日本とギニアビサウの関係 (にほんとギニアビサウのかんけい、ポルトガル語 : Relações entre Japão e Guiné-Bissau 、英語 : Japan-Guinea‐Bissau relations ) では、日本 とギニアビサウ の関係について概説する。日本とギニアビサウ共和国の関係 とも。概ね友好的な関係を築いている。
両国の比較
歴史
1963年 よりギニアビサウ独立戦争 が勃発。この戦争はおよそ10年間も続き、1973年 にはようやくギニアビサウ は独立を達成した。旧宗主国 のポルトガル は当初これを認めなかったが、1974年 4月25日 にはリスボン でカーネーション革命 が発生。これによりポルトガル もギニアビサウ の独立承認へ方針を転換し、その動きを受けて日本 はギニアビサウ を国家承認し、1974年 8月1日 に外交関係を樹立した[3] 。
しかし独立直後は冷戦 下において東側諸国 に寄った外交政策を進め、また権力基盤が安定しなかったことからクーデター が相次いだ。そのことから交流は進展せず、関係が進展したのはギニアビサウ が複数政党制 へと移行し西側諸国 との関係を重視し始めた1990年 前後、ジョアン・ヴィエイラ 政権以降である。ただし現在でも治安や交流の少なさから独立した大使館 は設置されていない。日本 は1978年 からダカール の在セネガル日本国大使館 がギニアビサウ を兼轄しており[21] 、ギニアビサウ は2003年 より北京 の在中国ギニアビサウ大使館が日本 を兼轄している[3] 。
外交
二国間関係
日本 は東アジア 、ギニアビサウ は西アフリカ に位置する国家であり、地理的に大きく離れている。歴史的には日本 は独立を維持してきた一方でギニアビサウ はポルトガル に支配されていた時代が長く、ゆえに文化も大きく異なる。また日本 は先進国 である一方ギニアビサウ は後発開発途上国 の一つであり、経済的格差から貿易上の繋がりや民間人の交流も多くないのが現状である。そのため両国の関係は緊密とは言えない[3] 。
日本要人のギニアビサウ訪問
ギニアビサウ ではクーデター が頻発していた時期があり、また現在でも国民の大半が貧困層で治安が安定していない。そのため日本要人のギニアビサウ 訪問は今までにほとんど行われてこなかった。2016年 9月 に日本・アフリカ連合友好議員連盟 (日AU議連)のメンバーとして衆議院議員 の山際大志郎 と牧原秀樹 が訪問したのみである[3] 。
ギニアビサウ要人の訪日
独立以後、ギニアビサウ は東側諸国 に寄った外交政策を展開したため当初は日本 に要人を派遣することは少なかった。しかし1989年 ごろに複数政党制 の導入、西側諸国 との関係重視という方針転換が行われて以来、日本 への要人派遣が増加している[3] 。
1989年 および1990年 には、ギニアビサウの大統領 として初めてジョアン・ヴィエイラ が訪日[3] 。2000年 にはギニアビサウの首相 として初めてカエタノ・ンチャマ (英語版 ) が訪日を実施する。その後、2008年 5月 には再び大統領の地位にあったジョアン・ヴィエイラ が第4回アフリカ開発会議 出席のために訪日している[3] 。
日・ギニアビサウ首脳会談(2019年)
2019年 には第7回アフリカ開発会議 参加のため、ギニアビサウ首相 のアリスティデス・ゴメス ほか複数閣僚が訪日を実施。アリスティデス・ゴメス は安倍晋三 と首脳会談 を実施して、日本企業によるギニアビサウ投資の促進などについてが話し合われている[22] 。
このほかにも複数の閣僚が訪日を実施しており、交流の深化が図られている[3] 。
経済関係
2019年 のギニアビサウ の対日輸出は2,120ドル 、日本円 にしてわずか24万円に留まっており国家間貿易の数字としてはほぼゼロに近い数字である[23] 。一方で対日輸入は132万ドル 、日本円 にしておよそ1億5千万円ほどで貿易収支では日本が大幅な黒字となっている[23] 。ギニアビサウの対日貿易において主要な輸出品目は魚介類[23] 、主要な輸入品目はゴム製品、食料品、化学製品である[3] 。
このように貿易関係は希薄であるが、日本 はギニアビサウ に対して政府開発援助 を実施している。ギニアビサウ にとって重要な援助国はイタリア や旧宗主国 であるポルトガル 、アメリカ合衆国 などであるが、日本 も支援金額では上位である。主要な政府開発援助 は以下の通り[3] 。
「トンバリ州零細漁業施設建設計画 (2010年、8.56億円)」‐無償資金協力。南部の漁業拠点であるトンバリ州 において、漁村民の生活水準の改善や生産性の向上のため、水産施設を整備[24] 。
「ビサウ市小学校建設計画 (2012年、9.98億円)」‐無償資金協力。1998年 に発生したギニアビサウ内戦 (英語版 ) で国内のインフラは破壊されており、それには小学校 も含まれている。その影響もあってギニアビサウ における初等教育 の就学率 は55%程度と低い水準に留まっており、それら諸問題を改善するために小学校 を建設・整備した[25] 。
さらにはギニアビサウ は世界最貧国 の一つであることから、世界食糧計画 を通じた食糧支援[26] 、国際連合開発計画 を通じた新型コロナウィルスの流行 に対応するための医療・衛生・保健面での支援[27] 、草の根・人間の安全保障無償資金協力として島民が安全に移動できるようにするため1000万円相当のボートを給与する「ビジャゴ諸島ウロク海洋保護区ボート整備計画」[28] 、既存の小学校 に7つの教室の増設し提供する「ビサウ市カサカ・コングレッソ小学校教室棟建設計画」など人道的な支援が実施されている[29] 。
ギニアビサウ に進出している日系企業は、2019年 時点で一社もない[3] 。
学術研究
1996年 3月から6月にかけて、鳥羽水族館 がギニアビサウにてアフリカマナティー の調査を行った。「はるか」「かなた」の2頭のマナティーが捕獲され、日本に輸送されている。「はるか」は2014年に死亡したが、「かなた」は2024年現在も鳥羽水族館で飼育されている。
なお、鳥羽水族館へは2010年にギニア共和国 から「みらい」も入館し、共に飼育されている。
文化交流
2020年東京オリンピック ではギニアビサウ選手団が岡山県 総社市 をホストタウンして利用し、事前合宿などを実施した[30] 。そのつながりで総社市 の小中学校ではギニアビサウ に関する教育が行われる[31] 、2020年東京オリンピック 終了後には未使用の文房具 がギニアビサウ の子供たちに贈られるなど[32] 、交流を深めた。
外交使節
駐ギニアビサウ日本大使
駐日ギニアビサウ大使
ニコラウ・ドス・サントス (ポルトガル語版 ) (北京常駐、2003~2013年、信任状捧呈は8月4日[33] )
マラン・サンブー (ポルトガル語版 ) (北京常駐、2013年~、信任状捧呈は7月29日[34] )
脚注
参考文献
ギニアビサウ共和国(Republic of Guinea‐Bissau)基礎データ 外務省
関連項目
外部リンク
アジア
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関連項目
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