|
この項目では、神田川の橋について説明しています。台東区の地名については「浅草橋 (台東区)」をご覧ください。 |
浅草橋(あさくさばし)は、神田川にかかる橋で、江戸時代には馬喰町四丁目と浅草茅町一丁目(現・台東区)との間に架かる橋で、橋の南詰に江戸城の城門浅草橋門が設置されていたもので、現在では南岸の中央区東日本橋2丁目及び日本橋馬喰町2丁目と北岸の台東区柳橋1丁目及び浅草橋1丁目の間に架かり国道6号(江戸通り)を通す国(東京国道事務所)管理の橋である。浅草橋は橋北詰の台東区の町名、地区名(浅草橋地区[1])でもある(浅草橋 (台東区)を参照)
歴史
江戸時代には馬喰町四丁目と浅草茅町一丁目(現・台東区)との間に架かる木造の橋で、橋の南詰に江戸城の城門浅草橋門が設置されていた。神田川は江戸城の外堀の役割も担っていたため、門の内側には番所が置かれ通行人の監視も行われていた。五街道の日光・奥州街道が通り、非常に往来の多い橋であった。浅草橋の南詰は江戸の六大高札場のひとつでもあった。
明暦の大火(明暦3年、1657年)の際、牢獄での非常時の罪人解き放ちを「集団脱獄」と勘違いした役人が門を閉めたため、神田・日本橋側から浅草の方へ避難しようとしていた一般民衆が逃げ場を失い、多くの犠牲者を出すという惨事もあった。
1873年(明治6年)、木造橋を石橋に架け替え。技術の高さで知られた肥後の石工である、橋本勘五郎の施工。
1930年(昭和5年)、関東大震災後の復興計画により当時の最新技術を駆使して現在の浅草橋が建設された。
現在、浅草橋を通る道路は国道6号に指定されており、交通の要衝を担っている。神田川と隅田川の合流地点に近く水上交通の要衝でもあるため、橋の周辺にはおびただしい数の屋形船が係留されている。
隣の橋
- (上流) - 美倉橋 - 左衛門橋 - 浅草橋 - 柳橋 - (下流)
浅草橋地区
出身・ゆかりのある人物
脚注
参考文献
- 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
関連項目
|
---|
(上流) - 和田見橋 - 富士見橋 - 高砂橋 - 寿橋 - 本郷橋 - 柳橋 - 千代田橋 - 氷川橋 - 中野新橋 - 桜橋 - 花見橋 - 月見橋 - 中ノ橋 - 皐月橋 - 桔梗橋 - 東郷橋 - 長者橋 - 宝橋 - 菖蒲橋 - 相生橋 - 豊水橋 - 淀橋 - 栄橋 - 伏見橋 - 末広橋 - 柏橋 - 新開橋 - 万亀橋 - JR中央線鉄橋 - 大東橋 - 南小滝橋 - 亀齢橋 - 小滝橋 - 久保前橋 - せせらぎ橋 - 新堀橋 - 瀧澤橋 - 落合橋 - 宮田橋 - 田島橋 - 清水川橋 - JR山手線高田馬場駅~目白駅間鉄橋 - 西武新宿線高田馬場駅~下落合駅間鉄橋 - 神高橋 - 高塚橋 - 戸田平橋 - 源水橋 - 高田橋 - 高戸橋 - 曙橋 - 面影橋 - 三島橋 - 仲之橋 - 豊橋 - 駒塚橋 - 大滝橋 - 一休橋 - 江戸川橋 - 華水橋 - 掃部橋 - 古川橋 - 石切橋 - 西江戸川橋 - 小桜橋 - 中之橋 - 新白鳥橋 - 白鳥橋 - 新隆慶橋 - 隆慶橋 - 船河原橋 - 小石川橋 - 後楽橋 - 後楽園ブリッジ - 水道橋 - お茶の水橋 - 聖橋 - 神田川橋梁 (東京メトロ丸ノ内線) - 神田川橋梁 (総武本線) - 昌平橋 - 万世橋 - JR各線秋葉原駅~神田駅間鉄橋 - 神田ふれあい橋 - 和泉橋 - 美倉橋 - 左衛門橋 - 浅草橋 - 柳橋 - (隅田川へ合流)
|
カテゴリ |
座標: 北緯35度41分45秒 東経139度47分7.5秒 / 北緯35.69583度 東経139.785417度 / 35.69583; 139.785417