この項目では、東京都港区にある建築物の東京タワーについて説明しています。東京タワーを称するその他の事物については「東京タワー (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
東京タワー (とうきょうタワー、英 : Tokyo Tower )は、東京都 港区 芝公園 にある総合電波塔 [ 3] 。正式名称は日本電波塔 (にっぽんでんぱとう)[ 4] 。
1958年 (昭和 33年)12月23日 に竣工 。東京 のシンボル 、観光名所 として知られている。
2018年度グッドデザイン賞 受賞[ 5] 。
概要
創設者は前田久吉 で、日本の「塔博士」とも称される内藤多仲 らが設計(詳細は設計 を参照)。
高さは333メートル[ 1] と広報されており、海抜 では351メートル。塔脚の中心を基準とした塔脚の間隔は88.0メートル。総工費約30億円、1年半(197万4,015時間/543日間)と延べ21万9,335人の人員を要して完成した[ 6] 。地上 125メートル(海抜約150メートル)と223.55メートル(海抜約250メートル)に展望台 を有するトラス構造 の電波塔である[ 7] 。
昼間障害標識 として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ )と白色を交互に配した塗装 となっている。テレビ およびFMラジオ のアンテナ として放送電波を送出(#送信周波数・出力 を参照)、また東日本旅客鉄道 (JR東日本)の防護無線 用アンテナとして緊急信号を発信するほか、東京都環境局 の各種測定器なども設置されている。
完成当初は日本一高い建造物 だったが、高さが日本一だったのは1968年 6月26日 に小笠原諸島 が日本に返還され南鳥島ロランタワー と硫黄島ロランタワー に抜かれるまでの約9年半と、対馬 (長崎県 )のオメガタワー が解体されてから東京スカイツリー に抜かれるまでの約11年間である。自立式鉄塔に限れば、東京スカイツリーに抜かれるまでの約51年半は日本一の高さだった。2020年現在は、東京スカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物である。なお、重量については約4,000トンとされる。
運営会社
株式会社 TOKYO TOWER (英: TOKYO TOWER Co.,Ltd )は、東京都 港区 芝公園 に本社を置く東京タワーの建主であり、管理および運営を行っている。
法人概要
1957年5月、「大阪 の新聞王」と呼ばれ、当時、産業経済新聞社 、大阪放送 (ラジオ大阪)各社の社長を務め、後に関西テレビ放送 [ 注釈 2] の社長にも就く前田久吉 が日本電波塔株式会社 (にっぽんでんぱとう、英 : NIPPON TELEVISION CITY CORPORATION )を設立。久吉はタワーの完成とほぼ同時の1958年、産経新聞社を国策パルプ工業(現・日本製紙 )社長の水野成夫 に譲渡してその経営から手を引いたが、日本電波塔(東京タワー)とラジオ大阪の経営には引き続き携わった。この結果、日本電波塔は当時の産経新聞 グループはもちろん、その後のフジサンケイグループ からも完全に切り離されて前田家主導の同族企業となった。その名残で産経新聞グループから離脱する直前の1957年10月、文化放送 やニッポン放送 などと共に発足した、中央ラジオ・テレビ健康保険組合 に[ 注釈 3] 基幹会社の一社として2019年現在でも加入している[ 8] [ 9] 。また、ラジオ大阪も2005年 にフジサンケイグループ入りするまで、前田家主導で独自の経営をしていた。
久吉は千葉県 富津市 鹿野山 に1962年 、マザー牧場 を開設している関係で、2009年にはマザー牧場や日本電波塔の関連会社が同県木更津市のコミュニティFM であるかずさエフエム の株式を取得し運営しているほか[ 10] [ 11] 、同市や君津市 を中心とする地域で整備され2010年1月に経営破綻したかずさアカデミアパーク の再建スポンサーを同年8月から日本電波塔・マザー牧場・ホテルオークラ ・グリーンコアの各社が務め、経営再建を行っている[ 12] 。
1964年 には敷地内に東京タワー放送センター(現・東京タワーメディアセンター )を建設し、同年開局した日本科学技術振興財団 テレビ事業本部(東京12チャンネル)に賃貸した。この建物は、事業を承継したテレビ東京 が1985年 まで本社として使用していた。テレビ東京天王洲スタジオ 完成後の2000年 から日本電波塔による自主運営となり、2005年7月には子会社「東京タワー芝公園スタジオ」(のちに東京タワースタジオ)に移管され、2012年 に閉鎖されるまでテレビスタジオ として利用された。なお、東京タワースタジオ閉鎖後、内部改装を施し「東京タワーメディアセンター」に名称を変更、2019年1月時点でも営業を続けている。
また、1960年代に東京タワーへのアクセスとして、日本電波塔自ら浜松町 - 東京タワー間1.2キロにモノレール の敷設を計画したが、これは実現しなかった[ 13] 。
東京タワーは、全国FM放送協議会 (JFN)のキー局エフエム東京 (TOKYO FM)の大株主(学校法人東海大学 に次ぐ第2位)でもある。この他にもJFNの系列局であるKiss-FM KOBEの経営破綻による新会社・兵庫エフエム放送 (Kiss FM KOBE)にTOKYO FMとともに19.2%を出資[ 14] 。また、同じくJFN加盟局のエフエム大阪 (FM大阪)に20%[ 注釈 4] 、JFN特別加盟局のInterFM897 に9.4%[ 注釈 5] をそれぞれ出資している[ 15] 。
2018年 12月23日 、東京タワーの開業60周年を機に、運営会社の商号を株式会社東京タワーに変更[ 16] 。翌2019年 10月1日 には株式会社TOKYO TOWERに変更した[ 17] 。
沿革
1961年ごろの東京タワー
1960年 (昭和35年)
1962年 (昭和37年)3月29日 - 昭和天皇・皇后が東京タワーを見学する。天皇が訪れたのは、1958年の竣工以来はじめて。
1963年 (昭和38年) - 返還 前の東京都小笠原村 南鳥島 に、高さ411.48メートルの南鳥島旧ロランタワー が竣工する。
1964年 (昭和39年)
返還 前の東京都小笠原村硫黄島 に、高さ411.48メートルの硫黄島ロランタワーが竣工する。
4月12日 - 日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現・テレビ東京)がVHF12chで本放送開始。
1965年 (昭和40年)12月24日 - イルミネーションが連夜の点灯となる。
1966年 (昭和41年)1月2日 - 来塔者数が3,000万人となる。
1967年 (昭和42年)7月28日 - 特別展望台オープン。
1968年 (昭和43年)6月26日 - 小笠原諸島が返還され、南鳥島と硫黄島のロランタワー(411.48メートル)が日本一高い建造物となり、東京タワーは日本で3番目に高い建造物となる。
1970年 (昭和45年)
1971年 (昭和46年)8月18日 - 来塔者数が5,000万人となる。該当者は都内の23歳の男子学生で、自分が5,000万人目になれないかと思って来塔し、記念品として冷蔵庫 ・カラーテレビ ・ギフト旅行券 ・オートバイ などが贈られた。
1973年 (昭和48年)10月10日 - 体育の日 に大展望台 までの外階段 を駆け上る体力 テストを開始。
1975年 (昭和50年) - 長崎県上県郡 上対馬町 大増(現・対馬市 上対馬町大増)に高さ454.830メートルのオメガタワーができ、日本で4番目に高い建造物となる。
1977年 (昭和52年)6月1日 - 電波の日 のこの日に「電波塔の維持運営を通じて放送の普及と重要無線通信の疎通に多大の貢献」をしたとして、当時の郵政大臣、小宮山重四郎 から表彰される。
7月11日 - タワー大神宮創建(23区内でもっとも高い場所にある神社)。
1978年 (昭和53年)4月28日 - 東京タワー水族館オープン(世界初の観賞魚水族館)
1984年 (昭和59年)11月1日 - 放送大学 が大学開学に向けてテレビ放送をUHF16chで、同時期にFMラジオ放送を77.1MHzで予告放送開始(翌1985年(昭和60年)4月1日に授業開始)[ 20] 。
1986年 (昭和61年)
航空法 改正により黄赤色と白色の塗り分けを11等分から7等分へ変更し、黄赤色の赤みを強くした。
南鳥島旧ロランタワーが解体され、日本で3番目に高い建造物に返り咲く。
1988年 (昭和63年)
1989年 (昭和64年・平成 元年)
1991年 (平成3年)3月3日 - 「平成3年3月3日」で3が重なることを記念して記念展望券の発売、バッジや絵はがきのプレゼント、エッフェル塔へ招待するクイズなど数々のイベントが行われる。
1994年 (平成6年)
4月 - 「東京タワートリックアートギャラリー」がタワービル4階に登場する。
10月 - 硫黄島ロランタワーが運用停止、解体され日本で2番目に高い建造物に返り咲く。
1995年 (平成7年)
1月 - 来塔者数が1億2,000万人となり、日本の総人口に相当する人数が来塔したことを記念してキャンペーンを行う。
11月1日 - 東京メトロポリタンテレビジョン (東京MXテレビ、TOKYO MX)が東京都初の都域民間放送テレビ局としてUHF14chで本放送開始。
1996年 (平成8年)4月1日 - エフエムインターウェーブ(現・InterFM )が76.1MHzで本放送開始。
1998年 (平成10年)
12月 - 大展望台外壁を黄赤色から白色へ変更。
12月23日 - ノッポン誕生。
1999年 (平成11年) - オメガ塔(対馬オメガ局)が解体され、日本一高い建造物に返り咲く。
2002年 (平成14年)3月19日 - 特別展望台・大展望台をリニューアルオープン。営業時間を年間を通して22時までに延長。
2003年 (平成15年)
2005年 (平成17年)
2006年 (平成18年)
9月29日 - 来塔者数が1億5,000万人となる。
12月1日 - 放送大学が地上デジタルテレビ放送をUHF帯域で開始[ 20] 。
2009年 (平成21年)
2010年 (平成22年)3月29日 - 建設中の東京スカイツリーが高さ338メートルに到達したため、日本で2番目に高い建造物となる。
東北地方太平洋沖地震 の揺れにより曲がった先端のアンテナ部分(2011年 3月11日 )
2011年 (平成23年)
2012年 (平成24年)
2月1日 - 一部を除くアナログ送信アンテナの撤去を開始。また、前の地震で曲がった先端部の交換ならびに耐震補強も同時に行う。工事終了は2014年 12月を予定している[ 25] 。特別展望台行きエレベーターの改修工事にともない、同月29日 まで特別展望台の営業を休止[ 26] [リンク切れ ] 。
4月22日 - この日をもってJ-WAVEとNHK東京FMのFMラジオ放送の送信を終了。翌日 にそれぞれ送信所が東京スカイツリーに移転。移転後もNHK東京FMは予備送信所として存続。
7月10日 - 先端のSTアンテナ の撤去を夜から開始[ 27] 。長さ約25メートル、直径約37センチメートルの空洞の支柱を17分割に輪切りにして下から順に取り除く[ 28] 際には、地上306メートルの支柱底部から軟式野球 用ボールが発見されている[ 29] 。なお、撤去したSTアンテナの一部は東京タワー敷地内に保存されたほか、別の一部は同アンテナを納入した古河電気工業 の事業を継承していた古河C&B横浜測定所に保存された後、同社の全事業を譲受したミハル通信 本社(鎌倉市 )に移設されている[ 30] 。
8月3日 - 7月10日より行われていた先端のアンテナ支柱の交換作業を午前中に完了し、一時315メートルだったタワーが元の高さに戻る。円柱 だった支柱は四角柱 となり、耐震性が向上する[ 28] 。
10月1日 - TOKYO MXの地上デジタルテレビ放送の物理チャンネル切り替えのため、東京スカイツリーとのサイマル放送 を開始[ 31] 。
11月12日 - TOKYO MXの東京タワーからの電波の1回目の減力を実施[ 32] 。以後、2013年1月14日、2月4日、2月25日、3月18日に分けて段階的に減力を実施する[ 33] [ 34] [ 35] [ 36] 。
12月22日 - 7月に見つかった軟式野球用ボールが東京タワーの大展望台で常設展示される[ 29] 。
2013年 (平成25年)
2月11日 - TOKYO FMの送信用アンテナをアナログテレビ放送終了で空いた333メートルの頂上部に新設・移転し、供用を開始[ 37] 。
5月12日 - この日の正午、TOKYO MXの物理チャンネル切り替えによるサイマル放送 終了にともない東京タワーからの送信を停止[ 38] 。翌13日 18時に東京タワーからの送信を終了。
5月31日 - この日の9時、放送大学を除く地上デジタルテレビ放送7局の送信所が東京スカイツリーに移転した[ 39] [ 40] 。当初は1月に移転予定だったが電波障害 対策が必要となったため、その対策を講じてからの移転となった。送信の移転後はNHKと民放キー局5社については東京タワーを予備電波塔として使用することとなっている。
6月21日 - 国の登録有形文化財 に登録[ 41] 。
11月23日 - 2020年の東京五輪招致 の応援で、南極観測隊カラフト犬像の場所を使って招致のシンボルマークを花で描くことになったため、タロ・ジロのブロンズ像を東京都立川市 の国立極地研究所 に移転[ 42] 。
2015年 (平成27年)
2016年 (平成28年)
3月1日 - この日の正午からV-Low帯マルチメディア放送「i-dio 」東京局の本放送開始[ 49] 。開始当初はプレ放送期間と位置づけ、コンテンツプロバイダーの放送開始をもって同年7月1日 に本開局した[ 50] 。
2018年 (平成30年)
