この項目では、現実の地域について説明しています。1984年に登場する国家「オセアニア」については「1984年 」をご覧ください。
オセアニア
オセアニア(大洋州) 面積
8,525,989 km2 (3,291,903 sq mi) 人口
44,491,724 (2021年, 6位) 人口密度
4.19/km2 (10.9/sq mi) 住民の呼称
Oceanian (オセアニアン) 国数
保護領
言語
標準時
UTC+14 (キリバス )からUTC-11 (アメリカ領サモア & ニウエ ) (最西端から最東端) 最大都市
シドニー
国連による世界地理区分
オセアニア (英語 : Oceania )または大洋州 (たいようしゅう)は、六大州 の一つ。太平洋 上の大陸、島嶼の地域を指し、一般的な解釈では、16か国(オーストラリア連邦 、キリバス共和国 、クック諸島 、サモア独立国 、ソロモン諸島 、ツバル 、トンガ王国 、ナウル共和国 、ニウエ 、ニュージーランド 、バヌアツ共和国 、パプアニューギニア独立国 、パラオ共和国 、フィジー共和国 、マーシャル諸島共和国 、ミクロネシア連邦 )、および25の保護領(右国数欄参照)を指す。
また、最も広く解釈すると太平洋上のすべての島国を指して使われ、この場合日本 、台湾 、フィリピン 、インドネシア まで含まれる[1] 。
さらに詳しく
オセアニアは六大州中の最小の州であり、その小さな陸地面積のうちオーストラリア大陸 が86%を占め、さらに島々の中で最も大きなニューギニア島 とニュージーランド を含めると98%にもなる。残りは、太平洋の中に点在する小さな島々であり、それがオセアニア(大洋 の州)との州名の由来にもなった。これらの諸島 は陸地面積こそ小さいものの、マレー・ポリネシア系民族 が独特の航海術 によって隅々まで植民しており、独自の海洋文明を築いていた。
2022年 時点のオセアニアの人口は約4,440万人である。
地域区分
一般的に、オセアニアはオーストラリア大陸 、メラネシア 、ミクロネシア 、ポリネシア の4つの地域に区分される。
メラネシア、ミクロネシア、ポリネシアの3地域の名称は、ヨーロッパ人探検家たちによる命名が始まりである。1756年、フランス人探検家シャルル・ド・ブロス が「多くの島々」を意味するギリシャ語の「ポリネシア[注釈 1] 」を太平洋全島々の総称として用いたのがはじまりである。その後、同じくフランスの探検家ジュール・セバスティアン・セザール・デュモン・デュルヴィル がオセアニア島嶼部を3地区に分けることを考えだし、1831年にパリの地理学会で公表した。現在は、この案を基本的に踏襲している。「メラネシア[注釈 2] 」はギリシャ語で「黒い島々」を意味し、「ミクロネシア[注釈 3] 」はギリシャ語で「小さな島々」を意味することから名づけられた。
近オセアニアと遠オセアニアの境界
オセアニアを区分する新しい概念として、近オセアニア (英語版 ) と遠オセアニア (英語版 ) がある。これらは、1973年にロジャー・カーティス・グリーン (英語版 ) とアンドリュー・パウリー (英語版 ) によって提唱された区分で[5] 、人類集団史に基づいたものである[6] 。近オセアニアはおよそ45,000年前に人類が到達した地域で[6] 、その範囲はニューギニア島 、ビスマルク諸島 、ソロモン諸島 (ただし、サンタクルーズ諸島 を除く)を含み、場合によってはオーストラリア大陸を含める場合もある[7] 。遠オセアニアは3,500年以内に人類が定住した地域を指しており、その範囲は近オセアニア以外のオセアニアの島々、すなわちミクロネシア、サンタクルーズ諸島、バヌアツ、フィジー、ニューカレドニア、ポリネシアを含む[7] 。
地理
ポリネシア(紫),ミクロネシア (赤),メラネシア (青) この節は検証可能 な参考文献や出典 が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加 して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方 ) 出典検索? : "オセアニア" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2023年9月 )
