スリランカ民主社会主義共和国
ශ්රී ලංකා ප්රජාතාන්ත්රික සමාජවාදී ජනරජය (シンハラ語) இலங்கை சனநாயக சோசலிசக் குடியரசு (タミル語)
国の標語:なし
国歌 :ශ්රී ලංකා මාතා (シンハラ語) ஸ்ரீ லங்கா தாயே (タミル語) 母なるスリランカ
^ 憲法上、「連結語」(link language) として英語 が指定されている。
^ 旧首都はコロンボ
スリランカ民主社会主義共和国 (スリランカみんしゅしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称スリランカ は、南アジア のインド亜大陸 の南東にポーク海峡 を隔てて位置する共和制 国家 。旧国称はセイロン で、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島 と呼ぶ。最大都市はコロンボ で、首都 はコロンボ郊外に位置するスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ 。人口は約2,167万人(2018年)である[ 3] 。
1948年 2月4日にイギリス から自治領 (英連邦王国 )のセイロン として独立。1972年 にはスリランカ共和国に改称し、英連邦 内の共和国 となり、1978年 から現在の国名となった。
国語はシンハラ語 とタミル語 で、国民の3/4がシンハラ人 で構成される。また、国民の7割が仏教徒 (上座部仏教 )である。国の花はスイレンの花 、国の宝石はブルーサファイア 、国技はバレーボール [ 4] 。
国名
正式名称はシンハラ語 で ශ්රී ලංකා ප්රජාතාන්ත්රික සමාජවාදී ජනරජය (Sri Lankā Prajathanthrika Samajavadi Janarajaya )、通称 ශ්රී ලංකා (Sri Lankā、スリ・ランカー)。タミル語 で இலங்கை சனநாயக சோஷலிசக் குடியரசு (Ilangai Jananayaka Socialisa Kudiarasu )、通称 இலங்கை (Ilangai、イランガイ)。
公式の英語表記は Democratic Socialist Republic of Sri Lanka 。通称 Sri Lanka 。
日本語の表記はスリランカ民主社会主義共和国 。通称はスリランカ 。漢語表記 では、かつての国名「セイロン」を錫蘭 とも書き、略語は「錫 」である。仏典では、人口の多数を占めるシンハラ人にちなんで、島名を『シンハ・ドヴィーパ(ライオン =獅子の島)』といったことから、「獅子国 」とも記されている。『ラーマーヤナ 』に登場するラークシャサ(羅刹 )の王のラーヴァナ が住まいするランカー島 は、現在のスリランカを意味するという説が有力とされてきたが、定説ではない。
シンハラ語で、スリ (ශ්රී, Sri ) は「聖なる」という意味の接頭辞であり「光り輝く」「高貴な」といった意味合いを含む。ランカ (ලංකා) は古くからこの島を示す固有名詞であり、正確な語源は判明していない。一説には「美しいこと」を意味する単語アランカーワと同根とも言われる。
歴史
独立後
独立式典
26年にわたる内戦
戦闘の激化により避難する人々
内戦終結後
第6代大統領マヒンダ・ラージャパクサ
マヒンダ・ラージャパクサ 大統領がLTTE の制圧と内戦の終結を宣言し、四半世紀に及ぶ内戦は2009年 5月に終了した。以後、ラージャパクサは内戦終結の功績を背景に政権の強化を図り、2010年 1月には任期を前倒ししての大統領選挙により、内戦の司令官だったフォンセカ 前陸軍参謀長を破り再選を達成。同年9月には大統領の三選禁止条項を撤廃する憲法修正案も可決させるなど、大統領への集権化を進めた[ 9] 。一方、内戦終結後は国防省 を国防・都市開発省と改称し、統一の実現と平和の到来とともに余剰となった戦力をインフラ整備にも動員した。復興需要ならびに観光業の復活から、2010年、2011年とGDP が8%台の成長を続けるなど、急速な経済発展が続いた[ 10] [ 11] 。
2014年 11月、2年の任期を残したラージャパクサは、三選を企図して早期選挙を実施。しかし、与党SLFP の幹事長 で保健相のマイトリーパーラ・シリセーナ が政権を離脱、野党統一候補として立候補する事態となり、2015年 1月の投票においてシリセーナに敗れた[ 12] 。だが、大統領と首相の対立など政治的混乱に、経済成長の鈍化、さらに2019年 にはイスラム過激派 によるスリランカ連続爆破テロ事件 が起きる[ 13] など不安定な情勢が続き、マヒンダ・ラージャパクサ の弟のゴーターバヤ・ラージャパクサ が第8代大統領に就任。マヒンダ自身も首相への復権を果たした。
経済危機と反政府運動
大統領府前に集まる市民(2022年)
