茗荷谷駅
茗荷谷駅(みょうがだにえき)は、東京都文京区小日向四丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線の駅である。駅番号はM 23。
歴史
計画時の仮称は隣の清水谷町にちなみ「清水谷駅」であったが、当地の最寄りには都電の教育大学前停留場(1910年 - 1971年)があり、その隣に清水谷町停留場があるという状態であった。地域住民や拓殖大学は所在地の茗荷谷町にちなみ「茗荷谷駅」とすべく陳情を行い[3]、小石川車両基地建設のため埋め立てた茗荷谷を記念する意味もあり「茗荷谷駅」に決定した[注釈 1]。なお、いずれの町名も住居表示実施後は「小日向」となっている。
年表
駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地下駅に見えるが、池袋側のホーム上部に建造物(茗荷谷駅MFビル)が構築され、地下鉄の駅では珍しい半地下半地上となっている。当駅 - 後楽園駅間が地上線であり、ホームは地下鉄のトンネル出口に隣接し地上部となっている。地下部にあたる部分は駅舎地下である。改札口も地上部に立地する。駅舎は全体がオフィスビル「茗荷谷駅MFビル」となっており、地下1階地上8階構造で、駅施設としては地下1階から地上2階、7階と8階を使用している[12]。駅南方の地上には小石川車両基地が併設されていて、入出庫のための渡り線がある[13]。これを利用して当駅発着の列車が設定されている。また池袋方面の本線と車庫線の分岐器にはノーズ可動式分岐器が使われており、こちらも日本の地下鉄路線としては非常に珍しい。
開業当初のホーム長は池袋方面ホームが4両編成対応の80 m、荻窪方面ホームが97 m(信号所を含む)であった[5][14]。将来の6両編成化を想定して池袋方面は40 m、荻窪方面は13 mの延伸スペース(荻窪駅寄りに拡張スペース)が確保されていた[5]。1960年(昭和35年)に池袋方面ホームを30 m、荻窪方面ホームを10.1 m延伸し、6両編成に対応した[5]。
開業当初の駅舎は鉄筋コンクリート造の地上2階建てであったが、駅施設および同居する乗務員施設の狭隘化が目立ってきたため、1993年3月から1998年5月にかけて駅改良工事が行われ[6]、駅ビルの新設やホームの拡幅(荻窪方面:6.0 m→6.99 m・池袋方面:6.0 m→6.39 m)が行われた[12][6]。なお、開業時から1998年の駅改良工事[6]までの間は池袋までのトンネルの出口にホームが接続され、地上階からの階段がホームの池袋側終端へ接続する地上駅であった。
のりば
(出典:東京メトロ:構内図)
1995年7月23日に池袋駅構内での分岐器交換工事が実施された際には、池袋駅 - 新大塚駅間を運休とし、荻窪方面からの電車は渡り線から2番線に入線して折り返し、1番線は当駅 - 新大塚駅間の区間電車の発着ホームとして使用していた[16]。
-
3番出入口(2005年6月12日)
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春日通り方面改札口(2011年9月19日)
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1番線ホーム(2011年9月19日)
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2番線ホーム(2018年8月28日)
発車サイン音
丸ノ内線の各駅ではワンマン運転の開始に伴って発車メロディが導入されており、当駅も2009年2月頃に導入されたが、近隣住民からの苦情により1か月程度で使用中止となった。
曲は1番線が「スペシャルゲスト」(塩塚博作曲)、2番線が「希望の電車」(福嶋尚哉作曲)であった[注釈 2]。
その後、2009年12月21日より深夜と早朝(22時 - 翌日7時30分)を除いて、従来の発車ブザーの使用を再開した[17]。以来、当駅は丸ノ内線で唯一の発車ブザー常時使用駅となっている[注釈 3]。深夜と早朝はブザーも省略され、無合図で発車する(2000系ではこの時間帯の当駅のみ車内自動放送で発車をアナウンスする)。
利用状況
2023度の1日平均乗降人員は76,244人であり[メトロ 1]、東京メトロ全130駅中48位。
近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表の通りである。
年度別1日平均乗降・乗車人員[18]
年度
|
1日平均 乗降人員[19]
|
1日平均 乗車人員[20]
|
出典
|
1956年(昭和31年)
|
|
9,330
|
[* 1]
|
1957年(昭和32年)
|
|
13,637
|
[* 2]
|
1958年(昭和33年)
|
|
15,338
|
[* 3]
|
1959年(昭和34年)
|
|
16,361
|
[* 4]
|
1960年(昭和35年)
|
|
16,756
|
[* 5]
|
1961年(昭和36年)
|
|
17,593
|
[* 6]
|
1962年(昭和37年)
|
|
18,916
|
[* 7]
|
1963年(昭和38年)
|
|
23,752
|
[* 8]
|
1964年(昭和39年)
|
|
23,232
|
[* 9]
|
1965年(昭和40年)
|
|
30,196
|
[* 10]
|
1966年(昭和41年)
|
|
32,422
|
[* 11]
|
1967年(昭和42年)
|
65,182
|
32,835
|
[* 12]
|
1968年(昭和43年)
|
73,815
|
36,054
|
[* 13]
|
1969年(昭和44年)
|
73,408
|
36,734
|
[* 14]
|
1970年(昭和45年)
|
77,579
|
38,426
|
[* 15]
|
1971年(昭和46年)
|
80,229
|
39,938
|
[* 16]
|
1972年(昭和47年)
|
82,315
|
41,544
|
[* 17]
|
1973年(昭和48年)
|
80,849
|
40,976