オセアニアは、南西端にある一つの巨大な陸塊 であるオーストラリア大陸と、オーストラリアの北に位置するニューギニア島 と同じく東に位置するニュージーランド南北島というやや大きな2つの島、そしてその北から東にかけて広がる広大な太平洋 と、その中に点在する無数の小さな島々からなる。この島々は、もっとも北に位置しほとんどが小さな環礁 からなるミクロネシア、オーストラリアとミクロネシアの間に位置し、ニューギニア島を含み、やや大きな火山島 や標高の高い島々が多数を占めるメラネシア、そしてオセアニアの東半分を占め、ニュージーランドやハワイ諸島などの大きな島々から小さな環礁までさまざまなタイプの島々が広大な海域に点在するポリネシアの3つの地域に区分されている。
地質学的には、オーストラリア大陸はいわゆる安定陸塊であり、東端を南北に走るグレートディバイディング山脈 のみが古期造山帯 に属する。これに対し、ニューギニア島からメラネシア全域を通りニュージーランドまでは環太平洋造山帯 に属し、火山活動が活発な地域である。しばしば大きな地震 が起きる。ハワイ諸島 は太平洋プレート の中心に位置しているもののホットスポット であり、非常に活発な火山活動が今もなお続いている。
気候的には、オーストラリア大陸の大部分は亜熱帯高気圧に覆われるため、非常に乾燥した砂漠気候 となっている。ただしグレートディバイディング山脈の東側および南側には十分な降雨があり、北がサバナ気候 、中央部が温暖湿潤気候 、南部およびタスマニア島 が西岸海洋性気候 、南西部が地中海性気候 となっていて、オーストラリアの人口の大半はこの地域に居住する。また、大陸南西端のパース 周辺は大陸西部としては例外的にやや湿潤であり、地中海性気候となっている。太平洋上の島々やニューギニア島は緯度の低いことや海からの水蒸気が大量の降雨をもたらすため、多くは熱帯雨林気候 となっている。ただし、降雨量は火山島とサンゴ礁島では異なり、火山島の方がより多い降雨に恵まれることが多い。これは海からの風は火山島にあたって大量の降雨をもたらすのに対し、標高の低いサンゴ礁島ではそういったことが起こらないためである。また、サンゴ礁島は地質が石灰岩 であるため土壌の透水性が高く、少ない降雨も多くがすぐに地中に浸透してしまうため、水資源の確保が困難な島々が多い。
ニュージーランドは降雨量は多いものの緯度が高いために気温が低く、全島が西岸海洋性気候となっている。
歴史
先史時代
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約5~6万年前から3万5000年前、東南アジア方面から現在のオーストラリア やニューギニア の内陸部や沿岸部へ住み始めたのはオーストラロ・メラネシア系(オーストラロイド )の人々であったといわれている。これらの人々は、このオセアニアに移住する前は、東南アジアの島々や東アジア大陸に居住し、狩猟採集しながら暮らしていた。
ところで、約5~3万年前は、更新世 の最終氷期 の時代であり、地球規模で気温がさがり、海面も現在の海面よりも最大で150メートルも下がり、島々は大陸とつながっていた。たとえば、ボルネオ島やジャワ島などはアジア大陸(スンダ陸棚 )と、オーストラリアはニューギニアと陸続き(サフル大陸 )であった。しかし、この両者(スンダ陸棚とサフル大陸)はこの時代も海によって隔てられており、多くの島々が存在した。ウォーラシア海域 と呼ばれ、最短でも直線で100キロメートルほど離れていた。
人々は海を渡り、各島へ移住していったのは約3万5000年前のことといわれる。これらのことを示す証拠として有袋類のクスクス や黒曜石 が多数出土している。しかし、ソロモン諸島より東への移住はこの時代でなく、はるか後の約3300年前にまで下がってくる。
そこからオーストロネシア語系の言語を持つモンゴロイド系のラピタ人 と呼ばれる人々は、パプアニューギニアのビスマーク諸島から東南方向に島伝いで移動しフィジーにたどり着いた。そこから南西方向(ヴァヌアツとニューカレドニア)と南東方向(トンガとサモア)の二方向に分かれて遠くまで移動を続けた。こうしてトンガやサモアにたどりついたラピタ人は、そこで1000年ほど留まり今のポリネシア文化の祖形を作り上げた。そして、ポリネシア人へと変容した。およそ2000年前に移動を再開し、1600年前ごろにはハワイ諸島やイースター島まで到達していた。さらに、彼らポリネシア人は、800年前にはニュージーランドにたどり着いている。これらの島々は船によって緊密な連絡を相互に保っており、950年 ごろに成立したトンガ大首長国 は北のサモアや西のフィジーまでを支配下におさめた一大帝国を1500年 ごろまで維持していた。
ヨーロッパとの接触