しかし、2020年 に新型コロナウイルスの世界的流行 が発生すると情勢が一変。主要産業である観光業が壊滅、ラージャパクサ政権時代に拡大した債務の返済に困窮するようになり、物価高と外貨不足から独立以来と言われる経済危機に陥る[ 14] 。大規模な抗議デモが相次ぎ、2022年 7月にはゴーターバヤ政権が崩壊[ 15] 。この間に首相から次いで第9代大統領へと就任したラニル・ウィクラマシンハ は、7月5日に国家としての破産を宣言、国際通貨基金 (IMF) に支援を要請した[ 15] 。これを受け、9月1日、IMFはスリランカに対し29億ドルの金融支援を行うことで暫定合意に達したと発表。ただし、この支援については国内の経済改革のほか、対外債務(中国、インド、日本など)の整理再編を行うことを前提条件とした[ 16] 。
2023年10月11日、スリランカと中国は42億ドル分の債務再編で合意した[ 17] 。
政治
ウィクラマシンハ 大統領
グナワルダナ 首相
国体 は共和制。半大統領制 と議院内閣制 が混合した体制となっている。また、間接民主主義 の色合いが強めとなっている。
国会 は総議席数225の一院制で、知識人や上流階級を基盤とする統一国民党 (UNP) と農村部や労働者階級を基盤とするスリランカ自由党 (SLFP) の二大政党 を中心としつつ、タミル人の民族主義 政党タミル国民連合 や、共産主義 政党でかつては武装闘争も展開した人民解放戦線 (JVP) といった小政党 も一定の立場を築いている。
1948年 の独立以降、一貫して民主主義 が維持されているが、他方で2005年 のマヒンダ・ラージャパクサ 政権以後、大統領の権力が強まり、2009年 の内戦 最終局面での避難民や捕虜の取り扱い、2010年 の大統領選挙に敗退したフォンセカ 元陸軍参謀総長の逮捕、同年の憲法の大統領の三選禁止条項の撤廃といった点から、西欧諸国からは人権 上の問題を指摘されている[ 18] [ 19] [ 9] 。2015年 のマイトリーパーラ・シリセーナ 政権下においては、こうしたラージャパクサ時代の政策の見直しが図られたが、大きな成果は上がらず[ 20] 、2019年 にはゴーターバヤ・ラージャパクサ 政権が誕生した。しかしそのゴーターバヤ政権も2020年 からの経済危機で崩壊し、2022年 にはラニル・ウィクラマシンハ 政権が誕生している[ 15] 。
歴代の指導者が放漫的な財政運営を行ってきたうえ、2010年代前半に行われた空港や港湾、高速道路の建設が国家の債務を急激に増加させた。スリランカの国の総債務は2017年現在で6兆4,000億円にのぼり、全政府収入の95%が借金の返済にあてられている。完済に400年かかるとされており、非現実的な状況に陥っている[ 21] 。
国際関係
外交面では、非同盟 の立場を維持しつつ、歴史的・文化的にも関係が深い隣国インド と、政治や経済、安全保障上、極めて重要な国として良好な関係維持に努めている。また経済社会開発の観点から日本 を含む先進諸国との関係強化を重視しているほか、近年は中国 やパキスタン 、イラン との関係も強化しており、2009年 には1986年 以降長らく最大の援助国であった日本に代わって、中国が最大の援助国となっている[ 22] 。南部ハンバントタ では中国の援助の下、大規模な港湾 ・空港 整備が行われており、中国の進出を象徴するプロジェクトとなっている[ 23] 。同港は2017年7月より99年間にわたり中国国有企業・招商局港口にリースされている[ 24] 。
また、南アジア地域協力連合 (SAARC) の原加盟国であり、2006年、東南アジア諸国連合地域フォーラム (ARF) にも加盟するなど、最近は南アジアや東南アジア諸国との協力関係強化にも力を入れている[ 5] 。
日本との関係
国家安全保障
スリランカ軍はスリランカ陸軍 、スリランカ海軍 、スリランカ空軍 の3つの組織で構成されている。兵士は志願制度 を採用しており、兵役適齢は18歳から49歳まで、総兵力は予備役も含めて25万5000人[ 25] (2020年時点)。LTTE設立以後同組織との戦闘を繰り返してきた。
保有兵器は旧ソ連製、中国製のものが大半を占めており、69式戦車 やJ-7 など旧式のものが多く、軍艦も哨戒艦などの小型艦船が主流で潜水艦や対潜哨戒機 は保有していない。また、防空システムの構築も遅れており、2007年3月にLTTEが改造民間機を用いた攻撃を行った際には、コロンボの北35kmの地点にあるカトゥナーヤカ空軍基地 への侵入を許し、爆撃を受け兵士3人が死亡し16人が負傷、軍用ヘリ数機が損傷し、整備棟の一部が損壊する被害を受けている。
地理・気候
地理
スリランカの地図
アダム橋
セイロン島 はインド洋 にあり、ベンガル湾 の南西、アラビア海 の南東に位置する。インド亜大陸 とはマンナール湾 とポーク海峡 が隔てる。
ヒンドゥー教の神話では、インドとはラマと呼ばれる橋で結ばれていた。アダム橋 と呼ばれる、ところどころ海面に顔を出す石灰岩礁が連なり、その昔完全な天然の陸橋であったが、1480年の嵐で壊れたとされている。ポーク海峡は狭く、インドからスリランカ海岸を望める。大型船舶には浅すぎるため島を迂回せざるを得ず、最初1860年に英政府が検討して以来、何度も運河の建設が検討されてきた。
島の北部は平坦地が続き、南部に向かうにつれて山地が多くなる。大きく分けると三分される。
第一は中央部から南部にかけての山岳・高原地帯で、最高峰はピドゥルタラーガラ山 (2,524m) で、アダムスピーク も含めて、2,000m級の山々が連なり、山麓に1,000m前後の高原が広がる。第二は標高300 - 900mの高原ベルト地帯で、山岳地帯の周辺部である。第三は海岸沿いの平地で、南西部では狭く、北部から東部にかけては平坦な土地が広がる。雨量の多い南部の中央高地から河川が放射状に流れ出し、最長の川はマハウェリ川 (全長335km)で、北東に流れてベンガル湾に注ぎ、海岸部に広い沖積平野を形成する。北部のジャフナ半島 は平坦地が続き、井戸水を利用して、地下水灌漑による農耕を行っている。
