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ハンガリー
Magyarország
国の標語:なし
国歌 :Himnusz (ハンガリー語) 賛称
ハンガリー (ハンガリー語 : Magyarország )は、中央ヨーロッパ の共和制 国家 。西にオーストリア 、スロベニア 、北にスロバキア 、東にウクライナ 、ルーマニア 、南にセルビア 、南西にクロアチア に囲まれた内陸国 。首都はブダペスト である。基本的には中欧 とされるが、歴史的には東欧 に分類されたことがある。
国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川 などに潤される東部・南部の平野部には肥沃 な農地が広がる[ 3] 。
国名
正式名称はハンガリー語で Magyarország [ˈmɒɟɒrorsaːɡ] ( 音声ファイル ) 。片仮名による大まかな発音表記は「マジャロルサーグ」。通称、Magyar [ˈmɒɟɒr] ( 音声ファイル ) (マジャル)。
日本語 の表記はハンガリー であるが、20世紀中盤まではハンガリア と表記する例も散見された。漢字表記 では洪牙利 で、洪 と略される。中国語 では、ハンガリーのフン族 語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴 から、匈牙利 と表記するようになった。
ハンガリー語で「ハンガリー」もしくは「ハンガリー人 」を指す名詞「Magyar 」は、日本の教科書などにおいて「マジャール」と誤って片仮名表記されているものが見られるが、どの母音も伸ばさずに「マジャル」と表記・発音するのが正しい片仮名表記となる。ハンガリー語では長母音の場合は母音字にエーケゼット[ 注釈 1] をつける規則があるため、そうでない場合は長母音ではない(「Magyar 」であって「Magyár 」でないため、長母音として発音しないのが正しい)。
歴史上、ハンガリー王国 は多民族国家 であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「マジャル人 」という表現が用いられることがある。
「ハンガリー」の語源として一般に認められているのは、俗説にある「フン族 」ではなく、7世紀のテュルク系 のオノグル (Onogur) という語であり、10本の矢(10部族)を意味する。これは初期のハンガリー人がマジャル人 7部族とハザール 3部族の連合であったことに由来する。「ウンガーン」(独 : Ungarn )、「ウンガリア」(希 : Ουγγαρία )に見られるように、もともとは語頭のhがなかった。
2012年 1月1日 より新たな憲法 「ハンガリー基本法 」が施行され、国名が変更された[ 4] 。
1920年 - 1946年 ハンガリー王国(Magyar Királyság [ˈmɒɟɒr ˈkirɑ̈ːjʃɑ̈ːɡ] (マジャル・キラーイシャーグ))
1946年 - 1949年 ハンガリー共和国 (Magyar Köztársaság [ˈmɒɟɒr ˈkøstɑ̈ːrʃɒʃɑ̈ːɡ] (マジャル・ケスタールシャシャーグ)
1949年 - 1989年 ハンガリー人民共和国 (Magyar Népköztársaság [ˈmɒɟɒr ˌne̝ːpkøstɑ̈ːrʃɒʃɑ̈ːɡ] (マジャル・ネープケスタールシャシャーグ))
1989年 - 2011年 ハンガリー共和国(Magyar Köztársaság [ˈmɒɟɒr ˈkøstɑ̈ːrʃɒʃɑ̈ːɡ] (マジャル・ケスタールシャシャーグ))
2012年 - ハンガリー(ハンガリー国)(Magyarország [ˈmɒɟɒrorsɑ̈ːɡ] (マジャロルサーグ))
歴史
ハンガリーの国土はハンガリー平原 といわれる広大な平原を中心としており、古来さまざまな民族が侵入し、定着してきた。
古代にはパンノニア と呼ばれ、パンノニア族・ダキア人 などが住んでいた。紀元前1世紀にはローマ に占領され、属州イリュリクム に編入。1世紀中ごろ、属州パンノニアに分離された。4世紀後半にはフン族 が侵入、西暦433年に西ローマ帝国 によりパンノニアの支配を認められ、フン 族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が初めて誕生した。
その後、フン族はアッティラ の時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に収めたが、アッティラが40歳で死亡したあと、後継者の不在によりフン族は分裂。結果的に6世紀 にはアヴァール の侵入を許す。その後、8世紀 にはアヴァールを倒したフランク王国 の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、9世紀 にはウラル山脈を起源とするマジャル人 が移住してきた。