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初めてこの地域に白人が訪れたのは、大航海時代 さなかの16世紀初頭のことである。1521年 にはフェルディナンド・マゼラン がヨーロッパ人として初めて太平洋を横断した。この時以降しばらくの間は太平洋は東から西に進む航路しか存在しなかったが、1564年 にはアンドレス・デ・ウルダネータ がフィリピン からアカプルコ へと向かう航路を開拓し、これによって太平洋を往復する航路が確立された。これを使用して1565年 にはマニラ・ガレオン がアカプルコ とマニラ の間を往復するようになった。その後、17世紀にはアベル・タスマン によってニュージーランドとタスマニア が発見されるなど徐々に地理的知識は蓄積されていったが、領土進出という点ではスペインがマリアナ諸島 とカロリン諸島 を領有した程度で、それほど積極的に進出してはいなかった。また、地理的にもいまだ発見されていない島が多数存在しており、オセアニアの南部には広大な南方大陸 が存在していると考えているものも多かった。18世紀に入ると徐々に探検が進んでいったが、太平洋における地理的「発見」の最後を飾ったのはジェームズ・クック である。彼の1768年 からの三回の探検によって、オセアニアの地理はほぼ完全に明らかとなった。
ヨーロッパ人による植民が本格的にはじまったのは、1788年 1月26日にイギリスからの最初の植民船団(ファースト・フリート )がオーストラリア大陸南東部のシドニー湾 に到達してからのことである。これ以降オーストラリアには続々と移民が送り込まれ、先住のアボリジニを駆逐しながら植民地化が進められていった。初期はオーストラリア東岸の降雨量の多い地域のみの植民であったが、1813年 にはグレゴリー・ブラックスランド らの探検隊によって山脈西側に草原が発見され、以後内陸部の開発も進むようになった。
19世紀初頭にはニュージーランドもヨーロッパ人が多く進出するようになり、1840年 にはワイタンギ条約 が締結されてニュージーランドもイギリス領となった。19世紀後半には太平洋諸島も分割が進み、19世紀末にはすべての島々が植民地化された。
1851年 にオーストラリア南東部で金 が発見されるとゴールドラッシュ が起き、オーストラリアの人口は急増した。1860年から1861年にかけてはオーストラリア内陸部の状況を調べるためにバーク・ウィルズ探検隊 が送られ、悲劇的な結果に終わったものの内陸部の状況は明らかになった。1901年 にはオーストラリア大陸にあった諸植民地が合同し、オーストラリア連邦 が誕生した[12] 。
日本の南洋諸島委任統治
第一次世界大戦 後、オセアニアの南洋諸島 は国際連盟 による日本の委任統治 が第二次世界大戦 終了まで行われ、日本人の移民もあって、そこには現在も日本人の子孫、日本語姓 の人々もいる。[13]
第二次世界大戦
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ミクロネシアやメラネシアが太平洋戦争 (大東亜戦争 )の時、主戦場の一つであった。日本がアメリカとオーストラリアの共同作戦を阻止するために、ポートモレスビー攻略作戦(MO作戦 )と当時イギリス領であったフィジー・サモア、同フランス領ニューカレドニアを攻略する作戦(FS作戦 )を計画した。
国々の誕生(現代)
第二次世界大戦後の植民地独立の波を受け、オセアニアにおいても1962年 の西サモア(現サモア)の独立を皮切りに、1968年 にはナウルが、1970年 にはトンガとフィジーが、1975年 にはパプアニューギニアが、1978年 にはソロモン諸島とツバルが、1979年 にはキリバスが、1980年 にはバヌアツがそれぞれ独立した[14] 。一方で、フランス領ポリネシアやニューカレドニアのようにフランスの海外県にとどまるところや、ハワイのように本国の一州として加入するもの、またマーシャル諸島やミクロネシア連邦、パラオ、クック諸島、ニウエのように自由連合 の形をとり、独立はするものの軍権や外交権は旧宗主国が統括する国々も現れた。こうした国々は地形的、言語的、文化的、民族的に多様性に富み、国家の誕生に大変苦しんでいる。当初は島嶼部の大半の地域で政治的安定が保たれていたが、2000年 ごろを境として、フィジーやソロモン諸島、パプアニューギニア、トンガなどのように政情が不安定になり、クーデター や暴動が発生した国家も存在する。
オセアニア諸国
