『ちい散歩』(ちいさんぽ)は、2006年4月3日から2012年5月4日までテレビ朝日で放送された紀行番組(散歩番組)・情報番組・通販番組であり、俳優・地井武男の冠番組である。タイトルの通り「散歩」に着目した番組であり、テレビ朝日平日午前10時台前半(月 - 金曜9:55 - 10:30(後に金曜は - 11:00))は本番組より『散歩シリーズ』となる。ただし『散歩シリーズ』は公式なシリーズ呼称ではない。
散歩ブームの火付け役として知られ[1] た番組となった。
主に関東ローカルで放送していたが、BS朝日やCS放送(スカパー!)の旧・テレ朝チャンネル(現:テレ朝チャンネル1 ドラマ・バラエティ・アニメ)と朝日ニュースター(現:テレ朝チャンネル2 ニュース・情報・スポーツ)でも全国放送され、また地上波一部地域でも番組販売の形で放送された。
なお、6年間における放送回数は1518回となる。
メイン企画は、東京近郊のスポットを地井武男が訪れ、散歩するという内容。散歩中にその土地の店に立ち寄ったりして交流を深めながら、街の紹介をしていくものだった。
番組タイトルの題字と、タイトルバックなどで使用されるタンポポの水彩画は、地井本人が手掛けた。なお、タイトル題字は黄色とオレンジ色を用いた「ちい 散歩」と、グラデーションを施したものであり、また、地井が動くアニメーションはイラストレーターのマサルが担当。なお、オープニングの見所紹介や散歩の終わりの地井の絵手紙などにはスケッチブックを模ったフレームが使用された。
散歩コースは主に東京都区部を中心に東京圏を散歩した。まれに関東地方の他の地域も散歩し、時には日本各地やハワイへも赴いた。
地井はこの番組がきっかけで"散歩の達人"として知られるようになった。2008年3月19日付の日刊スポーツのインタビューで地井は、散歩と番組に対する思いと、散歩を十分に楽しむための心得を語っていた[1]。また、地井は2011年6月のメディア取材で「(台本を)読むのは打ち合わせのときの1回だけ。場所を訪ねると同時に人を訪ねる番組で、偶然の出会いや会話を大事にしたいから、計画通りにいかないこともある」と語り、番組の信条は映像を凝らない事で「生活の空間の"間"(ま)をそのまま切り取ってる。人の目線の高さで、あるがままがいい。これからもそんな番組でありたい」(地井)としていた[2]。また、プロデューサーの岡崎利貞曰く「実は新しいことに挑戦した番組だった」と語っている[3]。
この番組の成功により、その後各局でも有名人らの散歩番組が多く制作・放送される[注 2] 等、様々な影響を生む。
後述する放送終了まで6年1か月にわたって続き、後番組として俳優・歌手の加山雄三[注 3] が散歩人を務めた『若大将のゆうゆう散歩』(2012年5月7日 - 2015年9月25日)、さらにその次の後番組として2015年9月28日より放送中のタレント・俳優の高田純次が散歩人を務めている『じゅん散歩』[4][5] へと続く、テレビ朝日平日午前10時枠「散歩シリーズ」の確立へとつながっていく。
2012年1月末に地井が緊急入院、心臓疾患の治療に専念するとしてそのまま休養に入った[6]。これにより番組の収録ができなくなり、2月29日放送分より、これまでの放送から厳選・再編集した名場面集を放送するとともに、オープニングコーナーとして「地井さんの絵手紙」を流し、その後に本編に入っていた。なお、木曜日は2月16日以降オープニングトークなどを廃止(木曜日を参照)、また、エンディングでは3月下旬以降、これまで番組終了直前に流していた募集告知を取り止めた。
テレビ朝日は番組の打ち切りについて、2月の時点では否定[7][8][9]、4月以降も番組を継続[10] しながら地井の復帰を待つ方針をとっていた。しかしながら、地井の療養は長期化し、同局は4月6日、地井サイドからの連絡が決定打となり「5月4日で番組を終了する」ことを発表[11][12]。早期の現場復帰を望んでいた地井にとっては心残りのまま[注 4]、また、テレ朝サイドにとっても苦渋の番組終了決断であった。なお、地井は以下のようにコメントを出した[13]。
