スリランカ民主社会主義共和国 の大統領 であるマヒンダ・ラージャパクサ (左)と日本国 の内閣総理大臣 である福田康夫 (右)(2007年 12月10日 、総理大臣官邸 にて)
日本とスリランカの関係 (にほんとスリランカのかんけい、シンハラ語 : ජපාන-ශ්රී ලංකා සබඳතා 、英語 : Japan–Sri Lanka relations )は、日本 とスリランカ の二国間関係 を指す。1972年 にセイロンが国号をスリランカに改称するまでは、日本とセイロンの関係 (にほんとセイロンのかんけい、英語 : Ceylon–Japan relations )として言及されていた。
日本はコロンボ に在スリランカ日本国大使館 を置いている[1] 。また、スリランカは東京都 港区 に駐日スリランカ大使館 を置いている[2] 。
歴史
太平洋戦争勃発前(~1941年)
1921年 、昭和天皇 (当時は皇太子迪宮裕仁親王)がイギリス領セイロン (現・スリランカ)を訪問した[3] 。
太平洋戦争中(1941~1945年)
太平洋戦争開戦初期の1942年 4月上旬、当時イギリス海軍東洋艦隊 の拠点であったイギリス領セイロン(現・スリランカ)に対して日本軍の南雲 機動部隊がコロンボ とトリンコマリー を空襲。東洋艦隊は空母と重巡洋艦2隻を失う大損害を受けた。攻撃目標は軍事拠点であったが、近隣の民間人にも被害が発生した[4] 。
太平洋戦争終結後(1945年~)
セイロン(現・スリランカ)がイギリス から正式に独立した1948年 から4年後、かつ日本が連合軍の占領下 から独立した1952年 に、日本とセイロンは正式な国交を樹立させた。また、国交樹立前の1951年 に行われたサンフランシスコ講和会議 には、セイロン代表としてジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ 大統領が出席、「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛 によって止む(Hatred ceases not by hatred, But by love. )[5] 」という仏陀 の言葉を引用、対日賠償請求権の放棄を明らかにすると共に、日本の国際社会復帰を求め、日本の国際社会復帰の道筋を作った[3] 。
1957年 : 岸信介 が日本の首相として初めてスリランカを訪問[6] 。
1981年 : 明仁上皇 (当時は皇太子継宮明仁親王。平成時代の天皇)がスリランカを訪問[3] 。
1990年 : 海部俊樹 がスリランカを独立後初の訪問[7] 。
1993年 : LTTEによって暗殺されたラナシンハ・プレマダーサ 大統領の国葬に細川護煕 首相の特使が参列。
2002年 : 国交樹立50周年。
2012年 : 国交樹立60周年を祝い記念硬貨が発行された[8] [9] 。
2013年 : 「スリランカ復興開発に関する東京会議」が6月9日、10日の2日間に渡り開催され、51カ国、22の国際機関が参加[10] 。
2014年 : 3月、日本式のデジタル放送の採用が決定[6] 、9月には安倍晋三 が日本の首相として24年ぶりにスリランカを訪問。首脳会談 を行った[11] 。
2019年 : 4月21日 に発生したスリランカ連続爆破テロ事件 では日本人1名が死亡、4名が怪我をし、翌日には安倍首相がシリセーナ 大統領宛にお見舞いのメッセージを表明した[12] 。
経済関係
日本からの経済援助
1954年 10月6日 、日本はコロンボ・プラン に参加しアジア諸国への経済支援を開始した。これにちなんで、日本では10月6日が「国際協力の日」と定められている[4] 。戦後協力の中でスリランカ支援は大きな比重を占めており、人口当たりのODA 供与額は最大規模であり、スリランカ側から見ても内戦期の支援額は日本が突出していた。支援は有償資金協力と無償資金協力、技術協力の3種類がある。2016年度までの実績は、有償資金協力が10,688.41億円、無償資金協力が2,139.61億円、技術協力が803.95億円である[7] 。
1980年 には青年海外協力隊 の派遣協定が交わされ、2009年までの30年間で828名のボランティアが活動を行ってきた[4] 。
