日本と北マケドニアの関係 (にほんときたマケドニアのかんけい、マケドニア語 : Односот меѓу Јапонија и Северна Македонија 、英語 : Japan-North Macedonia relations ) では、日本 と北マケドニア の関係について概説する。日本と北マケドニア共和国の関係 、もしくは旧国名を用いて日本とマケドニアの関係 とも。両国は概ね友好的な関係を築いている。
両国の比較
歴史
独立以前、北マケドニア はマケドニア社会主義共和国 としてユーゴスラビア社会主義連邦共和国 を構成しており、ユーゴスラビア を介した民間の交流はすでにあった。
そして1990年 、冷戦 終結の影響を受けて「社会主義 」が外され構成国 としての名前が「マケドニア共和国」となる。さらにはクロアチア やスロベニア が独立 に傾いたことでマケドニア でも準備が進められ、1991年 9月8日 マケドニア大統領 キロ・グリゴロフ の下、マケドニア は独立 を宣言した。マケドニア が国際連合 に加盟を果たすと日本 は1993年 12月 に「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」の名称で国家承認し、1994年 3月 に外交関係を開設した。それ以降は経済の復興やバルカン半島 全体の安定のため、日本 が継続的に北マケドニア に対して技術協力や経済支援を実施しているなど、友好的な関係を築けている[3] 。
日・北マケドニア外交関係樹立20周年にあたる2014年 10月 、駐日マケドニア旧ユーゴスラビア共和国大使館(現在の駐日北マケドニア共和国大使館 )が東京 に開設され、同年12月 に初代駐日大使が着任した。日本 は2017年 1月 に在マケドニア旧ユーゴスラビア共和国日本国大使館(現在の在北マケドニア共和国日本大使館 )をスコピエ に開設し、同年5月 に初代大使が着任した[3] 。
外交
両国関係
日本 は東アジア 、北マケドニア はバルカン半島 に位置しており相当に距離が離れていることから地理的・文化的な接点は少なかった。しかしユーゴスラビアの崩壊 以後、北マケドニア は民主化 や市場開放 のプロセスを進めて現在では民主主義 や資本主義 、自由主義 、法の支配 、人権の尊重 といった価値観を概ね共有している友好国である[3] 。また2020年 には国名変更が後押しとなって北マケドニア はNATO に加盟したが[21] 、日本 はNATO 主導国の一国たるアメリカ合衆国 の同盟国かつNATO のグローバル・パートナーシップ国であり、直接的な接点は少ないものの安全保障においては近い立場を取る国である。
日本要人の北マケドニア訪問
1994年 の国交樹立後は総合外交政策局 の局長であった柳井俊二 を団長に外務省官僚や専門家で構成されていた旧ユーゴスラビア調査チームが北マケドニア へと派遣され、これが最初期の要人往来であった[3] 。
その後、1999年 4月 には第1次改造小渕内閣 で外務大臣 を務めた高村正彦 が、同年12月には第2次改造小渕内閣 で外務大臣 を務めた河野洋平 が立て続けに北マケドニア を訪問した。これが外務大臣 として最初かつ2021年時点で最後の北マケドニア 訪問であった。
2004年 9月 には第2次小泉内閣 で外務大臣政務官 だった荒井正吾 が東欧諸国 を歴訪し、ハンガリー やスロベニア と並んで北マケドニア を訪問している[22] 。2013年 4月 には第2次安倍内閣 で外務大臣政務官 を務めていた城内実 がアルバニア やタジキスタン と並んで北マケドニア を訪問し[23] 、日本側は北マケドニア が欧州連合 やNATO への加盟を目指す立場であること、北マケドニア側は日本 が国連安保理改革 を推し進めたい立場であることを相互に支持し、さらには東京 に在日北マケドニア大使館 を立ち上げる意向が表明された[24] 。2014年 2月 には同じく第2次安倍内閣 で外務大臣政務官 を務めた牧野京夫 がブルガリア 、アルバニア と並び北マケドニア を訪問。この年は二国間外交関係樹立20周年であったことから北マケドニア首相 であったニコラ・グルエフスキ との会談も実施され、さらなる両国関係強化を目指した書簡が交換された[25] [26] 。
副大臣級の訪問としては、2017年 9月 に第4次安倍内閣 で外務副大臣 を務めた中根一幸 が、在北マケドニア日本国大使館(当時は在マケドニア旧ユーゴスラビア共和国日本国大使館)の開館を契機として北マケドニア を訪れ北マケドニア大統領 のジョルゲ・イヴァノフ を表敬した[27] [28] [29] 。2019年6月には第4次安倍内閣 (第1次改造) で経済産業副大臣 であった関芳弘 が北マケドニア を訪れ、北マケドニア首相 のゾラン・ザエフ と会談したほか北マケドニア技術産業開発区を視察した[30] 。
北マケドニア要人の訪日
2003年 10月 、北マケドニア大統領 として初めてボリス・トライコフスキ が訪日を実施し、経済協力についてを話し合った[31] 。
2011年 11月 には北マケドニア首相 として初めてニコラ・グルエフスキ が訪日[32] 。当時内閣総理大臣 であった野田佳彦 との首脳会談 が実施され、改めて日本 の常任理事国 入りに賛意が示されるなどした[33] 。また浜田和幸 外務大臣政務官 が主催する歓迎昼食会も開催するなど[34] 、友好国として交流がなされている。
ニコラ・グルエフスキ は外交関係樹立20周年を迎える2014年 にも訪日を実施[35] 。安倍晋三 との首脳会談では二国間関係の強化が図られ[36] 、また首脳夫人同士の交流も実施された[37] 。