1月25日 - 来塔者が1億8,000万人突破[ 51] [リンク切れ ] 。
3月3日 - 特別展望台を「トップデッキ」、大展望台を「メインデッキ」に改称[ 52] [リンク切れ ] 。
9月30日 - 23時15分をもって、放送大学の地上波デジタルテレビジョン放送、FMラジオ放送を終了[ 53] (ただし地上波放送の放送免許自体は10月末まで有効)。東京タワー水族館が営業を終了[ 54] 。
12月23日 - 運営会社の商号を「日本電波塔株式会社」から「株式会社東京タワー」に変更[ 16] 。
2019年 (令和 元年)10月1日 - 運営会社の商号を「株式会社東京タワー」から「株式会社TOKYO TOWER」に変更[ 17] 。
2020年 (令和2年)3月31日 - この日の23時59分を持ってi-dioの放送を終了。
構想
東京タワー建設前に見られた、千代田区から港区にかけての一帯に乱立するNHK、NTV、KRTの鉄塔(1955年 1月 、港区赤坂一ツ木町〈現・同区赤坂 5丁目付近〉から撮影されたもの)
東京タワーの建設前、放送事業者各社局は個々に、高さ153 - 177メートルの電波塔を建設、自局の塔から放送を行っていた。当時開局していた日本放送協会 (NHK)は千代田区 紀尾井町 に、日本テレビ放送網 (NTV)は千代田区麹町 に、ラジオ東京テレビ(KRT、現在のTBSテレビ )は港区 赤坂 に、自前の鉄塔を建設していた(詳細は電波塔集約 の項を参照)。これらの高さだと、放送電波は半径70キロ程度しか届かず、100キロ[ 注釈 11] 離れた関東平野 東端の銚子 や関東平野北東部[ 注釈 12] の水戸 では満足に電波を受信することができなかった。また、受信アンテナ には指向性 があるため、チャンネルを変えるごとにアンテナの向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便が生じた。
さらに、鉄塔の乱立は都市景観においても好ましい状況ではなく[ 注釈 13] 、既に千代田区南西部から港区北東部にかけての一帯には先述したNHK、NTV、KRTの鉄塔が乱立する光景が広がっており、今後放送局が増加した場合、東京が電波塔だらけになる恐れがあった[ 55] 。当時郵政省 の電波管理局長であった浜田成徳 をはじめとする関係者の中で、電波塔を一本化する総合電波塔を求める機運が高まっているところ、放送事業の将来性に着目した前田久吉と鹿内信隆 [ 注釈 14] の各々によって計画され、まもなく両者の計画は一元化された。
ほかの計画案もあったが、高さ300メートルを超える案は東京タワーのみで、次に高いものは200メートル級であり、放送事業者の既存の限られた土地を利用するため、展望台のないスリムなものであった。浜田は、パリ のエッフェル塔 を超える世界最大の塔を造り、そこに展望台を設けて集客すれば、建設費は10年で元が取れると考えていた。 [要出典 ]
建設場所
建設地は安定した電波を供給するために巨大な電波塔の建設が可能な広さと強固な地盤を有していること、魅力ある展望台のために工場などの煙が景観を妨げないことなど厳しい条件が求められた。
当初は上野公園 付近への建設も検討されたが、海抜18メートルの高台にある港区芝公園 地区は基礎を打ち込むための東京礫層 地盤もより浅いところにあり、国の中枢機関や各放送事業者との距離が近いなど、報道と観光の両面に恵まれた立地であった。
増上寺の境内は25区画に分割された公園に指定されており日本電波塔株式会社は「紅葉山」と呼ばれる、以前紅葉館 という高級料亭のあった区画を購入した。土地の買収は増上寺の檀家 総代に前田が日本工業新聞 の社長時代から親交があった池貝庄太郎 がおり、増上寺との間を取り持って用地買収を成功させるよう働きかけた。また、芝公園4丁目地区の周辺一帯は建物倒壊危険度、火災危険度、避難危険度を示す地域の危険度特性評価(東京都2002年実施)において「相対的に危険度の低い町」を示すAAAの評価を得ており、防災面でも電波塔の立地に適していることがのちに判明した。
タワーから西側の住民は、飛行機の衝突、交通渋滞 、ゴミ の増加および環境 悪化で子どもに悪影響があるのではないかとタワー建築に反対の姿勢であった。東側は、当時の国鉄 浜松町駅 からタワーへ向かう客により潤されることを期待した。
設計
この塔の建設に先立ち「日本電波塔株式会社」が設立された。そして、建築設計の構造力学 を専門とする学者で、戦艦大和 の鉄塔や名古屋テレビ塔 や大阪の通天閣 の設計も行い、さらに数十本におよぶラジオの電波塔を設計した実績があり、日本の塔設計の第一人者である内藤多仲 、および日建設計 株式会社が共同で塔の設計を行った。内藤は当時話題を提供していたドイツ のシュトゥットガルトテレビ塔(英語版) (216.6メートル)を参考に鉄筋コンクリート の塔を想定した検討を行う[ 注釈 15] が、特に基礎 に関して敷地の関係などかなりの困難が伴うとの判断から鉄塔 で計算を進める方針となった[ 57] 。
前田久吉は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。1300年も前にすでに高さ57メートルあまりもある立派な塔(五重塔 )が日本人の手でできたのである。ましてや科学技術が進展した今なら必ずできる」と高さの意義を強く主張した。設計の条件として、アンテナを含めた塔の高さが380メートルで、高所に展望台を設置し、塔の下に5階建ての科学館をつくることを挙げた。東京全域に電波を送るには380メートルの高さが必要と推定されていたが、380メートルと想定して計算すると風の影響でアンテナが数メートルも大きく揺れると計算され画像が乱れる可能性が高かったため、先端のアンテナの揺れを数十センチ程度に抑え、放送に悪影響が起きず、かつ関東地方全部を守備範囲にできるぎりぎりの寸法についてさまざまに計算したところ、「全高333メートル」という数字が導き出され、偶然「3」が続く語呂合わせのような高さになった。この高さはフランス ・パリ のエッフェル塔 の312メートル(2022年現在は330メートル[ 58] [ 59] )より21メートル高く、当時の自立式鉄塔 としては世界最高という条件を満たしていた。デザインはエッフェル塔に着想を得たものであるが、航空機からも見やすいよう昼間障害標識 としてオレンジと白で塗装された[ 60] 。
当初は最上部で風速 90メートル、下部で風速60メートルの強風と大地震 [ 注釈 16] に遭遇しても安全なように、軽量化に有利な電気溶接 ではなく、重量がかさむが当時では確実な技術としてリベット による接合での構造設計がなされた。風力係数は当時の建設省建築研究所 の亀井勇教授に依頼し、風洞実験 を行った。地震力はまだ静的解析の時代であり、鉄塔では風圧力の方が支配的であったこともあり建築基準法 の地震力算定法通りk=0.16+h/400を水平震度として適用した。解析、計算はすべて手計算で、トラス の解法として一般的であったクレモナ図解法とカスティリアーノの定理 が使用された。
構造計算書 の最終チェックは自身の設計事務所の田中彌壽雄 、日建設計の鏡才吉 とともに熱海 にある早稲田大学 の保養所 「双柿舎 」に3日間缶詰状態で行われた。設計を終えた内藤は「どうかね、こんなに素晴らしい眺めはない」と言った[ 61] 。のちに立体骨組モデル応力解析ソフトウェア“FRAN”で耐力を検証しているが、かなりの精度で一致していた[ 62] 。また、加藤勉 (東京大学 名誉教授 ・(財)溶接研究所理事長)による「東京タワーの構造安全性について」(2007年 )によって、東京タワーの構造の信頼性は高いという第三者評価を受けている[ 63] 。当時の建築基準法 では建築物の高さは最大31メートル以下と決められていたが、タワーは工作物 とされ建築が可能となった。当初、地上約66メートル付近にビアレストランを設置する計画だったが、実現されることはなかった。これは、レストランにすると建築基準法に抵触したためと考えられている。
建設
1957年5月から6月末までの約45日間でボーリング調査 を行った時点で、設計は未完成であったが、短期間に完成させなければならないため、6月29日に増上寺 の墓地を一部取り壊してすでに設計の決まっていた基礎部の工事が開始された。7月15日に最終的な設計図が完成し、9月21日には鉄骨の組み立てが始まった。
施工 はゼネコン の竹中工務店 。塔体加工は新三菱重工(現・三菱重工業 )、松尾橋梁 。鉄塔建築は宮地建設工業(現・宮地エンジニアリング )が請け負った。現場指揮官は直前にNHK松山放送局 電波塔を担当していた同社の竹山正明 (当時31歳)[ 64] 。現場でのヘルメットの色は白:監督管理関係、黄:竹中工務店の社員、緑:鉄塔建方関係、灰:設備関係で色分けされた。
基礎は海抜0メートルの砂利層まで掘り下げて、コンクリートを打ち込み直径が2メートル、長さ15メートルで底の直径が3.5メートルのコンクリート製の円柱を1脚に8本打った(のちのデジタルアンテナ増設時に2本ずつ増設)。塔脚にはカールソン型応力計を埋めておき、脚を支えるための支柱をオイルジャッキ で持ち上げて脚の傾きを調節する際など、各塔脚に加わる重量の計測に利用している。タワーは脚を広げた形をしているため、重みで脚が外へ広がろうとする力が加わるが、直径5センチの鋼棒20本を各脚に地中で対角線上に結んで防いでいる[ 65] 。
高さ40メートルのアーチライン最上部までは長さ63メートルのガイデリック を使用し、次に80メートルまで組み立てるため、ガイデリックを地上53メートルのマンモス梁までせり上げ鉄骨を組み立てていった。80メートルからの組み立てはエレクター を用いて、鉄骨はエレベーターシャフト内を持ち上げていった[ 66] 。
塔脚4本が地上40メートルでアーチ形に組まれたのは1957年12月だが、アーチ中央部が加工の段階で設計より15ミリ沈んでおり、梁の結合ができずに1週間原因究明に時間を費やした。しかしこの問題は、鉄骨に開けられていたリベットを差し込む穴を15ミリずらすことで解決した。
高所までの移動は、80メートルの足場まで4分で昇る2メートル四方のゴンドラ3台で対処した。
高さ141.1メートル(H.14)地点まではリベットで組み立て、それ以上は防さびのため部材に亜鉛メッキ を行ったことで、ボルト 接合になっている。ボルトは締めたあとに溶接して固めるが夏場の鉄塔は40 - 50度まで上昇し、とび職達を苦しめた。リベットは16万8,000本、本締めボルトは亜鉛メッキ部材の現地接合に4万5,000本使用している[ 67] 。
アンテナの設置は当初、名古屋テレビ塔 や東京スカイツリーのように塔体内を吊り上げる予定であったが、アンテナ工事は台風 の多い9月に開始されたため、工事が遅れてしまいアンテナを上げる前にエレベータ設置工事を始めないと、工期に間に合わなくなってしまった。そのために、アンテナは塔本体の上に30メートルの仮設鉄塔を組んで仮設鉄塔の一面を開けておき、8つに分かれたアンテナ部材(最大14トン)を、下の部材から順に塔の外側から吊り上げていった。塔体内では吊り上げた部材に順次ボルト接合を施して組み立てていき、1958年10月14日15時47分、アンテナが塔頂部に据え付けられた。
現場鳶職人 は初期に20人。仕事が増えるにつれ常時60人、タワー上部では6 - 7人で組み立てを行っていた。若頭は当時25歳の桐生五郎[ 注釈 17] 。桐生はタワー完成翌日に、建設中に見合いをした女性と結婚式を挙げた[ 64] 。建設には渡り職人も参加している。当時の鳶の平均日給は500円、タワーでは750円だった。高さを増すごとに強風に苦しめられたが、納期があるために風速15m/sまでは作業を実施した。建設開始時は命綱どころかヘルメットすら装着せずに高所での作業を行っており[ 68] 、1958年6月30日 10時[ 64] には昇っていた鳶職1人が強風に煽られて高さ61メートルから転落死し、麓にある増上寺で葬儀 を行っている。
着工から1年3か月後(543日間)の1958年12月23日、延人員21万9,335人にて完成し、鉄塔本体の最上部に建設に携わった96人の技術屋たちの名前が刻まれた金属製の銘板 [ 注釈 18] が据えられた[ 69] 。総工費は当時の金額で30億円であった。
合計約4,000トン[ 67] の鋼材 (鉄塔本体:SS41(旧JIS 。現JISではSS400 。降伏強度 は240N(ニュートン )/mm2 [ 70] )、アンテナ支持台:SHT52相当品[ 67] 降伏強度 325N/mm2 [ 71] )が使用されたが、その中でも特別展望台から上の部分に使用されている鉄材の原料には、朝鮮戦争 後スクラップにされたアメリカ軍の戦車 約90両分が使われている[ 注釈 19] [ 72] 。これは当時の日本では良質の鋼材に恵まれず、またアメリカにとっても修理するより旧式戦車を売却して新型戦車を製造した方がメリットが大きかったためである[ 72] [ 73] 。これがバラエティ番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 』で取り上げられた際に「東京タワーの特別展望台の上はさらに特別なものだった」と形容されている[ 72] 。米軍戦車(M4, M47)を実際に解体した業者(解体スクラップは東京製鉄 で形鋼 になった)が問屋から聞いた話として「1000トンから1500トンが100メートルから上の東京タワーの細いアングルとして使われた」が伝わっている[ 74]
地上0メートル地点
タワーの高さは標高 18.000メートルを地盤 面(G.L・Ground Line)としているため、東京湾中等潮位 (T.P・TOKYO Peil)からの値を使用している[ 7] 。
タワーは丘陵地 に建っており、正面は1階が出入り口で駐車場出入り口は2階に位置している。そのためどの部分を基準としているのかがわかりにくく、タワーを訪れても基準となる目印は特に見当たらない。
一方、タワーの立面図[ 75] を見ると地盤面はフットタウン1階の床と同一に見える。
名称
