日本とシンガポールの関係
日本とシンガポールの関係 (にほんとシンガポールのかんけい、英語 : Japan–Singapore relations 、マレー語 : Hubungan Singapura - Jepun 、中国語 : 新加坡-日本关系 、タミル語 : சிங்கப்பூர்-ஜப்பான் உறவுகள் )では、日本とシンガポールの関係について述べる。日星関係 や日新関係 とも記される[1] 。シンガポール の独立以後、日本とシンガポールの経済的、政治的なつながりは緊密なものへと成長した。日本 は1965年 8月9日 にシンガポールを承認し、1966年 4月26日 に外交関係を樹立した。2002年 に日本にとって初となる経済連携協力「日本・シンガポール新時代経済連携協定 」を結び、要人往来も活発である[2] 。
歴史
日本の占領時代は「シンガポールの歴史#日本による占領と軍政 」及び「シンガポールの戦い 」を参照
初めてシンガポールに居住した日本人は1862年 にやってきた山本音吉 である[3] 。日本人が多く移住してきたのは明治維新 後の1870年代のことで[4] 、初期にシンガポールにやってきた日本人の中には、後にからゆきさん として知られることとなる多くの売春婦 が含まれていた。最初の売春婦がやってきたのは1870年 もしくは1871年 のことで、1889年 には134人の売春婦が居住していた[4] 。
第一次世界大戦 が始まると、東南アジア に向けたヨーロッパ からの輸入が止まり、日本製品がそれに取って代わった。これが引き金となり、シンガポールの日本人経済の中心は小売業 、貿易業 へと変化していった[5] 。
太平洋戦争 中にイギリスの植民地化にあったシンガポールを山下奉文 中将が率いる日本陸軍 が1942年 2月7日 に攻撃開始、2月15日 にシンガポールが陥落した。その後は日本陸軍による軍政 が敷かれ、シンガポールは「昭南島 (しょうなんとう)」と改名された。なお、昭南島とは「昭和の時代に得た南の島」の意とされている。この日本軍による占領直後にシンガポール華僑粛清事件 が発生している。軍政下の行政組織として「昭南特別市」が設置され、初代市長には、日本人内務官僚の大達茂雄 が任命された。
日本の敗戦後、1947年 に軍や一般人を含むすべての日本人は帰国した。その後1950年代 後半には日本人の入国規制が緩和され、日本の貿易商社はシンガポール事務所を再開した[6] 。1957年 には日本人居住者達によってシンガポール日本人会 が再設立された[7] 。
日本企業の工場の東南アジア移転が盛んになった1970年代 前半に、急激に日本人が増加し[8] 、現在に至る。
経済関係
シンガポールの急速な発展とともに経済関係は緊密になり、1995年 4月28日 に租税協定、2002年 11月 に日本にとって初となる経済連携協力「日本・シンガポール新時代経済連携協定 」が発効した。日本はシンガポールにとって第8位(2020年)の貿易相手国となっており[9] 、シンガポールは日本の第4位(2020年)の直接投資 国になっている[10]
。
1969年 にシンガポール日本商工会議所が在シンガポール日系企業の活動支援を目的に設立され、シンガポール政府に対して要望を行なっている。日本法人の進出は805社・個人(2021年4月)に及ぶ[11] 。シンガポールに在留する邦人数は36,200人(2021年10月)[12] 。
貿易額(単位:百万米ドル [注釈 1] )[11]
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
シンガポールへの輸出
450,628
476,762
391,118
478,841
514,741
408,362
410,286
409,536
346,440
320,476
385,307
406,969
390,382
373,889
日本への輸入
395,980
450,893
356,299
423,222
459,655
379,734
373,022
366,016
296,602
274,998
338,247
366,342
359,004
328,804
直接投資(単位:百万米ドル)[11]
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
直接投資受入額
37,033
11,798
24,418
48,637
48,637
64,003
直接投資受入額(コミットメント ベース)
8,081
9,427
10,559
13,099
9,591
8,961
8,130
6,492
7,070
文化交流
2009年11月に日本のファッションやアニメ、文化などを発信するためにジャパン・クリエイティブ・センター(JCC)[1] が設立された。
シンガポールから日本への留学生は166人、日本語学習者は16000人[13] 。
観光
シンガポールの日本人旅行客は65.6万人で第7位(2011年[14] )。
渡航者数[15]
日本からシンガポール
シンガポールから日本
渡航者数
前年比
渡航者数
前年比
2000
929,670
62,163
2001
755,766
18.7%
59,122
4.9%
2002
723,420
4.3%
64,346
8.8%
2003
434,064
40.0%
65,369
1.6%
2004
598,821
38.0%
72,445
10.8%
2005
588,535
1.7%
94,161
30.0%
2006
594,404
1.0%
115,870
23.1%
2007
594,511
0.0%
151,860
31.1%
2008
571,020
4.0%
167,894
10.6%
2009
489,940
14.2%
145,224
13.5%
2010
528,817
7.9%
180,960
24.6%
2011
656,406
24.1%
111,354
38.5%
2012
757,116
15.3%
142,201
27.7%
