カメルーン共和国
République du Cameroun (フランス語) Republic of Cameroon (英語) Republik Kamerun (ドイツ語)
国の標語:Paix, Travail, Patrie (フランス語 : 平和、労働、祖国)
国歌 :Chant de Ralliement (フランス語) カメルーンの国歌
カメルーン共和国 (カメルーンきょうわこく)、通称カメルーン は、アフリカ大陸 西部に位置する共和制 国家である 。
西にナイジェリア 、北東にチャド 、東に中央アフリカ共和国 、南東にコンゴ共和国 、南にガボン 、南西は赤道ギニア に隣接する。首都 はヤウンデ 。国土の南西部が大西洋 のギニア湾 に面している。
概要
カメルーンは中部アフリカ に位置している。だが稀に西アフリカ の一部に数え上げられる場合がある。現在の同国地域を植民地 としていたドイツ帝国 が敗れた第一次世界大戦 後の1922年 、イギリス とフランス の植民地に分かれた経緯がある[ 4] 。
独立 後は非同盟 路線を歩むが、経済・文化・軍事の面でフランスとの関係が深く、フランコフォニー国際機関 に加盟している。1995年 にはイギリス連邦 にも加盟している。
国名
正式名称は英語で、Republic of Cameroon (リパブリック・オブ・キャメルーン)。フランス語で、République du Cameroun (レピュブリク・デュ・カムルン)。日本語 の表記は、カメルーン共和国 。通称、カメルーン 。
国名は、1470年 にカメルーンを最初に訪れたポルトガル人 がエビ の多いことから「カマラウン (camarão、ポルトガル語 で「小エビ」を意味 する)」と名付けたことに由来する[ 注釈 1] 。
歴史
歴史的なカメルーンの地図(1888年ごろに作成されたもの)
独立前
カメルーン内の遺跡からは約8000年前の歴史までさかのぼることができる。カメルーンの先住民 はバカ・ピグミー である。バントゥー系民族 はカメルーン高地に起源を持つが、他民族による侵入が行われる前に別の土地に移動している。
カメルーンの領域の推移(1901年 -1973年 ) フランス領カメルーン
独立後のカメルーン
1394年 から北西部地域にはバムン王国 が存在しており、独自の文化体系を固持していた。この国家は20世紀前半のヨーロッパ各国による侵攻まで勢力を維持し続けた。
1470年 12月 にポルトガル人 がカメルーンに到達したが、拠点を築くことはなかった。
1806年 にイスラム系諸王国の支配下に置かれた。1870年代 になると、ヨーロッパ列強に数え上げられるようになったドイツ帝国 が、アフリカ分割 を背景に沿岸部の都市ドゥアラ を中心に入植を開始した。1884年 にはドイツ保護領カメルーン が成立した(ドイツ植民地帝国 )。1911年 、ドイツは第二次モロッコ事件 の代償としてフランスから国境付近を中心とした新カメルーン の譲渡を受け、カメルーンの領土は拡大したものの、第一次世界大戦後には新カメルーンは再び隣接するフランスの各植民地の領域へと戻った。
第一次世界大戦 でドイツが敗れたあと、1918年のヴェルサイユ条約 の規定により、1922年 に北西部がイギリス の「イギリス領カメルーン 」(西カメルーン とも。現在の北西州 と南西州 およびナイジェリア領アダマワ州 とタラバ州 からなる)、東南部がフランス のフランス領カメルーン (東カメルーン)として委任統治領 となる。第二次世界大戦 中には、ドゴール の自由フランス の拠点のひとつとなった。第二次世界大戦後、1946年 には信託統治領 となり、1957年 にフランス領カメルーンには自治が認められた。
独立後
アフリカの年 と呼ばれる1960年 、フランス領カメルーンが独立した。大統領は北部出身のイスラーム教徒アマドゥ・アヒジョ である。イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、1961年 には北部がナイジェリア と合併、南部はカメルーンとの連邦制 となり、アヒジョが大統領、イギリス領カメルーン首相のジョン・フォンチャが副大統領に就任した。しかし徐々に圧倒的に規模の大きな旧フランス領の勢力が増大していき、フォンチャが副大統領を辞任したのち連邦制の是非を問う国民投票が行われ、この連邦制は1972年 に廃止されて、アヒジョ大統領は国号をカメルーン連合共和国に変更した。アヒジョ大統領は1965年 ・1970年 ・1975年 ・1980年 の大統領選挙で再選されたが、1982年 には南部出身のポール・ビヤ を後継に指名して大統領を辞任した。