ハンガリー王国時代(1000年 - 1918年)
12世紀 のハンガリー王国
10世紀 末に即位したハンガリー人の君主イシュトヴァーン1世 は、西暦1000年 にキリスト教 に改宗し、西ヨーロッパ のカトリック 諸王国の一員であるハンガリー王国 (アールパード朝 )を建国した。ハンガリー王国はやがてトランシルヴァニア 、ヴォイヴォディナ 、クロアチア 、ダルマチア などを広く支配する大国に発展する。13世紀 にはモンゴル帝国 軍の襲来(モヒの戦い )を受け大きな被害を受けた。14世紀 から15世紀 ごろには周辺の諸王国と同君連合 を結んで中央ヨーロッパ の強国となった[ 5] 。
1396年 、オスマン帝国 とのニコポリスの戦い で敗北。フス戦争 (1419年 - 1439年 )。15世紀後半からオスマン帝国 の強い圧力を受けるようになった。1526年 には、モハーチの戦い に敗れ、国王ラヨシュ2世 が戦死した。1541年 にブダ が陥落し、その結果、東南部と中部の3分の2をオスマン帝国(オスマン帝国領ハンガリー )、北西部の3分の1をハプスブルク家 のオーストリア によって分割支配され(王領ハンガリー )、両帝国のぶつかりあう最前線となった。
三十年戦争 (1618年 - 1648年 )には、プロテスタント側にトランシルヴァニア公国 が、カトリック側に王領ハンガリー が分裂して参加した。
1683年 の第二次ウィーン包囲 に敗北したオスマン帝国が軍事的に後退すると、1699年 のカルロヴィッツ条約 で、ハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアやトランシルヴァニアはオーストリアに割譲された。ハンガリーにとっては支配者がハプスブルク家に変わっただけであり、たびたび独立を求める運動が繰り返された。
オーストリア=ハンガリー帝国 におけるハンガリー(赤、1914年 )
1848年 の3月革命 では、コッシュート・ラヨシュ が指導した独立運動こそロシア帝国 軍の介入により失敗したが、オーストリアに民族独立運動を抑えるための妥協を決断させ、1867年 にキエッジェズィーシュ (和協)が結ばれた。これにより、ハプスブルク家はオーストリア帝国とハンガリー王国で二重君主として君臨するが、両国は外交などを除いて別々の政府を持って連合するオーストリア=ハンガリー帝国 となった。
オーストリア=ハンガリー帝国の体制下で資本主義 経済が発展し、ナショナリズム が高揚したが、第一次世界大戦 で敗戦国となり、オーストリアと分離された。
ハンガリー人民共和国時代(1918年 - 1919年)
1918年 10月31日 、アスター革命 (ハンガリー語版 ) (ハンガリー語 : Őszirózsás forradalom )でハンガリー初の共和制 国家であるハンガリー人民共和国 が成立し、社会民主党系のカーロイ・ミハーイ (英語版 ) が初代大統領および首相を務める。
ハンガリー・ソビエト共和国時代(1919年 - 1919年)
1919年 3月、ハンガリー共産党 のクン・ベーラ によるハンガリー革命 (英語版 ) が勃発し、クン・ベーラ を首班とするハンガリー・ソビエト共和国 (3月21日 - 8月6日 )が一時成立したが、ルーマニアの介入で打倒される(ハンガリー・ルーマニア戦争 )。
ハンガリー王国時代(1920年 - 1945年)
ハンガリー王国 (1920年-1946年) 。黄が1920年 、緑が1941年 の領域
1920年 3月1日 、ハプスブルク家に代わる王が選出されないまま、ホルティ・ミクローシュ が摂政 として統治するハンガリー王国 の成立が宣言された。1920年 6月4日 に結ばれたハンガリーと連合国とのトリアノン条約 により、二重帝国時代の王国領のうち、トランシルヴァニアやハンガリー北部(スロバキア)など、面積で72%、人口で64%を失い、ハンガリー人の全人口の半数ほどがハンガリーの国外に取り残された。領土を失った反動、周囲の旧連合国からの孤立などの要因から次第に右傾化した。
1930年代後半からはナチス・ドイツ と協調するようになり、1938年 のミュンヘン協定 、ハンガリーのカルパト・ウクライナへの侵攻 (英語版 ) [ 注釈 2] 、1939年 のスロバキア・ハンガリー戦争 (英語版 ) 、 2度のウィーン裁定 などで一部領土を回復した。第二次世界大戦 では領域拡大とナチス・ドイツからの圧迫を受けて枢軸国 に加わり独ソ戦 などで戦ったが、戦局は次第に劣勢となり、1944年 にはホルティは枢軸国からの離脱を目指すが、ナチス・ドイツ軍と矢十字党 によるクーデター(パンツァーファウスト作戦 )で阻止されて失脚した。かわって矢十字党の国民統一政府 が成立、1945年 5月8日 の敗戦 まで枢軸国として戦うことになった。一方でソビエト連邦軍 の占領区域では、軍の一部や諸政党が参加したハンガリー臨時国民政府 が樹立され、戦後ハンガリー政府の前身となった。1945年4月4日には、ハンガリー全土からドイツ軍が駆逐され、ナチス・ドイツの崩壊とともに残存していたハンガリー軍部隊も降伏した。