このたびは皆様にご心配をおかけいたしております。 治療に専念すべくお休みさせていただいておりましたが、もうしばらく療養するため「ちい散歩」を終了させていただくことになりました。 番組をご覧いただいているみなさまに深くお詫び申し上げます。 長きにわたり「ちい散歩」をご覧いただき、ご声援を頂戴し誠にありがとうございました。 — 「ちい散歩」地井武男
このたびは皆様にご心配をおかけいたしております。 治療に専念すべくお休みさせていただいておりましたが、もうしばらく療養するため「ちい散歩」を終了させていただくことになりました。 番組をご覧いただいているみなさまに深くお詫び申し上げます。
長きにわたり「ちい散歩」をご覧いただき、ご声援を頂戴し誠にありがとうございました。
最終回のエンディングにて、地井の直筆による視聴者への手紙(後述)が紹介され、番組は6年1か月1週、1518回[注 5] に亘る歴史に幕を下ろした。そして、翌週5月7日より後番組となる『若大将のゆうゆう散歩』が放送開始となった。
同局では地井の回復・復帰を待って、特別番組『ちい散歩スペシャル』として制作・放送することを目指していた[14][注 6]。ところが、番組終了から8週間後の6月29日、地井は心不全により死去(享年71)[16]。翌6月30日には追悼番組として『ちい散歩 ありがとう!地井さん 6年間 3,227,000歩の軌跡』が放送された[17]。また7月10日 - 16日の1週間、銀座三越にて、地井が番組で描いた絵手紙563枚[注 7] を展示した『ちい散歩 地井さんが描いた563枚の絵手紙展』が開催された[16][注 8]。また8月6日には東京・青山葬儀所にて地井の「お別れの会」が開催され、番組共演者(ラッシャー板前、生稲晃子ら)[18] など、延べ2300人が地井に最後の別れをした。地井の遺影は2009年4月13日放送「新宿御苑」編の撮影時に桜をバックに撮影したものを使用。また8月11日には地井の追悼特別番組も放送された。
なお、2012年11月14日に番組特選DVD-BOX『ちい散歩傑作選〜日本の四季を感じて〜』が「テレ朝通販 Ropp!ng」にて限定発売された[19][20]。
最終回で紹介した地井の直筆による視聴者への手紙(3枚綴り)の文面は次の通り[16][21][注 9]。
みなさん この度は大変ご心配をおかけいたしております。 突然病に倒れ、私自身もびっくりいたしました。 この際、治療に専念すべくお休みさせていただくことにいたしました。
今振り返ってみますと、この番組でいろいろな街でお会いしたみなさんのことや、 その街の様子が大変いとおしく、そして少々心痛む思いで……懐かしく感じられます。 長きにわたり「ちい散歩」をご覧いただき、ご声援を賜り 番組をみなさんに育てていただき、担当者の一人として大変楽しく、 あっという間の6年でした。ありがとうございました。
さて、来週からは加山雄三さんがこの番組を引き継いでくださることになりました。 どんな番組になりますか私自身も楽しみにしております。 どうぞみなさん! 来週からの加山さんの番組をご覧いただきますようお願い申し上げます。
長い間本当にありがとうございました。深く御礼申し上げます。
「ちい散歩」 地井武男㊞
1980年代から1993年まで人気クイズ番組『100万円クイズハンター』(司会:柳生博)[注 10] で名を馳せ、その後も再放送番組や民教協制作番組などを放送してきたテレビ朝日の平日午前10時枠前半(10:00 - 10:30→9:55 - 10:30)枠。テレビ朝日では同枠を2002年4月より関東ローカルの生活情報番組枠[注 11] に転換するも低迷が続いたため、これまでの情報番組枠を路線転換する形として、2006年4月、新たに紀行番組をスタートした。これが『ちい散歩』の誕生である。なお、本番組の前番組である『いま得!』末期に著名人らによる散歩企画が連日放送されていたことから、この番組の開始につながった。