アヒジョからビヤへの政権交代そのものは平和的なものであり、またアヒジョも与党党首の座にはとどまるなど一定の権力は保持しつづけたが、やがてビヤが権力基盤を固めるとともに両者の関係は険悪化し、1983年 にはアヒジョがクーデターを計画したとしてフランスに追放され、1984年 には国外のアヒジョに死刑判決が下される(アヒジョは国外にいたため実行はされていない)など、ビヤは独裁権力を樹立していった。また同年、国号を現在のカメルーン共和国 に変更した。その後、ビヤ政権とカメルーン人民民主連合 (英語版 ) (CPDM)の一党支配が嫌われ、1990年 には政党 の結成を合法化した。民主化後もビヤは選挙に勝利し続け、長期政権を維持しているが選挙自体の公正さに疑問もある。2018年の大統領選挙でもビヤが再選され、通算で7期目に入った[ 6] 。
政治
1982年から長期政権を保持しているビヤ 大統領
大統領府
カメルーンは国家体制 として共和制 、大統領制 をとる立憲国家である。
行政
1996年 の憲法改正により、カメルーン大統領はカメルーン政府内で行政執行権を行使できるようになった。大統領は広範囲な権力を与えられており、両院制 の議会 に諮ることなく行使できる。
立法
議会の定数は180人。年3回開催される議会の目的は法案を通過させることである。実際、議会が法案を変更すること、成立を阻むことはめったにない。
政党
主要政党としては、与党カメルーン人民民主連合 (英語版 ) (CPDM)が常に議会の過半数を占めており、一党優位政党制 となっている。このほか、カメルーン民主連合 (英語版 ) 、社会民主戦線 (英語版 ) 、民主化と進歩のための全国連合 (英語版 ) 、進歩運動 (英語版 ) など。ほかに民主主義開発同盟 (英語版 ) 、カメルーン人民連合 (英語版 ) 、カメルーン民主党 (英語版 ) がある。
司法
司法 部は行政 部門である法務省 の下に置かれている。最高裁判所 は、大統領が要求した場合に限り、違憲立法審査 に着手できる。
法律
憲法
カメルーンの憲法は1972年 に制定された。
政情
1998年、最西端に位置するバカシ半島の帰属をめぐって、隣国のナイジェリアとの間でバカシ半島領有権問題 が発生した。現在、この地域では2つの反政府武装組織ニジェールデルタ防衛治安評議会 (ニジェール・デルタ解放運動 )とバカシ自由闘士 (en:Bakassi Movement for Self-Determination )が広範な自治を求めて活動している。
南カメルーン国民会議 (英語版 ) (SCNC)は1999年に、元イギリス委任統治領だった、英語話者が多い北西州 と南西州 の2州で南カメルーン連邦共和国 (アンバゾニア共和国 )の名のもと分離独立を求めている。南カメルーンの分離独立運動の背景には、1982年のビヤ大統領就任以来、フランス語話者が中央政府の要職を占め、フランス語圏がインフラ整備で優遇され[ 4] 経済格差が開いていることへの不満がある[ 7] 。2016年には、フランス語圏出身裁判官が任命されたことへの抗議デモが発生[ 4] 。2017年10月1日にもアンバゾニアの国名で独立派が独立宣言し、治安部隊と衝突した[ 8] 。分離独立派の武装勢力は農村部で支配地域を広げ、アンバゾニアの「首都」とみなす南西州都ブエア に迫り、都市部に駐屯する政府軍も分離独立派とみなした住民を拘束するなどしている。2016年以降に60万人以上が国内避難民 となったが、国際社会の関心は薄いことにノルウェー の人権団体が警鐘を鳴らしている[ 4] 。「#言語 」節も参照。
国際関係
日本との関係
在留日本人 数 - 77人(2022年6月時点)[ 1]
在日カメルーン人数 - 1,052人(2021年6月時点)[ 1]
国家安全保障
迅速介入大隊に所属するカメルーン兵(2007年撮影)
同国の軍隊は、陸軍 と海軍 と空軍 の3軍に編成されている。準軍事組織 として憲兵隊 (フランス語版 ) が存在している。
また特殊部隊 として迅速介入大隊 (フランス語版 、ドイツ語版 ) ならびに迅速介入旅団 (フランス語版 ) が結成されており、この部隊は陸軍が管轄している。
地理
5つの地理区分に分けられる。海岸平野はギニア湾から15 km - 150 km まで広がり、森林 で覆われ、平均標高 は90 m。非常に暑く、世界で最も湿度が高いところがある。南部カメルーン高地は熱帯降雨林 で覆われるが、乾季 と雨季 が海岸平野より区別されるため湿度 はやや低い。平均標高は650 m。