気候
乾燥地帯 (dry zone) と湿潤地帯 (wet zone)
気候は熱帯性であり高温多湿で、海岸部・低地では年平均気温27 - 28°Cであるが、高地の気候は冷涼である。ヌワラ・エリヤ (標高約1,890m)では年平均気温22°Cと、一年中常春のような気候である。気候の特色はモンスーン の影響が強いことで、年2回の季節風である南西モンスーンと北東モンスーンに伴い、季節に応じて降雨量が変化する。5月から9月にかけての南西モンスーンの時期はヤラ期 (yala) と呼ばれ、風が山岳地帯に遮られて島の南西部に多量の雨をもたらす。特に5 - 6月は大雨で、7 - 9月はやや減少する。ヤラ期には、北部から北東部は風下になり乾燥する。10月から12月は無風状態となって気団の影響で天候は不安定になり、全島で雨の多い日々が続く。11月から3月にかけての北東モンスーンの時期は、北東部を中心に1月までは雨が多い。このころ、南西部は1年で最も雨の少ない時期になる。3 - 4月は無風状態に入り、やや雨が増加する。
国土の全体は、年間降雨量75インチ(1,875ミリ)を基準として、乾燥地帯 (dry zone) と湿潤地帯 (wet zone) に大別され、乾燥地帯は北部から中部にかけてで国土の7割を占める。南部の湿潤地帯には総人口の3 - 4割が居住し、人口密度も高い。湿潤地帯では2回の雨季を利用して二期作が可能であるのに対して、乾燥地帯は1年に1回の雨季であるマハ期を主体に農業が営まれる。北部では大規模な溜池灌漑が展開し、用水と排水を分離せずに、灌漑水の反復利用率を高めることを目標とした「貯水システム」が確立していた。アヌラーダプラ やポロンナルワ を中心に展開した古代の王国の基盤には権力による水系の管理体制があり、王都は水系の結節点にあり、仏教を精神の支柱とし、寺院が水利施設を統御することで高度の安定を保ちえた。しかし、13世紀末以降、王国は北部を放棄して南部に王都を移す。その原因は、侵入者による灌漑設備の破壊、気候の変化、土壌の劣化、病虫害、マラリア の蔓延、過剰開発などさまざまな理由が挙げられている。
地方行政区分
スリランカの州
地方行政区分 として、スリランカの国土は9つの州 [ 26] 、25の県 に分けられている[ 27] 。
州
州はスリランカにおいて19世紀 から存在していた。しかしそれらは、1987年 に行われた地方分権 を意図した1978年憲法第13次改正による州議会設立まで、何の法的裏づけも持たない存在だった[ 28] 。州議会は一定の自治権 を持っており、いかなる省庁の下にも置かれていない。州の設立後は、それまで中央の省庁が担っていた活動の一部を州が担うようになった[ 28] 。ただし、土地と警察行政に関する部分については引き続き中央政府の管理下に置かれている[ 29] [ 30] 。憲法改正直後の1988年 から2006年 にかけては、北部州と東部州は内戦 の和平協定の一環として合併しており、北東部州 とされていた[ 31] [ 32] 。1987年以前は、植民地時代と同様、すべての行政は県 を基準として行われていた。2012年現在、それぞれの州は選挙により選ばれた州議会により統治されている。
スリランカの州
スリランカの州
州都
面積 (km2 )
人口
01/ 中部州
キャンディ
5,674
2,556,774
02/ 東部州
トリンコマリー
9,996
1,547,377
03/ 北中部州
アヌラーダプラ
10,714
1,259,421
04/ 北部州
ジャフナ
8,884
1,060,023
05/ 北西部州
クルネーガラ
7,812
2,372,185
06/ サバラガムワ州
ラトゥナプラ
4,902
1,919,478
07/ 南部州
ゴール
5,559
2,465,626
08/ ウバ州
バドゥッラ
8,488
1,259,419
09/ 西部州
コロンボ
3,709
5,837,294
県とその他の自治体
スリランカはまた25の県 にも分割される[ 33] 。それぞれの県は県事務所により運営されている。県はさらに256のDivisional Secretary地区(DS地区、郡 と訳される[ 34] )に分割され、同様にDS地区は1万4,000ほどのGrama Niladhari地区(GN地区)に分割される[ 35] 。これらの県はシンハラ語ではDisa、タミル語ではMāwaddamとして知られている。Disa(通常英語ではDissavonyと表記される)は昔の公爵領 に由来しており、特にマータレー とウバではそれが顕著である。県次官が県を統括する。
地方自治体 は3種類に分かれており、2004年時点で都市部に置かれるMunicipal Councilが18、半都市部のUrban councilが13、それに農村部のPradeshiya Sabha (aka Pradesha Sabhai) 256自治体存在する[ 36] 。これらの自治体はもともとkoraleとrataという封建時代のカウンティ に由来しており、以前はDivisional Revenue OfficerからD.R.O.地区として知られていた[ 37] 。D.R.O.はのちにAssistant Government Agentsとなり、A.G.A.地区として知られるようになった。現在ではDivisional Secretaryとなっている。
