木村四郎七

木村 四郎七(きむら しろうしち、1902年10月24日[1] - 1996年8月28日[2])は、日本外交官位階正三位

生涯

奈良県下市町木村熊治郎の5男として誕生[1]。1927年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1930年高等試験外交科合格、外務省入省。1941年5月から6月まで在香港領事館領事[3][4]。1948年2月、連絡調整中央事務局第一部長に就任[5]。1949年1月、連絡調整中央事務局次長に就任[6]。1949年6月、外務省連絡局長[7]中央連絡協議会副会長に就任[8]

1951年11月、国交未樹立の台湾中華民国)にて在台北日本政府在外事務所が開設され、同所長として派遣された[9][10]。1952年、台湾政府との和平交渉に参加[11][12]:274。同年から1953年まで、在中華民国(台湾)大使館参事官を務めた[12]:276。1954年から55年まで在スリランカ日本公使。1956年8月、外務省官房長に就任[7]。1957年、大臣官房外務審議官[13]

同年日本とチェコスロバキアの政府間外交再樹立に伴い、1961年まで在チェコスロバキア大使。1961年、世界気象協会で日本政府代表。1963年から1966年まで在中華民国(台湾)大使。1966年から1968年まで在韓国大使[14]。1968年から日本放送協会経営委員会委員[15]。1974年5月から1978年2月まで台湾との領事窓口である交流協会で理事長。1972年勲一等瑞宝章受章[16]。1996年正三位[17]

出典

  1. ^ a b 下市町史編纂委員会 (1958). 大和下市史. 下市町教育委員会. p. 28 
  2. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1996年9月3日朝刊、27面の訃報より。
  3. ^ [1]
  4. ^ Hong Kong Government Gazette, May 9, 1941
  5. ^ 昭和23年本紙第6329号 113頁
  6. ^ 官報昭和24年本紙第6621号 81頁
  7. ^ a b 戦後外務省主要幹部任免表”. 日本国外務省. 2013年8月12日閲覧。
  8. ^ 官報昭和24年本紙第6781号 215頁
  9. ^ 張宏波. “在台北海外事務所の開設をめぐる日本外交の主体性―国民政府外交档案からみた戦後初期日中関係の形成―”. p. 103. http://www.meijigakuin.ac.jp/~hongbo/PRIME29Zhang.pdf 2013年8月12日閲覧。 
  10. ^ CIA Daily Digest, November 9, 1951
  11. ^ [2]
  12. ^ a b 臺灣省通志 卷3 政事志 外事篇, 台北市: 台湾省文献委員会, (1971-06-30) 
  13. ^ 官報昭和32年本紙第9096号 496頁
  14. ^ Seung K. Ko, "South Korean-Japanese Relations since the 1965 Normalization Pacts" Modern Asian Studies, Vol. 6, No. 1 (1972), pp. 49-61
  15. ^ 昭和43年本紙第12542号 16頁
  16. ^ 官報昭和47年本紙第13764号 18頁
  17. ^ 官報平成8年本紙第1990号 8頁
先代
山田久就
連絡調整中央事務局次長
1949年
次代
廃止
先代
新設
外務省連絡局長
1949年 - 1951年
次代
小田部謙一
(局長心得)

伊関佑二郎
局長
先代
板垣修
交流協会理事長
1974年 - 1978年
次代
西山昭

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