|
[* 18]
|
1974年(昭和49年)
|
81,389
|
41,107
|
[* 19]
|
1975年(昭和50年)
|
70,261
|
34,791
|
[* 20]
|
1976年(昭和51年)
|
68,426
|
34,377
|
[* 21]
|
1977年(昭和52年)
|
65,375
|
33,167
|
[* 22]
|
1978年(昭和53年)
|
61,772
|
30,912
|
[* 23]
|
1979年(昭和54年)
|
62,049
|
30,693
|
[* 24]
|
1980年(昭和55年)
|
61,501
|
30,728
|
[* 25]
|
1981年(昭和56年)
|
62,384
|
31,002
|
[* 26]
|
1982年(昭和57年)
|
61,109
|
30,314
|
[* 27]
|
1983年(昭和58年)
|
59,873
|
30,204
|
[* 28]
|
1984年(昭和59年)
|
61,641
|
30,540
|
[* 29]
|
1985年(昭和60年)
|
61,727
|
30,772
|
[* 30]
|
1986年(昭和61年)
|
62,039
|
31,244
|
[* 31]
|
1987年(昭和62年)
|
62,050
|
31,286
|
[* 32]
|
1988年(昭和63年)
|
63,361
|
31,722
|
[* 33]
|
1989年(平成元年)
|
64,771
|
32,215
|
[* 34]
|
1990年(平成02年)
|
66,888
|
32,686
|
[* 35]
|
1991年(平成03年)
|
68,877
|
32,516
|
[* 36]
|
1992年(平成04年)
|
68,342
|
33,093
|
[* 37]
|
1993年(平成05年)
|
66,844
|
33,181
|
[* 38]
|
1994年(平成06年)
|
66,371
|
32,959
|
[* 39]
|
1995年(平成07年)
|
65,154
|
32,746
|
[* 40]
|
1996年(平成08年)
|
64,480
|
32,389
|
[* 41]
|
1997年(平成09年)
|
62,802
|
31,674
|
[* 42]
|
1998年(平成10年)
|
63,082
|
32,074
|
[* 43]
|
1999年(平成11年)
|
61,741
|
31,210
|
[* 44]
|
2000年(平成12年)
|
61,551
|
31,063
|
[* 45]
|
2001年(平成13年)
|
62,436
|
31,476
|
[* 46]
|
2002年(平成14年)
|
64,511
|
31,804
|
[* 47]
|
2003年(平成15年)
|
63,627
|
31,380
|
[* 48]
|
2004年(平成16年)
|
61,333
|
30,581
|
[* 49]
|
2005年(平成17年)
|
60,881
|
30,238
|
[* 50]
|
2006年(平成18年)
|
60,986
|
30,290
|
[* 51]
|
2007年(平成19年)
|
62,438
|
31,128
|
[* 52]
|
2008年(平成20年)
|
63,386
|
31,625
|
[* 53]
|
2009年(平成21年)
|
65,479
|
32,707
|
[* 54]
|
2010年(平成22年)
|
65,898
|
32,928
|
[* 55]
|
2011年(平成23年)
|
66,404
|
33,320
|
[* 56]
|
2012年(平成24年)
|
69,497
|
34,562
|
[* 57]
|
2013年(平成25年)
|
70,890
|
35,328
|
[* 58]
|
2014年(平成26年)
|
70,584
|
35,122
|
[* 59]
|
2015年(平成27年)
|
76,033
|
37,828
|
[* 60]
|
2016年(平成28年)
|
77,552
|
38,584
|
[* 61]
|
2017年(平成29年)
|
79,409
|
39,515
|
[* 62]
|
2018年(平成30年)
|
79,328
|
39,455
|
[* 63]
|
2019年(令和元年)
|
78,179
|
38,888
|
[* 64]
|
2020年(令和02年)
|
[メトロ 2]48,571
|
|
|
2021年(令和03年)
|
[メトロ 3]57,275
|
|
|
2022年(令和04年)
|
[メトロ 4]64,833
|
|
|
2023年(令和05年)
|
[メトロ 1]76,244
|
|
|
駅周辺
バス路線
停留所名は都営バスが茗荷谷駅前(拓殖大学前)、日立自動車交通が茗荷谷駅である。
- 都営バス
- 日立自動車交通
隣の駅
- 東京地下鉄(東京メトロ)
- 丸ノ内線
- 後楽園駅 (M 22) - 茗荷谷駅 (M 23) - 新大塚駅 (M 24)
脚注
注釈
- ^ 1954年1月14日発行の読売新聞朝刊には「車庫用に埋めたてた茗荷谷を記念する意味からもただ”茗荷谷”駅に決めたわけで別に他意はない」と記載がある[4]。
- ^ この2曲は2019年7月5日より方南町駅の発車メロディとして使用を再開している。
- ^ 発車ブザー自体は新宿駅と池袋駅でもラッシュ時限定で使用されている。
出典
- 東京地下鉄の1日平均利用客数
- 東京都統計年鑑
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、 茗荷谷駅に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
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| 分岐線(方南町支線) | |
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