(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)
以下曜日別の内容は、テレビ朝日でのレギュラー放送による。
番組開始とともに、代々木公園から地井が登場し「皆さん! 最近歩いてますかぁ!? 散歩っていいですよ! さぁ、散歩に出かけましょう!!」の掛け声で、両手と両腕を広げるポーズをし、テーマ曲『ほのか』(BIGBELL)が流れ、スケッチブックが登場して、パラパラアニメーションと「散歩は 大人の休み時間 一歩 踏み出せば 冒険が始まる」の文字が表示され、タイトルロゴが表示される。
月・火曜日はタイトルとともに、地井がその日の散歩コースを駅前から紹介する。開始初期から2年ほどは「今日の散歩コースは「○○」」とテロップ表示していたが、2008年あたりからは「「(都道府県)(区市町村)」「○○」」に変わり、さらに3駅区間の路線図が表示されるようになった。続けて別の音楽が流れ提供(上下に放送内容を1行ずつ表示)、さらに青空をバックにスケッチブックを模したフレームが現れ、萩野志保子(テレビ朝日アナウンサー)のナレーションで番組の見所を紹介。その際は画面右上に「ナレーション萩野志保子(テレビ朝日アナウンサー)」、下側に大きく「今日の散歩コースは「○○」」と表示、続けてCM明けに本編に入る。
水曜日はタイトルの後すぐ音楽が変わって萩野のナレーションで当日の企画を紹介した後提供画面となり、萩野のナレーションで当日の見所、疋田由香里のナレーションで通販の商品をそれぞれ紹介。CM明けにコーナーに入る。
木曜日は地井・矢島らがスタジオから登場して挨拶し、その日の企画と見所を軽く紹介した後、提供画面→当日の企画の見所(ナレーション:萩野)→通販の商品(ナレーション:疋田)を紹介。CM明けにコーナーに入る。
金曜日は月・火曜日と同様の出だしの後、提供画面→当日の企画の見所(ナレーション:萩野)→通販の商品(ナレーション:疋田)を紹介。CM明けにコーナーに入る。
なお、冒頭の地井の登場は夏期(4月中旬から10月中旬)と冬期(10月下旬から4月上旬)で服装が異なっていた。
また、地井が休養に入った番組末期には、金曜日を除きタイトルの後すぐ提供、続けて「地井さんの絵手紙」のコーナーに入り、その後当日の企画の見所(ナレーション:萩野)→通販の商品(ナレーション:疋田)→CM明けにコーナーに入っていた。
毎週水曜日は通常の散歩と異なり、地井が一味違った形の散歩をする企画を放送していた。2006年秋からこの形式となった。
木曜日は他の曜日と異なる趣旨の企画を放送。そのため、地井はスタジオMCを務めた。
通常のオープニングタイトルの後、スタジオに切り替わり「おはようございます、地井武男です!」、続いて「生稲晃子です。」「矢島悠子です。」の挨拶と共に開始(2007年4月以降)。スタジオでは地井と矢島がVTRを見ながらトークを展開(画面右下にワイプを表示)。VTR終了と共に、地井らがコメントをして締め括るものであった。なお、オープニングのテレビカメラ前の立ち順番は左から生稲、地井、矢島の順であった。
2010年4月以降は生稲が外れ[注 22] 地井と矢島のみとなり、また週によってはラッシャーや久保田直子も参加していた[注 23]。
なお、木曜日以降が他の曜日と異なる体制[注 24] をとったのは、地井が狭心症を患った経歴があり、地井の心臓への負担に配慮する形でそうしたともされる。
番組初期の2006年4月から2007年3月まで、テレビ朝日リビング(現・ロッピングライフ)によるテレビショッピングコーナー「Oh!それ見ぃーよ」(前番組『いま得!』から継続)がこの番組に内包される形で、番組後半部分で放送されていた(当時は旧番組と同様のフォーマットで構成していた)。コーナー司会は歌手のささきいさおらが務めていた。「いいものさがし ちい散歩くらぶ」の前身。
2007年4月より、番組後半のコーナーとして開始されたロッピングライフ(2011年3月まではテレビ朝日リビング)のテレビショッピングコーナー。タイトルの題字と絵は地井本人によるもの。
