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この項目では、JR(西日本・東海)、近鉄、京都市営地下鉄の駅について説明しています。その他の「京都駅」については「京都駅 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
京都駅(きょうとえき)は、京都府京都市下京区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)・京都市交通局(京都市営地下鉄)の駅。
現存の原広司設計の烏丸口の駅ビルは「京都駅ビル」と呼ばれ、1997年に完成した4代目駅舎である[1][2]。
概要
京都府内では唯一の新幹線停車駅である。京都市の玄関口であり、観光の拠点となっているターミナル駅である。京都都市圏の中心駅として各社局線乗換の通勤・通学客もあり[3]、1日平均の乗降人員は約60万人。JR西日本管内の駅では乗車人員が大阪駅に次いで2番目に多く[4]、定期券率は64%である[5]。
東海道新幹線の全列車が停車するほか、JR西日本は寝台特急「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」を除く全列車が停車し、北陸・山陰・関西空港・南紀(和歌山)・中部方面、近鉄は奈良・橿原神宮・伊勢志摩方面など、各地を結ぶ特急列車が発着する。
1997年竣工の烏丸口の駅ビルは、百貨店・ホテル・劇場などで構成される複合商業ビルである[1]。ガラス張りの前衛的な駅ビルは原広司による設計で、ブルネル賞奨励賞を受賞した[1]。
正面の烏丸口のバスターミナル直下には市内最初の地下街であるポルタがあり、市営地下鉄の改札口と直結している。駅周辺はオフィスや大型商業施設、観光客向けのホテルなどが集積するが[6]、当駅は市街地南部の八条通付近に位置しているため、京都市の中心市街地である四条通(四条河原町・四条烏丸)とは離れた場所に立地している。
乗り入れ路線
以下の合計4社局が乗り入れている。
JR西日本・JR東海の駅は特定都区市内制度における「京都市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となっている。
乗車カード対応
JR西日本の駅はICOCA、近鉄と地下鉄の駅はICOCAの他PiTaPaおよびスルッとKANSAI対応各種カードの利用エリアに含まれており、それぞれ相互利用可能な各カードにも対応している。
JR東海の東海道新幹線では、EXサービス(EX予約・スマートEX)で予約を行い、交通系ICカードの登録を行えば利用可能。
歴史
1874年に開業した神戸駅 - 大阪駅間の鉄道を東に延伸する形で[注釈 1]、1877年2月5日に開業[11] した。開業と同時期に西南戦争が勃発し、すぐに軍事輸送用として用いられたという[12]。通過式の構造を持っていたが、数年間は終着駅として機能した。
開業当初、線路は八条坊門小路(現・塩小路通)のすぐ南側に敷設され、駅は現在の駅前広場に設置されていた。七条停車場、七条ステーションなどと通称されていたが、七条通に面していたわけではなく、西洞院通より東は本町通まで七条通が市街の南端だったことによるもので、当駅付近は旧来の繁華街である三条通などからは遠く離れた寂れた地域だった。立地は路線形状の都合や用地買収の観点から決定された。
1880年、鉄道は大津駅まで延伸されたが、この時のルートは東山にトンネルを掘削する技術がまだなかったことから、現在のJR奈良線を稲荷駅周辺まで南下した後、現在の名神高速道路が走っている敷地を通って、大津駅へと向かうものとなった(大津駅の項目も参照)。
その後、 1895年に奈良鉄道(現:奈良線[注釈 2])、1897年に京都鉄道(現:山陰本線)が開通し、市内の路面電車(京都市電)も乗り入れるようになり、当駅周辺は急速に発展していった。
1921年(大正10年)8月1日に東海道本線のルートが東山トンネル・新逢坂山トンネルの開通によって馬場駅(現在の膳所駅) - 当駅間で変更・短縮されることになった際に、奈良線の当駅 - 桃山駅が旧東海道本線を経由したルートに変更された。また、1928年(昭和3年)には廃止された旧奈良線のルートを利用して近鉄京都線が当駅まで開業した。