スリランカの主要都市(2010年の国勢調査と推計値より)[ 38]
順位
都市名
州
人口
順位
都市名
州
人口
1
コロンボ
西部州
752,933
11
バッティカロア
東部州
92,332
2
デヒワラ・マウントラビニア
西部州
245,974
12
ジャフナ
北部州
88,138
3
モラトゥワ
西部州
207,755
13
カトゥナーヤカ
西部州
76,816
4
スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
西部州
135,806
14
ダンブッラ
中部州
68,821
5
ニゴンボ
西部州
127,754
15
コロンナーワ
西部州
64,887
6
キャンディ
中部州
125,351
16
アヌラーダプラ
北中部州
63,208
7
カルムナイ
東部州
106,783
17
ラトゥナプラ
サバラガムワ州
52,170
8
バブニヤ
北部州
99,653
18
バドゥッラ
ウバ州
47,587
9
ゴール
南部州
99,478
19
マータラ
南部州
47,420
10
トリンコマリー
東部州
99,135
20
プッタラム
北西部州
45,401
経済
色と面積で示したスリランカの輸出品目 (ツリーグラフ)
IMF の統計によると、2019年 の1人あたりの名目GDPは3,852ドルほどで、南アジアではモルディブ に次いで第2位と、域内では経済が発達している国である。
イギリス植民地時代の19世紀 から20世紀 にかけて、スリランカはシナモン 、天然ゴム 、紅茶 といった作物のプランテーション 経済下にあった。これらの作物は現在でも同国の主要な輸出品目として残っている[ 39] 。
同時代に行われた近代的な港湾開発により、スリランカは貿易の中継点として戦略的に重要な価値を持つことになった[ 40] 。1948年 から1977年 にかけては、政府により社会主義 に強く影響された経済政策がとられた。植民地的なプランテーションの多くが解体され、産業の国有化 や福祉国家論 に基づく政策が進められた。1977年に資本主義 の導入、経済の自由化 がなされ、国営企業の民営化 や規制緩和 、それに民間企業の育成が進められた[ 41] 。
茶や天然ゴム、コーヒー 、砂糖 といった作物の生産・輸出はいまだこの国において重要なポジションを占めるが、産業化により食品加工や繊維 産業、電気通信 それに金融 といった分野の重要性も増加している。スリランカの主な経済部門は観光産業 、茶の栽培、繊維産業、それに稲作 やその他農産業である。これらの部門に加えて、中東 地域を中心とする海外への出稼ぎ もこの国の経済に大きく寄与している[ 42] 。2010年 の調査では、こうしたサービス部門がGDPの6割を占めており、鉱工業部門は28%、農業部門は12%であった[ 42] 。また経済の85%を民間部門の活動が占めている[ 43] 。隣国インドはスリランカの最大の貿易相手国である[ 44] 。国内では地域によって経済格差があり、首都の位置する西部州 がGDPの45.1%を生み出しており、南部州 や中部州 といった他の州は10.7%と10%といった数値に留まっている[ 45] 。2009年 に終結した内戦 からの復興が進んでおり、終結の翌2010年には、戦場となった北部州 で22.9%という高いGDP成長率が記録された[ 46] 。
1人あたりのGDPは、2005年 からの5年間で約2倍へと成長しており[ 47] 、この期間に貧困率 は15.2%から7.6%に、失業率は7.2%から4.9%に、コロンボ証券取引所 の時価総額 は4倍へと成長した[ 42] 。90%の家庭が電化されており、人口の87.3%が安全な飲料水を利用可能で、39%には水道 により水が供給されている[ 42] 。格差も同様に縮小しており、2010年のジニ係数 は0.36となっている[ 48] 。携帯電話 の利用者数も、2005年から2010年で550%もの急成長をみせている[ 42] 。スリランカは、南アジアで最初に3G 、3.5G HSDPA 、3.75G HSUPA 、それに4G LTE によるモバイルブロードバンド が導入された国である[ 49] 。
世界経済フォーラム が発行する国際競争力レポート 2011年版では、スリランカ経済を労働力と天然資源に依存した段階 (factor-driven stage) から工業化が進展した段階 (efficiency-driven stage) への過渡期と分析しており、その国際競争力は調査対象の世界142か国中52位であると報告している[ 50] 。また保健医療と初等教育の分野では45位、ビジネスの洗練性では32位、イノベーションでは42位、そして市場効率性では41位との報告も行われている。ニューヨーク・タイムズ は2010年、世界31か所の観光地の中でスリランカをその第1位に選出した[ 51] 。ダウ・ジョーンズ は2010年、スリランカをエマージング・マーケット (新興国市場)へと分類し、同様にシティグループ は2011年2月、成長が見込まれる3G国 (英語版 ) へと分類した[ 52] 。スリランカは人間開発指数 (HDI) においても他の南アジア諸国より良い数値を付けており、その指数は0.696である[ 53] 。