「東京タワー」の名称は完成直前に開かれた名称審査会で決定した。事前に名称を公募し、最終的には8万6,269通の応募が寄せられた。
一番多かった名称は「昭和塔」(1,832通)で、続いて「日本塔」「平和塔」だった。ほかには当時アメリカ とソ連 が人工衛星 の打ち上げ競争をしていたことから「宇宙塔」、皇太子明仁親王 (明仁上皇)の成婚(1959年)が近いということで「プリンス塔」という応募名称もあった。
しかし名称審査会に参加した徳川夢声 が、「ピタリと表しているのは『東京タワー』を置いて他にありませんな」と推挙し、その結果1958年10月9日に「東京タワー」に決定した。
「東京タワー」での応募は223通(全体の0.26パーセント、13位[ 76] )であり、抽選で神奈川県 の小学校5年生女子児童に賞金10万円が贈られた。
電波塔集約
東京タワーの完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョン・日本テレビ放送網(NTV、以下「日本テレビ」)・ラジオ東京(1960年に東京放送(TBS)に改称。以下「TBSテレビ」)は、それぞれ自局の敷地に電波鉄塔を建設してテレビ放送を行っていた。
そのため、当初は1959年に新たに開局したNHK教育テレビジョン(1月開局。当時1ch)・日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日。2月開局)・フジテレビジョン(CX、3月開局。以下「フジテレビ」)が利用していた[ 注釈 20] (NHKは同年4月に総合テレビと教育テレビのチャンネルを交換)。翌1960年に赤坂のTBSテレビ(1月)と紀尾井町からの送信に変わっていたNHK教育テレビ(5月)も合流した。
当初はNHKと民放6局のアンテナを東京タワーに一本化するはずだったが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で不参加になった。しかし、実際はテレビ業界の覇権を競う産経新聞 創設者の前田久吉と、読売新聞中興の祖であり、日本テレビ創設者でもある正力松太郎 との対立といわれる。
東京タワーの完成後も日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けていたが、他局に比べて放送エリアが劣るのは否めなかった。そこで同局は自社の所有地である新宿 (現在の東京メトロ副都心線 ・都営地下鉄大江戸線 東新宿駅 付近。新宿六丁目の新宿イーストサイドスクエア 敷地)に東京タワーの2倍もの高さを持つ電波塔「正力タワー」の建設を計画して1968年5月10日 に発表。ボーリング調査や東京都に建築申請書を提出している。
さらにNHKも「NHKが民放に恒久施設を借りた例がない。そんなことをしては聴視者に責任がもてない」と1969年 7月2日 、渋谷のNHK放送センター敷地内に高さ600メートルの電波塔を建てる計画を発表する。これを受けて放送事業の監督官庁であった郵政省 は、利害関係者である日本電波塔(東京タワーの会社)を交えて話し合うことを指示するが、日本テレビは「あくまでも実行する」と発表[ 77] 。
しかし正力没後の翌1970年に、メインアンテナを麹町の本社から東京タワーへ移転することになった[ 注釈 21] 。その際、TBSが自社の予備スペースを日本テレビに譲ることで、メインアンテナのスペースを確保している[ 注釈 22] 。これにより全放送局が東京タワーに集約された。
塗装
第8回塗替塗装中のタワー。2002年 7月撮影
第9回塗替塗装中のクリスマス イルミネーション 。2007年12月撮影
建設時の塗装は地上からH.14(地上141.1m)までは鋼材を工場にてサンドブラスト してから下塗りまで塗装し、現地搬入時に2回目の下塗りをした。接合部のリベット頭・部材エッジ部は予め下塗り塗装による増し塗りが行われ中塗り、上塗りにはフタル酸 樹脂系塗料を用いて6行程行われた。H.14からH.27(地上252.65m)までは工場にて鋼材を酸洗いしてから溶融亜鉛メッキ を施し現地搬入、建方、本締めボルト接合後にジンククロメート 系さび止めペイントを塗装した。中塗り、上塗りは鉄鋼材と同様である[ 67] 。また、建築当時はインターナショナルオレンジ がさび止めの鉛丹 と間違えられ、完成した後も最終的にはどのような色になるのかまだペインティングの途中だと思っている人がいた。
東京湾 からの潮風 による腐食 の防止とインターナショナルオレンジの白化現象 が目立ち美観を保つ上でほぼ5年に1度の周期で約1年かけて外観塗装を補修しており、1回目(1965年)は磯部塗装が担当し2回目(1970年)以降は平岩塗装が一貫して請け負っている。平岩塗装の平岩高夫 会長は前田久吉から会うたびに「鉄はサビさせてはあかんからな。大事に守ってくれ」と言われている[ 78] 。
鉄塔本体の塗装工区は大展望台を境に2つに分け上部は秋に、下部は翌年の春に施工している。作業時間は日の出から営業を開始する9時までに限定されていたが現在は7時を過ぎると通勤者が増えるため、2時から7時までの5時間で作業を行う。
最上部のアンテナを除くH.27の塔体の上から順に木製の丸太で足場を組み、まずケレン落としと呼ばれる下作業をして下塗り、中塗り、上塗りと3工程が行われるがこれは全てハケ を使い人の手によって塗られる。上部のアンテナは電波を送信するため足場を組むわけにはいかず、放送電波が停止した時間に職人がアンテナをよじ上って作業をした。総塗装面積94,000m2 に使うペンキの量は34,000リットルとなり、延べ約4200人が作業に当たる。使用する塗料は一斗缶 に置き換えて縦に積み重ねると、東京タワーの2倍の高さになる[ 79] 。金属ではなく木製の丸太を使用するのは近隣への防音対策と電波への影響を避けるためであり、丸太の総数は1万本以上となる。以前にグラスファイバー のパイプを使用しようとしたことがあったがジョイント部分のクランプ の使い勝手が悪く、木製の丸太に落ち着いている。また、塗装期間中のライトアップは右写真のようにタワーに影ができる。
塗装工事の最終日には、タワーのマークと職人一人ひとりの名前が刻まれた五百円玉 大の記念メダルが職人に手渡された。
全面塗替は第1回が1965年、第2回が1970年、第3回が1976年 、第4回が1980年、第5回が1986年、第6回が1991年、第7回が1996年、第8回が2001年 、第9回が2007年に行われているがその都度塗り足しをしているため、9回の作業で完成時より約1mm塗装が厚くなっている[ 80] 。そのあと、2013年ごろに第10回目の塗り替えが行われ、2018年3月から2019年夏ごろまでの予定で、第11回目の塗り替えが行われている。塗料の性能向上により、今後は塗り替えが7年周期に延長される予定である[ 81] 。このような定期的な塗装メンテナンスにより鉄骨が錆から保護されている限り、タワー本体は半永久的に存続可能であるとされている[ 82] 。
航空法によりストロボ のような白色航空障害灯 を常時点滅させれば現在のペイントを変更することは可能だが周囲には住宅や高速道路 があり、住民への迷惑、運転者への安全を考えるとペインティングの変更は考えにくい。2008年現在は7等分の塗り分けだが、建設当時から1986年までは11等分に塗り分けていた。また、大展望台の外壁は現在は白色だが、1996年まではインターナショナルオレンジだった。
なお、塗装作業の一部にビートたけし と北野大 の父である北野菊次郎が携わっていた。
観光施設としての東京タワー
東京タワー入り口。 展望台への入場チケットなどを購入できる。
メインデッキ1階には一部にガラス張りの床(ルックダウンウィンドウ)があり、足下を眺めることができる。
下から見るルックダウンウィンドウ
Club333
メインデッキ のフロアマップ
ランドマーク点字ガイド
この塔の売り上げは観光 による収入が5割を超えている。東京近辺を目的地とする修学旅行 などにおける定番の行き先として定着している。開業翌年の1959年に当時上野動物園 が持つ年間入場者記録360万人を大幅に抜き、来塔者513万人(1 - 12月)を記録[ 63] 。一時落ち込みはあったが、現在は年間300万人が来塔している。
タワーは地方 や海外 からの観光客が多く利用し、地元の東京都民、特に港区民は「東京タワーは『おのぼりさん』が行くところ」と登ったことがないという人もいる。そのため日本電波塔株式会社では港区の小学生の招待や、社員の意識改革を行い若手デザイナー を起用し、イルミネーションなどを企画して来塔者数を増やした[ 83] 。
2008年 12月23日の開業50周年に併せ、以下の事業を行った。
2007年12月から2008年8月にかけて、フットタウンと大展望台を結ぶエレベーター を順次改修した。3基それぞれにテーマがあり最初に行った3号機は「光のルービック・キューブ 」、2号機は「UNIVERSE」、1号機は「UFO」というテーマとなっており天井には移動時に色が変わる仕組みが施されている。また、運行速度を少し速め、所要時間を1分から45秒に短縮した。
フットタウン1階にあり、来塔者の休憩所や食事スペースとして使用していたタワーホールを「東京タワーホール」に改称すると共に全スペースを多目的ホールに改装した。
2008年8月5日 からフットタウン3階の一部を改装して「タワーギャラリー3・3・3」としてオープンし、展示スペース・ショップ・カフェの3施設を併設した。
展望台
メインデッキ(旧称 大展望台 )
メインデッキは地上120mより上に2階構造で位置しており[ 注釈 23] [ 注釈 24] 、フットタウン1階からの昇りエレベーターは大展望台2階に到着して客を降ろす。帰る際はメインデッキ1階から下りエレベータに乗り込むことになる。53メートルと88メートルに避難歩廊 があり、エレベータが停止した場合には低速運転で歩廊まで移動し避難することができる。フットタウンとメインデッキを結ぶ階段 (590段)は土曜・休日・祝日に一般開放されており段の途中に段数の表記や看板 が設置してある。途中でエレベータに乗り込むことはできず、階段昇り口付近には「体調の悪い方は階段のご利用をご遠慮ください」と注意書きがある。階段を昇り切ると、シリアルナンバー入りの「ノッポン公認 昇り階段認定証」が手渡される。下り階段は平日も開放されている。なお、メインデッキとトップデッキを結ぶ階段は非常用であり、一般客は利用できない。以前は展望台に有料の望遠鏡 が設置されていたが現在は撤去され、双眼鏡の貸し出しを始めた。また、以前はガラス窓の下に小さな穴があり、そこから紙飛行機を飛ばす客もいたが現在その穴は存在しない。その他、大展望台は2002年4月のリニューアルまで眺望地点の看板の下部に広告を入れていた。メインデッキまでの車いす 利用は可能であり、AED はメインデッキ1階に設置されている。展望台レイアウトの点字 表記の他、眺望の点字表記もある。
コンセプトは「ゆったり楽しむ壮大な東京の景色」である。2018年6月の時点で段階的にリフォーム中。
ルックダウンウィンドウ(1階)
160cm×60cmの強化ガラス でできている真下が見える床。タワー正面側に2箇所ある。以前からある50cm四方のものは、浜松町駅側(東側)と赤羽橋駅 側(南側)に存在する。イルミネーションの電球を交換する作業員はここを歩き、高所での作業ができるか確認を行うことがある。
Club333 特設ステージ(1階)
毎週水、木、金曜日に開催されるコンサート やリクエストプログラムで ホームページ よりリクエストができる。
カフェ ラ・トゥール(CAFE la TOUR)(1階)
展望カフェ で、展望台の床より60cm高い床となっている。展望台では火が扱えないため、食品は電気 で温めている。コーヒー 、ミルク 、ビール 、ケーキ 、ブリオッシュ 、タワーの焼き印が入ったどら焼き などが販売されている。
グッズショップ(2階)
レンタルスコープ(2階)
ビクセン の倍率10倍の双眼鏡 を500円で貸し出している。
タワー大神宮 (2階)
東京23区の中で、最も高い位置に存在する神社 。日本電波塔株式会社の創立20周年創立記念に、事業の隆昌繁栄と来塔者の安全を祈願し1977年7月11日に奉鎮した。祭神は天照皇大神 。
なお、「大展望台」は2018年3月3日に改修とともに「メインデッキ」に改称された。
トップデッキ(旧称 特別展望台 )
特別展望台は地上223.55mに位置しており[ 注釈 25] 、当初設置されていた作業台がそのまま残されたものである。開業から10年間程、放送設備や機材の倉庫 として使われ、オープンは1967年7月になってからである。特別展望台からは都心 を始め都内の街並みを一望でき、天候が良ければ神奈川 ・埼玉 ・千葉 の各県の街並みや富士山 などの山々も見ることができるが、天候その他の理由により営業を中止することがある。以前は入場の仕方が違い、入場料は大展望台(現:メインデッキ)の入場料に加算して支払う必要があった。入場チケットには番号が振られており、大展望台2階の天井に備え付けられている液晶ディスプレイ に「リザーブチケット番号○○までの方ご案内中です。これからチケットを購入すると○○分」などと表示され入場制限を行っていた。現在は予約制である。
特別展望台(現:トップデッキ)のトイレ は洋式で男性用、女性用が用意されている。公衆電話 はあるが売店、自動販売機はない。ゴミ入れはあるが穴が缶くらいの大きさのため、基本的にゴミは持ち帰りである。かつては大展望台2階からは「風と光のプロローグ 」というテーマで装飾された階段とエスカレーター を使ってトップデッキ行きエレベーターホールまで行ったが、現在は違う。このため車いすは利用できない。AEDは設置されている。2018年3月の大規模修繕時に「特別展望台」は「トップデッキ」に改称された。
リフォーム後はジオメトリックミラーやLED照明で美しく仕上がっている。内装デザインはKAZ SHIRANE、内装デザイン補助プログラムは合同会社髙木秀太 事務所が担当した。