オセアニア全体の面積は約850万km2 である
独立国
記号
国名
首都
面積
人口(2018年)
AU
オーストラリア連邦
キャンベラ
768万6850 km2
24,898,152人
CK
クック諸島
アバルア
237 km2
17,518人
FJ
フィジー共和国
スバ
1万8270 km2
883,483人
FM
ミクロネシア
パリキール
702 km2
112,640人
KI
キリバス共和国
タラワ
811 km2
115,847人
MH
マーシャル諸島共和国
マジュロ
326 km2
58,413人
NR
ナウル共和国
ヤレン地区 (政庁所在地)
21 km2
10,670人
NU
ニウエ
アロフィ
260 km2
1,620人
NZ
ニュージーランド
ウェリントン
26万8680 km2
4,743,131人
PG
パプアニューギニア独立国
ポートモレスビー
46万2840 km2
8,606,323人
PW
パラオ共和国
マルキョク
458 km2
17,907人
SB
ソロモン諸島
ホニアラ
2万8450 km2
652,857人
TO
トンガ王国
ヌクアロファ
748 km2
103,197人
TV
ツバル
フナフティ
26 km2
11,508人
VU
バヌアツ共和国
ポートビラ
1万2200 km2
292,680人
WS
サモア独立国
アピア
2944 km2
196,129人
主な各国領
記号
領名
首府
面積
人口(2018年)
AS
アメリカ領サモア アメリカ準州
パゴパゴ
199 km2
55,465人
CC
ココス(キーリング)諸島 オーストラリア領
ウェスト島 (中心街)
14 km2
544人
CX
クリスマス島 オーストラリア領
フライングフィッシュ コーブ
143 km2
1843人
GU
グアム アメリカ準州
ハガニア
549 km2
165,768人
ID
パプア州 ・西パプア州 インドネシア州
ジャヤプラ
42万540 km2
3,486,432人 (パプア州) 760,855人 (西パプア州)
MP
北マリアナ諸島 アメリカ自治領
ススペ
477 km2
56,882人
NC
ニューカレドニア フランス領
ヌーメア
1万9000 km2
279,993人
NF
ノーフォーク島 オーストラリア領
キングストン
35 km2
2,302人
PF
仏領ポリネシア フランス海外領邦
パペーテ
4167 km2
277,679人
PN
ピトケアン諸島 イギリス領
アダムスタウン
47 km2
47人
TK
トケラウ諸島 ニュージーランド領
アタフ島 (中心街)
10 km2
1,319人
US
ハワイ州 アメリカ合衆国州
ホノルル
1万6635 km2
1,360,301人
WF
ウォリス=フツナ フランス領
マタウトゥ
274 km2
11,661人
UM
ウェーク島 アメリカ領有
7 km2
約150人[18]
UM
ジョンストン環礁 アメリカ領有
3 km2
無人[19]
UM
ミッドウェー島 アメリカ領有
6 km2
約40人[18]
km2 未満は四捨五入
政治
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オセアニア諸国の政治・経済状況は、オーストラリアおよびニュージーランドとその他島嶼国群とに大きく二分される。オーストラリアとニュージーランドは19世紀 に入って植民したイギリス系の住民が多数を占め、政治的には入植初期から民主主義 が発達し、経済的にも先進国 の一員となっている極めて安定した豊かな国家である。これに対し、島嶼国群は1970年代 以降に独立した新興国が多く、人口も少なく面積も少ないうえ可住地が広い範囲に点在している、いわゆる小島嶼開発途上国 に分類される国家が多いため、経済開発がうまく進んでいない国家が多い。
政治的には面積・人口・経済力で他を圧倒しているオーストラリアがこの地域のリーダー格であり、ニュージーランドもイギリスから引き継いだ属領諸島をいくつか島嶼部に持ち、影響力を持っている。島嶼諸国のリーダー格は人口・経済力的にフィジーが務めることが多かったが、1980年代以降フィジー人 とインド人 との対立によってクーデター が多発するようになり、政治的影響力を減退させた。