戦後から共産主義政権時代(1946年 - 1989年)
首都ブダペスト を制圧するソ連軍 (ハンガリー動乱 )
ヴィリー・シュトフ とカーダール・ヤーノシュ (1958年、東ベルリン)
1946年 2月1日 には王制が廃止され、ハンガリー共和国(第二共和国) が成立した。しかし、ソ連の占領下に置かれたハンガリーでは1垓 ペンゲー 紙幣まで発行される史上最悪のハイパーインフレーション が起きるなど政府に統制力はなく、共産化 の影響力が次第に高まりつつあった。
1947年2月にはパリ条約 によって連合国 と講和し、占領体制は一応終結したがソ連軍はそのままハンガリーに駐留し続けることになった。ハンガリー共産党 は対立政党の影響力を徐々に削減する戦術で権力を掌握。
1949年 8月15日にハンガリー人民共和国 が成立した[ 6] 。ハンガリー共産党が合同したハンガリー勤労者党 による一党独裁 国家としてソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の衛星国 となり、冷戦 体制の中では東側の共産圏 に属した。
共和国成立直後より国民への統制は厳しいものとなり、1949年時点から他の衛星国に先駆けて西側諸国(オーストリア)国境に鉄条網 の障壁が築かれた[ 7] 。こうした共産主義体制に対する反発も根強く1956年 にはハンガリー動乱 が起こったが、ソ連軍に鎮圧された。勤労者党はハンガリー社会主義労働者党 に再編され、ソ連の強い影響を受けながらもカーダール・ヤーノシュ によるグヤーシュ・コミュニズム と呼ばれる比較的穏健な政策がとられた。
1980年代 後半になると、ソ連のペレストロイカ とともに東欧における共産党一党独裁の限界が明らかとなった。社会主義労働者党内でも改革派が台頭し、ハンガリー民主化運動 が開始され、1989年2月には憲法から党の指導性 を定めた条項が削除された。5月には西側のオーストリアとの国境に設けられていた鉄条網(鉄のカーテン )を撤去し、国境を開放した。これにより西ドイツ への亡命を求める東ドイツ 市民がハンガリーに殺到、汎ヨーロッパ・ピクニック を引き起こし、冷戦を終結させる大きな引き金となった。また6月には複数政党制を導入し、社会主義労働者党もハンガリー社会党 に改組された。
第三共和国(1989年 - 現在)
1989年 10月23日 、ハンガリー共和国憲法 施行により、多党制に基づくハンガリー第三共和国が成立した。1990年代 、ハンガリーはヨーロッパ 社会への復帰を目指して改革開放を進め、1999年 に北大西洋条約機構 (NATO)に、2004年 に欧州連合 (EU)に加盟した。
ハンガリー第三共和国の国旗 と国章 では、ファシズム 体制を敷いた矢十字党 の「矢印十字」の紋章と、共産党時代 の「赤い星 」の紋章が消去されている。また、ナチスドイツ 、矢十字党、ソビエト連邦 、共産党 一党独裁 による圧制の反動から、「鉤十字 」「矢十字 」「鎌と槌 」「赤い星」の配布・公刊・公の場での使用が、1993年 の改正刑法にて禁止された[ 8] 。
1999年3月にNATOに加盟、2004年5月にEUに加盟。さらに
2007年にシェンゲン協定 を導入[ 9] 。2011年に新憲法「ハンガリー基本法 」への改正が行われた。
しかし、2010年に首相に再登板したオルバーン・ヴィクトル は、次第に親ロシア 路線に転換し始めた。2022年のロシアによるウクライナ侵攻 の際には、国益に反するとしてウクライナ への軍事支援を拒否。他のNATO諸国と一線を画した[ 10] 。対露制裁とも距離を置いたが、これはロシアへのエネルギー依存度が高いという事情もある。
政治
ブダペスト の国会議事堂
ハンガリーの大統領 は任期5年で議会 によって選ばれるが、首相を任命するなど、儀礼的な職務を遂行するのみの象徴的な元首 である。大統領官邸はブダ王宮 に隣接するシャーンドル宮殿。実権は議院内閣制 をとる首相 にあり、自ら閣僚 を選んで行政を行う。
立法府 の国民議会 (Országgyűlés) は一院制 、民選で、任期は4年、定員は199人である。国民議会は国家の最高権威機関であり、すべての法は国民議会の承認を経なければ成立しない。
V-Dem研究所 は、ハンガリーを欧州連合加盟国で唯一選挙独裁主義と認定しており、フリーダム・ハウス は、「一部自由」とランク付けている[ 11] 。
純粋に司法権を行使する最高裁判所とは別に憲法裁判所 が存在し、法律の合憲性を審査している。
おもな政党