また、チケットは事前にインターネットで予約 するか、1階のチケット売り場で予約する形態になっている。観光する際はツアーをするような形態で、「トップデッキツアー 」と呼んでいる。
フットタウン
タワーの下にある5階建ての観光・娯楽施設で、以前は「タワービル」と呼び科学館でもあった。タワーのおもりとして設計されている。過去にはTEPCOタワーランドやフジテレビタワープラザといった東京電力 やフジテレビのショールームも入居していた。
現行施設
2023年時点の施設[ 85] 。2022年4月に国内最大規模のe-sport パーク「RED° TOKYO TOWER 」がオープンした[ 86] [ 87] 。3階から5階のRED° TOKYO TOWERエリアは入場チケットが必要(施設内アトラクションは無料)。
屋上
メインデッキへの直通階段やチケット売り場が設けられている。晴天時にはメインデッキから降りてきたエレベータは屋上で客を降ろす。
5階
RED° TOKYO TOWER - ULTIMATE ZONE
4階
RED° TOKYO TOWER - ATTRACTION ZONE
3階
TOWER GALLERY
TOKYO TOWER OFFICIAL SHOP GALAXY(直営売店)
マザー牧場 カフェ
RED° TOKYO TOWER - INSPIRATION ZONE
2階
駐車場直通の出入り口と、モスバーガー側に西出入口がある。
東京おみやげタウン
飲食店
雑貨店
コンビニエンスストア(ローソン )
1階
正面入り口
チケットカウンター
展望台直通エレベーター乗り場
東京タワーホール2
飲食店
地下
東京タワーホール - 400平方メートル、200人(立食時)収容のイベントスペース[ 88] 。
過去施設
ライトアップ
イルミネーションは1958年12月21日 に実験的に灯され、開業から20日間毎晩点灯された。その後は日曜、祝日の前夜に点灯し1964年の東京オリンピック 中は連夜点灯。これが好評であったために1965年のクリスマスイブから連夜の点灯となった。電球は鉄塔の四隅に5m間隔で250灯配置していたが随時増えてゆき、1976年には696灯(塔体384灯、アンテナ88灯、特別展望台96灯、大展望台128灯)となった。電球が切れた場合はその都度交換しに行くのは手間がかかるため、ある程度切れたら交換していたが所々光が途切れている部分は目立ち、ある芸能人から「地方から東京に帰ってきてタワーを見ると、電球が切れていて気になる」と指摘を受けている[ 91] 。
ランドマークライト
タワーに直接光を当てることで塔体を浮かび上がらせる方式を採用したライトアップで、1989年元日より実施している。時間は日没 から深夜0時までの間。開業30周年記念により照明デザイナーの石井幹子 に依頼し、昼よりも夜の方が奇麗だと言われるライティング を目指してデザインされた。また、余計な重量をかけず、エッフェル塔の半分の電気容量を目標とした。照明はデジタルアンテナ部分12灯、特別展望台上部16灯、特別展望台から大展望台まで40灯、大展望台下部16灯、大展望台からタワービル屋上まで84灯、塔脚部12灯の計180灯で構成[ 92] され以前は1日あたりの電気料金は2万4000 - 2万5000円程であった。季節に合わせてライトの色も変化させており春・秋・冬(10月2日 の夜 - )は暖光色の高圧ナトリウムランプ のライトアップ、夏(2010年は7月17日 - [ 93] )は涼しげな白色のメタルハライドランプ の照明になる。また、イベントなどで違う色にライトアップする場合もある。照明の電球交換は当時・幸陽電気が担当していたが1998年に解散。その後カサキ電気工事を立ち上げ、関電工 の請負としてメンテナンスをしている。電球交換は8時半から始め16時半に終了し、切れているところはないか確認してから解散となる。取り替えた電球は次のシーズン に使っている。
ダイヤモンドヴェール
ダイヤモンドヴェール
2008年12月1日 から実施している新たなライトアップで、50周年プロジェクトの一貫。ランドマークライト同様石井幹子によるデザイン。17段ある光の階層それぞれが7色に発色することができるLED を使用し、各色にはメッセージが込められている。20時 - 22時までの2時間限定のライトアップであり、ライトアップスケジュールは ホームページ にて確認できる。日没からはランドマークライトが点灯して20時に消灯。ゆっくりダイヤモンドヴェールが ライトアップ されて22時に消灯。再度ランドマークライトが点灯される。このライトアップをテーマにしたラジオ番組がTOKYO FM(エフエム東京)で制作・放送されている(「東京タワー・プレゼンツ・ダイヤモンドヴェール」)。
電気料金は2008年12月時点では投光器 の精度がアップしたことと中間部照明器具に消費電力の少ないLEDを使用していることにより、約1万8520円と約25%の省電力となっている[ 94] 。
過去に「乳がん 撲滅キャンペーン(ピンクリボン デー)」で桃色、映画 『マトリックス・リローデッド 』のプロモーション やアイルランド と日本の外交関係50周年の記念として緑色、地上デジタル放送のプロモーションや世界糖尿病 デーで青色のライトアップを実施したこともある。
2000年から年末年始 (クリスマス終了から1月中旬まで)に大展望台の窓ガラス の外側に西暦 の数字を装飾している。時間は16時30分 - 翌朝8時まで。ただし、大晦日は西暦表示の切り替え作業のため、0時から8時までの点灯となる。
2005年12月の地上デジタル放送のプロモーションで「地デジ」の文字や、2016年 の東京オリンピック招致 でオリンピック の色を使った「Tokyo」「2016」の文字を装飾していた時期があった。クリスマスには大展望台にピンクのハートが点灯される。
2007年の第58回NHK紅白歌合戦 では総合優勝を決めるにあたり従来のそれぞれの審査カテゴリー別の得票最多チームをボールで数える「玉入れ 方式」を行わず、東京タワーのライトアップに拠って最終成績を決めるという試みを行った。
2008年クリスマスの期間中(2010年は12月1日 - 26日 )、毎日19時半に一旦ランドマークライトアップが消灯し大展望台にピンクの ハートマーク や大展望台から地上へ繋がるフラッシュライトがクリスマスソングに合わせて光のショー「東京タワークリスマス・ライトダウンストーリー」を展開する。
スポーツ大会で日本を応援する時や、優勝した場合には特別ライトアップが行われる時があり、夏・冬のオリンピック ・パラリンピック で日本人選手・チームが金メダル を獲得した時[ 95] 、2009年のワールド・ベースボール・クラシック で侍JAPAN が連覇を決めた時、サッカー日本代表 がFIFAワールドカップ南アフリカ大会 出場を決定した時、更には2011年にFIFA女子ワールドカップドイツ大会 でサッカー日本女子代表 が優勝した時には祝賀のライトアップを行った。
2011年 に、石井の提案により東日本大震災で落ち込んだ日本を応援するべく、大展望台に8400個のLEDで「GANBARO NIPPON」の文字装飾を4月11日 から16日 まで行った[ 96] 。電力は太陽光発電でまかなわれ、その後ハートマークの装飾も実施した。また、6月20日 には世界難民デー にあわせ、国際連合 に使用されている色にライトアップされた。
2013年 7月18日から7月21日までの4日間は、同月19日から10月6日まで開催の「藤子・F・不二雄 展」に合わせ、青・赤・黄を基調としたドラえもん カラー(青は体色、赤は首輪、黄は鈴)にライトアップされた[ 97] 。また、9月3日 のドラえもんの誕生日に合わせ、同年9月2日から9月4日までの3日間にも再び同色にライトアップされた[ 98] 。
2015年 11月15日 は2日前に発生したパリ同時多発テロ事件 への哀悼の意味を込めて、東京スカイツリーとともにフランスの国旗 と同じ青・白・赤にライトアップされた[ 99] 。
2017年 9月23日 は当日に番組終了を迎えたテレビ朝日系 『SmaSTATION!! 』が番組開始から16年間、東京タワーをバックにオープニングの挨拶をしてくれたことに対する感謝の意味を込めて、22時30分から2時間限定で番組テーマカラーである青色にライトアップされた[ 100] [ 101] 。
なお、ライトアップには事前に決められた年間カレンダー[ 注釈 27] に沿って、デザイナーなど専門家の監修やプログラミングを経て行われている。大展望台の窓文字も職人が窓にLEDのパネルをはめたり、配線などの作業が必要なことから10日前後の日時が必要となる[ 103] 。
ライトダウン
設備の点検・工事などの夜間作業が行われる場合を除きライトアップの照明は0時に消灯されていたが「東京タワーのライトアップが消える瞬間を一緒に見つめたカップル は永遠の幸せを手に入れる」との噂が広まり、0時前になるとライトダウンの瞬間を見ようとする多くのカップルが集まるようになった[ 104] 。これは漫画『部長島耕作 』で恋人の誕生日にケーキに立てるろうそく の数を1本少なく間違えた主人公・島耕作がタワーの灯を巨大なろうそくに見立てて0時の消灯と同時に吹き消して見せるシーンがあり、これが伝説の由来となっている可能性が高い[ 105] 。
ライトダウンは施設管理部電気課の職員がスイッチを操作するがアンテナの設備点検や工事があるために0時以降もライトダウンしないと「なぜ今日は消えないのか」と毎回問い合わせがあるため、現在は0時[ 注釈 28] に消灯して再度0時半頃に点灯することになっている。スイッチは回転式で、大展望台の上と下を別々に操作することができる。ランドマークライトからダイアモンドヴェールに切り替わる際にもライトダウンを見ることができる。
また、2011年3月12日 以降、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のため自主的なライトダウン[ 106] を同年5月10日まで終日行った[ 107] 。5月11日 から13日 の3日間は白色のダイヤモンドヴェール(追悼の光)を実施し、その後は自然エネルギーを取り入れるなどさらなる省エネに努めライトアップを再開している。
写真撮影
東京タワーから約1.2kmの距離にある世界貿易センタービル 40階の展望室から焦点距離45mmレンズにて撮影。左手前に増上寺 、左奥に六本木ヒルズ が見える。
東京都心部にある観光地であり、地上300mを超える光の塔となるタワーには写真 撮影 をする地方や海外からの観光客が跡を絶たない。人とタワーを一緒に撮影する場合、敷地内ではタワーが近すぎ、また巨大であるために身をかがめて撮影する人々が見受けられる。子供 を撮影するに至っては寝転がって撮影する人もいる。そのために東京タワーには正面入り口左側に記念撮影用の立て看板が設置されている。この写真は順光 となる2階出入り口側の2号塔脚付近で撮影されており、団体客の集合写真も2階出入り口付近で撮影される。
正面入り口側からの日中の撮影では、逆光 で顔が黒くつぶれるためにフラッシュ が必要となる。ただしその場合、タワーは暗く写るので注意が必要だが最近のカメラは自動で逆光補正を行う機種もあるためHDR やオートで撮影するのも手である。
地上デジタル放送
地上デジタル放送開始
地上デジタル放送用の送信アンテナをどこに設置するかについては多摩地区、上野地区、秋葉原 地区などから誘致提案が出された。しかしサービスエリア や航空路 との関係などの面でいずれも決定的ではなく、2003年12月1日からの関東地区での地上デジタル放送開始に対応する仮の措置として従来アナログテレビ放送を行って来た東京タワーの施設を拡張する形で設置されることになった。このため大展望台の直下、135 - 145mの高さに送信設備室を増築し特別展望台の上の塔体最上部に直径13m、高さ11mの筒型のアンテナを設置した。
地上デジタル放送移行に伴う問題
デジタル テレビ電波はアナログ テレビ電波に比べて送信所 に近い地域(強電界 地域)では受信電波障害 の範囲が狭くなるが、送信所から遠い地域(中、弱電界地域)ではアナログテレビ電波同様に障害が発生する[ 108] 。
2013年(平成25年)まで、東京タワーでは地上デジタル放送 波の送信を行っていた。これは暫定的な措置であり、2011年(平成23年)7月24日の地上デジタル放送全面移行後、今後さらに超高層建築物 が建設されることも踏まえ、東京タワーの高さでは受信電波障害の問題を解決できず、(2009年の時点では)首都圏域すべて(アナログテレビの放送区域)をカバーし切れないと言われていた。
東京スカイツリーの建設
この問題は、2000年代 初頭から既に想定されていたが、2003年(平成15年)12月1日の地上デジタル放送開始には間に合わなかった。しかしその頃から、東京タワーに代わる新しい電波塔の建設が検討され始め、同年12月17日 に東京タワーの電波障害を解消するためにNHKと民放キー局で構成する「在京6社新タワー推進プロジェクト」が発足。候補地については東京23区 および近隣の数都市が名乗りを挙げて協議を重ねた結果、2006年 に新塔の建設予定地が墨田区 押上 にある東武鉄道 の貨物操車場 跡地に決定。ここに新塔「東京スカイツリー 」(以前は仮に「第2東京タワー」や「新東京タワー」「すみだタワー」などと呼んでいた)を建設することとなった。2008年7月14日 に着工し地上デジタル放送への全面移行後の2012年2月29日 に完成、同年5月22日 に開業した。高さは634mで電波塔としては世界一を更新し地上350m地点に展望デッキ(第1展望台・フロア340-350)、450m地点に展望回廊(第2展望台・フロア445-450・最高地点451.2m)を設置する[ 109] 。建設費400億円。総事業費は約650億円[ 110] 。本放送は2013年 5月31日 9時に開始された(東京タワーからの送信所切替)。
東京タワーの処遇について