また、日本はスリランカにとって中国 、インド につぐ3位の経済援助国であり、2004年12月のスマトラ島沖地震 によるインド洋大津波では緊急支援として80億円の無償資金協力を供与した他、中長期的支援として約100億円の円借款を供与している[7] 。この他に無償資金協力によって1983年に完成したスリ・ジャヤワルダナプラ総合病院 や1999年に完成したスリ・ジャヤワルダナプラ国立看護学校 、1980年より開始されたコロンボ港 再開発事業への支援などが日本の支援プロジェクトとして知られている[3] 。2019年には、コロンボ港東ターミナル(ECT)開発事業を日本、インド、スリランカ合同で行う覚書が締結された[13] 。
日本との貿易
1997年 、スリランカはBIMSTEC (多方面技術経済協力のためのベンガル湾 イニシアティヴ)のメンバーとなった。BIMSTECには他にバングラデシュ 、ブータン 、インド 、ネパール 、タイ 、ミャンマー が加盟している。BIMSTECは2000年以降減少している貿易額を増加させるため日本と自由貿易協定を結ぶことを目標としている。
2016年 時点において、日本とスリランカの貿易額は約1,022.3億円であり、日本はスリランカにとって第3位の輸入相手国、第10位の輸出相手国となっている。日本への主要輸出品目は紅茶 、衣類 、魚介類 (まぐろ、えび等)、植物性原材料、貴石 で輸出額は262.1億円、日本からの主要輸入品目は自動車 、一般機械、電気機器、繊維製品、プラスチック で輸入額が760.2億円となっている[7] 。
2018年9月現在の日系進出企業は130社であり、製造業 、商社 ・サービス業 、建設業 が進出している[7] 。
その他
2011年に発生した東日本大震災 の際には、スリランカ政府から8,000万円の義援金と300万個の紅茶のティーバッグが寄贈された[14] 。
人的交流
在スリランカ日本人
2021年10月時点において、在スリランカ日本人の数は723人となっている[15] 。
在日スリランカ人
2021年6月時点において、 29,353人の在日スリランカ人が居住している[16] 。
在日スリランカ人留学生
国・地域別の在日留学生〔出典:日本学生支援機構(JASSO)〕
年度
1位
2位
3位
4位
5位
6位
7位
2016
0 98,483人
53,807人
19,471人
15,457人
0 8,330人
0 4,630人
0 3,976人
2017
107,260人
61,671人
21,500人
15,740人
0 8,947人
0 6,607人
0 5,495人
2018
114,950人
72,354人
24,331人
17,012人
0 9,524人
0 8,329人
0 6,277人
2019
124,436人
73,389人
26,308人
18,338人
0 9,584人
0 7,240人
0 6,756人
2020
121,845人
62,233人
24,002人
15,785人
0 7,088人
0 6,199人
0 5,238人
2021
114,255人
49,469人
18,825人
14,247人
0 5,792人
0 4,887人
0 3,762人
2022
103,882人
37,405人
24,257人
13,701人
0 5,763人
0 5,015人
0 3,857人
2018年5月時点での在日スリランカ人留学生は8,329人で、在日留学生総数の2.8%を占めており、留学生の国・地域別では第6位となっている[17] 。
2014年の在日スリランカ人留学生数は1,412人で、国・地域別で第12位の座を占めているに過ぎなかった[18] 。ところが、2015年には留学生数が前年比67.3%増の2,312人を数えて、この年からスリランカ人留学生が顕著な増加を見せるようになる[19] 。
2016年以降もスリランカ人留学生の増加は止まることを知らず、3,976人(2016年、国・地域別で第7位)[20] 、6,607人(2017年、第6位)[21] 、8,329人(2018年、第6位)と右肩上がりで伸び続けている[17] 。
文化交流
スリランカでは日本のテレビドラマ「おしん 」が人気であり、日本といえば「おしん」という人も多い[22] 。
2016年から主要ケーブルテレビの1つとして「WAKUWAKU JAPAN」チャンネルが設置されており、2017年からは「男はつらいよ 」のテレビ放送が開始された[7] 。
外交使節
駐スリランカ(セイロン)日本大使・公使
駐日スリランカ(セイロン)大使
駐日セイロン大使
駐日スリランカ大使
脚注
関連項目
外部リンク
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