与党
閣外協力
野党
その他の政党
国際関係
EU のメンバーであるが、テュルク諸国機構 (旧テュルク評議会)のオブザーバーでもある[ 13] 。
国家安全保障
ハンガリー空軍 のサーブ 39 グリペン
内陸国であるため海軍は持たず、現在の国軍 は、陸軍 および空軍 の2軍からなる。ただし、ハンガリー領内を流れるドナウ川の防衛目的でユーゴスラビア製の掃海艇を3隻保有しており、陸軍の河川警備隊がドナウ川において運用している。1999年に北大西洋条約機構 (NATO)に加盟し、西欧諸国と集団安全保障体制をとっている。
軍の歴史は長く、第一次世界大戦時にはオーストリア=ハンガリー二重帝国 として中央同盟軍の一角を占めていた。戦後の独立ハンガリーは1920年のトリアノン条約 により兵力を制限されていた。その反動もあって第二次世界大戦時には枢軸国として参戦し、東部戦線 にも兵力を出している。1945年にはソ連軍 に占領され、冷戦時には共産圏国家として、ワルシャワ条約機構 に加盟していた。
地理
ハンガリーの地形
ハンガリーの国土はカルパティア山脈 のふもとに広がるカルパート盆地 のうちの平野部をなす。ハンガリー平原 またはハンガリー盆地と呼ばれる国土の中心は、中央を流れるドナウ川 によってほぼ二分され、東には大きな支流のティサ川 も流れている。国土の西部にはヨーロッパ でも有数の大湖バラトン湖 がある。また各地に温泉 が湧き出ており、公衆浴場が古くから建設・利用されてきた。首都ブダペストにもセーチェーニ 、ルカーチ、ゲッレールト 温泉などの有名な温泉がある。もっとも温度の高い熱水泉ヘーヴィーズ湖 を有するヨーロッパ有数の「温泉大国」 として知られ[ 14] [リンク切れ ] 、多くの観光客が温泉目当てに押し寄せる[ 注釈 3] 。 トランシルヴァニア 地方など、ルーマニア との国境係争地帯を持っている。
大陸性気候 に属する気候は比較的穏やかで、四季 もある。緯度 が比較的高く、冬は冷え込むが、地中海 から海洋性気候の影響を受け、冬も湿潤で曇りがちである。年間平均気温は10°C前後。
地方行政区分
ハンガリーは40の地方行政区分に区分される。うち19は郡とも県とも訳されるメジェ (megye) で、20はメジェと同格の都市郡という行政単位(megyei város)である。なお首都のブダペスト都はいずれにも属さない、独立した自治体である。
ハンガリーの地理
ヴィシェグラード から眺めるドナウ大曲 (ペシュト県)
ディオーシュジュール城 (ミシュコルツ )
旧ハンガリー王国の領土(大ハンガリー)に含まれた地域については、ハンガリー王国の歴史的地域 を参照。
主要都市
都市
県
人口(2011年)[ 15]
1
ブダペスト
—
1,733,685
2
デブレツェン
ハイドゥー・ビハール県
211,340
3
セゲド
チョングラード県
168,048
4
ミシュコルツ
ボルショド・アバウーイ・ゼムプレーン県
167,754
5
ペーチ
バラニャ県
156,049
6
ジェール
ジェール・モション・ショプロン県
129,527
7
ニーレジハーザ
サボルチ・サトマール・ベレグ県
119,746
8
ケチケメート
バーチ・キシュクン県
111,411
9
セーケシュフェヘールヴァール
フェイェール県
100,570
経済
首都ブダペスト
国際通貨基金 (IMF)による統計では、2018年現在でGDP は1,612億ドル、一人あたりのGDP(為替レート) は1万6,484ドルであり、EU平均の約45%、世界水準の約1.4倍である[ 2] [ 16] 。
ハンガリーは1989年 の体制転換以来、外国資本を受け入れて積極的に経済の開放を進めた。その結果、1997年 以降年間4%以上の高成長を続けるとともに、2004年には経済の民間部門が国内総生産 (GDP)の80%以上を占め、「旧東欧の優等生」と呼ばれるほどであった。また2004年の欧州連合加盟は、当時のハンガリー経済にとって追い風になった。
しかしその後、インフレーション と失業率 が増加して貧富の差 が広がり[ 17] 、社会問題として常態化した。また巨額の財政赤字も重要な課題であり、現政権が目標とするユーロ導入への見通しは立っていない。
伝統的な産業ではアルコール が強い。特にワイン は有名で、ブルゲンラント 、ショプロン 、ヴィッラーニ など著名な産地があるが[ 18] 、中でもトカイ のトカイワイン はワインの王と言われる。農業ではパプリカ が名産品で、ハンガリー料理にもふんだんに使われる。ガチョウ の飼育も盛んであり、ドナウ川 西岸(ドゥナーントゥール (ハンガリー語版 ) 地方)が主産地である。ハンガリー産のフォアグラ もよく輸出されている。
工業
北部の都市エステルゴム にあるマジャールスズキ の工場は6,000人の従業員を抱える