一方、東京タワーを管理する日本電波塔は、2007年(平成19年)9月21日、放送局各局のデジタルテレビ完全移行後に、塔頂部にある現在のアナログテレビ用スーパーターンスタイルアンテナを撤去し、その場所へデジタルテレビ用アンテナを設置することで、アンテナ位置を80 - 100m上方に移動する方針を主軸とした、東京スカイツリーへの対抗案(東京タワーイノベーション計画)を打ち出し各テレビ局に打診した。80m改修案の場合、タワーの高さは変わらず、費用は約40億円とされ、各局の放送設備もそのまま流用できるなど、東京スカイツリーの建設に比べると圧倒的にコストを低く抑えられた。なお、材質には軽量の炭素繊維 などを用いた場合、大掛かりな補強工事の費用は必要なく、改装費用はさらに減額することが可能であった[ 111] [ 63] 。
2010年(平成22年)9月27日、日本電波塔はNHKおよび民放テレビキー局5社との間でテレビ送信(NHKはFMも含む)の東京スカイツリーへの移行後、災害時などで東京スカイツリーから電波が送れない場合の予備電波塔として、東京タワーの利用契約を結んだ[ 112] 。
2018年 (平成30年)9月30日 、地上デジタルテレビ放送への完全統合後も、東京タワーから送信を続けてきた放送大学 地上波放送が、放送衛星 を利用した衛星放送 に統合されたことを受けて廃止となることから、東京タワーのテレビ放送の常時送信が終了となった。なおラジオ放送のinterfm 、TOKYO FM は継続して東京タワーからの送信を行っているほか、地デジ・NHK-FMの予備送信所機能も継続されている[ 113] 。
放送施設としての東京タワー
日本電波塔
送信所名
東京タワー 局名
東京放送局 送信波
地上デジタルテレビ放送 FMラジオ放送 V-Low帯マルチメディア放送
送信塔
1塔 空中線形式
3素子2L5段15面 2系統 NHK-DG・NHK-DE・EX-D・CX-D・TBS-D・NTV-D・TX-D【予備送信所】2L2段4面(北方向のみ1段) TOKYO FMSG8段4面 NHK-FM【予備送信所】2L1段4面 InterFM2L4段4面 UD-FM
運用終了
ST6段 NHK-TG・NHK-TE2D8段4面 EX-A・CX-A・TBS-A・NTV-A・TX-A・UD-A3素子2L2段14面 MX-A・MX-D3素子2L5段15面 2系統 UD-DST6段4面 D-RADIOSG8段4面 J-WAVE・NHK-FM
送信放送局
【メイン送信所】TOKYO FM (TFM)InterFM897 【予備送信所】NHK東京 (テレビ・FM)日本テレビ (NTV)TBSテレビ フジテレビ (CX)テレビ朝日 (EX)テレビ東京 (TX)
空中線電力
デジタル :10kWFMラジオ :10kWマルチメディア放送 :10kW
運用終了
アナログ :映像50kW(テレビ各局)、10kW(MX)デジタル :3kW(MX)、5kW(UD)デジタルラジオ :2.4kW
指向性
無し 放送区域
関東平野 一帯 受信世帯
約14,000,000世帯
開局
1959年 1月10日 設置場所
〒 105-0011 東京都港区芝公園4-2-8 特記事項: 地上デジタル音声放送は2011年 3月31日 、地上アナログテレビ放送は2011年7月24日 に運用終了 テンプレートを表示
アンテナ配置(東京スカイツリー建設前)
デジタル放送用アンテナと特別展望台
放送区域
発信される電波は、関東平野一円の半径100km圏を範疇とする。
テレビ・FMとも基本的には関東平野一帯。それ以外の地域は近隣中継局やケーブルテレビなどで受信する。TOKYO MX(東京スカイツリーへ移転)は受信できる範囲が限られていた。
そのほかは受信感度が劣るものの、山梨県 ・長野県 ・新潟県 ・宮城県 ・福島県 ・静岡県 中東部のそれぞれ一部地域でも受信ができる。
災害などによって、東京スカイツリー から放送電波を送信できない場合に備え、冗長性 担保のため東京タワーを災害時の予備の電波塔としてバックアップ する契約が、2010年(平成22年)9月27日に、日本電波塔株式会社とNHK ・在京キー局 5社との間で結ばれた[ 112] 。なお、NHKは地上デジタルテレビのほかFM放送 も含まれている。
施設
建設当初からのアナログテレビ放送送信所(送信機 室)はタワービルの5階にある。ただし5階は各放送局の送信設備などが置かれた機械室となり、保安上や安全上(感電事故等防止)の面から、関係者以外は立入禁止である。
なお、1997年3月10日にフジテレビで放送された『FNNスーパータイム 』でフジテレビの河田町からお台場への電波の引っ越し のニュースを放送した時や2008年9月にフジテレビONE(当時:フジテレビ739) で放送された『ばら・す 』では、フジテレビのアナログテレビ送信設備の一部が放送されたほか、2011年3月にNHK総合 ・NHK BS2 で放送された『ブラタモリ 』(第2シリーズ)ではNHK教育テレビのアナログテレビ送信設備の一部が放送されている。また、2011年7月24日深夜(25日未明)にテレビ朝日で放送された『ANN NEWS&SPORTS 』や同年7月25日朝にNHK総合で放送された『NHKニュースおはよう日本 』でも技術職員によるアナログ放送の完全停波作業のニュースが伝えられた際、それぞれのアナログテレビ送信設備の一部が放送されている(NHKは総合テレビの設備)。さらに、2013年5月31日9時に行われた地上デジタル放送の東京スカイツリーへの送信所完全移転の際には、関東ローカルニュースにて、東京タワーからの電波を止める瞬間の模様を放送した際に各局のデジタル送信所の一部が放送された。
地上デジタル放送用送信機
送信機は2層を使って設置されており上階にNHKのテレビジョン放送2波分、放送大学と地上デジタル音声放送の実用化試験放送用(後1者は廃局済)、下階に民放 テレビジョン放送5局分、それぞれの送信機を設置。なお、TOKYO MXは単独設置(アナログ送信機と共用)であった(移転済)。送信機は共通仕様に基づき設計された固体化水冷式で最大出力10kWが得られる。
地上デジタル放送送信設備室はフットタウンと大展望台を結ぶ階段からでないと入ることができない。なお、前述のとおり放送大学以外の局については2013年5月31日9時以降、予備送信所となっている。
地上デジタル放送用アンテナ
特別展望台とアナログ放送用アンテナ部分の中間、高さ260 - 280mのところに直径13m・高さ12mの円筒形のアンテナを設置した。これは「3素子型2L双ループアンテナ 5段15面4系統」といわれるもので、ループ型アンテナを構成するエレメントを10段30面に配置している。そして赤に塗装された上5段分から3波、白に塗られた下5段分から4波が送信される。このアンテナは前述の通り、当初は親局として使用されていたが放送大学以外の局に関しては2013年5月31日9時以降は東京スカイツリーからの送信が不可能になったときの予備アンテナとなっている。放送大学もBSデジタル放送に一本化するため、2018年9月をもって地上波での放送を終了しており、同年10月以降は東京タワーを親局として運用している地上デジタル放送は無い。
地上デジタル音声放送用のアンテナは特別展望台の直下、高さ約245mのところにプレートパラボラアンテナ が設置されている(2011年3月31日の全局廃局に伴い、同年6月にアンテナ撤去)。これらの設備追加により塔は420tも重量が増加したとの案内が行われていた。2001年、タワーへのアンテナおよび送信機室の設置に伴って構造安全性が再検討され2003年から2005年春にかけて塔の構造材に鋼板による補強[ 115] と塔脚一本につきコンクリート杭(アースドリル工法 ・直径3m、深さ約18.5mの基礎杭)が2本ずつ増設[ 116] された。
2003年の運用開始当初はアナログテレビの混信を避けるため出力の抑制・指向性が掛けられていたが、アナアナ変換 による対策がこの地域で完了した2005年までに無指向性・所定の出力となった。
地上アナログ放送用アンテナ
アナログ放送のアンテナは塔頂部からNHK総合と教育(STアンテナ6段にて二重給電)、テレビ朝日、フジテレビ、TBSと日本テレビ(併設)、テレビ東京と放送大学(併設。ただし、放送大学のUHF送信アンテナはスキュー配列[ 注釈 29] )(以上広域放送 、NHK教育のみ全国放送 )の順で塔頂部からH.27(地上27番目の鉄骨の水平材、桁)までのゲイン塔に設置されていた。ただし、TOKYO MXは開設が放送大学より後なのと県域放送 (東京都のみでの放送)のため一段低い場所にあった。保守、管理をしていたのは電気興業 。設計は同社の鈴田豊次(当時25歳)ら新米ばかりの若いチームだった。アンテナは送信波長の関係から太くできないため、直径17cmのステンレス丸棒を溶接したものを使用していた。ここから送信された電波は160km離れた栃木県 那須湯本 まで届いた[ 117] 。
地上アナログテレビジョン放送の終了に伴い2011年7月25日0時に送信を終了し、地上アナログ放送用アンテナは2012年7月までに撤去された。
スーパーターンスタイル(ST)アンテナ6段(
古河電気工業 納入)と、下部に2ダイポール(2D)アンテナ
真下より撮影 右下はデジタル放送用アンテナの一部
STアンテナ6段のうちの1段分(現在は
NHK放送博物館 に展示)。
FM放送用アンテナ
これらの放送局のアンテナは頂上部のTOKYO FM、特別展望台直下のNHK-FM(予備送信所)、interfmの順に設置されている。
特別展望台直下のアンテナは、NHK-FM・TOKYO FM・J-WAVEの3局が、1つのアンテナを共用していたがNHK-FMとJ-WAVEについては東京スカイツリーに送信設備を移転、TOKYO FMも後述の通り頂上部に移している。NHK-FMは引き続き予備送信所として残るが、J-WAVEは本社のある六本木ヒルズ森タワー 屋上の予備送信所を継続利用するため使用されていない。以前はNHK-FMとInterFMの中間に放送大学のアンテナが設置されていたが、前述のテレビ放送同様BSデジタル放送への一本化のため2018年9月をもって地上波での放送を終了している。
2013年2月11日より、TOKYO FMのアンテナが、NHK東京 のアナログテレビのあったタワー頂上部に新設された[ 37] 。当初の計画では2012年1月に、従来のNHKアナログテレビのアンテナを転用して送信する予定だったが、前述の東日本大震災によるアンテナ破損があったため、旧アンテナを撤去して新設することとなった[ 118] 。
InterFMでは開局時期が遅いこともあり、当初は地上150mの大展望台の直上という低い位置、ラジオNIKKEI の中継アンテナと同じ場所にあった。その後、首都圏の高層建築物の増加に伴って受信環境が悪化していたことから、アンテナを従来より高くした上で、かつ同じ周波数では混信 が発生するため、同時に送信周波数76.1MHzを変更することとなった。2015年6月24日に総務省から変更許可を受け[ 119] 、同月26日より試験放送を開始[ 43] 、30日18時より本放送を開始した[ 44] 。10月31日まで移行期間として新旧周波数でサイマル放送 を行い、11月1日より送信周波数を89.7MHzに一本化した。
この他、以前は大展望台の直下にAMラジオのニッポン放送 のラジオ中継用のアンテナがあった。
テレビ中継回線設備
一般視聴者向けの放送アンテナ以外に、テレビ局は素材を遠方の取材先から演奏所 に送るためのマイクロ波による中継システムを持つ。この塔には、送られて来たマイクロ波を受信するアンテナが、FM用送信アンテナ群の直下から大展望台にかけて設置され、遠隔操作で取材地方向に向けることができる。また、タワー自体による死角ができるので、対向する2個所1組で運用。これらのアンテナで受信した電波は、映像専用の回線を通じて各放送局の演奏所に送られる。
キー局が共同取材で素材を融通し合う場合があるが、アナログ放送時代は「タワー分岐」と呼ばれる作業により、送信所への中継回線の予備回線を利用して各局に映像素材を配信できるようになっていた。デジタル放送開始後は、ネクシオン が提供する映像伝送サービス「ネクシオンHD分岐」に移行した。
なお、光ファイバー による大容量の伝送回線網が日本全国をカバーしたため、放送局相互用マイクロ波回線(NTT中継回線 )は廃止された。
送信周波数・出力
地上デジタルテレビジョン放送
予備用
アナログVHFから移行した以下の7局は2003年 12月1日 から本放送を行ってきたが、2013年 5月31日 9時を以って東京スカイツリー に主送信所を移転したことに伴い東京スカイツリーから送信できなくなった場合の予備送信所に移行した。
FMラジオ放送
常用
予備用
2012年4月23日 の放送開始から主送信所を東京スカイツリーに移したため、東京スカイツリーから送信できなくなった場合の予備送信所に移行した[ 133] 。
周波数 (MHz)
放送局名
コールサイン
空中線電力
実効輻射電力
放送対象地域
放送区域 内世帯数
運用開始日
82.5
NHK 東京FM
JOAK-FM[ 133]
5 kW[ 133]
11 kW[ 133]
東京都
-
1969年 3月1日
コールサインは、主放送に対するもののみ。
NHK-FM放送の開始日は、全国一斉本放送の開始日。
廃止された放送局
地上デジタルテレビジョン放送
廃止日:2013年5月12日(東京スカイツリーへの移転のため)、2018年10月30日(BSデジタル放送移行のため)
地上アナログテレビジョン放送
廃止日:2011年7月24日(放送法による一斉免許失効のため)
チャンネル
放送局名
コールサイン
空中線電力 (映像/音声)
実効輻射電力 (映像/音声)
放送対象地域
放送区域内世帯数
運用開始日
1
NHK東京総合
JOAK-TV
50kW[ 134] /12.5kW
240kW/60kW
関東広域圏[ 134] [ 143]
不明
1959年 4月6日
3
NHK東京Eテレ
JOAB-TV
270 kW/69 kW
全国放送[ 134] [ 143]
1959年1月10日
4
NTV日本テレビ
JOAX-TV
370 kW/94 kW
関東広域圏[ 134] [ 143]
1970年11月10日