4つの保護指定区が設けられており、エリアは国立公園 をはじめ、野生生物保護区・動物保護区・植物保護区として構成される。さらに同国の一部と近隣諸国において越境保護地域 (英語版 ) (TBPA)が存在する。
また、同国は世界有数の火山 国として知られており、カメルーン火山列 はその所以ともなっている。この火山列は隣国のナイジェリア東部と同国西部との間に存在し、最高峰のカメルーン山 (4,095 m)のある海岸から北部で国を東西に横断する形で連なる。加えて、カメルーン山はアフリカ大陸 において最も大きい火山の一つとなっている。
気候は、特に西部高地 (英語版 ) (フランス語 : Grassland )は温暖で雨が多く、土地は肥沃である。その中でも広大な地域に当たるカメルーン草原 (ドイツ語版 ) は同国を代表する草原 で、19世紀末の植民地時代から国際的に知られている。
サバナ 地帯である中部のアダマワ高地 を境に、ステップ が広がる北部と熱帯林に覆われた南部とに分かれる。平均標高は1,100 m、気温は22 - 25℃で雨が多い。アダマワ高地は分水嶺 でもあり、主要河川は北部のベヌエ川 、北東部のウォリ川 (英語版 、フランス語版 、ドイツ語版 ) 、南部のサナガ川 、そして隣国チャドの河川の一部を成すロゴーヌ川 で構成されている。サナガ川は全長890 km の最大河川で、国土中央部のムバカウ湖 (フランス語 : Lac Mbakaou )を水源として同国の最大都市であるドゥアラ市の南方でギニア湾に注ぐ。ウォリ川は約160 kmで、サナガ川に次ぐ長い河川となっていてビアフラ湾 (英語版 ) に位置するウォリ河口 (英語版 ) へ繋がっており、この川もドゥアラに接している。
ケッペンの気候区分 で観たカメルーンの地図
ケッペンの気候区分 ではほぼ全域が熱帯 (A)に属す。北部 (ステップ気候 、BS、サバナ気候 、Aw)から南部(熱帯雨林気候 、Af)に移動するにしたがい、気候が湿潤となる。このような気候分布をアフリカ大陸の縮図ととらえ、「ミニアフリカ」と呼ぶことがある。北部低地の標高は300 - 350 mで、気温は高いが、雨が少ない。
北部の乾季は7月と8月だが、南部はこの時期に雨季となる。アフリカ大陸で7番目に高いギニア湾岸のカメルーン山の南西斜面は多雨で有名であり、年降水量10,680 mmに達する。気温の年較差 は全国で5 - 10℃ 。首都ヤウンデ(北緯3度50分、標高730 m)の年平均気温は23.2℃。年降水量は1,560 mm。
ルムスィキ (英語版 )
北部のチャド湖 に近いマンダラ山地のルムスィキ (英語版 ) は高くそびえる奇岩で知られる観光地である。これはマグマ が噴出したときに溶岩が火山の中で固まった岩頸 と呼ばれるもので、最も高い山峰は1,224 mである。
なお、北西州にあるオク火山 (英語版 ) の火口湖 のひとつであるニオス湖 では1986年 に最大規模の火山ガス 災害が起こった。湖底に溶け込んでいた二酸化炭素 の噴出により、1,700人以上が死亡した。
地質
地方行政区分
カメルーンの州
カメルーンは10州(現・Région 、旧・Province )、58県(フランス語: Départements )に分けられる。ナイジェリアと接する北西州 と南西州 の2州は、元・イギリス の委任統治領 であり、その他の8州はフランス 領だった。
アダマワ州 (フランス語: Région de l'Adamaoua )- ンガウンデレ
中央州 (フランス語: Région du Centre )- 首都:ヤウンデ
東部州 (フランス語: Région de l'Est )- ベルトゥア
極北州 (フランス語: Région de l'Extrême-Nord )- マルア (Maroua )
リトラル州 (フランス語: Région du Littoral [ 注釈 2] )- ドゥアラ : ドゥアラは主要道路 、鉄道 、空路 で全国と結ばれており、カメルーン最大の港湾 を備える。
北部州 (フランス語: Région du Nord )- ガルア (Garoua )
北西州 (フランス語: Région du Nord-Ouest )- バメンダ (Bamenda ) : 南カメルーン連邦共和国 の最大都市。
西部州 (フランス語: Région de l'Ouest )- バフーサム
