6
160
32
* 赤枠は自国開催
EAFF E-1サッカー選手権(東アジア女子サッカー選手権・女子東アジアカップ)
開催国 / 年
成績
試
勝
分
敗
得
失
2005年
3位
3
0
2
1
0
1
2008年
優勝
3
3
0
0
8
2
2010年
優勝
3
3
0
0
7
1
2013年
準優勝
3
1
1
1
3
2
2015年
3位
3
1
0
2
5
6
2017年
準優勝
3
2
0
1
4
4
2019年
優勝
3
3
0
0
13
0
2022年
優勝
3
2
1
0
6
2
合計
出場8回/優勝4回
24
15
4
5
46
18
* 赤枠は自国開催
アルガルヴェ・カップ
日本は第18回大会 (2011年)で初参加。
開催国 / 年
成績
試
勝
分
敗
得
失
2011年
3位
4
3
0
1
9
3
2012年
準優勝
4
3
0
1
8
5
2013年
5位
4
2
0
2
4
4
2014年
準優勝
4
2
1
1
4
5
2015年
9位
4
2
0
2
7
5
2017年
6位
4
2
0
2
7
5
2018年
6位
4
2
0
2
6
9
合計
出場7回
28
16
1
11
45
36
キプロス・カップ
日本は第1回大会(2008年)で初参加。
開催国 / 年
成績
試
勝
分
敗
得
失
2008年
3位
3
2
0
1
5
5
合計
出場1回
3
2
0
1
5
5
シービリーブス・カップ
日本は第4回大会(2019年)で初参加。
開催国 / 年
成績
試
勝
分
敗
得
失
2019年
3位
3
1
1
1
5
6
2020年
4位
3
0
0
3
2
7
2023年
準優勝
3
1
0
2
3
2
2024年
4位
2
0
1
1
2
3
合計
出場4回
11
2
2
7
12
18
トーナメント・オブ・ネイションズ
日本は第1回大会(2017年)で初参加。
開催国 / 年
成績
試
勝
分
敗
得
失
2017年
3位
3
0
1
2
3
8
2018年
4位
3
0
0
3
3
8
合計
出場2回
6
0
1
5
6
16
国別対戦成績
2024年6月3日 ニュージーランド 戦終了時。
FIFAランキング
2003年 から公表。現在は原則として3ヶ月ごとに発表される。
最新順位 - 7位 (2024年6月)
初登場 - 14位(2003年7月)
最高順位 - 3位(2014年9月)
最低順位 - 14位(2004年3月)
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
14
14
14
14
14
13
13
13
12
11
11
11
11
13
13
10
9
10
11
11
10
10
9
9
7
7
6
6
5
5
5
5
4
4
4
3
3
3
3
3
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021
2022
3
3
3
3
3
3
3
4
4
4
4
4
7
7
8
7
6
6
8
9
11
6
7
8
7
11
10
10
11
11
11
10
11
10
13
13
13
13
11
11
11
2023
2024
11
11
8
8
7
7
0
0
出典: FIFA Women's Ranking[95]
歴代記録
サッカー日本女子代表として最多出場・最多得点者である澤穂希 (2015年撮影)
2022年6月3日現在
太字 は現役の選手
出場数ランキング
順位
名前
出場数
期間
1
澤穂希
205
1993 - 2015
2
宮間あや
162
2003 - 2016
3
熊谷紗希
151
2008 - 0000
4
大野忍
139
2003 - 2016
5
永里優季
132
2004 - 2016
6
安藤梢
126
1999 - 2015
7
阪口夢穂
124
2006 - 2018
8
岩清水梓
122
2006 - 2016
9
池田(磯﨑)浩美
119
1997 - 2008
10
加藤(酒井)與恵
114
1997 - 2008
鮫島彩
2008 - 2021
得点数ランキング
順位
名前
得点数
出場数
期間
1
澤穂希
83
205
1993 - 2015
2
永里優季
58
132
2004 - 2016
3
長峯かおり
49
64
1984 - 1996
4
大野忍
40
139
2003 - 2016
5
宮間あや
38
162
2003 - 2016
6
岩渕真奈
36
89
2010 - 2023
7
田中美南
32
79
2013 - 0000
8
大谷未央
31
73
2000 - 2007
9
木岡二葉
30
75
1981 - 1996
10
高倉麻子
29
79
1984 - 1999
大竹奈美
46
1994 - 1999
阪口夢穂
124
2006 - 2018
菅澤優衣香
84
2010 - 2022
年代別代表チームの戦績
ユニバーシアード女子代表
U-20女子代表
U-17女子代表