しかし、5年間の間に貧困率が半分に削減されたとはいえ、1日2ドル未満で暮らす広義の貧困層 となると2011年時点でいまだ566万人が該当すると推定されており、これは国民のおよそ25%に相当する[ 54] 。幼児の栄養失調 はいまだ問題とされており、5歳以下の子供の29%が体重が不足しているとの報告がなされている[ 55] 。また58%の幼児が6か月から11か月の間、38%の子供が12か月から23か月の間貧血 に見舞われる。蚊が媒介するデング熱 が現在でも主要な感染症として残りつつも[ 56] 、非感染性疾患 (英語版 ) (NCD、生活習慣病 )も体調不良や障害、早逝の85%を占めるほど拡大している[ 57] 。スリランカの平均寿命 は77.9歳で、この数値は世界の平均より10%ほど高い[ 42] 。しかし、乳児死亡率 は1,000人あたり8.5人、妊産婦死亡率 は同0.39人であり、この統計はまだ開発途上国の数値である。
また2014年現在、スリランカ北東地域では衛星携帯電話 は持ち込み禁止であり利用できない[ 58] 。
2017年に、99年間にわたる南部ハンバントタ港 運営権を中華人民共和国に譲渡、軍事利用しないという契約だが、中国の一帯一路 政策の重要港湾拠点となる。
同年、スリランカ政府は「Vision 2025」と題した8カ年計画を発表。年1人あたり所得をUS$5,000に改善し、百万人の雇用の創出、海外直接投資額US$50億/年までの増加、そして輸出額US$200億/年までの倍増を目標としている[ 59] 。
2020年から始まった世界的な新型コロナウイルスの感染拡大 は、スリランカの観光業 を直撃するとともに外貨の流入を減少させることとなった。スリランカ政府は年間45億ドルの対外債務 を返済しなければならず、外貨の流失を防ぐ目的で多数の品目について輸入規制を実施したが、品目にはスリランカ料理に不可欠なターメリック が含まれており価格高騰が生じて市民生活を直撃した。政府は2021年も輸入規制を行うこととしており、ターメリックの流通量不足については国内栽培を強化する方針を示した[ 60] 。
2021年、スリランカは対外債務の支払いとコロナ禍による経済の低迷により外貨準備高 が対前年度比で7割も激減した。同年10月にはイラン 石油公社に支払う代金5億ドルを支払うことができず、特産品の紅茶によりバーター取引 を行った。またスリランカ外務省は外貨の節約を理由に在ナイジェリア 大使館、ドイツ のフランクフルト 、キプロス のニコシア にある領事館を同年12月31日から一時閉鎖した[ 61] 。ついには、2022年7月5日には国家としての破産を宣言した[ 62] 。
農業
紅茶のプランテーション
スリランカ山間部の棚田
産業全体において農業が占める比率やGDP比で9.9%[ 63] 。水田 稲作中心で、南部では天水農業、北部では溜池灌漑、ジャフナ半島では井戸水灌漑で栽培する。農耕の生産暦では南部では雨に合わせてヤラ期は4月に播種、7 - 9月に刈り取る。マハ期は8 - 10月にかけて播種し、2 - 3月に刈り取る。植民地時代のプランテーションの影響が残り、低地の標高200メートル程度まではココナッツ、標高500メートルまではゴム、それ以上の標高では紅茶 の生産が盛んである。
茶の生産量では世界第4位(2014年)[ 63] であり、スリランカ産紅茶 はセイロンティー と呼ばれ、世界に輸出される名産品である。しかし、この茶栽培は、病気(コーヒーさび病 (英語版 ) )によって壊滅的打撃を受けたコーヒー 栽培の代替であったことはあまり知られていない。現在では、ごく少量ではあるがコーヒーの栽培が復活している。
スリランカ人の主食であるコメは自給率120%を達成したと言われており、2012年より中東、アフリカなどへの輸出を開始している[ 63] 。
スパイス類の生産も盛んであり、特にシナモン はスリランカの特産品として知られている。シナモンの生産量は世界4位、全世界の生産量の8%を占めている。
有機革命
2021年5月、ゴータバヤ・ラージャパクサ 大統領 は化学肥料 の輸入を禁止し、有機農業 を推進した[ 64] 。生産量低下による経済状況の悪化や大量の失業者が出ると懸念され、また9月には為替レートの低下、食料価格の高騰によるインフレ率の上昇、新型コロナウイルスの世界的流行 による観光業の制限などによる国の収入の減少に伴い政府が「経済緊急事態」を発表[ 65] 。10月には輸入の全面禁止も取り止めとなった[ 66] 。
交通
スリランカの鉄道
スリランカ航空 A340型機
スリランカの交通 網は、主にスリランカ最大の都市コロンボ を中心とした道路 網により構成される。多くの道路は細く状態も悪いが、コロンボやその近郊の主要な道路は比較的良い状態に保たれている。2011年 にはスリランカ初となる高速道路 がコロンボと南部のゴール の間に開通しており、さらなる路線拡大が進められている。スリランカで最も一般的な公共交通機関 は、こうした道路網を利用するバス である。公営・民営それぞれのバスが存在しており、都市と農村の両地域において運行されている。
鉄道