6
TBSテレビ
JOKR-TV→ JORX-TV
380 kW/95 kW
1960年 1月17日
8
CXフジテレビ
JOCX-TV
370 kW/92 kW
1959年3月1日
10
EXテレビ朝日
JOEX-TV
370 kW/91 kW
1959年2月1日
12
TXテレビ東京
JOTX-TV
370 kW/93 kW
1964年 4月12日
14
TOKYO MX
JOMX-TV
10 kW[ 134] /2.5 kW
17 kW/4.2 kW
東京都[ 134]
1995年 11月1日
16
放送大学
JOUD-TV
50 kW[ 134] /12.5 kW
330 kW/81 kW
関東広域圏 (授業実施予定地域[ 134] [ 143] )
1984年11月1日[ 20]
コールサインは主放送に対するもののみ。
NHKは当初教育テレビ(Eテレ)が1chで開局。その数か月後紀尾井坂送信所から放送していた総合テレビとチャンネルを入れ替え、一旦タワーからの教育テレビ送出を終了。翌年TBSの送信所移設に合わせて再度タワーからの放送を開始。
日本テレビの運用開始日は、麹町二番町に当時あった本社から送信所を移した日付。2012年10月1日、「日本テレビ分割準備」が持株会社に移行する「(旧)日本テレビ」から免許を継承、同日、「(新)日本テレビ」に商号変更した。
TBSテレビは1955年4月1日に「ラジオ東京テレビ」として開局。1960年11月29日に「東京放送(TBS)」と改称。段階的に進めてきた分社化・持株会社制移行に伴い2001年 10月1日にコールサインを変更。2009年4月1日、「TBSテレビ」が持株会社に移行する「東京放送」から免許を承継した。
テレビ朝日は当初「日本教育テレビ(NET)」として開局。1977年 4月1日、「全国朝日放送(ANB)」に社名を変え「テレビ朝日」の通称使用を開始。旧本社を含む六本木ヒルズ再開発落成による原点の地再復帰に際し通称を正式社名とした。2014年4月1日、「テレビ朝日分割準備」が持株会社に移行する「(旧)テレビ朝日」から免許を承継、同日、「(新)テレビ朝日」に商号変更した。
テレビ東京は当初「日本科学技術振興財団テレビ局」として開局し、「東京12チャンネル」を通称として使用。経営再建、教育局解除により1973年 11月1日に新民放「東京12チャンネル」として再出発し1981年 10月1日に現在の社名となった。
放送大学は放送局の開局日で、大学の授業開始日ではない。また、免許は大学ではなく大学を経営する法人に与えられていた。これは運用中のデジタルテレビ・FM局も同様。
地上デジタルラジオ放送実用化試験
廃止日:2011年3月31日(実用化試験放送終了のため)[ 144]
FMラジオ放送送信設備
廃止日:2012年4月23日 (東京スカイツリーへの移転のため、J-WAVE)、2015年10月31日 (下記周波数の運用終了のため、InterFM)、2018年10月30日(BSデジタル放送移行のため、放送大学)
マルチメディア放送
廃止日:2020年3月31日(運用終了のため)[ 150]
比較
日本国外の建造物については東京タワーの高さを超える主要建造物のみ掲載。
ギャラリー
地デジアンテナ増設前の東京タワー
東京タワーと東京スカイツリー
東京タワー内に設置されている、「タワー大神宮」
特別展望台(2010年撮影)
特別展望台の室内(2011年撮影)
東京タワー水族館入口
1号塔脚
1号塔脚
春の東京タワーと増上寺(2011年撮影)
以前の写真
1970年代頃
1989年以前のライトアップ
東京モノレールや霞が関ビルも見られる
夜景・ライトアップ
2020年五輪招致記念ライトアップ。六本木より(2013年12月)
2020年五輪招致記念ライトアップ、夕刻に点灯した文字部分をクローズアップ撮影(2013年12月)
夕方の東京タワー(2012年)
東北地方太平洋沖地震にて電力不足となったため、節電に協力する東京タワー(2011年)
クリスマスのライトアップ(2010年12月)
世界糖尿病デー のダイヤモンドヴェール(2010年11月)
冬のライトアップ(2010年10月)
天皇・皇后の金婚記念のライトアップ(2009年
4月9日 ・
4月10日 )
50th Anniversary(2008年)
「
地上デジタル放送 」関東フルパワー送信記念(2005年12月)
乳がん撲滅キャンペーン期間限定(
ピンクリボンデー )のライトアップ(2005年10月)
「東京タワー」の名称を使用した企業
1963年4月15日 に東京タワーを使用した社名として「東京タワー観光バス」が設立された。同社は1969年10月2日に国際興業 に買収され、1972年 4月1日に合併された。
関連会社
株式会社東京タワースタジオ
株式会社東京タワーパーキングセンター
東京タワーを扱った作品
東京タワーはその時代や東京という地理的背景を説明するためのシンボルとして、建設以来実にさまざまな小説や映像作品の中に登場している。本項では、数多の作品の中からその一部を紹介する。
テレビドラマ・映画・小説・落語
※怪獣ものは、下方に別項「怪獣もの 」としてまとめる。
漫画・アニメ・特撮
※怪獣ものは、下方に別項「怪獣もの 」としてまとめる。
怪獣もの
怪獣 と東京タワーは縁が深い。最初に東京を襲った大怪獣はゴジラ であるが、その際には東京タワーを破壊していない[ 注釈 33] 。しかし1958年の東京タワー完成後は数多くの怪獣映画に登場し、特にテレビで怪獣ものが流れるようになってからは頻繁に破壊されるようになった[ 154] 。
なお、日本の怪獣映画のスターであり、最初の映画怪獣でもあるゴジラが東京タワーを倒したという印象が広く浸透している。たとえば、下記の小松左京の小説地球になった男 にも「型通り東京タワーをへしおり 」と書かれてある[ 155] 。同様の例として、清原なつの の少女漫画作品である『ゴジラサンド日和』ではリバイバルのゴジラを見に行ったかつてのカップルを描写したシーンでゴジラが「うりゃっ」というかけ声とともに東京タワーを叩き折っている場面が描かれている[要ページ番号 ] 。これらは少なくとも「怪獣は東京タワーを破壊するもの」とのイメージが実在したことを示すものである。
その他にも『三大怪獣 地球最大の決戦 』(1964年 )、『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン 』(1972年 )、『ゴジラ FINAL WARS 』(2004年 )、『巨神兵東京に現わる 』(2012年 )など多くの怪獣映画で東京タワーが登場し、かつ破壊されている。
音楽
テレビ番組
関連商品
大展望台カフェ・ラ・トゥールにある東京タワー2007
東京タワーは開業当初から観光施設としての性質を持ちミニチュア(タワー模型)やプラモデル 、ペナント 、絵葉書などのおみやげ品が用意されていたが近年上記の『Tokyo Tower』や『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』、『ALWAYS 三丁目の夕日』などで別の意味で注目されるようになり一般の店舗での関連商品が登場した。
重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ 偉大なる建設 東京タワーの建設記録(DVD ) - 2007年7月25日 、ジェネオン エンタテインメントから発売された竹中工務店の記録映像。基礎を作り上げてゆくところから観ることができる。33分。オールカラー。
東京タワー2007 - 2007年6月に発売されたセガトイズ の東京タワー1/500模型で高さ66.6 cm、LED によりライトアップを再現する機構を持つが航空障害灯やエレベータの明かりは再現されていない。定価1万3330円。同年11月には限定クリスタル バージョンを発売。設計は同社社員の加藤武彦。実物は想像以上にとがった形のため、地上からタワーを見上げる場合の見え方とはズレがあり、すそを広げた形に設計し直している。製品をタワー建設に携わった鳶 職人の桐生五郎に見せたところ、目を細めて「姿の美しいものは良いものだ」とため息を漏らした[ 161] 。
東京タワー物語 - 2008年4月にタカラトミー から発売された1/2000のクローズドボックスフィギュア で、1958年建設時など様々な東京タワーの形態を再現。レアアイテムにはLED内蔵の発光機構を備えたものもある。
交通アクセス
鉄道
赤羽橋駅前のタワー表記
JR浜松町駅看板。東京タワーと増上寺があしらわれている
路線バス
道路沿いのバス停
東京タワー(東京タワー敷地内、徒歩0分)
東京タワー(道路沿い、徒歩1分)
虎ノ門五丁目(桜田通り、徒歩3分)
都営バス
〈渋88〉新橋駅 前(虎ノ門経由)/渋谷駅 前(六本木駅 前経由)
〈橋86〉新橋駅前(御成門経由)/目黒駅前(天現寺橋経由)
東麻布一丁目(東京タワー下)、東京タワー入口
車
東京タワーパーキングセンター(50台、最初の60分580円、以後30分200円)
ほか近辺駐車場に計100台以上駐車可
歴代イメージガール
歴代東京タワーアンバサダー
2011年度までの「イメージガール」に代わる新しいキャンペーンキャラクターとして2012年度より「東京タワーアンバサダー」を制定。
絵文字
提供番組
いずれも、東京タワーイメージガール・アンバサダーがパーソナリティーを担当。
脚注
注釈
^ 正式には332.6 m。
^ 関西テレビは、日本電波塔設立の約9か月後の1958年2月に会社を設立し、同年11月に後に系列を組むフジテレビ に先行して放送を開始した。
^ フジテレビは1958年度中の開局に向け、中央テレビジョンの仮称で会社設立準備中で、1957年11月に会社を設立し、1959年3月に放送開始。
^ 2010年10月1日時点。
^ 2021年6月9日時点。
^ 同年4月にNHK総合テレビジョン と入れ替わる。
^ 財団法人日本動物愛護協会 は「二度とこのような事件が起きて欲しくない」という思いから「動物愛護」のシンボルとして、当時開業したばかりで話題の場所だった東京タワーに記念像を造った。
^ タワーでの結婚式はこの一度きりであり、その後、他にも申し入れがあったがタワーでの結婚式サービスは行われていない。
^ 弧を描くように「TOKYO TOWER」の文字が配置しており、東京タワーがある小高い丘(芝公園)や地球をイメージしている。中央のTだけオレンジ色で大きく、東京タワーを思わすデザイン。文字の上に並んだ緑色の丸は、地球環境への貢献や自然との共存をイメージしている。デザインは尾村匡昭、竹鶴孝太郎。当日は来塔者のうち先着1000人に、新ロゴをデザインしたクリアフォルダがプレゼントされた。
^ 2012年 2月2日 にNHKで放送された『ブラタモリ』第2シリーズ「東京タワー・芝」(本放送:2011年3月10日 )の再放送では、本放送翌日に発生した「東日本大震災」で折れ曲がったアンテナの先端部が番組冒頭に流された[出典無効 ] 。
^ 渋谷のNHK放送センター から銚子市 役所まで102km、 水戸市 役所まで104km。
^ 茨城県内では水戸より先、日立市 と東海村 の境の久慈川 が関東平野の北東端である。
^ 当時1964年東京オリンピックの招致を行なっていた(『プロジェクトX』)[出典無効 ] 。
^ ニッポン放送 の事実上の創業者。後のニッポン放送、フジテレビジョン、産業経済新聞社の社長、フジサンケイグループ初代議長。ただし、この当時は前田が経営していた産経新聞との関わりはなかった。
^ 工業デザイナーの柳宗理は東京タワーができた時、80年前のエッフェル塔にくらべても、シュトゥットガルトのテレビ塔にくらべても何の新しさも美しさも感じられない、と酷評している[ 56] 。
^ 同タワーの耐震設計で考慮された水平震度 は0.99Gで、関東大震災 時に小田原 付近で推定された加速度 の約2倍に相当。
^ 鳶職の頭であった桐生五郎は2012年に死去。
^ TBSの情報番組『そこが知りたい 』でTBSの男性アナウンサー が8ミリビデオカメラ と共に塔体最上部に向かうが、強烈な電波によってビデオカメラ が停止。再度8ミリフィルムカメラ を持って上り銘板の撮影を行ったものが放送された[出典無効 ] 。
^ スクラップは政治的利権である。それは、ロッキード事件 に登場するシグ片山が、ベトナム戦争のスクラップ払い下げを受けていることからわかる。 [要出典 ]
^ この集約構想により、1958年11月に開局した大阪の関西テレビ放送は開局から約3ヶ月間ネットワークに属さず、独立局 の様相だった。
^ 麹町の自社敷地内の送信所そのものは東京タワーに移設したあとも予備送信所として新宿センタービル に移転するまで試験電波発射を中心に運用を続けた。
^ 『TBS 50年史』にも記載されている[要文献特定詳細情報 ] 。
^ 公式HPではメインデッキ1階が145m、2階が150mとしているが海抜表記である。
^ 開業時は125mと称していたが、特別展望台増設時に海抜に変更し150mとの表記に変更した[ 84] 。
^ 公式HPではトップデッキは250mとしているが海抜表記である。六本木ヒルズ 展望台も同じ海抜250mとしているが、(六本木ヒルズによれば)実際には東京タワー特別展望台の方が数m高いとしている[ 84] 。
^ 2011年10月8日 〜2012年5月31日 まで「◆不思議アート展 〜トリックアーティストコレクション〜◆」として再登場。
^ 東京タワーの公式サイトで、閲覧できる[ 102] 。
^ 頭頂部の改修工事のため、2012年5月8日〜2014年9月12日の間は22時に消灯していた。
^ 放送大学はUHFのため1波長が鉄塔幅よりも小さくなってしまい、VHF同様に4面にアンテナを設置しても指向性を円形にすることが難しいのと既にテレビ東京のアンテナが設置していたためにスキュー配列となった。
^ 当初は2013年3月31日 に東京タワーからの送信を終了し4月1日 から送信所をスカイツリーに一本化する予定だったが、2012年東京都知事選挙 及び第46回衆議院議員総選挙 の実施に伴い選挙報道や政見放送 の公平性を確保する必要があったことから当初予定していた東京タワーの減力ができなかったため、移行予定にも遅れが生じた。