そのほか重要な閣僚としては2015年 10月 に北マケドニア外相のニコラ・ポポスキー (英語版 ) が訪日。当時外務大臣 であった岸田文雄 と外相会談を実施して、改めて日本 の常任理事国 入りに支持が表明されている[38] 。また訪日は伴わないが、2018年 には河野太郎 がミュンヘン安全保障会議のためにドイツ を訪問、その際に同じ目的で訪問していた北マケドニア外相のニコラ・ディミトロフ (英語版 ) と外相会談を実施した[39] 。
経済関係
地理的に離れていることや北マケドニア は内陸国 であり貿易上不利であること、国交が樹立してからまだ30年弱しか経過していないことなどから二国間貿易はさほど活発ではない。2020年 の対日輸出は約17億円、対日輸入は約29億円となっている。対日輸出品は電気機器 やたばこ 類が多く、対日輸入品は非金属鉱物に関連した製品が多い[3] 。
一方で日本 は北マケドニア の発展がバルカン半島 全体の安定化に必要不可欠との認識のもと1994年 の国交樹立以来経済支援や技術協力を実施しており、北マケドニア にとって日本 は最大の支援国の一つとされる。1998年 から1999年 にかけてはコソボ危機 が発生し北マケドニア に大量の難民が押し寄せたが、その際には受入国支援として緊急で医療機器などを提供している[3] 。
近年の主要な政府開発援助 は以下の通りである。
「森林火災危機管理能力向上プロジェクト (2011年)」‐技術協力。北マケドニア は国土面積の約38パーセントを森林地帯が占めているが、森林火災が多発しておりその危機管理ができる能力・システム・人材の構築や育成を支援[40] 。
「持続的な森林管理を通じた、生態系を活用した防災・減災(Eco-DRR)能力向上プロジェクト (2017年)」‐技術協力。北マケドニア は国土面積の約38パーセントを森林地帯が占めており、森林生態系の維持や保全、さらには森林災害の防止や軽減に関する技術の提供[41] 。
「ズレトヴィッツァ水利用改善事業 (2003年、96.89億円)」‐北マケドニア 東部は少雨地域で年間降水量が少ないため、生活用水や農業用水の確保に大きな支障を来たしていることから産業が育っていない。そのためズレトヴィッツァ川 において多目的ダムの建設・管理を支援した。北マケドニア に対する最大の円借款事業である[42] 。
「スコピエ市呼吸器関連医療施設医療機材整備計画 (2003年、1.06億円)」‐北マケドニア では未だに薪 や木炭 にエネルギー を依存しているため大気汚染 による気管支炎 の罹患率の高さが問題となっている。一方でユーゴスラビア紛争 の影響で医療サービスの提供はやや滞っており、そのため北マケドニア の呼吸器疾患分野で中心的役割を果たすスコピエ大学 医学部病院付属「肺・アレルギー・クリニックセンター」対し医療機材の整備を支援[43] 。
「第二次一次医療機材整備計画 (2006年、8.1億円)」‐北マケドニア では医療機器の老朽化が著しく、X線装置、超音波診断装置、血球計数装置、歯科ユニット、救急車などの機材の調達を支援[44] 。
「国立オペラ・バレエのための楽器・音響・照明機材整備計画 (2019年、0.8億円)」‐北マケドニア で最も重要な文化施設である国立オペラ・バレエに対し楽器、音響機材及び照明機材を整備・提供するもので、外交関係樹立25周年や民族融和を意識した支援であった[45] 。
また北マケドニア は欧州 の中でも賃金が低い地域であるバルカン半島 に位置するが、そのバルカン半島 の中でも最も賃金水準が低い。そのため人件費が安く抑えられ生産拠点としては魅力的であり、国名変更 によってギリシャ との対立が概ね解消されたのを契機に日系企業の進出先として注目されつつある。2019年 には日本貿易振興機構 が初めてビジネスミッションを派遣した[46] 。
文化交流
スコピエ の中心部。丹下健三 の都市計画 に沿った開発は現在でも進行中である
もともと文化的に接点が少ない国であったが、独立以前の1990年 には将来的な独立および国交樹立を見据えてマケドニア・日本友好協会設立が設立された。国交樹立から2年後の1996年 より国費研究留学生の受け入れを開始。以降は文化的、学術的な交流が継続されている[3] 。
文化行事として、スコピエにある在北マケドニア日本国大使館が中心となってアニメ・漫画イベント、邦楽コンサート、日本映画祭等を随時開催してきた。両国外交関係樹立25周年にあたる2019年 には、日本料理デモンストレーション[47] 、能公演・ワークショップ[48] 、日本映画祭[49] 等様々な文化行事が開催された。
1963年 にはマグニチュード 6.1、死者1,000人以上、家屋喪失120,000人以上を記録した「スコピエ地震 」が発生した。この地震では多くの古い魅力的な新古典主義の建築 が失われた。そして国際支援を受けてスコピエ 再建が目指されるが、新しい都市計画のマスタープランは日本人建築家 である丹下健三 によって作成されたものであり、現在でも丹下健三 はスコピエ 再建に尽力した一人として北マケドニア でも知られている[50] 。2020年 5月 には北マケドニア郵便が丹下健三 のスコピエ再建への功績を讃える記念切手を発行した[51] 。
外交使節
駐北マケドニア日本大使
駐日北マケドニア大使
駐日マケドニア旧ユーゴスラビア共和国大使(2002年~2019年)
アンドリヤナ・ツヴェトコビッチ 大使(2015年)
駐日北マケドニア大使館
北マケドニア大使館全景
北マケドニア大使館正門
北マケドニア大使館表札
脚注
参考文献
北マケドニア共和国(Republic of North Macedonia)基礎データ 外務省
芦沢宏生(著)『現代マケドニア考』2008/10/6
関連項目
外部リンク
アジア
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