スリランカの鉄道 網はイギリス植民地時代 の遺産に大きく依存しており、今日では国内の物流に占める割合は限られている。スリランカにおいて鉄道はすべて政府により運行されている。鉄道の総延長は約1,420kmで、道路網と同様にコロンボを起点とした鉄道網が整備されている[ 67] 。山がちなセイロン島 では小回りの利かない広いゲージを採用するのは不利であるようにも思われるが、軌間 にはインドと同じ1676 mmの広軌 が用いられている。
航空
スリランカの空の玄関は、コロンボから北に約35kmのカトゥナーヤカ に位置するバンダラナイケ国際空港 である。スリランカのナショナル・フラッグ・キャリア であるスリランカ航空 が、同空港をハブ空港 としたアジア 路線とヨーロッパ 路線を就航している。2013年 には南部ハンバントタ に第2国際空港 となるマッタラ・ラージャパクサ国際空港 が開港した。また2012年現在、コロンボ南部のラトゥマラナ空港 も国際化が図られている。
国内便はあまり発展していないが、国内に多数存在する空軍基地や湖沼を活用した水上空港 を結ぶチャーター便が運行されている。
国民
言語・宗教別の民族分布(1981年)紫 :シンハラ人 (仏教 )黄 :タミル 人(ヒンドゥー教 )緑 :ムーア人 (イスラム教 )赤 :シンハラ人/タミル人(キリスト教 )
2012年現在、スリランカは世界で57番目に人口が多い国であり、その人口増加率は0.73%[ 68] 、出生率 は1,000人あたり17.6人で死亡率 は同6.2人である[ 69] 。国内では西海岸の人口密度 が高く、特に首都周辺に人口が集中している。
民族構成
2012年の統計では、総人口約2,027万人のうちシンハラ人 は1,517万人 (74.9%)、タミル人 は311万人 (15.4%)、ムーア人 が187万人 (9.2%)、混血のバーガー人 とユーラシアンが3万7千人、その他に含められる先住民 のヴェッダ人 などとなっている。タミル人の内部も、古代以来の移住で形成されたスリランカ・タミル(227万人)と、19世紀半ばにイギリスが南インドからプランテーション経営のために労働者として連れてこられたインド・タミル(84万人)に分かれる。ムーア人も9-10世紀ごろに島に住み着いたアラブ系の人々を主体とするスリランカ・ムーアと、インドから移住してきたインド・ムーアに分かれる。統計上では、マレーシアから傭兵として連れてこられたマレー人 (4万人)が計上されている。ヴェッダ人 は統計上ではその他(2万2千人)に含められている[ 70] 。
言語
シンハラ語 とタミル語 は国語にして公用語 であり、連結語として英語 も憲法上認められている。日常的にはほとんどの国民がそれぞれの民族語(シンハラ人はシンハラ語 、タミル人はタミル語 )を使っている。この他にバーガー人 やユーラシアンと呼ばれる英語を母語にする人が国民の1割いる。彼らはコロンボ に集住しており、スリランカ社会における指導的役割を担っている。バーガー人はポルトガル人やオランダ人の男性と現地女性との混血、ユーラシアンはイギリス人の男性と現地女性との混血である。ムーア人は主にタミル語を使用する。ヴェッダ人 は独自の言語(ヴェッダ語 、ただしこのヴェッダ語ですらすでにシンハラ語基盤のクレオール言語 である)を持っていたとされるが、シンハラ人との同化が進み、話者は現在、いるとしてもごく少数と見られる。
宗教
スリランカの仏教 を象徴するダラダー・マーリガーワ寺院 (佛歯寺)
スリランカの宗教
宗教
パーセント
仏教
70.19%
ヒンドゥー教
12.61%
イスラム教
9.71%
キリスト教
7.45%
出典: 2011年人口・住宅センサス[ 71]
国民の7割を仏教 が占める。2番目に多いのはヒンドゥー教 だが、その他にイスラム教 、キリスト教 も1割弱存在する。
シンハラ人とタミル人の中には、キリスト教徒 もいる。特にシンハラ人の漁師 は、仏教の五戒 のひとつ「不殺生戒」を守ることができないため、キリスト教に帰依しているものが多い。
ムーア人やマレー人はイスラム教である。バーガー人 やユーラシアンはキリスト教徒である。独立後の民族紛争、1983年の大規模な民族対立以来、ヒンドゥー教徒のタミル人と仏教徒のシンハラ人の対立が深まっているとされるが、民族と宗教を結びつけて考える動きは近代になって生み出された言説である。
教育
ペラデニヤ大学 のサラッチャンドラ野外劇場 (英語版 ) 。劇作家 エディリヴィーラ・サラッチャンドラ (英語版 ) を記念して名づけられた
スリランカの識字率 は92.5%であり[ 72] 、これは開発途上国 としては極めて高い水準である[ 73] 。青年の識字率では98%[ 74] 、コンピュータ・リテラシー は27.5%[ 75] 、小学校 (プライマリースクール)への進学率は99%である[ 76] 。教育制度として、全国すべての子供に9年間の義務教育 を適用している。無償教育 の制度が成立したのは1945年 のことで[ 77] 、これはC. W. W. Kannangara (英語版 ) とA.ラタナーヤカの活動によるものである[ 78] [ 79] 。スリランカは、世界でも数少ない初等教育 から高等教育 まで、すべての教育が無償な国のひとつである[ 80] 。