南部州 (フランス語: Région du Sud )- エボロワ (Ebolowa ) 、クリビ (チャド のドバ油田 とパイプラインで結ばれた石油積み出し港)
南西州 (フランス語: Région du Sud-Ouest ) - ブエア
主要都市
カメルーン最大の都市は南部にあるドゥアラ であり、人口 は約190万人(2005年)を数える。ドゥアラはカメルーン最大の港湾を擁し、鉄道で内陸部と結ばれて商品の集散地ともなっており、カメルーン経済の中心となっている。これに次ぐのが国土中央にある首都のヤウンデ であり、人口は約181万人(2005年)である。ヤウンデの産業界はドゥアラほど大きくなく、政府部門が経済の大きな部分を担っている。カメルーンはこの2都市が他に比べて飛び抜けて大きく、他に30万人を超える都市は存在しない。
国境
経済
インフラ
色と面積で示したカメルーンの輸出品目
カメルーンの2013年 のGDP は約279億ドル であり[ 10] 、日本 の佐賀県 とほぼ同じ経済規模である[ 11] 。
独立後四半世紀はカカオ 、コーヒー 、バナナ などの農産物、次いで1970年代 後半に採掘が始まった原油 など第一次産品の輸出によって、アフリカ諸国の中でも経済的に成功していた。その後、1980年代 後半から石油と農産物の価格が同時に下がり始め、経済運営にも成功しなかった。このため10年間の長期不況に陥り、一人当たりのGDPが1986年から1994年までに60パーセント以上低下した。しかしながら、電力をほぼ水力発電 で賄えるようになったこと、石油増産に成功したこと、農地に適した地勢などの条件が重なり、2000年時点ではサブサハラ では経済的に成功している。
一方で観光 産業にも注力しているものの、観光自体は現時点では隅々まで開拓されておらず、世界観光機関 (UNWTO)からは正式な「観光地」として認可されていない。
産業
主な輸出用の農産物は北部の綿花 、南西部のコーヒー とカカオ であり、2015年にはカカオが総輸出の18.9%、綿花が4.1%を占めていた。主食 は南部ではプランテンバナナ やキャッサバ 、北部ではトウモロコシ やソルガム などであり、イモ 、特にキャッサバやタロイモ 、ヤムイモ の収穫量が多い。大部分の農業は簡単な道具による自給自足レベルで、余剰生産物が都市部の重要な食料となっている。農業人口は1990年時点の74パーセントから2000年時点の42パーセントまで減少し、第一次産品の加工を中心とする工業やサービス部門が成長している。
カメルーンにおける木材輸送の様子 木材は同国の主要な輸出品の1つとなっている
カメルーン国内を移動中の貨物列車 積載されているのは国外輸送の為に出荷する木材である
家畜 放牧 は北部で盛んであり、中でも中北部のアダマワ高原で広く行われている。漁業には5,000人ほどが従事し、年間2万トンの漁獲量がある。国土の37パーセントを占める南部熱帯雨林は木材の供給源だが、大部分の土地は入るのが困難である。木材 伐採は外国企業により行われ、政府に毎年6千万ドルの収入をもたらす。また、木材輸出も盛んに行われ、2015年には第3位の輸出品として総輸出の11.2%を占めていた。同国はアフリカ諸国の中で最も伐採率が高く、安全で持続可能な伐採を義務づけているが、林業 への規制は最もゆるく、そのほとんどが無認可で[ 15] 、大半は違法伐材であり問題は根深い[ 16] 。
カメルーン最大の輸出品は原油 であり、2015年には総輸出の40.1%を占めた。石油 以外の鉱業 資源 には恵まれておらず、わずかな量の石炭 、金 、スズ が見られるだけである。エネルギー の大部分は水力発電により、残りは石油である。
同国は現在 、国土の大部分で電力不足となっており、農村部では電力供給は非常に低く約14%ほどしかない。産業活動はドゥアラに集中している。
対外経済
カメルーンを含む旧フランス領中央アフリカ諸国で用いられている通貨CFAフラン は、フランス・フラン との交換レートが固定されており、安定した経済運営の下地となった。一方、フランの為替レート に引きずられる弊害もあった。経済圏 としては、フランス経済ブロックに組み込まれていたと言える。
カメルーンは、西アフリカ諸国経済共同体 と南部アフリカ開発共同体 に挟まれた位置にあるが、いずれにも加盟していない。2国間経済援助ではフランスの出資が最も多い。一人あたりの援助受け取り額は30米ドル(1998年)であり、アフリカ諸国としては平均的である。