第二次世界大戦前のハンガリーは肥沃な土壌と計画的な灌漑 設備により、農業国 として成立していた。そのため、食品加工 業を中心とした軽工業 が盛んであった。第二次世界大戦後、社会主義下の計画経済 によって重工業 化が進められた。特に車両生産、一般機械が優先され、化学工業 と薬品工業がそれに次いだ。しかし、有機鉱物 資源とボーキサイト を除くと工業原材料には恵まれておらず、輸入原材料を加工し輸出する という形を取った。1970年代 には工業を中心とする貿易が国民所得 の40 %を占めるまで成長した。
共産主義体制から資本主義体制への転換後、1990年代 初頭においては、化学工業の比重が次第に大きくなっていく傾向にあった。2003年 時点では全産業に占める工業の割合がさらに高まっており、輸出額の86.8 %を工業製品が占めるに至った。さらに貿易依存度は輸出54.5 %、輸入59.2 %まで上がっている。品目別では機械工業 が再び盛んになっており、輸出に占める比率は電気機械36.1 %、機械類16.2 %、自動車8.2 %である。世界シェアに占める比率が高い工業製品は、ワイン(1.7 %、49万トン)、硝酸 (1.5 %、31万トン)である。
鉱業
ハンガリーの鉱業 は、燃料に利用できる亜炭 とボーキサイト が中核となっている。有機鉱物資源では、世界シェアの1.5%を占める亜炭(1391万トン、2002年)、原油(107万トン)、天然ガス(115千兆ジュール)を採掘する。有力な炭田は南東部ベーチ近郊、首都ブダペストの西方50キロに位置するタタバーニャ 近郊の2か所に広がる。油田は中央南部セゲド 近郊と、スロベニア、クロアチア国境に接する位置にある。
金属鉱物資源ではボーキサイト(100万トン)が有力。バラトン湖北岸からブダペストに向かって北東に延びる山地沿いで採掘されている。ただし、採掘量は減少傾向にある(1991年には203.7万トンが採掘されていた)。このほか、小規模ながらマンガン とウラン の採掘も見られる。
通貨単位の変遷
交通
ハンガリー国鉄 のデジロ 。ハンガリー国鉄の路線網は世界有数の密度である
ハンガリーの交通網は道路、鉄道、航空、水上交通いずれも高度に発達している。ブダペストにはブダペスト東駅 (ケレティ駅)、ブダペスト西駅 (ニュガティ駅)、ブダペスト南駅 (デーリ駅)の3つのターミナル駅がある。ブダペスト以外ではソルノク が鉄道の要衝としてもっとも重要で、そのほかミシュコルツ のミシュコルツ・ティサ駅 やソンバトヘイ 、ジェール 、セゲド 、セーケシュフェヘールヴァール なども鉄道網の結節点となっている。
2024年3月から、65歳以上の高齢者および14歳以下の子どもはハンガリー国鉄 (MÁV) の運賃が無料となった[ 19] 。
ブダペシュト、デブレツェン 、ミシュコルツ、セゲドの各都市にはトラムがある。ブダペスト地下鉄 は1号線 の開業が1896年にさかのぼる、世界で二番目に古い地下鉄で、4路線からなる。ブダペスト都市圏ではブダペスト郊外電車 (HÉV) が運行されている。国内の高速道路網は、総延長1,314キロメートルに達する。主要な港湾にはブダペストのほか、ドゥナウーイヴァーロシュ やバヤ が挙げられる。
国際空港はブダペストのリスト・フェレンツ国際空港 、デブレツェン国際空港、ヘーヴィーズ=バラトン空港、ジェール=ペール空港、ペーチ=ポガーニ空港の5つがあるが、定期便が就航しているのはブダペストとデブレツェンのみである。リスト・フェレンツ国際空港は、格安航空会社のウィズエアー が本拠地としている。
科学技術
ルービックキューブ
ハンガリーは歴史的に多数の科学者 を輩出している。同国出身の科学者は核兵器やコンピュータの開発に貢献したことで世界的に知られており、ナイマン・ヤーノシュ(ジョン・フォン・ノイマン )はコンピュータの開発に貢献した。ケメーニィ・ヤーノシュ は米国人計算機科学 者のトーマス・E・カーツ とともにBASIC を開発した。
傍ら、ハンガリー人にはさまざまな分野で後世に影響を与える発明をしている人物が多い。ハンガリー人の発明にはルビク・エルネー によるルービックキューブ やブローディ・イムレ によるクリプトン電球 などがある。
国民
民族
ハンガリーの国民の86%以上はマジャル人 (ハンガリー人 )である。マジャル人はフィン・ウゴル語族 のハンガリー語 (マジャル語)を母語 とし、ウラル山脈 の方面から移ってきた民族である。マジャル人の人名は、正式に表記した際に姓 が名の前につく。
マジャル人は旧ハンガリー王国 領に広まって居住していたため、セルビア のヴォイヴォディナ 、クロアチア 北部、スロバキア 南部、ルーマニア のトランシルヴァニア などにもかなりのマジャル人人口 が存在している。また、マジャル人の中にはモルダヴィア のチャーンゴー 、トランシルヴァニアのセーケイ や、ハンガリー共和国領内のヤース 、マチョー 、クン 、パローツ などの文化を持つサブグループが知られるが、ヤース人がアラン人 の末裔、クン人がクマン人 の末裔であることが知られるように、これらはさまざまな出自を持ち、ハンガリー王国に移住してハンガリーに部分的に同化されていった人々である。