^ VHFテレビ7chに相当する周波数帯
^ VHFテレビ3chに相当する周波数帯。
^ 第1作の公開は1954年であり、着工すらしていない。
出典
^ a b 東京タワー
^ 全国タワー評議会
^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,精選版 日本国語大辞典,事典 日本の地域遺産,世界大百科事典. “東京タワーとは ”. コトバンク . 2023年1月5日 閲覧。
^ 宮地栄治郎「報告 日本電波塔架設工事について 」『土木学会誌』第44巻第3号、公益社団法人土木学会 、1959年3月、1-6頁、2024年10月11日 閲覧 。
^ 受賞対象名 - 東京タワー [東京タワー ] - GOOD DESIGN AWARD
^ 東京タワー完成 - NHK放送史
^ a b 竹中工務店東京支店 池田末造東京タワーの施工について 建築雑誌 74(869) 13-18 1959年 4月20日
^ “健保プロフィール ”. 中央ラジオ・テレビ健康保険組合. 2020年1月27日 閲覧。
^ “2019年4月1日現在の加入事業所 ”. 中央ラジオ・テレビ健康保険組合(2019年4月1日作成). 2020年1月27日 閲覧。
^ “基幹放送事業者の議決権保有状況等(コミュニティ放送事業者) ”. 総務省(2019年4月1日作成). 2020年1月28日 閲覧。
^ “<ひとキラリ>地域のため未来に挑戦 パーソナリティー・嘉屋崎道子さん ”. 東京新聞(2019年7月31日作成). 2020年1月28日 閲覧。
^ “かずさアカデミアパーク、ホテルオークラが70%出資 ”. 日本経済新聞(2010年11月11日作成). 2020年1月28日 閲覧。
^ 広報ひめじ(1964年2月号) 姫路市発行
^ “基幹放送事業者の議決権保有状況等(地上系放送事業者) ”. 総務省 電波利用ホームページ (2020年7月1日). 2021年6月26日 閲覧。
^ “第三者割当増資に関するお知らせ ”. 株式会社InterFM897 (2021年6月9日). 2021年6月26日 閲覧。
^ a b 会社概要 ,東京タワー
^ a b 会社概要 - TOKYO TOWER、2022年3月27日閲覧。
^ 出典:『民間放送十年史』(日本民間放送連盟・1961年)「第2部 各社史録」356頁「東京放送」・399頁「日本教育テレビ」・404頁「フジテレビジョン」の‛‛‛年表‛‛‛より。
^ 「NHKニュース」『放送教育』第15巻第3号、日本放送教育協会、1960年6月1日、86 - 87頁、NDLJP :2341193/44 。
^ a b c “放送大学学園要覧2014(4ページ) ” (PDF). 放送大学. 2014年6月7日 閲覧。
^ “東京タワー来塔者、1億6000万人達成” . ORICON NEWS (oricon ME). (2009年10月16日). https://www.oricon.co.jp/news/69836/full/ 2023年10月30日 閲覧。
^ “震災で曲がったアンテナ部分を交換 東京タワー改修” . 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2012年4月7日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0702I_X00C12A4CC1000/ 2023年10月30日 閲覧。
^ “東京タワー アンテナ傾く” . 東京新聞 TOKYO Web (中日新聞社). (2011年3月12日). オリジナル の2011年3月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110314190607/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011031202000020.html 2023年10月30日 閲覧。
^ “東京タワー、19日から営業再開” . 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2011年3月18日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1803O_Y1A310C1CC1000/ 2023年10月30日 閲覧。
^ “東京タワー、アナログ放送アンテナの撤去始まる” . 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2012年2月2日). https://www.nikkei.com/article/DGXNZO38478310R00C12A2L71000/ 2023年10月30日 閲覧。
^ 東京タワー 特別展望台(250m)営業一時休止のご案内
^ “東京タワー、ちょっと低く アンテナ交換で315Mに” . 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2012年7月19日). オリジナル の2012年7月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120721010411/http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY201207190119.html 2023年10月30日 閲覧。
^ a b “東京タワーが復活 “太め”の333メートル ”. 産経新聞 (2012年8月3日). 2012年8月3日時点のオリジナル よりアーカイブ。2012年11月28日 閲覧。
^ a b “「謎のボール」東京タワーで公開 先端に50年超” . 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2012年12月22日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2200V_S2A221C1000000/ 2023年8月12日 閲覧。
^ “ミハル通信 東京タワー アンテナモニュメント 東日本大震災から復旧 旧FCB横浜測定所から本社に移設” (PDF). 電波タイムズ (電波タイムス社): p. 2. (2023年4月12日). https://www.miharu.co.jp/information/images/2023_0412_dempa_times.pdf 2023年4月14日 閲覧。
^ TOKYO MX * 「東京スカイツリーから電波発射」
^ 『東京タワー放送波の減力を実施します 』(pdf)(プレスリリース)東京メトロポリタンテレビジョン、2012年11月9日。http://www.mxtv.co.jp/company/press/20121109_tokyotower_1.pdf 。2013年6月19日 閲覧 。
^ 『東京タワー放送波の第2回減力を実施します 』(pdf)(プレスリリース)東京メトロポリタンテレビジョン、2013年1月10日。http://www.mxtv.co.jp/company/press/20130110_genryoku2.pdf 。2013年6月19日 閲覧 。
^ 『東京タワー放送波の第3回減力を実施します 』(pdf)(プレスリリース)東京メトロポリタンテレビジョン、2013年2月1日。http://www.mxtv.co.jp/company/press/20130201_genryoku3.pdf 。2013年6月19日 閲覧 。
^ 『東京タワー放送波の第4回減力を実施します 』(pdf)(プレスリリース)東京メトロポリタンテレビジョン、2013年2月21日。http://www.mxtv.co.jp/company/press/20130222_genryoku4.pdf 。2013年6月19日 閲覧 。
^ 『東京タワー放送波の第5回減力を実施します 』(pdf)(プレスリリース)東京メトロポリタンテレビジョン、2013年3月14日。http://www.mxtv.co.jp/company/press/201314_genryoku5.pdf 。2013年6月19日 閲覧 。
^ a b TOKYO FM 2月11日(月・祝)より東京タワー最上部の新アンテナから放送開始 東京タワー最頂部にラジオアンテナ エフエム東京
^ a b 東京MXテレビ、12日スカイツリーに完全移行 読売新聞 2013年 5月9日
^ スカイツリーへの送信所移転、31日に 総務相が容認表明 日本経済新聞 2013年5月24日
^ “地デジ送信の東京スカイツリー移転は5月31日午前9時” . AV Watch (インプレス). (2013年5月24日). https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/600777.html 2023年10月30日 閲覧。
^ 平成25年文部科学省告示第119号
^ 立川経済新聞 2013年11月18日
^ a b 2015年6月26日より周波数89.7MHzの試験電波発射いたします。
^ a b "InterFM897"開局
^ “V-Lowマルチメディア放送、東京局がいよいよ開局へ……予備免許が交付” . RBB TODAY (イード). (2015年7月14日). https://www.rbbtoday.com/article/2015/07/14/133325.html 2023年10月30日 閲覧。
^ “東京局試験電波発射を開始いたしました ”. VIP (2015年10月5日). 2016年9月10日時点のオリジナル よりアーカイブ。2023年10月30日 閲覧。
^ 株式会社Inter FMの受信環境改善のための周波数変更 総務省 関東総合通信局 2015年6月24日
^ a b c d e 関東・甲信越広域圏のV-Lowマルチメディア放送局(移動受信用地上基幹放送局)に免許 総務省関東総合通信局 2015年12月7日
^ “デジタル地上波最高音質!通信料不要!多彩なチャンネル!進化する無料デジタル放送「i-dio(アイディオ)」始まる!〜3月1日(火)12時からプレ放送開始〜 ” (PDF). エフエム東京 (2016年2月29日). 2023年10月30日 閲覧。
^ “V-Low「i-dio」が3月1日にプレ放送開始、5月からIPサイマルの補完放送も計画” . 日経クロステック (日経BP社). https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/16/022900615/ 2023年10月30日 閲覧。
^ 本日(1月25日) 午前10時 来塔者1億8,000万人を突破しました! 東京タワー(2018年1月27日閲覧)
^ 東京タワー 特別展望台(250m)のグランドオープンと大展望台(150m)リニューアル工事に関するお知らせ 東京タワー(2018年1月27日閲覧)
^ 放送大学、地上波終了へ=18年に、BS完全移行 時事通信社 2016年5月27日
^ “閉鎖された東京タワー水族館、各地に移籍した魚たちのその後を公開し「泣ける」と話題に” . INTERNET Watch (インプレス). (2019年6月21日). https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1191691.html 2023年10月30日 閲覧。
^ 『プロジェクトX』[出典無効 ]
^ 柳宗理『柳宗理 エッセイ』平凡社、2016年、P.47頁。
^ 建築雑誌Vol.105、No.1305 1990年 10月号
^ Tour Eiffel Wikipediaフランス語版
^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年3月16日). “「鉄の貴婦人」まだ成長 エッフェル塔、330mに ”. 産経ニュース . 2023年8月25日 閲覧。
^ “東京タワー、23日で開業50周年 ”. 株式会社クリエイティヴ・リンク. 2021年8月8日 閲覧。
^ テレビ東京系列『美の巨人たち 』 2010年 8月7日 放送 「日本の建築スペシャル・東京タワー」[出典無効 ]
^ 小林紳也・建築雑誌 121(1546)、29、2006-04-20・社団法人日本建築学会
^ a b c 東京タワー未来構想 日本電波塔株式会社 東京タワー未来懇談会 2007年12月 (PDF )
^ a b c プロジェクトX東京タワー・恋人たちの戦い〜世界一のテレビ塔建設、333mの難工事
^ *東京タワーの秘密*東京タワーQ&A*自然災害編
^ 重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ 偉大なる建設 東京タワーの建設記録 ASIN:B000QTCYZO
^ a b c d 大澤悟 日本建築学会退会学術講演 鋼構造物の維持管理・東京タワー 2002年8月
^ 「命綱もメットもなし!ヤバすぎる…「東京タワー」建造時の壮絶秘話 」『現代ビジネス』2022年7月10日。2024年8月27日閲覧 。
^ 戦後復興シンボル、天高く YOMIURI ONLINE 2008年 1月1日
^ ほぼ日刊イトイ新聞 東京スカイツリーうんちく50 2010-11-30-TUE
^ テレビ塔:コラム(バックナンバー):日本建築構造技術者協会
^ a b c フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 3』講談社、2003年。
^ 『東京今昔探偵』(中公新書ラクレ ISBN 4-12-150012-1 )「東京タワー〜米軍戦車をつぶして鉄骨に」
^ 生方幸夫 『解体屋の戦後史 繁栄は破壊の上にあり』 PHP研究所 1994年6月30日, p. 27.