貿易相手国はフランス、ドイツ 、日本 の順である。対日貿易ではカメルーンの大幅な貿易 赤字 となっており、カメルーンからの輸出では木材が54%(2016年)、カカオ豆が34%を占め、この2品目で約88%に達する。輸入では化学繊維 が4割を占め、次いで機械 、医薬品 となっている。
交通
ドゥアラ港
同国はトランス・アフリカ・ハイウェイ の重要ポイントであり、その領土を横断する3つのルートが存在する。
道路は1割のみが舗装 されており、悪天候も重なり、国内輸送を困難にしている。また、各地で警官などによる旅行者への賄賂 要求や強盗が発生しており問題とされている。
鉄道
鉄道 は軌間 1000㎜で、カムレール 社によって運営されており、本線はドゥアラ港を起点に西の首都ヤウンデを通り、北部の玄関口であるンガウンデレ までの約950㎞を結んでいる。またドゥアラからは、北のクンバ への短い支線 が存在する。
空港
国際空港 はドゥアラとヤウンデ、ガルア にあり、ドゥアラの規模がもっとも大きい。
河川・港湾
最も大きな港はドゥアラ港 で、鉄道の通じる内陸部への物資の集散地となっている。このほか、海港としてはリンベ やクリビ も重要である。旧イギリス領カメルーンの海港であったリンベ港 は周囲に油田 が存在し、石油産業の重要拠点となっている。ドゥアラから南へ約150 km のクリビ港 はかつて木材の輸出港だったが、チャドのドバ油田 と結ぶ原油 パイプラインを受ける原油積出基地がある。また、ベヌエ川に面する北部のガルア港も重要な河川港 であるが、利用は増水期に限られている。
人口統計
東部地域のダンサー
女性をかたどった魔除けのお守り 象牙 製。現地の古来の文化や伝統工芸をうかがい知ることが出来る
民族
住民 は、南部と西部はバントゥー系 のファン族 、バミレケ族 (英語版 ) 、バカ・ピグミー 、中部はバントゥー系のウテ族 、北部はスーダン 系のドゥル族 、フラニ族 (サヘル に居住)などに分かれる。民族集団は275以上に分かれている。
言語
カメルーンの言語圏分布図 その他
※青はフランス語、赤は英語。南西部の2州が英語圏。
公用語 はフランス語 と英語 であるが、両言語のバイリンガル の住民はきわめて少ない。最大都市ドゥアラ や首都ヤウンデ などがあり、国民の大半が居住する旧フランス領地域で使用されるフランス語を公用語として使用する者が圧倒的に多く、この地域では英語の通用度は低い。一方、英語は旧イギリス領カメルーン の領域であった北西州 と南西州 のみで使われ、現地ではカムトク (ドイツ語版 、英語版 ) と呼ばれている。この地域はフランス語の通用度が低く、独立運動も起こっている。旧ドイツ植民地であったことからドイツ語 の学習者も多く、アフリカで最もドイツ語話者が多い国とされる。
ほかに土着言語としてファン語 、フラニ語 、イエンバ語 、バサ語 、カヌリ語 、バムン語 、ドゥアラ語 、アゲム語 などが話されている。
婚姻
カメルーンでは一夫多妻制が認められている。
婚姻時、婚前の姓をそのまま用いることも、夫の姓に変更することも可能である[ 19] 。
宗教
カメルーンの宗教 は、キリスト教 が人口の約40パーセント、イスラム教 が約30パーセント、アフリカの伝統宗教 (英語版 ) (アニミズム )が約30%である[ 20] 。4万人のバハイ教 徒が国内にいる。そのほか、カメルーン やガボン や赤道ギニア 沿岸部のバントゥー系民族 グループのいくつかでは、呪物崇拝 のen:Okuyi が信仰され、Okuyiの宗教チャントがベンガ語 で歌われている。20世紀末、沿岸部のンドウェ人 (フランス語版 ) (en:Kombe people )がンビニ (Mbini、リオ・ムニ )に儀式を広めた。
宗教の儀式 のために殺人や体の一部を切除する事件が発生しており、社会問題となっている[ 21] 。
教育
カメルーンの識字率 は75.0%(2015年)である。教育 制度は小学校 6年、中等学校 4年、高等学校3年、大学 3年であり、義務教育 は小学校6年間のみである。教授言語は旧・フランス領地域 ではフランス語 、旧・英領 地域 では英語 である[ 23] 。
小学校 より上の学制は5年制の中等教育 下級、2年制の同上級(高等学校)、その上の高等教育 課程(大学)の3部に分かれる。学校暦 は9月から翌年6月までを1年と定め、学年末に進級試験 を行う。英語圏の学力証明試験として GCE(General Certificate of Education)に普通レベル(Ordinary level)と上級レベル(Advanced level)がある。フランス語圏はバカロレア を発行する。