この地域の地域協力機関として最も古いものは、1947年にイギリス、アメリカ、フランス、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドの6ヶ国が設立した南太平洋委員会 である。メンバーはこの地域に植民地を持つ宗主国によって占められ、のちに独立した域内諸国が加盟したものの、どちらかといえば旧宗主国主導の色合いが濃い国際機関だった。これに対し、独立した小島嶼国が主体として1971年に設立された国際機関が南太平洋フォーラム である。のちに、2000年 に南太平洋フォーラムは太平洋諸島フォーラム に、南太平洋委員会は1998年 に太平洋共同体 にそれぞれ改組された。また、1985年 に南太平洋フォーラムの加盟8か国によって南太平洋非核地帯条約 (ラロトンガ条約)が締結され、2009年には13か国がこの条約に加盟している。
経済
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経済的にも、この地域で圧倒的な力をもつのはオーストラリアである。オーストラリア経済はもともとヒツジ やウシ を中心とする牧畜と、コムギ を中心とする大規模農業を基盤としていた。牧羊はオーストラリア大陸中西部のやや乾燥した地域を中心に、コムギ農業はそれより東側のやや湿潤な地域を中心に行われている。こうした農牧業は現代でも高い生産性を保ち、羊毛 や農作物は日本をはじめとして世界各国に輸出されているが、第二次世界大戦後は大陸西部の鉄鉱石 や大陸東部の石炭 を中心に各種鉱業が発達し、あらたなオーストラリア経済の柱となった。ニュージーランドは資源はほとんど産出しないものの、世界有数の生産性を誇るヒツジやウシの牧畜業や農業に支えられ、経済的には非常に豊かである。
この2国に対し、パプアニューギニアや太平洋諸島はそれほど産業が発達しておらず、パプアニューギニアの銅 やニューカレドニアのニッケル のように地下資源に頼る国もあるが、多くは自給農業を行っているところが多い。こうした島々の多くでは、換金作物はココヤシ から作るコプラ 程度である。なお、例外的にフィジーにおいてはサトウキビ のプランテーション が特に乾燥したビティレブ島 西部に多数存在しており、フィジー経済の柱となっている。また、20世紀後半以降、先進各国の生活水準の向上と飛行機 の発達によって観光産業 が急速に発達し、美しい海を持つ太平洋諸島のなかにはタヒチやニューカレドニア、フィジー、ハワイ、グアム、パラオなどのように観光を経済の柱とする地域も多く存在するようになった。
都市
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オセアニア最大の都市はオーストラリアのシドニー であり、人口は530万人(2019年)を超える。次いで大きな都市は同じくオーストラリアのメルボルン である。シドニーとメルボルンは歴史的にライバル関係にあり、オーストラリア連邦成立時にも両都市が首都の座を争った挙句、中間地点に新首都であるキャンベラ を建設したいきさつがある。オーストラリア大陸東岸から南岸東部にかけてはオセアニアで最も人口の集中する地域であり、北からブリスベン 、ゴールドコースト 、ニューカッスル 、シドニー、キャンベラ、メルボルン、アデレード といった人口30万から100万以上の都市が並んでいる。同国の100万都市としてはほかに大陸西端にパース が存在するが、この都市は地理的に非常に孤立しており、周囲にほかの都市圏は全く存在せず、最も近い100万都市であるアデレードからも2000km以上離れている。
オーストラリア以外で最も大きな都市はニュージーランドの北島北部に位置するオークランド であり、アメリカ・ハワイ州のホノルル やパプアニューギニアのポートモレスビー がこれに次ぐ。ニュージーランドにはほかに、南島中央部にあり南部の中心都市であるクライストチャーチ と、北島南端にあり同国の首都であるウェリントン があり、オークランドと合わせ3大都市となっている。
島嶼部において、南太平洋諸国の中心的な役割を果たしているのはフィジーの首都であるスバ である。スバの都市圏は近隣のナウソリ などを合わせ33万人にのぼり、島嶼諸国最大の都市圏を形成している。このほか、ニューカレドニアのヌメア も10万人程度の人口を有する。島嶼部においてはこれ以外に人口10万を超える都市は存在せず、各国の首都でも人口は数万人にとどまり、なかにはツバルやナウルのように明確な首都的都市が存在しない国家も存在する。もっとも、これはフィジーとソロモン諸島を除く島嶼諸国の人口規模そのものが小さいためであり、首都や都市への人口集中自体は他地域と同様に起こっている。
言語