東海道新幹線の建設に際し新幹線京都駅をどこに設置するかについては、計画段階では3つの案があった。1つ目は京都駅の南約2kmの奈良線稲荷駅付近に設置する「南案」、2つ目は現駅に併設する「併設案」、3つ目は五条通の地下を通し烏丸五条(現烏丸線五条駅)付近に設置する「北案」である[13]。最終的に地元の強い要望もあり、1960年4月に京都駅へ併設することが決定した[14]。建設用地確保のため、駅の南側にあった機関車留置線などは駅の東側へ、客車留置線は新設の向日町運転区(のちの京都総合運転所)に移転した[注釈 3]。それでも若干用地が不足したため、新幹線駅は八条通の上空に最大12m程度張り出している[15]。
また、新幹線の速達種別である超特急(ひかり号)は京都駅を通過する計画だったが、京都市長高山義三、京都市会、京都商工会議所など政財界は停車させるよう強く陳情した。さらに、1963年7月には運輸大臣綾部健太郎も超特急の京都駅停車を支持した。結局開業まで1ヶ月少々となった1964年8月18日に、ようやく超特急の京都駅停車が正式決定した[16]。
駅舎
1877年(明治10年)2月5日開業の初代駅舎は赤煉瓦のモダンな建物で、完成祝賀会には明治天皇が行幸している。七条停車場、七条ステーションなどと通称されていたが[注釈 4][17]、七条通に面していたわけではなく、2代目以降の京都駅より少しだけ北側にあった[1]。
1914年(大正3年)、大正天皇の御大典にあわせて2代目駅舎が渡辺節の設計により初代駅舎の南側に建設された[1]。敷地を確保するため、駅全体が南に移設され、貨物ヤードや機関区は駅西方の梅小路に移転した[18]。初代駅舎の跡地は駅前広場の拡張に使われた。
1950年(昭和25年)11月18日午前4時頃、駅舎食堂の従業員が更衣室に設置されたアイロンの電源を切らずに帰宅したことが原因で出火し、2代目駅舎は全焼した[19]。この事件に関しては、その晩に夜警業務を行っていた従業員が業務上失火罪で有罪判決を受けている[20]。
3代目駅舎は、1951年(昭和26年)に着工し、1952年(昭和27年)に完成した[21][新聞 1]。鉄筋コンクリート造の2階建てで、中央に8階建ての塔を備えたものである[1]。駅舎の設計については、2代目駅舎のデザインをそのままに再建する案、日本様式のデザインにする案、現代的デザインにする案などがあったが、最終的にコンクリートを多用した機能主義的デザインが採用された[22]。駅舎に近い1番のりばは電車化を見据え30cm嵩上げされた[23]。
1990(平成2)年にJR京都駅改築に関するコンペが開催。翌1991(平成3)年コンペ審査で原広司案が最優秀作品に決定した[1]。1997(平成9)年の9月11日に地上16階地下3階の4代目駅舎として、京都駅ビルがグランドオープンした[2]。
駅高架化運動
京都駅開業後、東海道本線の線路により京都駅周辺が南北に分断されることが問題視された。1930年(昭和5年)12月16日に、京都市会は「京都駅及び東海道線,山陰線の高架要望に関する意見書」を可決し、同時に「京都駅及び鉄道線高架式実行委員会」を設置して京都府・京都商工会議所と共に運動を開始した。しかしその後、戦中・戦後の混乱期に運動は断絶した。
1950年(昭和25年)11月に駅舎が焼失したことを契機に運動が再興し、「京都市内国鉄改築に関する委員会」が設立された。同委員会は1952年(昭和27年)8月5日に「国鉄高架並びに電化促進に関する委員会」と名称変更され、電化を含めた国鉄線全般の改良運動へと形を変えた[24]。
1956年(昭和31年)11月9日に米原までの電化が実現し改めて高架化が争点となったが、100億円と見積もられた工費の地元負担について京都市が2割を主張したのに対し、国鉄は5割を要求したことで折り合わず実現しなかった[24]。
また、東海道新幹線の駅が京都駅に併設されることが決定してからも再び高架化運動が盛り上がったが、結局実現しないまま現在に至る[25]。なお、高架化運動中に建築された3代目駅舎や東海道新幹線の京都駅は、将来の高架化に支障しないように設計されている[14][22]。
この市街地の分断という問題は堀川通や河原町通がそれぞれ1964年(昭和39年)、2009年(平成21年)に拡幅されたこと等により徐々に改善が図られている。
年表
近畿日本鉄道