中等教育課程は旧・宗主国 の制度援用によりイギリス式とフランス式の2系統があるが、大まかに中学校(下級)と高等学校(上級)にそれぞれ相当する。小学校を卒業した生徒の多くは家計に私立学校の学費を払う余裕がなく、中等教育課程には手が届かない[ 24] 。
5年制の中等教育を終えた者は GCE 普通レベルを、高等学校 2年を修了 した者は同上級レベルをそれぞれ受験できる。大学課程へ進むには GCE 上級レベルとバカロレア (フランス式教育を受けた者の高等学校修了証明)の取得が必須である。高等学校卒業後の進路に、学業を極めるほかにも「職業訓練」として、失業者の就労を支援する労働省管轄の研修制度がある。
学力の評価にはフランス式とイギリス式[ 25] がある。
フランス式学力評価
評点
学力の説明
アメリカ式の評価
備考
15.00-20.00
Très bien(秀)
A
13.00-14.99
Bien(優)
A-
12.00-12.99
Assez bien(良)
B+
11.00-11.99
Passable(可)
B
10.00-10.99
Moyen(並)
C
0.00-9.99
Insuffisant(不良)
F
Failure(1年間の成績次第で進級)
イギリス式学力評価
評点
学力の説明
分岐
アメリカ合衆国 式の評価
A
1級
A
A-
2級の上
A- / B+
B
2級の下
B
C+
進級可能
C
保健
同国は風土病 による死者が絶えない現状が続いており、黄熱病 の流行地帯と化していることが今も問題となっている。病没 する人々の一番の死因はマラリア となっており、次いでHIV ならびにAIDS の発症により亡くなっている人が多い。
水系感染症 として住血吸虫症 やツェツェバエ によって流布される眠り病 が挙げられており、この病症 も深刻なものとなっている。
治安
カメルーンは「歴史上、政治的安定を保っている」とされてきた国であるが、近年では殺人や強盗および窃盗などの凶悪犯罪が日常的に発生しており、旅行などで現地に滞在する際には細心の注意を払う必要がある[ 26] 。
犯罪の発生状況としては、全国的に殺人 、強盗 、窃盗 、強姦 などの凶悪犯罪や電子メール を用いた詐欺 事件が日常的に発生している面が窺えるが、沿岸州のドゥアラでは犯罪発生数及び犯罪発生率ともに毎月全国1位であり、殺人、強盗、身代金目的の誘拐などが多発している。更にドゥアラではマフィア の活動が活発化しており、これらマフィアが殺人、強盗、麻薬密売などに深く関わっていることが判明している。
一方、中央州では北部において障害物などを道路に置いて走行中の車両を停車させ、運転手や乗客を銃 で脅して金品を強奪する道路封鎖強盗が多発している。また、中央州に位置する首都ヤウンデも地域別犯罪発生率が毎月上位を占めており、殺人、強盗などの凶悪犯罪が多発している現状がある他、2020年6月以降ヤウンデ市内で即席爆弾による小規模爆発事案が散発的に発生している[ 27] 。
傍ら、現地では売春 が問題となっている。
加えて、国境地帯においては襲撃事案や誘拐 事案などが頻発している他に政府軍との衝突も続くことから、隣国と同国の両政府が海外諸国に対し「渡航 しないよう」呼び掛ける事態となっている。
現在、ボコ・ハラム などの勢力の強いテロ組織 や英語圏分離派の過激な活動が続発[ 28] していることから日本政府 外務省 は2018年 4月に、北西州ならびに南西州の危険情報 を引き上げた[ 29] が、他国は既に「さらに高いレベル」の注意喚起を発している。
カメルーンはアフリカにおいて汚職 が蔓延している国家の一つである。2004年にカメルーンの世帯の50%以上が「少なくとも賄賂 を支払ったことがあった」という事実を訴えていたことが判明している[ 30] 。
警察
人権
人権侵害 が著しい面が目立ち、政府軍が非人道的な姿勢で接しているとして今も非難されている。
2014年に可決されたテロ対策法は、国内の表現の自由と政治における賛否の意見を厳しく制限しているものとして激しく批判されている[ 31] 。
また、同国の兵士が目隠しされた女性と子供を処刑 する様子を撮影したとされる録画が2018年に公開されたことから、さらに政府軍への非難が強まっている[ 32] 。2020年、政府軍がヌトゥボ村で民間人を虐殺する事件を起こしたことから、より一層非難を強める事態へと繋がっている。
人権団体 は、少数民族 や同性愛者 、政治活動家 そして犯罪容疑者 を虐待 したり拷問 したりしたとして現地警察と同国軍を非難している。