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本来この地域で話されていた言語は、オーストロネシア語族 、パプア諸語 、オーストラリア諸語 の3つの言語群に属する言語のみである。その名の通りオーストラリア諸語はオーストラリア大陸のアボリジニ が使用していた言語であり、パプア諸語はニューギニア島にて使用されていた諸言語の総称である。この2つの言語群内部において系統性は立証されておらず、そのため語族ではなく諸言語の集合という扱いとなっている。これに対し、オーストロネシア語族は東南アジアから太平洋の諸島群に進出したメラネシア人やポリネシア人の言語であり、系統性は明確に立証されている。その後、19世紀にオーストラリアとニュージーランドに進出したイギリス人が両国で増加したため、話者数的には現代ではインド・ヨーロッパ語族 に属する話者が圧倒的に多い。この語族の言語のうち最も多く話されるものは英語 であり、フランス領の島々ではフランス語 も広く使われるが、他に同じく19世紀にイギリスによってフィジーに移民したインド人 も、ヒンディー語 を母体としたフィジー・ヒンディー語 を話す。オーストラリア諸語の話者は英国系住民に圧倒されて話者数が非常に減少し、絶滅が危惧されている言語も多い。これに対し、パプア諸語はニューギニア島で、オーストロネシア語族は太平洋諸島において、いまだ多数派を占めている。
文化
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文化的にも、この地域はオーストラリア・ニュージーランドの英国系植民者中心の地域とそれ以外の島嶼地域とに大別できる。島嶼地域においては、ポリネシアは非常に広大な地域であるのにもかかわらずかなり同質性が高い。これは植民がポリネシア人 という一民族によって行われたうえ、植民後も船によって緊密な連絡が保たれた地域が多く、祖形が同じなうえに分化があまり進まなかったためである。これに対し、メラネシアはかなり分化が進んでおり、多様な文化が存在する。これはメラネシアは地形が険しく、自然環境もポリネシアやミクロネシアに比べ多様であり、画一化が進まなかったためである。ミクロネシアは島々によってメラネシアやポリネシアなど影響を受けた地域が異なり、ミクロネシア全体に共通する文化は多くない。
食文化においては、オーストラリア・ニュージーランドはヨーロッパ系食文化を祖形として持つ。これにたいし、島嶼部はタロイモ ・ヤムイモ を農耕の基盤とし、メラネシアはバナナ がこれに加わる。土地が豊かで降水量の多い火山島ではこれら作物が主力となるものの、地味が貧しく水も少ないサンゴ礁島においてはこれらの栽培が困難であることも多く、このためこうした島々ではパンノキ が主力となっているところもある。また、特にサンゴ礁島においてココヤシ は非常に有用な植物であり、油脂源・調味料・食糧、そしてなによりも飲料水の供給源として重要である。
宗教的には、ほとんどの地域でキリスト教 、とくにプロテスタント 諸派がほとんどを占める。これはオーストラリア・ニュージーランドにおいては主流となった英国系移民が従来の英国国教会 の信仰をそのまま持ち込んだためであり、また島嶼部においては19世紀後半においてプロテスタント諸派が盛んに宣教師 を派遣し地元住民への布教を進めたためである。
スポーツ
海面上昇
地球温暖化 に伴う海面上昇 は、海抜の低い小島嶼国家の存立に深刻な影響を与える。IPCC(気候変動に関する政府間パネル 、Intergovermental Panel on Climate Change)の報告書はミクロネシアのマーシャル諸島共和国について、環礁の約8割が海面下になる可能性を警告している。
地域機構
脚注
注釈
^ ギリシャ語「ポリ」(poly、多くの)と「ネソス」(nesos、島々)。
^ 地域の先住民の肌が比較的黒いことに由来し、「メロス」(Melos、黒い)と「ネソス」から命名された。
^ 「ミクロス」(micros、小さい)と「ネソス」から命名された。
出典
参考文献
書籍
論文
綾部恒雄 (監修)、前川啓治・棚橋訓 (編集)(編)「09 オセアニア 」『講座世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在-』、明石書店、2005年9月。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
オセアニア に関連するカテゴリがあります。
ウィキニュースには
オセアニア のポータルがあります。
外部リンク