「骨骨(こつこつ)先生」こと長谷愼一(柔道整復師・長谷接骨院院長)によるミニコーナー。2009年2月2日より開始。骨骨先生が10秒間でできるエクササイズを毎日レクチャーしていくコーナーで、週ごとにテーマを設けていた。
番組末期の2012年2月29日より5月3日まで急遽放送したオープニング企画で、金曜日を除いて連日放送された。
地井がこれまでの放送で訪れた散歩先で描いた絵手紙の中から、主に出会った人を描いた作品を中心にして毎日1枚ずつ紹介し、放送当時のVTRにスタッフが再度訪れた現在のVTRを併せて紹介した。ナレーションは萩野が担当した。
本放送では、最後のCM明けにエンディングテーマが流れるとともに翌日の散歩を一足早く紹介していた。流れ(テロップ表示順)は以下の通り。
本放送以外(30分版=BS朝日・番販ネット用、CS放送版)では地井が増上寺と東京タワーをバックに「ちい散歩、いかがでしたか?次回もお楽しみに!」と挨拶する映像(5秒)を流す。画面左下に制作者の名前を表示、中間に「ちい散歩」のロゴ、さらに中間から右にかけて「次回もお楽しみに!」と表示。映像は「芝公園」編(2006年10月10日放送)の収録時に増上寺前で撮影されたものである。各局での放送打ち切り時にも、放送最終日にこの映像が流されていた。
散歩の進行に合わせ、「ちい散歩まっぷ」という黄緑色を基調としたマップが画面に表示される。地井が歩いたコースの道路部分に赤線を表示。なお、マップ上には各所ごとのイラストが描かれている。散歩終了時には地井が歩いた歩数と消費カロリーがマップ上に表示される。また、2008年には「みんなで"えこ散歩"」と連動して「エコ量」(コースの距離(km)×151(自動車走行時のCO2排出量)×そのコースを歩いた人数=換算)も表示されていた。以後は通常の表示に戻り、番組末期まで継続された。
なお、「昭和散歩」でも「昭和の散歩まっぷ」という別のマップが登場していた(ただし赤線や歩数は表示されない)。「昭和の散歩まっぷ」は放送内容により複数のコースを表示していた。
木曜日の企画でもマップを使用していたが、赤線は表示されるものの歩数などは表示されなかった。なお「商店街散歩 生稲がいく」では全く仕様の異なるマップを使用していた(歩数などは表示されない)。
地上波(テレビ朝日)では主に平日の午前枠で放送されていた。また一部地域で番販および、BS・CSでも全国放送しており、これまでに地上波で放送した回のうち月・火曜日のものを中心に放送していた。
2008年7月21日(海の日)まで祝日は『スーパーモーニング』が10:30まで延長のため原則としてレギュラー放送が休止だったが、9月15日(敬老の日)以降は祝日も放送するようになり、以後は原則年末年始の特別編成期間(12月30日[注 45] から1月3日まで[注 46])を除き毎日放送されていた。
ただし、報道特別番組[注 47] やゴルフ中継(全米オープンおよび全米女子オープン、いずれも最終日)の関係で休止する場合もあった。後者は毎年6月、7月にそれぞれ日本時間の月曜日朝にあり、9時55分時点で中継延長の場合は休止となっていた。それらの場合、いずれも放送日を延期して後日放送していた。
このほか、2008年8月15日は北京オリンピック中継放送の関係上、当時毎年終戦の日恒例だった『戦争童話集』[注 48] が10時枠(10:05-11:00)に組まれており、また『スーパーモーニング』も10分延長されたため、放送が休止となった。また、2010年6月4日は民主党代表選挙が行われた関係で『ワイド!スクランブル』を繰り上げ開始のため10:50で打ち切り(「特選・ひと駅散歩」は休止)。さらに2011年2月11日(金曜日)は毎年恒例の民教協スペシャル放送(10:30-11:25)[注 49] のため30分短縮となった(「特選・ひと駅散歩」は休止)。