2009年 、デモ中に約100人の民間人が殺害されたことからアムネスティ は同国の治安部隊による暴力についての懸念を報告している[ 33] 。
難民
カメルーンは難民 問題を抱える国の一つとなっている。
マスメディア
主要ラジオ ・テレビ 局は国営で、電信 電話 局もほとんど政府の管理下にあるが、最近インターネット が普及し、規制を受けないインターネットサービスプロバイダ が増えている。
文化
食文化
ンドレ 同国における郷土料理 の一つである
カメルーンの主食は、米 ・トウモロコシ ・豆 ・キビ などの穀類 を主体としている。また、料理にはココヤム (英語版 ) などのヤムイモ 類やジャガイモ ・サツマイモ などの野菜 類、キャッサバ やプランテン を用いる。スイーツ やデザート 料理には、アリーワ (フランス語版 ) と呼ばれる飴 菓子 やアバアクル (フランス語版 ) と呼ばれるピーナッツ をベースとした生地を油 で揚げたケーキ が知られている。同国がアフリカ大陸において北・西・中央部の交差点に当たることや、ドイツ植民地帝国 時代 ならびにフランスとイギリスの植民地時代の名残りでヨーロッパ 文化の影響が見受けられることから、カメルーン料理は同大陸で最も多様な特徴を持ち合わせた料理の一つとして知られている。
文学
カメルーン出身の著名な文学者として、小説 『下僕の生活』(1956年)で知られるフェルディナン・オヨノ (en ) や反植民地主義 作家として知られるモンゴ・ベティ (英語版 、フランス語版 ) 、音楽家 でありながら小説『アガト・ムディオの息子』(1967年)を残したフランシス・ベベイ 、言語学者 でありながら詩人 ・エッセイスト ・寓話 作者として活動していたイサーク・モゥメ・エチア (フランス語版 ) 、文学家で「カメルーン詩人作家協会」(APEC)の創設者の一人であるルネ・フィロンベ (フランス語版 、ドイツ語版 、英語版 ) 、劇作家 のエンドゥンベ3世 らの名が挙げられる。
音楽
アフロビート のマヌ・ディバンゴ がカメルーン出身のサックス 奏者として有名であり、1973年に「ソウル・マコッサ (英語版 ) 」が全米チャートでもヒットした。[ 37] マヌ・ディバンゴの国際的知名度は、時にカメルーンの政治家やスポーツ選手を上回ることもあった。また、アメリカで活動している女性シンガーソングライター 、アンディ・アロー もカメルーン出身である。
美術
映画
世界遺産
ジャー動物保護区 - (1987年、自然遺産)
カメルーン国内には、ユネスコ の世界遺産 リストに登録された自然遺産 が2件存在する(うち1件は中央アフリカ共和国 、コンゴ共和国 と共有)。
祝祭日
スポーツ
2017年コンフェデ杯 でのサッカーカメルーン代表 。
アフリカ史上最高のサッカー選手と評されるサミュエル・エトー 。
サッカー
サッカー はドイツ 保護領時代の1880年代 に伝わって以降、カメルーン国内で1番人気のスポーツ であり続けている。カメルーンサッカー連盟 によって構成されるサッカーカメルーン代表 はアフリカ 屈指の強豪として知られており、アフリカネイションズカップ ではエジプト代表 に次ぐ通算5回の優勝を飾っている。さらにFIFAワールドカップ 出場の常連国としても知られ、1982年大会 で初出場して以降、2022年大会 まで通算8度の出場を経験している。その中でも、1990年大会 では開幕戦で前回優勝国 であるアルゼンチン代表 を下す大金星を挙げ、最終的にはアフリカ勢初のベスト8まで勝ち進んだ。
同国代表は日本との関係も深く、中津江村 (現在は大分県 日田市 の一部)では2002年日韓W杯 の際にキャンプ地にして以降交流が続いている 。さらに日本代表 とは2010年大会 のグループリーグ で対戦し、0-1で敗れている。なお、2019年 にはアフリカネイションズカップ の開催国となる予定であったが、ボコ・ハラム反乱 (英語版 ) およびアンバゾニア紛争 (英語版 ) を理由に開催権を剥奪された[ 38] 。しかし、その代わりに続く2021年大会 がカメルーンで開催されている。
バスケットボール
バスケットボールカメルーン代表 はかつてアフリカ選手権4位となったことがあるものの、近年は長らく低迷が続いていた。しかし2007年に15年ぶりのアフリカ選手権出場を果たすと、準優勝となり2008年北京五輪 の世界最終予選まで進出するなどしている。
オリンピック
カメルーンがオリンピック に初出場を果たしたのは1964年東京大会 であり、それ以降は夏季オリンピック に出場する選手を毎大会派遣している。冬季オリンピック にはアイザック・メニオリ (フランス語版 、英語版 ) が、2002年ソルトレークシティ大会 にスキー 選手として初出場を果たしている。