近鉄京都線の前身は奈良電気鉄道であり、同社が京都駅への乗入れを最初に計画時は、高架式を採用して東海道線を跨線し、北口(烏丸口)側に駅を設ける予定としていた。
しかし、昭和天皇即位の礼が実施されるのに間に合わせる必要があったこと、それに予算の問題もあって、当面は仮設駅として、現在地に地上で京都駅南側に駅を建設した[注釈 6]。その後、仮設置の予定であった駅設備は北側まで移されることもなく、東海道新幹線の建設時に国鉄の要請を受けて駅を高架化し、現在のように新幹線駅の真下にホームが設けられる構造となった[47]。それまで保有していた北口までの免許は、仮設駅として設置している現在の位置を本設駅とすることにより、取り消されている[46]。
2007年から2012年にかけては、近鉄の主要ターミナル整備計画により駅のリニューアルが行われた[48][49]。1階にあった八条改札口跡地に「近鉄名店街」を増床し、「近鉄名店街みやこみち」と名を改めて2008年(平成20年)10月9日にリニューアルオープンした[50]。また、新たに4番線を増設し、その直上には2011年(平成23年)10月に「ホテル近鉄京都駅」がオープンしている(2019年4月に名称を「都シティ 近鉄京都駅」に変更[51])。
年表
京都市電・京都市営地下鉄
便宜上、京都市電京都駅前電停の歴史についてもここで触れる。
同電停には伏見線(のちに河原町線に編入)、堀川線、烏丸線が乗り入れていた。
年表
駅構造
現在のJR在来線と東海道新幹線の駅は、かつては同じ日本国有鉄道(国鉄)の駅であったが、国鉄分割民営化後は在来線がJR西日本、新幹線がJR東海の管轄に分かれ、駅長もJR西日本とJR東海で別に配置されている。
なお、JR西日本の駅は管理駅として山科駅と梅小路京都西駅を管轄しているが、山科駅は地区駅長が配置され、一定の権限を持っている。夜間滞泊の設定もある。
JR京都駅の事務管コードは▲610116、京都市内の事務管コードは▲619902である[54]。
JR西日本
- JR西日本の在来線各線は地上駅であり、東海道本線(JR京都線・琵琶湖線)・湖西線用の島式ホーム3面6線と単式ホーム1面1線、構内西側に山陰本線(嵯峨野線)用の頭端式ホーム3面4線、南側に奈良線用の頭端式ホーム2面3線(このうち1線のみ大阪方面に延びている)を持つ。
- 各ホームは西側橋上駅舎と東側改札内地下通路で結ばれている。橋上駅舎から各ホームにはエレベーターが設置されている。停車場に分類される。
- 北側の烏丸中央口に面しているホームは、全長558mで日本一長いホームとして知られているが、0番のりば(旧1番のりば)のホーム自体の長さは323mであり、残りの部分は西端に切り欠きホームとして設けられている30番のりば(235m)である。この30番のりばは関西空港行きの特急「はるか」専用で、1994年9月4日の運転開始当初は「はるかホーム」という名称が付けられていた。なお、4代目の新駅ビル建設に際して旧1番のりばを取り壊し、現0番のりばのホーム拡幅に利用している。
- 以前は、運行管理上は、現0番線が2番線、現2番線が4番線、現7番線が11番線と呼ばれていたが、2002年7月29日の運行管理システムの導入の際に線路呼称を変え、運転線路名と旅客案内上ののりば名を一致させた。これに伴い、東海道本線上り通過線である1番線は、ホームとしては欠番になっている。
- また、東海道本線の下り通過線は2002年7月29日の運行管理システムの導入の際に廃止されており、当駅を通過する吹田方面行きの貨物列車は6番または7番のりばを通過する。
- 西側にある山陰本線ホームは、以前は「山陰1・2番のりば」、1989年のホーム増設後は「山陰1 - 4番のりば」と呼ばれており、機回し線(電化後に撤去)が敷設されていたが、1994年12月3日にホーム番号の呼び名が整理され、「はるかホーム」を含めて30 - 34番のりばと呼ぶようになった。30番台にしたのは、山陰本線の「さん」にかけたものである[55][新聞 12]。このうち34番のりばは、日本一大きい数字のホーム番号である[55]。旧駅ビル時代は待合室が存在したが、その後長らくは、6・7番のりばにある小さな列車待ちスペース以外は、待合室は存在しなかったが、2007年3月18日に、長距離列車の発着の多い0番のりばにも待合室が設置された。
のりば
先述の通り1番のりばは欠番となっている。0番のりばの西側が30番のりばで、その北側に山陰線の31〜34番のりばがある。
