サンデ社会に入門する10代の少女たち(西アフリカ・シエラレオネ)[ 1] 「踊り子たちは皆、それぞれに特別な意味を持つ教団特有のフェティッシュを身につけていた。これらは、ビーズにカットされた数本のサトウキビのロープと、穴を開けてブンドゥ(サンデ)の薬を詰めた種子の列で構成されていた」
呪物崇拝 (じゅぶつすうはい、英語 :Fetishism ,フランス語 :Fétichisme ) とは、フェティッシュ(呪物または物神)に対する崇拝 を意味し、呪術 的宗教 の一つの形態である。
未開社会、古代社会、未開宗教にみられる信仰で、呪物が人間に禍福をもたらすと信じて儀礼の対象とすることである。人工物や簡単に加工した自然物に対する崇拝の総称とされている。アニミズム とも深い関わりを持つ。
死霊 や精霊 など人格的な霊魂 と結びついた呪物の崇拝を霊物崇拝、非人格的な呪力と結びついた呪物の崇拝を呪物崇拝として区別することがあるが、通常はこの両者を含めて呪物崇拝あるいはフェティシズムとよんでいる。
ハッドンは神の象徴である偶像 を神の容器ではないとし、呪物崇拝と偶像崇拝 とを区別した。
崇拝の対象となるフェティッシュとは、超自然 的な力 [要曖昧さ回避 ] を備えていると信じられる自然 物(石 とか植物 の種子 )で、とりわけ、人間 が造った物品で、普通の製作品を凌駕する、圧倒的に大きな超自然的な力を備えるもののことである。フランス 語のフェティシュ(fétiche)から来ているが、この語はポルトガル語 の「フェイティソ(呪符・護符 feitiço )」から転用された語で、更に遡ると、「製作する」という意味のラテン語 の動詞 facere から派生した形容詞 facticius、すなわち「人工の(もの)」が元々の語源にある[ 7] 。
ウィリアム・ピーツ (英語版 ) はフェティッシュの対象の特徴の一つに「還元不可能な物質性」を挙げている[ 8] [ 9] 。
歴史
このフェティッシュという概念は、1757年 に、西アフリカ の宗教 と古代エジプト の宗教における魔術 的位相を比較研究していた折に、シャルル・ド・ブロス によって造られたものである[ 10] 。ド・ブロスと18世紀の彼の同僚の学者たちは、この概念を、進化論 を宗教に適用する目的で使った。宗教の進化に関する理論において、ド・ブロスは、呪物崇拝(フェティシズム)がもっとも初期の(もっとも原始的な)宗教の段階に当たり、これに続いて多神教 と唯一神教 の段階があるのであり、宗教における抽象化思考の進展を示していることを主張した。
19世紀においては、ハーバート・スペンサー などの哲学者 たちは、呪物崇拝が「原初宗教」であったとするド・ブロスの理論を否定した。一方オーギュスト・コント はド・ブロスの系譜を受け継いだ上で[ 11] 、多神論 の前段階に位置づけた[ 11] [ 12] [ 13] 。同じ世紀において、E・B・タイラー やJ・F・マクレナン などの人類学 者や比較宗教学 者たちが、呪物崇拝を説明するため、アニミズム やトーテミズム の理論を発展させた。タイラーは、フェティシズムをフェティッシュの存在を前提にしたものだとはっきりと観念している[ 14] [ 15] 。
タイラーとマクレナンは、呪物崇拝の概念を通じて宗教歴史学 者たちは、人間 と神 のあいだの関係から人間と物品のあいだの関係へと、関心を切り替えることが可能になったと考えた。彼らはまた、この概念によって、彼ら自身が歴史 と社会学 における中心問題として「誤謬」だと見なしていた、自然の出来事に関する因果的説明 のモデルが確立されたとも考えた。
儀式
トーゴ 、ロメ のブードゥー・呪物市場(2008年)
理論的には、呪物崇拝はあらゆる宗教にあって存在するが、宗教の研究でのこの概念の用例は、伝統的な西アフリカ の宗教 的信仰 や、そこから派生したヴードゥー教 の研究から導出された。
血液 はしばしば、もっとも魔力の強い呪物あるいは呪物の原料と見なされた。アフリカ の幾つかの地域では、白人の髪 の毛がまた魔力が強いと考えられていた。
日本
日本の言語 と歴史 に精通した学者 、作家 、外交官 であるウィリアム・ジョージ・アストン は著作『Shinto: the Way of the Gods』において、日本には竈神への信仰があるが、神殿の偶像に向かって行う礼拝とは異なり、日本では竈(台所)に向かって礼拝が行われたとした[ 16] 。アストンによると、熱田神宮の剣はもともと供物であり、後に神聖なものとなった[ 16] 。呪物崇拝の事例として熱田神宮の剣は、御霊代(みたましろ)の一つであり、一般的には神体(しんたい)と呼ばれる[ 16] とし、御霊と神体の区別がつかない者も多く、神体を神の実体と混同している者もいたと解説している[ 16] 。例えば、竈そのものを神体でなく神として祀ることを挙げている。不完全な神の象徴と呪物崇拝との間の曖昧さは、肖像が多くの場合で使われないことによると述べた[ 16] 。特定の物理的な物に特別な徳を与えることで、非常に不完全な象徴の役割しか与えられていない神の存在を忘れてしまう傾向さえあると述べている[ 16] 。