カメルーン出身の著名人
文化人
スポーツ選手
脚注
注釈
出典
参考文献
『ナイジェリア・カメルーン・中央アフリカ』 103巻、朝日新聞社 (編)〈週刊朝日百科世界の地理〉、1985年(昭和60年)10月13日、11-76,77頁。
A・ノルトマン=ザイラー 著、松田忠徳 訳『新しいアフリカの文学』(初版)白水社 、東京〈文庫クセジュ 622〉、1978年9月10日、90-91,96頁。
片岡幸彦「アフリカ――フランス語」『激動の文学――アジア・アフリカ・ラテンアメリカの世界』(初版)信濃毎日新聞社、長野市、1995年3月15日、213-214頁。
田辺裕、島田周平、柴田匡平『世界地理大百科事典2 アフリカ』朝倉書店 、1998年、126頁。ISBN 4254166621 。
「アフリカ黒人文学概論」『世界の黒人文学 : アフリカ・カリブ・アメリカ』加藤恒彦; 北島義信; 山本伸 (編著)、鷹書房弓プレス、2000年。ISBN 480340447X 。
一般社団法人海外鉄道技術協力協会 『世界の鉄道』(初版)ダイヤモンド・ビッグ社、2015年10月2日、341頁。
『データブック オブ・ザ・ワールド世界各国要覧と最新統計』2016年版、二宮書店、2016年(平成28年)1月10日、264頁。
『データブック オブ・ザ・ワールド 世界各国要覧と最新統計』2018年版、二宮書店、2018年(平成30年)1月10日、265頁。
関連項目
書籍
発行年順
端信行『サバンナの農民 : アフリカ文化史への序章』中央公論社〈中公新書 629〉、1981年、NCID:BN00763595。
「農民」佐藤次高、富岡倍雄、後藤晃、永田雄三、村井吉敬 、日野舜也、中野暁雄、三木亘『イスラム世界の人びと』2、上岡弘二 (ほか編)、1984年、東洋経済新報社 、ISBN:4492812628、NCID:BN04450252。
片倉もとこ、大塚和夫、原隆一『イスラーム教徒の社会と生活』、西野節男、宮本勝、張承志、赤堀雅幸、清水芳見、中山紀子、鷹木恵子、宮治美江子、日野舜也、中村光男、板垣雄三、栄光教育文化研究所; 悠思社 (発売)〈講座イスラーム世界 1〉、1994年、ISBN:4946424849、NCID:BN11693866。
『アフリカ経済』末原達郎、池上甲一、辻村英之、高根務、武内進一、大林稔、世界思想社〈Sekaishiso seminar〉、1998年、ISBN:4790706923、NCID:BA33850999。
佐々木重洋『仮面パフォーマンスの人類学 : アフリカ、豹の森の仮面文化と近代』、世界思想社、2000、ISBN:4790708403、NCID:BA49475946
宮本正興、松田素二、砂野幸稔『現代アフリカの社会変動 : ことばと文化の動態観察』栗本英世、松田凡、戸田真紀子、梶茂樹、米田信子、小森淳子、竹村景子、稗田乃、赤阪賢、嘉田由紀子 、中山節子、MalekanoLawrence、三島禎子、末原達郎、澤田昌人、元木淳子、楠瀬佳子、木村大治、人文書院、2002年、ISBN:4409530275、NCID:BA56698612。
亀井伸孝『森の小さな「ハンター」たち : 狩猟採集民の子どもの民族誌』京都大学 学術出版会、2010年、ISBN:9784876987825。
重田眞義、伊谷樹一、泉直亮『争わないための生業実践 : 生態資源と人びとの関わり』、加藤太、桐越仁美、山本佳奈、佐藤靖明、近藤史、吉村友希、大山修一、藤岡悠一郎、四方篝、黒崎龍悟、重田眞義、京都大学学術出版会〈アフリカ潜在力 / 太田至シリーズ総編、4〉、2016年、ISBN:9784814000081。
『紛争をおさめる文化 : 不完全性とブリコラージュの実践』総編、松田素二、平野美佐、太田至、松田素二、松本尚之、Lengja NgnemzueAnge B.、石田慎一郎、HeboMamo、HolzmanJon、楠和樹、木村大治、SadombaWilbert Z.、金子守恵、重田眞義、NyamnjohFrancis B.、京都大学学術出版会〈アフリカ潜在力 / 太田至シリーズ 1〉、2016年。ISBN:9784814000050。
国立民族学博物館 、江口一久「北カメルーンの王さま」『みんぱく映像民族誌』第23集、国立民族学博物館、2017年。
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