2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、3月14日・15日両日ともに東日本大震災の報道特別番組のため放送を休止した。3月16日からの放送再開後も、震災で被害を受けた茨城県を散歩した回(「鹿嶋」編・「潮来」編)の放送見送り及び一部放送回の延期などの影響があった。その後「鹿嶋」編は震災後に地井が再度訪問して改めて録り直し、7月25日に「鹿嶋市鹿島神宮」編として放送。震災前に訪れた時のものも再編集し併せて紹介された。また、潮来を散歩した際に描いた絵手紙を絵葉書にして、2012年11月14日発売の通販限定DVD-BOXに特典として封入された[19]。そして、同年12月30日にの年末特番において、ついに「潮来」編がテレビ初放送と相成った。
地井が6年間にわたる放送で歩いた散歩コースに、以下のものがある(エリアによっては複数回訪れている場合もある)。なかには「昭和散歩」や「ひと駅散歩」、または他の出演者(生稲、矢島、ラッシャー、土井、東、久保田)が該当企画で行った場所も含まれるが複数のエリアに行っていることも多いので一部割愛する。
また、これらの一部は書籍「ちい散歩」シリーズにも収録されている。
エンディングテーマは3ヶ月ごとに変更。
地井は散歩中、色々な場面に遭遇することが多々あった。また、6年間の散歩において、数々のエピソードが残っている。
毎年8月最終週などに、スペシャルウイークとして週を通じて地井が新たに収録を行った散歩を放送していた。
主に祝日などに放送時間を拡大し『ちい散歩○○スペシャル』と題したスペシャル番組が放送されていた。
2010年以降に祝日のたびに行われるようになった拡大版以前にも、祝日の放送が『スーパーモーニング』の枠拡大の関係で休止の時に特番が放送されたことがあった。
ちい散歩では毎年、1年間の最後の放送が『年末スペシャル』として放送される事が恒例であり、番組の最後には地井が1年間の視聴に対する御礼を述べていた。なお、2008年と2009年は放送されなかった。
2011年以降、土曜日の午前枠に『ちい散歩サタデー』と題した特番を不定期で放送し(スペシャルサタデー第1部、関東ローカル)、主に過去放送分(前後編形式で放送されたもの等)を再編集したものが放送されていた。地井が入院した2012年2月まで7回放送された。また、番組後半はレギュラー放送同様「いいものさがし ちい散歩くらぶ」(1〜2品を紹介)となっていた。
この土曜版はその後の散歩シリーズの週末特番(『若大将のゆうゆう散歩サタデー』『じゅん散歩デラックス→サンデーじゅん散歩』)、そして、2021年現在放送中の『週刊!じゅん散歩』へと受け継がれている。
地井が2012年6月29日に逝去した事を受け、翌日以降『ちい散歩』はもとより、様々な追悼番組が以下の通り放送された。
ちい散歩の世界を楽しんでもらうイベントとして、2010年に首都圏の百貨店(主にそごう・西武系)で5回にわたり開催されていた。イベントでは地井が描いた絵手紙の展示・販売や、地井が訪れた店のメニューや工芸品などを販売するほか、会期中の1日のみ地井も来訪しトークショーとサイン会も開催。地井の来訪がない場合もあった。八王子では生稲と萩野が来訪したが、大宮では地井らの来訪はなかった。
2008年、テレビ朝日の「地球温暖化防止プロジェクト」の一環として地球温暖化防止およびCO2排出量削減を願って、地球と健康のためにみんなで歩くことをコンセプトに企画、同年3月より番組ホームページ・携帯サイトで展開された。散歩コースの情報を携帯サイトに投稿すると、抽選でプレゼントがもらえた。散歩コースにはもちろん地井が番組で歩いたコースも登場した。
「地球温暖化防止プロジェクト」の一環として地球温暖化防止およびCO2排出量削減を願って、2009年より毎年夏に行われている。テレビ朝日六本木本社屋上にて、スタッフ総出で農作物を植え、文字通り「緑のカーテン」を生育していくプロジェクトで、サカタのタネ全面協力による。なお、初日には地井も参加した。また、経過報告については 矢島のブログ[リンク切れ] でも紹介された。
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