加藤玄智 は神道 における呪物崇拝の例として、宝石 、刀 、鏡 、スカーフを挙げていた[ 17] 。加藤は都市部を離れ農村部に入ると、アニミズム、呪物崇拝、男根崇拝 の痕跡をたくさん見つけることができると述べている[ 18] 。
加藤玄智 は十種神宝 を呪物とするだけでなく、三種の神器 も同様の性格を保持しており、東インド諸島 の原住民のプサカや中央オーストラリア人のチュリンガとの類似性を指摘した[ 19] 。草薙剣 は神剣の霊験によって超自然的な保護(御利益 )を得られるとされ、草薙剣 を神格化 して尾張国熱田 に祀ったのが、現在の熱田神宮 だとした[ 19] 。天照大神 は孫の瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)が地上に降りる際に鏡を授け、鏡を自分の崇高な御魂 と見なして、天上で彼女を崇拝するのと同じように鏡 を崇拝 するように命じており、日本書紀 では鏡を拝むという宗教意識の極致である鏡の神格化 が行われたと指摘している[ 19] 。
さらに比売許曽神社 の祭神である阿加流比売神 (あかるひめのかみ)は赤い玉であったが、神格化され神となった[ 19] 。神代 ではイザナギノミコト の首にかけられた宝石が神格化されて、御倉板挙之神(みくらたな神)とよばれた[ 19] 。文徳天皇 の時代、常陸国 大洗 の海岸で、ある夜突然2つの石の呪物が不思議な光を放って現れ、それが大洗磯前神社 に祀られている大己貴命 (おおなむちのみこと)と少彦名命 (すくなひこなのみこと)であるとの託宣があったという[ 19] 。淡路島 にある厳橿(いずかし)神社の神体 は、伊勢神宮 の鏡を模した神鏡が安置されている賢所 (かしこどころ)で孝明天皇 が着用した履物で、御目太(おまぶと)として親しまれており、地元住民の間では、祈願 すれば病気の痛みが取れて治ると信じられていた[ 19] 。古事記によると、伊邪那美命 に追われて伊耶那岐神 が黄泉国 から逃げ還った際、黄泉比良坂 を塞いだ千引の石を完全に神格化して道返之大神とした[ 19] 。
世界大百科事典によれば、伊勢 の御師が神田 の種下ろしに使ったという鍬 を神体にした鍬神信仰があり、さらに世界宗教用語大事典によると、御鍬祭(みくわさい、おくわまつり)では鍬形 を神として崇め、農事を祈るが[ 20] 、加藤玄智 は伊勢神宮 神田 での儀礼用の鍬や鋤は呪物として神格化されたという[ 19] 。久延毘古 とも呼ばれる「山田のそほど」は田んぼに設置された鳥よけのかかし を神格化した神として知られる[ 19] 。
ロイ・アンドリュー・ミラー は国体の本義 と教育勅語 もしばしば呪物(または物神)として崇拝され、神棚 に謹んでおかれ保管されたとしている[ 21] 。
「フェティシズム」の他の用例
シャルル・ド・ブロス が1760年に匿名で出版した『フェティシュ諸神の崇拝』にて人類最古の信仰形態を『フェティシズム』と命名した(fetico=護符の意味)。
19世紀、『フェティシュ諸神の崇拝』のドイツ語訳を読んだカール・マルクス は、資本主義 における重要な要素である貨幣 が持つ交換の媒介としての機能の根源を物神崇拝 (フェティシズム、呪物崇拝)に求め、フェティシズムの用語を流用した(「物象化 」を参照)。
さらに後に、ジークムント・フロイト が、生命 のない物品や人間 の特定の身体部位などを愛情 の対象とする、ある種の性的倒錯 の形態を説明するため、この概念を流用した。これは「性的フェティシズム」と呼ばれるが、今日の日常的な日本語では、フェティシズムというとき性的フェティシズム を指すことが一般である。
脚注
^ T. J. Alldridge, The Sherbro and its Hinterland , (1901)
^ ポール=ロラン・アスン『フェティシズム』、p17。
^ ウィリアム・ピーツ 杉本隆司訳 (2018). フェティッシュとは何か . 以文社. p. 11. ISBN 978-4-7531-0347-8
^ フェティシズム研究 1 フェティシズム論の系譜と展望 . 京都大学学術出版会. (2009). ISBN 9784876987597
^ ポール=ロラン・アスン『フェティシズム』、p18。
^ a b 杉本隆司 (2003). “オーギュスト・コントの歴史哲学と社会組織の思想 : フェティシズム論からの解読” . 一橋論叢 130 (2). https://hdl.handle.net/10086/10160 .