Kannangaraは農村の子供たちに教育を施すために、Madhya Maha Vidyalaya (英語版 ) (セントラルスクール)の設立を主導した[ 78] 。1942年 、特別教育委員会は国民のための効率的で質の高い教育システムを構築するため広範な改革を提案した。しかし、1980年代 に入りこのシステムは中央政府が管理するものと州政府が管理するものの2つへと分割された。その結果、エリートの国立学校 (英語版 ) は中央の教育省 の管轄に置かれ、州の学校は州政府の管轄に置かれることとなった。2010年現在、スリランカにはおおよそ9,675の公立学校と、817の私立学校そして仏教学校(ピリウェナ (英語版 ) )が存在する[ 72] 。国立大学 は全土に15校存在する[ 81] 。しかしながら、教育システムは労働市場が必要とする人材とのミスマッチ、教育格差、中等教育から高等教育への進学が困難といった問題を抱えている[ 82] 。近年では、いくつかの私立校がこのギャップを埋めるための役割を果たしているが、高等教育におけるその割合はまだわずか5.1%ほどである[ 83] 。
保健
スリランカには無料の国民皆保険制度 が存在する[ 84] 。
治安
同国の治安は一概に安定しているとは言い切れない。同国警察の発表によれば、2017年(暦年)の犯罪 認知件数は約3万6千件であり、対前年度では約10%減となっているが、殺人 事件がスリランカ全土で約450件(未遂を除く)発生しており、人口当たりの発生率は日本の3倍以上となっている。
また、最大都市のコロンボや主要観光都市を中心にスリ 、置き引き などの一般犯罪が発生している他に外国人 が強盗 や性犯罪 などの凶悪事件に巻き込まれる事例も報告されている。
さらには違法薬物犯罪 も増加傾向にあり、渡航や滞在に当たっては他国と治安情況が異なってくることを認識しつつトラブルに巻き込まれないよう充分な注意が必要とされてくる[ 85] 。
文化
ヒンドゥーのカヴァディ (英語版 ) 祭(バブニヤ )
スリランカには2500年の歴史に裏づけされた文化が存在する[ 86] 。それは主に仏教 とヒンドゥー教 の影響を受けたものである[ 87] 。しかし他にも、たとえばイスラムの伝承ではエデンの園 を追放されたアダムとイヴ がこの島を訪れたとしている[ 88] 。この島の主な文化としては、古都キャンディ やアヌラーダプラ を中心とするシンハラ人 の文化と、ジャフナ を中心とするタミル人 の文化、2つの伝統文化が根付いている。さらに現代では、イギリス の植民地文化にも大きな影響を受けている。また、スリランカには民主主義 の伝統も宿っているとされる[ 88] 。
最初のタミル人の移住は紀元前3世紀ごろだとみられている[ 87] 。それ以後、シンハラ人とタミル人は共存を続けており、2つの民族集団は物理的にはその境界はほとんど曖昧になっている[ 89] 。古代スリランカには優れた灌漑技術と建築技術が存在していたことが記録されている。豊かな伝統文化はこの国の長い平均余命 と発達した医療、それに高い識字率に支えられている[ 88] 。
食文化
スリランカの代表料理ライス・アンド・カレー
スリランカの料理としては、ライス・アンド・カレー、ピットゥ (英語版 ) 、キリバット 、ロティ 、インディ・アーッパ 、ワッタラッパン(マレーを起源とするココナッツミルク 、ジャガリー、カシューナッツ 、卵、それにシナモンやナツメグ といったスパイスから作るプディング状のデザート)、コットゥ (英語版 ) 、それにアーッパ といったものが存在する[ 90] 。パラミツ (ジャックフルーツ)は時々ライス・アンド・カレーの代わりに食される。伝統的な食事では、プランテンバナナ の葉に乗せて提供される。食べ方は、箸 やナイフ やフォーク を使わず、さまざまな味のカレーを混ぜて右手の指で摘んで食べるスタイルである。
スリランカ料理には、中東からの影響として伝統的なムーア人 の料理が含まれている。またオランダとポルトガルの影響もあり、バーガー人 の伝統的な料理としてランプレイス(米などをバナナの葉に包んで蒸し焼きにしたもの)、Breudher(オランダのクリスマスケーキ )、Bolo Fiado(ポルトガル風のケーキ)、Gum Billas(オランダ風のハチミツでコーティングしたお菓子)といった料理も食されている。
酒 に関しては、仏教の五戒 のひとつ「不飲酒戒」と法律の規制があるため、販売場所・販売時間が厳格に決まっており、ポヤ(満月 の日)は酒の販売が一切禁止されるため、飲酒に関しては厳しい一面もある。飲食店では、酒の販売をしていない店で、外から酒の持ち込みを許容している店もある。
紅茶の産地ということもあり、スリランカでは紅茶 が親しまれている。家庭では朝晩に紅茶を飲み、ティータイムの文化も定着している。
文学
芸術
音楽
建築
スリランカの建築は、現在に至るまで多種多様な建築形態と形式を示している。
世界遺産
ルワンワリサーヤ仏塔(アヌラーダプラ )
シンハラジャ森林保護区
スリランカ国内には、ユネスコ の世界遺産 リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が2件ある。
文化遺産
聖地アヌラーダプラ (1982年)、古代都市ポロンナルワ (1982年)、古代都市シーギリヤ (1982年)、聖地キャンディ (1988年)、ゴールの旧市街と要塞 (1988年)、ダンブッラの黄金寺院 (1991年)