なでしこジャパンを題材にした作品
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
関連団体 ナショナル チーム
国内リーグ
国内カップ
育成年代
1種(学生) 2種(U-18) 3種(U-15) 4種(U-12) 女子 フットサル
表彰 関連人物 関連施設 関連項目
カテゴリ
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ワールドカップ代表
結果・統計
男子 U-23男子 U-20男子 U-17男子 女子 U-23女子 U-20女子 U-17女子 フットサル ビーチサッカー eスポーツサッカー
出場選手 関連項目
2024
大賞 受賞 受賞 受賞 受賞 受賞 受賞 日経WOMAN創刊35周年特別賞
2023
大賞 受賞
遠藤舞憂子 (花王 株式会社化粧品事業部門マステージビジネスグループKATE)
受賞 受賞 受賞 受賞 受賞
2022
大賞 世界に希望を紡ぐ科学者賞 理系の新・ロールモデル賞 思いやり経営賞 子育てダイバーシティ賞
北川聡子 (社会福祉法人 麦の子会 理事長・総合施設長)
心の揺らぎサポート賞
櫻本真理 (cotree/コーチェット 代表取締役)
途上国の自立支援に貢献賞 循環型社会へのイノベーター賞
坂野晶 (一般社団法人ゼロ・ウェイスト・ジャパン 代表理事)
2021
2020
大賞 準大賞 受賞
石川賀代 (社会医療法人 石川記念会理事長、石川ヘルスケアグループ 総院長)
受賞 受賞 受賞
平田麻莉 (一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会 代表理事)
受賞 特別賞
2019
大賞 再出発サポート賞 新・事業承継モデル賞 世界の子供を守る賞 ブレイクドラマ制作賞 イノベーティブ起業家賞 日本を伝えるメディア賞 子育て支援サポート賞
高塚清佳 (新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター) 黄春梅 (新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)
特別賞
2018
大賞 人生100年時代のロールモデル賞 働き方改革サポート賞 超高齢化社会の希望賞 共感型プロモーション賞
和気洋子 (ヤフー コーポレートコミュニケーション本部 ブランドマネジメント室リーダー)
「アストロウーマン」の道開拓賞 特別賞
2017
大賞
弭間友子 (東宝 映像本部 映像事業部 アニメ事業グループ 宣伝プロデューサー)
デザインものづくり賞 「ドボジョ」キャリア開拓賞 食ビジネス革新賞 イノベーティブものづくり賞 子育て家庭応援ビジネス賞 チーム2017賞
2016
大賞 メガヒットメーカー賞 次世代ものづくり賞 ベストマーケッター賞 未来をつくるサイエンティスト賞
髙橋政代 (理化学研究所 多細胞システム形成研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー・眼科医)
情熱経営者賞 チェンジメーカー賞
2015
大賞 準大賞〈リーダー部門〉 準大賞〈キャリアクリエイト部門〉 入賞〈リーダー部門〉 入賞〈キャリアクリエイト部門〉 入賞〈ヒットメーカー部門〉
2014
大賞<キャリアクリエイト部門> 準大賞<リーダー部門> 準大賞<ヒットメーカー部門> 入賞<リーダー部門> 入賞<ヒットメーカー部門> 入賞<キャリアクリエイト部門>
2013
大賞<リーダー部門> 準大賞<ヒットメーカー部門> 準大賞<リーダー部門> リーダー部門入賞 入賞<ヒットメーカー部門> 入賞<キャリアクリエイト部門>
2012
大賞 準大賞
森本千絵 (goen゜主宰 コミュニケーションディレクター アートディレクター)
準大賞 リーダー部門入賞
野坂千秋 (味の素 執行役員 食品事業本部 食品研究所 商品開発センター長)
リーダー部門入賞 ヒットメーカー部門入賞 ヒットメーカー部門入賞 キャリアクリエイト部門入賞 ヒットメーカー部門入賞 特別賞
2011
大賞 1位
福島理恵子 (東芝 研究開発センターマルチメディアラボラトリー 主任研究員兼エコテクノロジー推進室参事)
2位 3位 4位
日置真世 (北海道大学 大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター助手/NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事兼事務局顧問)
5位 6位 7位 8位 9位
熨斗麻起子 (中国・深圳 可宝得環保技術有限公司 総経理)
10位
小林麻美(日本コカ・コーラ マーケティング本部 ウォーターカテゴリーウォーターグループマネジャー)
ヒットメーカー部門 キャリアクリエイト部門
白木夏子 (株式会社HASUNA 株式会社HASUNA 代表取締役)高橋啓子 (米国サンフランシスコのフランス料理店「EL PASEO」エグゼクティブ・シェフ)