^ エドワード・バーネット・タイラー 奥山倫明 奥山史亮 長谷千代子 堀雅彦訳 (2019). 宗教学名著選 第6巻 原始文化 下 . 国書刊行会. p. 269-270. ISBN 978-4-336-05742-6
^ Auguste Comte, Harriet Martineau訳 (英語). Positive Philosophy . p. 559. https://books.google.co.jp/books/about/Positive_Philosophy.html?id=lSbXAAAAMAAJ&printsec=frontcover&newbks=1&newbks_redir=0&source=gb_mobile_entity&redir_esc=y google book
^ Tylor, Edward Burnett. Primitive culture : researches into the development of mythology, philosophy, religion, language, art, and custom . p. 144. https://archive.org/details/primitiveculture02tylouoft/page/144/mode/1up Internet Archive
^ エドワード・バーネット・タイラー 奥山倫明 奥山史亮 長谷千代子 堀雅彦訳 (2019). 宗教学名著選 第6巻 原始文化 下 . 国書刊行会. p. 160. ISBN 978-4-336-05742-6
^ a b c d e f SHINTO (THE WAY OF THE GODS) BY W. G. ASTON, C.M.G, D.Lit., LONGMANS, GREEN, AND CO. 39 PATERNOSTER ROW, LONDON NEW YORK AND BOMBAY, 1905, p.65-75, p.73, p.159
^ Kato Genchi— A Neglected Pioneer in Comparative Religion —Naomi Hylkema-Vos, Japanese Journal of Religious Studies 1990 17/4. p384
^ Dr. Genchi Kato's monumental work on Shinto, Daniel C. Holtom. 明治聖徳記念学会第47巻、昭和12年 1937/04/ p7-14
^ a b c d e f g h i j A Study of Shinto: The Religion of the Japanese Nation, By Genchi Katu, Copyright Year 2011, ISBN 9780415845762 , Published February 27, 2013 by Routledge , Chapter III Fetishism and Phallicism
^ 世界宗教用語大事典、中経出版 URL=https://www.weblio.jp/content/%E5%BE%A1%E9%8D%AC%E7%A5%AD?dictCode=SSYGD 御鍬祭は農事として実施されている祭り。他にも神田の種下ろしに使ったという鍬を神体にした鍬神信仰等の農事を由来とする祭礼がある。世界大百科事典第2版、流行神より URL=https://kotobank.jp/word/%E9%8D%AC%E7%A5%9E%E4%BF%A1%E4%BB%B0-1308102
^ KOKUTAI - POLITICAL SHINTÔ FROM EARLY-MODERN TO CONTEMPORARY JAPAN, Klaus Antoni, Eberhard Karls University Tübingen: Tobias-lib Tübingen 2016, p259
参考文献
ポール=ロラン・アスン『フェティシズム』白水社 (文庫クセジュ)、2008年。
A Study of Shinto: The Religion of the Japanese Nation, By Genchi Katu, Copyright Year 2011, ISBN 9780415845762 , Published February 27, 2013 by Routledge , Chapter III Fetishism and Phallicism
小学館「呪物崇拝」『精選版 日本国語大辞典』小学館、コトバンク、2021a。 精選版 日本国語大辞典『呪物崇拝 』 - コトバンク
小学館「呪物崇拝」『デジタル大辞泉』小学館、コトバンク、2021b。 デジタル大辞泉『呪物崇拝 』 - コトバンク
小学館「フェティシズム」『精選版 日本国語大辞典』小学館、コトバンク、2021c。 精選版 日本国語大辞典『フェティシズム 』 - コトバンク
平凡社「竈神」『世界大百科事典 第2版』平凡社、コトバンク、2021d。 世界大百科事典 第2版『竈神 』 - コトバンク
小学館「厠神」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク、2021f。 日本大百科全書(ニッポニカ)『厠神 』 - コトバンク
小学館「アニミズム」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク、2021d。 日本大百科全書(ニッポニカ)『アニミズム 』 - コトバンク
小学館「フェティシズム」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク、2021e。 日本大百科全書(ニッポニカ)『フェティシズム 』 - コトバンク
関連項目
外部リンク
en:Fetishism 14:39, 3 August 2006 の版より翻訳
contributors: Slrubenstein , The Anome , Kierano , DanielCD , Ringbang et al.