その他の民族では、有意の人口を有するロマ (ジプシー)とドイツ人 が居住する。ハンガリー科学アカデミーの推計では、人口約1,000万人のうち約60万人がロマとされる。また、ドイツ人は東方植民地運動 の一環としてハンガリー王国に移り住んできた人々の子孫で、トランシルヴァニア のサース人(ザクセン人 )やスロヴァキア のツィプス・ドイツ人 のように、ハンガリー王国の中で独自の民族共同体を築いた人々もいる。
その他の民族では、ルテニア人 (ウクライナ人 )、チェコ人 、クロアチア人 、ルーマニア人 などもいるが、いずれもごく少数である。第二次世界大戦以前には、ユダヤ人 人口もかなりの数にのぼったが、第二次世界大戦中の迫害などによってアメリカ合衆国 やイスラエル に移住していった人が多い。
近年のDNA分析によるとハンガリー人はコーカソイド (白人)に分類されるが、わずかにモンゴロイド (黄色人種)特有のアセトアルデヒド脱水素酵素 D型が検出されることから、モンゴロイド との混血により遺伝子の流入があったと考えられる[ 21] [ 注釈 4] 。
ファシズム の研究で知られるオックスフォード・ブルックス大学 のロジャー・グリフィン (英語版 ) は、「ハンガリーはアジア系のマジャル人が建国し、独特の言語を持っている。オスマン帝国 、オーストリア帝国 、旧ソ連 の圧力を受けてきた。ハンガリーはEU の中の孤島 だ」と述べている[ 22] 。
2010年、フィデス=ハンガリー市民同盟 により、国外のハンガリー系住民へハンガリー国籍付与の道を開いたが、隣国のスロバキア はこれに反発し、二重国籍禁止法案を可決している[ 23] 。ルーマニア には、約160万人のハンガリー系少数民族がおり、その多くは、ハンガリーとの領有権問題を抱えるトランシルヴァニア 、特にティミショアラ に居住している[ 24] 。
言語
ハンガリー語 話者の分布
言語 的にはハンガリー語 が優勢で、少数民族 のほとんどもハンガリー語を話し、ハンガリー語人口は98%に上る [ 25] 。国内の少数民族としては、13万人を擁するドイツ人 が最大で、このうちおよそ10万人(国内の人口の約1%に相当)が家庭内でドイツ語 を使用する[ 26] 。ハンガリーは旧オーストリア=ハンガリー帝国 の中核的地域でドイツ人との結びつきが強いうえに、第二次世界大戦時もハンガリーが枢軸国 に加担した結果、ハンガリー人によるドイツ人追放 がほとんど起こらなかった(ソ連による追放はある程度行われた)ため、ドイツ人の居住人口が今なお多い。
宗教
宗教 はカトリック (39%)が多数を占め、カルヴァン派 もかなりの数にのぼる(12%)。その他、ルター派 (5%)やユダヤ教 (0.2%)も少数ながら存在する。
婚姻
婚姻時の姓は、自己の姓(夫婦別姓 )、相手の姓、複合姓(順序はいずれでもよい。ハイフンでつなぐ)、自らのフルネームを相手のフルネームにnéを付加したものに変更する(この場合は出生時の姓名はともに失われる)、相手のフルネームにnéを付加したものに自己のフルネームを加えたものを自己のフルネームとする(この場合は、フルネームは4つの名からなる)、自己の姓の前に相手の姓にnéを付加したものを追加する(自己の姓は中間姓となる)、などより選択することが可能である[ 27] 。
伝統的には、妻が相手のフルネームにnéを付加したフルネームに改名し、出生時の名前は失われていた。その後、1895年、1953年、1974年、2004年などの改正を経て、現在では男女の公平性が高められ、選択肢の多い制度となった[ 27] 。なおハンガリーでは、日本と同様に姓が最初にくる[ 27] 。
教育
ハンガリーの教育制度の特徴は、制度的構造と教育プログラムの構造が一致していない点にある。システム自体の制度的構造と早期選択を可能にするプログラムの存在は、中央ヨーロッパおよび元社会主義国との類似性を示している。
同国は優れた数学教育が続いていることから、国際的なレベルの教育において知名度の高い国となっている。ただし優れた数学教育で有名である反面、現今においてフィールズ賞 受賞者はいまだ出ていない。有名な数学者にはエルデーシュ・パール やフランクル・ペーテル らがいる。
保健
医療
治安
ハンガリーの治安情勢は全般的に良好で、犯罪 認知件数も減少傾向にある。2019年における国内の犯罪認知件数は16万5,648件で、5年前の2014年と比較すると約1/3ほど減少している。しかし、人口比で見ると犯罪発生率は日本よりも高いため、油断をすることは許されない。
