中津江村(なかつえむら)は、大分県日田市の一地域である。
かつては日田郡に属していた村で、2005年3月22日に同じ日田郡の前津江村、上津江村、大山町、天瀬町とともに日田市へ編入合併し、行政地域としては消滅した。しかし、同じく合併で廃止となった前津江村および上津江村は「村」の名称を廃止しているのに対し、編入後も「大分県日田市中津江村」として「村」の名称を残した形で地名は残された[3]。
2002年に開催された日韓ワールドカップの際、中津江村は村内のスポーツ施設の有効活用を目的に公認キャンプ地として名乗りを上げ、その結果アフリカのカメルーン代表のキャンプ地に選ばれた[4]。テレビ朝日の番組「ニュースステーション」でメインキャスターの久米宏が「いちばん小さな自治体のキャンプ地」として着目し、現地から歓迎の様子を生放送すべく乗り込んだものの、同国の選手団の到着が遅れたことなどから当時の坂本休村長とともに国内で有名になった。
2005年に中津江村は広域合併により日田市の一部となったが、合併協議会で坂本村長から地名の中に「中津江村」を残したいという要望が上がり、ワールドカップでの知名度上昇を背景としてこれが認められた[5]ことで、上記の通りにその後も「中津江村」が残された。
大分県の西部に位置し、周囲を山に囲まれた村である。津江山系県立自然公園内に位置し、周囲には渡神岳、猿駈山、三国山、尾ノ岳、酒呑童子山などが連なる。
中世に長谷部信連の末裔を名乗る一族が土着し、長谷部および津江を称する。『日田郡志(下巻)』では「歴代津江ノ庄七ヶ村ヲ領ス(抜粋引用)」とある。俗に津江殿と呼ばれた。居城や館は、現在の栃原の田ノ原にある伝来寺とその裏山の「城山」と呼ばれる山にあったと伝えられる。南北朝時代の1338年に長谷部信堆は肥後国の僧、大智禅師に館を寄進して伝来寺を開かせたのである。その後の津江氏、長谷部氏の氏族としての盛衰は不明であるが、津江新左衛門尉ら3名が豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際、大友吉統に従軍している[6]。大友氏が改易されると、津江地域を含む日田郡は豊臣政権下の蔵入地となり、代官支配(宮城豊盛)、のちに毛利高政の知行となった。毛利氏佐伯移封後は、そのほとんどの期間が徳川幕府の直轄領とされた。
江戸時代中期には、日田地方でも1716年ごろからスギの挿し木による栽培が行われるようになり、中津江村丸蔵では1750年に1万本の挿し木が行われた記録がある[6]。
古代、この地域は津江と呼ばれ、その中ほどに位置することから名付けられた。津江の名は、「潰える」に通じ、崩壊地やそうした地域の多い山地において名付けられた。
当地区には鉄道は走っていない。最寄り駅は、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線日田駅である。
日田駅駅前に日田バスの日田バスセンターがあり、そこを起点とする杖立線に乗車し、松原ダムバス停にて下車する。そこから日田市営バス中津江線・栃原線に乗換。
カメルーンとの交流は、2002 FIFAワールドカップにて中津江村が出場国の事前キャンプ地に立候補し、カメルーンのキャンプ地に選ばれたのが始まりである。サッカーカメルーン代表チームの当初の来日予定は2002年5月19日だったが、選手による出場ボーナス増額要求交渉によって[10][11]日本への出発が遅れ、カメルーン航空のチャーター機がフランスのパリ=シャルル・ド・ゴール空港を飛び立ったのが5月22日1時(現地時間)であった。出発後も給油地のエチオピアとインドで予定より数時間ずつ遅れた上、カンボジアとベトナムの領空通過の許可を得ていないことが判明し、タイのバンコクで足止めとなった。そのため代表チームの到着は更に遅れ、5月23日23時38分に福岡空港に到着し[12]、中津江村には5月24日3時すぎに到着した[13]。この騒動が日本中から注目を向け、同年12月に発表された新語・流行語大賞には「W杯(中津江村)」が選ばれた[14]。
その後もカメルーンとの交流が続き、カメルーン駐日大使が来訪したり当時の村長が公務でカメルーンを訪問する事もあった[15]。カメルーンが本大会に出場した2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会、2014 FIFAワールドカップブラジル大会では、旧村民あげてカメルーンを応援した[16][17]。また、2002年ワールドカップカメルーン代表のひとりでJリーグのガンバ大阪などでも活躍したパトリック・エムボマも、引退表明後に旧中津江村でサッカー教室を開催した[18]。2021年に開催された東京オリンピックにおいて、カメルーン選手団は7月5日から18日(一部は27日)まで日田市で事前キャンプを行い[19]、その中の7月15日には同選手団26人が中津江村を訪問して鯛生スポーツセンターで歓迎式を受けた。新型コロナウイルス問題により、選手団と一般住民との直接交流は行われなかったが、当日は住民が沿道でカメルーン国旗の小旗を振り、歓迎式では住民が手作りした手提げバッグなどの応援グッズがカメルーン選手団に贈呈された[20]。