原 歩(はら あゆみ、1979年2月21日 - )は、東京都八王子市出身の元女子サッカー選手。サッカー指導者。多摩大学経営情報学部卒業。選手時代のポジションはミッドフィールダー。
経歴
選手時代
中学生のころ読売日本サッカークラブベレーザ(現日テレ・東京ヴェルディベレーザ)の下部組織であるメニーナに入団。中学3年生であった1993年に、五味與恵(→酒井→加藤)らとともにベレーザへ昇格すると、その年に行われた第5回日本女子サッカーリーグの優勝に貢献する活躍を見せた。
その後も1994年に行われた第9回全日本選抜大会、1994年と1998年の皇后杯全日本女子サッカー選手権大会でも優勝を成し遂げ、また1998年には日本女子代表にも選ばれた。
ベレーザでは同い年の澤穂希、酒井與恵と合わせて「天才トリオ」と呼ばれ、2000年にはベレーザ、女子代表ともにキャプテンとして活躍。女子代表では歴代最年少キャプテンであった。しかし代表では監督交代によって招集されなくなり、またベレーザでも出場機会が減少したこともあって、2002年に伊賀フットボールクラブくノ一へ移籍した。
2004年12月に行われたチャイニーズタイペイ戦で久々の代表招集を受け、後半途中からの出場を果たす。
だが、仕事をしながらサッカーを続けることに限界を感じたため2005年限りで現役引退を決意。しかし翌2006年に、なでしこリーグ1部に昇格したINACレオネッサ(現INAC神戸レオネッサ)からプロ契約による移籍のオファーを受け現役続行。豊富な経験を生かしベテランとして初昇格のチームを支えることとなった。
2008年に行われた北京オリンピックでは8月12日のノルウェー戦(上海体育場)で途中出場しゴールを決めた。
2009年12月27日、現役引退を発表した[2]。
指導者時代
引退後はセレッソ大阪サッカースクールコーチ[3]を経て、同チーム傘下のレディースU-15チームのコーチに就任。
2013年よりASエルフェン狭山FC(現ちふれASエルフェン埼玉)のコーチに就任。同年7月に同チームの選手として現役復帰した[4]。
2015年から2016年9月までINAC神戸レオネッサ傘下のレオンチーナの監督を務めた[5]。
2018年よりFC町田ゼルビアレディースのコーチに就任[6]。
2018年12月27日、ノジマステラ神奈川相模原の下部組織ドゥーエ監督に就任した[7]。
2019年8月31日、ノジマステラ神奈川相模原アカデミー総監督兼ドゥーエ監督辞任が発表された[8]。
人物
親交があるシンガーソングライターの柴田淳は、大学の1年先輩に当たる。
個人成績
クラブ
代表
主な選出歴
試合数
ゴール
タイトル
クラブ
個人
脚注
- ^ a b 日本サッカー協会
- ^ 元なでしこジャパンMF・原歩が現役引退 asahi.com 2009.12.28
- ^ 『元なでしこジャパン 藤村 智美さん、原 歩さんがスクールコーチに就任』(プレスリリース)セレッソ大阪、2010年2月22日。https://www.cerezo.jp/news/2010-02-22-2/。2017年12月22日閲覧。
- ^ 『大野忍選手の加入・原歩コーチの選手登録について』(プレスリリース)ちふれASエルフェン埼玉、2013年7月4日。http://info.as-elfen.or.jp/?eid=57。2017年12月22日閲覧。
- ^ 『ニュース : INAC神戸レオンチーナの原歩監督退団のお知らせ』(プレスリリース)INAC神戸 レオネッサ、2016年9月5日。http://inac-kobe.com/news/1923。2017年12月22日閲覧。
- ^ 『FC町田ゼルビアレディースの新監督・新コーチについて』(プレスリリース)FC町田ゼルビア、2017年12月19日。http://www.zelvia.co.jp/news/news-115097/。2017年12月22日閲覧。
- ^ “原歩氏、ノジマステラ神奈川相模原DUE監督就任内定のお知らせらせ of ノジマステラ 公式ホームページ”. ノジマステラ 公式ホームページ (2018年12月27日). 2021年6月27日閲覧。
- ^ “原歩アカデミー総監督兼ドゥーエ監督、辞任のお知らせ of ノジマステラ 公式ホームページ”. ノジマステラ 公式ホームページ (2019年8月31日). 2021年6月27日閲覧。
外部リンク
|
---|
1部 |
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
2部 |
|
---|
3部 |
|
---|
MVP - 得点王 - 敢闘賞 - 新人賞 |