全体としては財産犯が多くを占め、その中でも窃盗 犯(侵入盗、スリ 、置き引き など)が多く、日本人観光客から寄せられる犯罪被害連絡のほとんどは窃盗被害となっている点が特徴ともなっている[ 28] 。
人権
マスコミ
文化
食文化
ショムローはハンガリー・ワインの認定生産地22か所のひとつ
トルテ やクレープ に似たパラチンタ など、食文化はオーストリア と共通するものが多いが、ハンガリーの食文化の特色は乾燥させて粉にしたパプリカ の多用と種類の豊富なダンプリング にある。パプリカを用いた煮込み料理グヤーシュ は世界的に有名である。ドナウ川西岸のドゥナーントゥール地方 では、古くからフォアグラ の生産が盛んである。
ワイン の生産も盛んで、トカイワイン などが有名である。また、伝統的な蒸留酒 にパーリンカ がある。フランスのオー・ド・ヴィやイタリアのグラッパ などと似た、果実 から造られる蒸留酒である。
ハンガリー固有種の豚、マンガリッツァ は国宝 の指定を受けて保護されているが、保護のために利用を禁じるのではなく、むしろ高品質の食肉として利用することを通じて飼育頭数を増やす方針を採っている。飼育にあたっては伝統的な放牧または半放牧が行われているが、一頭一頭にマイクロチップ や標識を取りつけて管理することでトレーサビリティ を確保するなど、現代的な手法も取り入れられている。日本にはピック社 が伝統的な製法で作られたサラミ などを輸出している。
文学
哲学
ハンガリー出身の哲学者として、『歴史と階級意識 』でソビエト連邦のマルクス=レーニン主義 に対する西欧マルクス主義 の基礎を築いたルカーチ・ジェルジ の名が特筆される。このほか、社会学者のカール・マンハイム や、経済人類学者のカール・ポランニー (オーストリア=ハンガリー帝国時代)がいる。
音楽
フランツ・リスト
ハンガリーは多様な民族性に支えられた豊かな文化を持ち、特にハンガリー人の地域ごとの各民族集団 (ロマなど)を担い手とする民族音楽 は有名である。
また、リスト・フェレンツ (フランツ・リスト)、フランツ・レハール 、コダーイ・ゾルターン 、バルトーク・ベーラ など多数の著名なクラシック音楽 の作曲家 も輩出した。多様な民族音楽にインスピレーションを受けて作曲した音楽家も多い。
指揮者の分野では、ハンス・リヒター(指揮者) 、アルトゥル・ニキシュ 、ジョージ・セル 、ユージン・オーマンディ 、フリッツ・ライナー 、フェレンツ・フリッチャイ 、イシュトヴァン・ケルテス 、ゲオルク・ショルティ といったビッグネームが並ぶ。
ピアニストでは、リリー・クラウス 、ゲーザ・アンダ 、ジョルジュ・シフラ といった歴史的大家、アンドラーシュ・シフ 、ゾルターン・コチシュ 、ラーンキ・デジェー 、アダム・ジョージ といった現役(2019年現在)が挙げられる。これらの中にはドイツ人植民者家系も含まれることもあり、ドイツ人名を名乗ってドイツ楽派やウィーン音楽で指導的な役割を果たした者も少なくない。
映画
服飾
ハンガリー全土で伝統的に刺繡 が盛んであり、カロチャ刺繡 やマチョー刺繡 など、地域ごとに特色ある刺繡が分布している[ 29] 。
温泉
ハンガリーでは温泉 が湧き出し、温泉文化が古くから伝わっている。ブダペスト における温泉文化は2000年近くある。ブダペストのオーブダ 地区にある古代ローマ時代のアクインクム遺跡 に、ハンガリー最初の温泉浴場が建設された[ 30] 。当時の浴場跡を今日でも見ることができる。オスマン帝国に支配されていたときに、ドナウ川河畔に発達した。
1937年国際沿療学会議ブダペスト大会でブダペストは国際治療温泉地に認定され、世界的に温泉に恵まれた首都と呼ばれるに至った[ 30] 。オスマン帝国時代の建物をそのまま残すルダシュやキラーイ などの浴場は、今日でも親しまれている。1913年に作られたセーチェーニ温泉 は湯量毎分3,700リットル[ 30] という豊かな湯量と豪奢な建物で知られている。
ハンガリー共和国のヘーヴィーズ湖は、ヨーロッパでもっとも温度の高い熱水泉である
温水湖であるヘーヴィーズ湖は、自然温水湖である。ハンガリーにおいてもっとも古くから知られており、古代ローマ 時代の記録にさかのぼり、2000年の歴史がある。4.4ヘクタール、水深38メートル、泉質は硫黄、ラジウム 、カルシウム、マグネシウムなどのミネラルを含む。泉からは大量に湧き出し、48時間で水が入れ替わる。水温は冬は23 - 25°C、夏は33 - 36°Cである。
建築
ハンガリーは建築における歴史が長いことでも知られている。その起源はローマ帝国の属州時代に遡るほど古いが、現在に至るまで様々な建築形式の影響を受けつつも独自の技法を開発している。
世界遺産
ハンガリー国内には、ユネスコ の世界遺産 リストに登録された文化遺産 が6件存在する。さらにオーストリアにまたがって1件の文化遺産が、スロバキアにまたがって1件の自然遺産が登録されている。
祝祭日
スポーツ
サッカー