^ 早稲田大学理工学部建築学科・田中弥寿雄 Tanaka Yasuo こぼればなし:東京タワーの基礎(<特集>関東の土質と基礎)[in Japanese] Soil mechanics and foundation engineering 40(3) 86 1992年 3月25日
^ 「東京タワーの名前の由来を知りたい。公募だと聞いたがどのような経緯で「東京タワー」に決定したのか。また、他にどのような候補があったか。」 (山梨県立図書館) - レファレンス協同データベース
^ 人間環境デザイン研究所 幻のタワー計画 Archived 2011年11月8日, at the Wayback Machine .
^ 読売新聞 ②「潮風から鉄塔守る」使命感
^ 東京タワー 東京タワーの秘密(東京タワーQ&A)塗装編
^ 日本建築仕上学会2001年大会学術講演会 東京タワーにおける塗装の維持保全 その2 経年変化状況 写真4
^ 定期塔体塗装工事についてのお知らせ 2018年11月
^ “「ライトダウン伝説」とは?広報担当者に聞いた東京タワーのトリビア11選 ”. ガジェット通信 GetNews (2019年5月4日). 2024年5月27日 閲覧。
^ SEVENTH SENSE 〜日本電波塔株式会社(東京タワー)営業部長 前田久徳×陣内貴美子〜
^ a b “東京タワー③/高さの秘密”. 朝日新聞 (朝日新聞社 ): p. 14. (2003-10-29(夕刊))
^ フットタウン|東京タワーオフィシャルホームページ
^ “esportsパーク『RED° TOKYO TOWER』グランドオープン! ”. 東京タワー (2022年). 2023年2月13日 閲覧。
^ “東京タワーのフットタウンでeスポーツやVRアトラクションを体験 ”. レクリム (2022年). 2023年2月13日 閲覧。
^ “東京タワー|東京都 ”. 東京ユニークベニュー . 2023年2月11日 閲覧。
^ 東京タワー 日本電波塔
^ “東京タワー水族館 ”. www.suizokukan.net . 2018年10月3日 閲覧。
^ 東京電波塔研究会・東京タワー99の謎-知らなかった意外な事実! 二見書房 2006年 7月 ISBN:978-4576061177
^ 東京タワーの秘密
^ 東京タワーライトアップ
^ 省エネ対策もバッチリ! 東京タワー開業50周年「ダイヤモンドヴェール」開始 日経トレンディネット
^ 『東京タワーがオリンピックカラーにライトアップ! 「ダイヤモンドヴェール」再点灯のお知らせ 』(プレスリリース)日本オリンピック委員会、2012年8月18日。http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/news/detail.html?id=2357 。2016年3月14日 閲覧 。
^ 47NEWS 東京タワーに「がんばろう」太陽光発電でメッセージ
^ 東京タワーで「藤子・F・不二雄展」開幕、プロジェクションマッピングやドラえもん80体がお出迎え マイナビニュース 2013年7月19日
^ 祝!ドラえもんの誕生日記念イベント開催 藤子・F・不二雄展
^ ノッポン弟 TOKYO TOWERさんのツイート 2015年11月15日の発言
^ “香取 最終回に涙目で「ヤバイ」…東京タワーが「スマステ」カラーのサプライズ” . デイリースポーツ . (2017年9月23日). https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/23/0010582376.shtml 2017年9月23日 閲覧。
^ ノッポン弟 TOKYO TOWERさんのツイート 2017年9月23日の発言
^ “ライトアップ ”. 東京タワー . 2022年3月20日 閲覧。
^ “東京タワーがウクライナカラー・ライトアップを拒否…担当者語る切実な裏事情 ”. 女性自身 (2022年3月8日). 2022年3月20日 閲覧。
^ 東京タワー ライトダウン伝説
^ 読売新聞 プロポーズから新生活まで 愛を見守り続け
^ 東京タワーのライトアップ中止…哀悼の意と電力節減 スポーツニッポン 2011年3月12日閲覧。
^ 東京タワー*TOKYO TOWER*ダイヤモンドヴェール 2011/5
^ 東京アンテナ工事株式会社
^ 東京スカイツリー®の施設名称・展示演出を決定しました!
^ 日本経済新聞 2012年5月22日
^ 東京タワーが“地デジ続投”をTV各局に求める AV Watch 2007年9月21日
^ a b スカイツリー開業後の東京タワー…結んだ契約は 読売新聞 2010年9月28日 13S版10面
^ 東京タワー、60年のテレビ電波送信に幕 30日で終了 (朝日新聞)
^ 同大学は2018年に地上波テレビ・ラジオの放送を終了した。放送授業の地上系放送(TV・FM)からBS放送への完全移行について(Q&A)
^ 半世紀にわたる維持保全 竹中工務店
^ 竹中eレポート2006
^ 「東京タワーを愛した男たち電波塔50年物語」 『報道ステーション 』 テレビ朝日 2008年2月2日[出典無効 ]
^ <株式会社エフエム東京 第388回放送番組審議会> - TOKYO FM
^ InterFM、6月下旬から89.7MHzに変更。アンテナを高くして受信改善へ AV Watch 2015年6月25日
^ a b c “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c “基幹放送普及計画(昭和63年郵政省告示第660号) ”. 郵政省 (1988年10月1日). 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c “基幹放送用周波数使用計画 ”. 郵政省 (1988年10月1日). 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c d “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ a b c d e “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ a b “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ “<株式会社エフエム東京 第388回番組審議会> ” (PDF). エフエム東京 (2012年5月8日). 2015年8月13日 閲覧。
^ a b c d “電波利用ホームページ 無線局免許状情報 ”. 総務省. 2013年6月28日 閲覧。
^ a b c d e f g h i j 放送用周波数使用計画(総務省)2009年7月22日現在のアーカイブ
^ a b 無線局免許状情報(東京メトロポリタンテレビジョン(総務省) 2013年4月13日現在、2013年5月8日現在のアーカイブ(オリジナルURL )
^ “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ “基幹放送普及計画(昭和63年郵政省告示第660号) ”. 郵政省 (1988年10月1日). 2015年12月16日 閲覧。
^ “基幹放送用周波数使用計画 ”. 郵政省 (1988年10月1日). 2015年12月16日 閲覧。
^ “放送大学学園要覧2014(4ページ) ” (PDF). 放送大学. 2014年6月7日 閲覧。
^ 放送大学、地上波終了へ=18年に、BS完全移行 [リンク切れ ] 時事通信社 2016年5月27日発行、同日閲覧。
^ a b c d 放送普及基本計画(総務省)2009年7月22日現在のアーカイブ
^ デジタルラジオ実用化試験放送の終了について (PDF ) デジタルラジオ推進協会 プレスリリース 2010年10月5日(Internet Archive のアーカイブ:2013年4月3日収集)
^ InterFMが89.7MHzへ周波数を変更した理由とは(ラジオライフ.com)2016年3月20日閲覧
^ “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ “無線局免許状情報 ”. 総務省. 2015年12月16日 閲覧。
^ “基幹放送普及計画(昭和63年郵政省告示第660号) ”. 郵政省 (1988年10月1日). 2015年12月16日 閲覧。
^ “基幹放送用周波数使用計画 ”. 郵政省 (1988年10月1日). 2015年12月16日 閲覧。
^ https://www.i-dio.jp/news/index.php?itemid=221 [リンク切れ ]
^ 東京タワーの秘密(特別ライトアップ)
^ “【今日は何の日?】11月24日=東京タワーが映像作品で初めて破壊される(1960年) / 雑学ネタ帳 ”. 介護の未来ラボ . マイナビ (2022年11月24日). 2024年8月11日 閲覧。
^ “スカイツリーが建ったまえとあと 拡張論【後編】 ”. まえとあと . モチヅキ・エディット (2023年3月6日). 2024年8月11日 閲覧。
^ a b c d e 「ゴジラ映画を100倍楽しむ100のカタログ 68 ゴジラはなぜ東京タワーを壊さないのか」『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 新モスラ編』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1992年12月10日、144 - 145頁。
^ 地球になった男(新潮文庫 1971)p246
^ “ウルトラ怪獣擬人化計画 feat.POP Comic code 2 | 風上旬/POP/円谷プロ | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア ”. www.cmoa.jp . 2024年6月1日 閲覧。
^ “ウルトラ怪獣擬人化計画 feat.POP Comic code 3 | 風上旬/POP/円谷プロ | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア ”. www.cmoa.jp . 2024年6月1日 閲覧。
^ “映画『電エースカオス』公式サイト ”. 映画『電エースカオス』公式サイト . 2024年6月2日 閲覧。
^ 「東京タワー 恋人たちの戦い」世界一のテレビ塔建設・333mの難工事 - NHKアーカイブス 2000年9月5日
^ 昭和のシンボル 東京タワー 新しくて懐かしい令和大改革 - テレビ東京 2022年6月9日
^ いつも我が家の一部 YOMIURI ONLINE 2008年1月8日 [リンク切れ ]
^ “アーカイブされたコピー ”. 2013年2月15日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年9月29日 閲覧。
^ “アーカイブされたコピー ”. 2014年4月13日時点のオリジナル よりアーカイブ。2014年4月9日 閲覧。
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
東京タワー に関連するカテゴリがあります。
テレビ局関連
放送持株会社 テレビ 放送ラジオ 放送衛星放送 ネット配信 番組制作 事業技術 ・美術 事業コンテンツ 事業音楽出版 事業小売 事業その他事業 関連施設 送信所 賞・イベント 人物 マスコット 海外提携局 歴史・事件 関連項目
1 朝日放送テレビが旧JNN系列局、朝日放送ラジオは現在もJRN系列局であるため、相互に株式の持ち合い関係にある。2 2001年末から2011年12月まで同社が筆頭株主としてプロ野球球団を運営(横浜ベイスターズとして)。3 1968年の一時期、TBSプロレスに改称。4 旧称・TBSカンガルー募金5 旧称・TBSカンガルー災害募金 カテゴリ