自然遺産
シンハラジャ森林保護区 (1988年)、スリランカの中央高地 (2010年)
祝祭日
4月には仏教 (英語版 ) とヒンドゥー教 (英語版 ) でそれぞれ新年が祝われる[ 91] 。7~8月には、古都キャンディ でエサラ・ペラヘラ祭 というスリランカ仏教における象徴的なお祭りがあり、これはおおよそ1か月間にわたって行われる[ 92] 。祭りでは飾り付けられた象とともに、ファイアーダンス、ウィップダンス、キャンディアンダンス それに様々な他の文化のダンスが繰り広げられる。その他、タミル人にはタイ・ポンガル (英語版 ) 、マハー・シヴァラトリー が、ムスリム はハッジ 、ラマダーン といった行事があり、毎年祭事が催される。表の日付は2019年のもの[ 93] [ 94] 。
祝祭日
日付
日本語表記
英語表記
1月15日
タミル豊穣祭 (英語版 )
Tamil Thai Pongal Day
2月4日
独立記念日[ 95]
National Day
3月4日
ヒンズー教神聖日
Mahasivarathri Day
4月13日・14日
シンハラ・タミル元日
Sinhala & Tamil New Year Day
4月19日
聖金曜日
Good Friday
5月1日
メーデー
Mayday
5月満月とその翌日
ウェサック ・ポヤ・デー
(仏陀の生誕・成道・涅槃の日)
Vesak Full Moon Poya Day
6月満月
ポソン・ポヤ・デー(仏教伝来の日)
Poson Full Moon Poya Day
6月5日
ラマダーン 明け大祭
Id-Ul-Fitr (Ramazan Festival Day)
7月満月
エサラ・ポヤ・デー
Esala Full Moon Poya Day
8月12日
犠牲祭 (ハジ祭)
Id-Ul-Alha (HadjiFestival Day)
10月27日
ディワリ (ヒンズー教新年祭)
Dewali(Deepavali)
11月10日
預言者生誕祭 (モハメッド生誕日)
Milad-un-Nabi(Muhammad's Birthday)
12月25日
クリスマス
Christmas Day
スポーツ
クリケット
歴代屈指のクリケット選手であるクマール・サンガッカラ
クリケット が最も人気のスポーツ となっている[ 96] 。1832年 には同国に既に伝わっており、イギリス の植民地 時代だった1882年 には最初の非公式国際試合が行われた。1937年 からはクラブ対抗の国内選手権も行われており、1982年 からは公式のテスト・マッチに参加するようになった。
1990年代から大きな成功を収めるようになり、1996年 にはクリケット・ワールドカップ で初優勝し、2014年のICC T20ワールドカップ でも初優勝した。他にも2007年と2011年のクリケット・ワールドカップで準優勝、2009年と2012年のT20ワールドカップで準優勝を経験している。2020年にはトゥエンティ20 方式のプロリーグであるランカ・プレミアリーグ (英語版 ) が開幕した。強豪国の一角となっており、国際クリケット評議会 のフルメンバーにもなっている。ムティア・ムラリタラン は、クリケットの歴史の中でも最も偉大なボウラー であり[ 97] 、クマール・サンガッカラ は世界有数のバッツマン である[ 98] 。
サッカー
スリランカでは近年クリケットを凌ぐ勢いでサッカー の人気が上昇しており、2018年 に国際サッカー連盟 (FIFA)の助言と支援を受けて、2021年 に念願のプロサッカーリーグである「スリランカ・スーパーリーグ 」が創設された。当初は2020年 に開催される予定であったが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行 により延期されていた。
スリランカサッカー連盟 (FFSL)によって構成されるサッカースリランカ代表 は、FIFAワールドカップ およびAFCアジアカップ への出場歴はないものの、南アジアサッカー選手権 では1995年 大会で優勝している。また、AFCチャレンジカップ では2006年大会 で準優勝に輝いている。
著名な出身者
脚注
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参考文献
杉本良男 (編)『もっと知りたいスリランカ』弘文堂 、1987。
杉本良男 (編)『アジア読本ースリランカー』河出書房新社 、1998。
杉本良男・高桑史子・鈴木晋介(編著)『スリランカを知るための58章』明石書店 、2013。
澁谷利雄・高桑史子(編)『スリランカー人々の暮らしを訪ねてー』段々社、2003。
岩田慶治 ・井狩彌介・鈴木正崇 ・関根康正 『スリランカの祭』工作舎 、1982。
鈴木正崇 『スリランカの宗教と社会ー文化人類学的考察ー』春秋社 、1996。
川島耕司『スリランカと民族ーシンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団ー』明石書店 、2006。
木立順一「日本の国家分断を防いだ魂の演説」『救国論』、メディアポート、2015。ISBN 978-4865581089
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