2013
832,838
10.0%
189,280
33.1%
備考: 観光以外の商用などの渡航も含む。 2003年のシンガポールへの渡航者の落ち込みはSARS によるもの。 2011年の日本への渡航者の落ち込みは東日本大震災 によるもの。
日本からの開発支援
日本のシンガポールに対する経済協力実績額[2]
有償資金協力
無償資金協力
技術協力
合計
127.7億円
31.17億円
239.88億円
398.75億円
2013年現在日本からシンガポールに対しての開発支援は行なっていない。有償資金協力は1972年度、無償資金協力は1987年度、技術協力は1998年度まで行なっていた[2] 。
1994年からシンガポールの対外援助を支援するために日・シンガポール・パートナーシップ・プログラム (JSPP)を結んだ。2007年には共同で第三国への研修協力支援を行うために21世紀のための日・シンガポール・パートナーシップ・プログラム (JSPP21)を結び途上国開発支援を行なっている[2] 。
両国の比較
外交使節
在シンガポール日本大使・領事
駐日シンガポール大使館
駐日シンガポール大使
アン・コクペン (洪国平、1968~1971年)
ロイ・ケンフー (黎経富、1971~1972年)
ウィー・モンチェン (黄望青、1973~1980年)
ウィー・キムウィー (黄金輝、1980~1984年)
リー・クーンチョイ (李炯才、1984~1988年)
チェン・トンファト (鄭東発、1988~1991年)
リム・チンベン (林振明、1991~1997年、信任状捧呈は9月3日[25] )
チュー・タイスー (周大思、1998~2004年[26] 、信任状捧呈は4月23日[27] )
タン・チンチョン (陳振忠、2004~2012年、信任状捧呈は11月2日[28] )
チン・シアットユーン (陳燮栄、2012~2017年、信任状捧呈は4月26日[29] )
ルィ・タックユー (英語版 ) (呂徳耀、2017~2019年、信任状捧呈は7月19日[30] )
ピーター・タン・ハイ・チュアン (中国語版 ) (陳海泉、2019~2023年、信任状捧呈は2020年2月12日[31] )
オン・エンチュアン (2023年~、信任状捧呈は2023年9月25日[32] )
脚注
注釈
^ 2019年・2020年分は出典の記載単位がシンガポールドル であったため、年間の平均レート で米ドルに換算。
^ 解釈が異なる見解については、立憲君主制 の項にある注釈の中の記載を参照。
出典
Tan, Bonny (2008), “Yamamoto Otokichi” , Singapore Infopedia , Singapore: National Library Board, オリジナル の2009年7月27日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20090727205914/http://infopedia.nl.sg/articles/SIP_1340_2008-03-05.html
Shimizu, Hiroshi; Hirakawa, Hitoshi (1999), Japan and Singapore in the world economy: Japan's economic advance into Singapore, 1870-1965 , Studies in the modern history of Asia, 5 , Routledge, ISBN 978-0-415-19236-1
Shiraishi, Saya; Shiraishi, Takashi, eds. (1993), The Japanese in colonial Southeast Asia , Southeast Asian Publications, 3 , Cornell University, ISBN 978-0-87727-402-5 . Chapters cited:
Shiraishi, Saya; Shiraishi, Takashi (1993), “The Japanese in Colonial Southeast Asia: An Overview”, pp. 1–20
Tsu, Yun-hui Timothy (2002), Post-mortem identity and burial obligation: on blood relations, place relations, and associational relations in the Japanese community of Singapore , in Nakamaki, Hirochika, “Post-mortem identity and burial obligation: On blood relations, place relations, and associational relations in the Japanese community of Singapore”, Senri ethnological studies 62 : 93-114, doi :10.15021/00002760 , hdl :10502/1002 , https://doi.org/10.15021/00002760
Ben-Ari, Eyal (2003), “The Japanese in Singapore: The Dynamics of an Expatriate Community”, in Goodman, Roger, Global Japan: the experience of Japan's new immigrant and overseas communities , Routledge, pp. 116–146, ISBN 978-0-415-29741-7
関連項目
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