マジック・マジャール 時代の主将フェレンツ・プスカシュ 。
ハンガリー国内で圧倒的に1番人気のスポーツ はサッカー となっており、1901年 にプロサッカーリーグの「ネムゼティ・バイノクシャーグI 」が創設された。中でも名門クラブのフェレンツヴァーロシュTC はリーグ最多32度の優勝を誇り、UEFAカップの前身大会であるインターシティーズ・フェアーズカップ では1964-65シーズンに優勝している。
サッカーハンガリー代表 は古豪 として認識されており、FIFAワールドカップ にはこれまで9度出場している。1938年大会 と1954年大会 では準優勝 に輝いており、当時マジック・マジャール と呼ばれ世界屈指の強豪国としてその名を轟かせていた。さらにUEFA欧州選手権 には4度出場しており、初出場となった1964年大会 では3位入賞を果たした。
近年では、リヴァプールFC に所属しているソボスライ・ドミニク や、RBライプツィヒ に所属しているグラーチ・ペーテル が世界的に有名な選手である。
オリンピック
メルボルンの流血戦 でも有名な水球ハンガリー代表。
近代オリンピック には、夏季・冬季ともにオーストリア・ハンガリー二重帝国 のころからハンガリー王国 として第1回大会 から参加している(1920年 のアントワープ五輪 と、1984年 のロサンゼルス五輪 は不参加)。
2012年ロンドン大会 までのハンガリーの獲得メダル数は482個であり、211の歴代参加国・地域のうち獲得総メダル数は8位である。特に水球 、陸上競技 、フェンシング 、競泳 、近代五種競技 においてもその活躍が見られ、中でも水球は獲得金メダル数が世界最多となっている。特にハンガリー史上初の金メダルをもたらした競泳での獲得メダル数は42個で、これは歴代8位である。
その他の競技
モータースポーツ では、1986年 から「F1 ・ハンガリーグランプリ 」がブダペスト郊外のハンガロリンク で開催されており、ルイス・ハミルトン が通算6度の最多勝利を挙げている。ハンガリー国内には雪山が殆ど無いためウインタースポーツ は盛んではないが、2018年 の平昌五輪 ではショートトラックスピードスケート の男子5000メートルリレーで冬季オリンピック 初の金メダルを獲得している。
著名な出身者
脚注
注釈
出典
参考文献
『中欧 ・東欧 文化事典』中欧・東欧文化事典 編集委員会(編)編集代表:羽場久美子 、編集委員:井口壽乃、大津留厚 、桑名映子、田口雅弘 、中澤達哉、長與進、三谷惠子、山崎信一、丸善出版、2021年。ISBN978-4-621-30616-1
『ハンガリーを知るための60章-ドナウの宝石』(第2版)羽場久美子 編著、明石書店、2018年。ISBN978-4-7503-4614-4
『ハンガリーを知るための47章ードナウの宝石』羽場久美子 編著、明石書店、2002年。ISBN978-7503-4614-4
『ハンガリーの歴史』南塚信吾 、河出書房新社、2012年。
田代文雄; 鹿島正裕 (1980). ハンガリー史1 (増補版) . パムレーニ・エルヴィン (編). 恒文社. OCLC 676349406
田代; 鹿島 (1980). ハンガリー史2 (増補版) . パムレーニ・エルヴィン (編). 恒文社. OCLC 676226404
科学朝日 『モンゴロイドの道』朝日選書 (523)、1995年。ISBN 978-4-0225-9623-9 。
伊東孝之 、萩原直、直野敦 、南塚信吾 『東欧を知る事典』柴宜弘 (監修)、平凡社 、2001年。ISBN 978-4-5821-2630-3 。
Gyula Kristó – Barta János – Gergely Jenő: Magyarország története előidőktől 2000-ig (History of Hungary from the prehistory to 2000) . Pannonica Kiadó, Budapest. (2002). OCLC 52648163
Judith Rosenhouse, Rotem Kowner, ed (2011-03). “Globally speaking: motives for adopting English vocabulary in other languages”. World Englishes (School of Modern Languages and Translation Studies, University of Tampere, Finland) 30 (1): 158-161. doi :10.1111/j.1467-971X.2010.01672.x . ISSN 0883-2919 .
関連項目
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