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この項目では、警察官僚について説明しています。ドイツ文学者については「国松孝二」をご覧ください。 |
國松 孝次(くにまつ たかじ、1937年〈昭和12年〉6月28日 - )は、静岡県浜松市出身の元警察庁長官、元在スイス日本大使、元NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク理事長・会長。
来歴
1937年、静岡県浜松市生まれ[1]。静岡県立浜松西高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[1][2]。大学4年生に肺結核を患ったため、民間企業では採用されず、東京大学剣道部師範から警察官になることを勧められて入庁[1]。
1961年、警察庁入庁[1]。警視庁本富士警察署長、警視庁総務部広報課長、在フランス日本国大使館1等書記官、大分県警察本部長、警視庁公安部長、兵庫県警察本部長、1991年に警察庁刑事局長などを経て、1993年に警察庁次長。1994年 警察庁長官に就任[2]。
1995年3月30日、東京都荒川区南千住のマンションで狙撃され(警察庁長官狙撃事件)[2][3]、一時危篤状態となったが2ヶ月半後に復帰[4][5]。
1997年 退官[1]。1998年~1999年、自動車安全運転センター理事長。1999年~2002年、在スイス特命全権大使[1]。2003年、NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク理事長に就任し、2012年から会長を務めた[1]。
この他、公益財団法人「犯罪被害救援基金」理事長代行、損保ジャパン顧間(非常勤)、日興コーディアルグループ特別顧間(非常勤)、丸紅社外取締役などを務める[6]。特定非営利活動法人日本防災士機構会長[7]。
人物
1995年3月30日の警察庁長官狙撃事件で銃撃された経験から、救急医療の大切さを実感し、NPO法人救急ヘリ病院ネットワークの理事長就任依頼を受けた[4]。全国にドクターヘリを配置する活動を積極的に展開した。
人々が実感する治安を体感治安という言葉で表現している[8][9]。
息子の國松大介は2008年の宇宙飛行士選抜試験で最終選考まで残っている(ドキュメント宇宙飛行士選抜試験)。
著書
國松孝次を演じた俳優
脚注
関連項目
外部リンク