2010
大賞 1位<リーダー部門>
西郷真理子 (都市計画プランナー/株式会社まちづくりカンパニー・シープネットワーク代表取締役)
2位<リーダー部門> 3位<キャリアクリエイト部門> 4位<リーダー部門> 5位<ヒットメーカー部門> 6位<キャリアクリエイト部門> 7位<リーダー部門> 8位<ヒットメーカー部門>
呉裕利子 (花王 ファブリック&ホームケア事業ユニット ファブリックケア事業グループ シニア開発マネージャー)
9位<リーダー部門> 10位<ヒットメーカー部門>
吉本光里 (松竹 映画宣伝部 宣伝企画室 宣伝プロデューサー)
今年の顔
福島みずほ (内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画)湊かなえ (作家)
2009
大賞 1位<ヒットメーカー部門> 2位<リーダー部門> 3位<ヒットメーカー部門> 4位<キャリアクリエイト部門> 5位<キャリアクリエイト部門> 6位<ヒットメーカー部門> 7位<リーダー部門> 8位<リーダ-部門> 9位<リーダー部門> 10位<ヒットメーカー部門> 特別賞 話題賞
2008
大賞 1位<リーダー部門> 2位<リーダー部門> 3位<リーダー部門> 4位<キャリアクリエイト部門> 5位<ヒットメーカー部門>
海老澤香織 (花王 ビューティケア事業ユニット プレミアム・ヘアケアグループ インバスグループ)
6位<ヒットメーカー部門> 7位<リーダー部門>
松村文代 (東芝 産業システム社 事業開発推進統括部 課長代理)
8位<リーダ-部門> 9位<ヒットメーカー部門> 10位<キャリアクリエイト部門> 特別賞
2007
大賞 1位<リーダー部門> 2位<リーダー部門> 3位<リーダー部門> 4位<キャリアクリエイト部門> 5位<ヒットメーカー部門> 6位<リーダー部門> 7位<キャリアクリエイト部門> 8位<リーダ-部門> 9位<ヒットメーカー部門>
鈴木里佳 (三洋電機 パワーグループ モバイルエナジーカンパニー マーケティング部 マーケティング課 主任)
10位<ヒットメーカー部門> 特別賞
2006
大賞 1位<リーダー部門> 2位<キャリアクリエイト部門> 3位<リーダー部門> 4位<ヒットメーカー部門> 5位<リーダー部門> 6位<リーダー部門> 7位<リーダー部門> 8位<リーダ-部門> 9位<ヒットメーカー部門> 10位<ヒットメーカー部門>
高橋美由紀 (日産自動車 マーケティング本部マーケティングダイレクターオフィス マーケティング・ダイレクター)
特別賞 話題賞
2005
大賞 1位<リーダー部門> 2位<ヒットメーカー部門> 3位<リーダー部門> 4位<リーダー部門> 5位<リーダー部門>
内出幸美 (気仙デーサービスセンターグループホーム「ひまわり」総所長)
6位<リーダー部門>
関幸子 (まちづくり三鷹 事業部企画事業 グループマネジャー)
7位<リーダー部門> 8位<ヒットメーカー部門> 9位<ヒットメーカー部門>
齋藤未来 (ナムコ チームナンジャ「自由が丘スイーツフォレスト」ストアディレクター)
10位<キャリアクリエイト部門>
2004
大賞 1位<リーダー部門> 2位<リーダー部門> 3位<リーダー部門> 4位<ヒットメーカー部門> 5位<リーダー部門> 6位<リーダー部門>
名取美和 (タイ・チェンマイHIV感染孤児施設「バーンロムサイ」代表)
7位<キャリアクリエイト部門> 8位<ヒットメーカー部門> 9位<ヒットメーカー部門> 10位<今年の顔>
2003
大賞 1位<リーダー部門> 2位<リーダー部門 3位<キャリアクリエイト部門>
堀木エリ子 (堀木エリ子&アソシエイツ代表 和紙プロデューサー)
4位<ヒットメーカー部門> 5位<ヒットメーカー/リーダー部門> 6位<リーダー部門> 7位<今年の顔> 8位<リーダー部門> 9位<リーダー部門> 10位<今年の顔> 特別賞<今年の顔>
2002
大賞 1位<リーダー部門> 2位<ネット部門> 3位<リーダー部門> 4位<ヒットメーカー部門> 5位<リーダー/ネット部門> 6位<ヒットメーカー部門> 7位<ネット部門> 8位<カルチャー部門> 9位<キャリアクリエイト部門> 10位<カルチャー部門>
2001
大賞 1位<ヒットメーカー部門> 2位<リーダー部門> 3位<リーダー部門> 4位<脱・事務部門> 5位<カルチャー部門> 6位<ネット部門/リーダー部門> 7位<リーダー部門> 8位<ヒットメーカー部門> 9位<ネット部門> 10位<カルチャー部門>
2000
大賞 1位<ヒットメーカー部門> 2位<キャリア・起業家部門> 3位<ヒットメーカー部門> 4位<カルチャー部門> 5位<キャリア・起業家部門> 6位<ヒットメーカー部門> 7位<脱・事務部門> 8位<カルチャー部門> 9位<キャリア・起業家部門> 10位<ヒットメーカー部門>