方面表記は2020年6月30日現在の「JRおでかけネット」の駅構内図に即している。また、特急列車専用ホームは、当該特急の直通路線名で案内されているのでそれに合わせた。
基本的に、0 - 3番のりばが東海道本線上り(湖西線・草津線直通を含む)、4 - 7番のりばが東海道本線下り、8 - 10番のりばが奈良線、30番のりばが関空特急「はるか」、31番 - 33番のりばが山陰本線、11・12番線が東海道新幹線上り、13・14番線が同新幹線下りに用いられている。
2022年3月6日に2番線、10月19日に5番線にホームドアが設置された[56]。
発着する特急については後述する。
(出典:JR西日本:構内図)
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0番のりばホーム(2022年12月)
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2・3番のりばホーム(2022年12月)
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4・5番のりばホーム(2022年12月)
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6・7番のりばホーム(2022年12月)
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8・9番のりばホーム(2022年12月)
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10番のりばホーム(2022年12月)
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30・31番のりばホーム(2022年12月)
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32・33番のりばホーム(2022年12月)
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34番のりばホーム(2022年12月)
2024年(令和6年)3月16日現在、のりばは上記のように案内されているが、細かく分けると以下のように使用されている。
- 琵琶湖線の新快速・普通と、湖西線の新快速・平日夕方の快速は基本的に2番のりばを使用するが、平日朝の琵琶湖線・湖西線に直通する新快速と、夕ラッシュ時に草津線に直通する普通は0番のりばを使用する。3番のりばは湖西線の普通および土曜日・休日の快速(当駅始発)、当駅で新快速の接続待ちを行う琵琶湖線の普通が使用する。
- 2017年3月3日までは、大阪発9時台に、前4両が湖西線近江今津・敦賀行き、後ろ8両が当駅止まりになる運用があったが、6日からは12両で近江今津まで行くようになった。
- 2023年現在も平日大阪発7時台の新快速で、0番乗り場にて分割し、前4両が湖西線経由敦賀行き、後ろ8両が琵琶湖線米原行きとなる列車がある。この列車のみ後ろ8両が先行する前4両と山科駅で接続を取って先に発車する。
- JR京都線方面の列車は、普通電車(京阪神緩行線)は基本的に4番のりば、その他の電車は5番のりばから発車する。ただし、毎日朝と平日夕方の新快速は6・7番のりばから発車する。
- 特急列車については関空特急「はるか」を除き、北陸方面「サンダーバード」・米原方面「らくラクびわこ」・高山方面「ひだ」は0番のりば、姫路方面「らくラクはりま」・鳥取方面「スーパーはくと」・白浜方面「くろしお」・大阪行きの「サンダーバード」「らくラクびわこ」「ひだ」は6・7番のりばを使用する。
- 関空特急「はるか」は原則として行き止まりの30番のりばを専用ホームとして使用するが、野洲・草津発の列車に限り6・7番のりばを使用する。野洲行きの「はるか」は0番のりばを使用する。
- 0番のりばは、「スーパーはくと」・「らくラクはりま」・「くろしお」などの当駅止まりの列車も到着し、列車によっては「はるか」用の30番のりばに到着するものもある。
- 6・7番のりばは琵琶湖線・湖西線・草津線からの当駅止まりの列車も到着する。その多くは京都総合運転所への回送になる。
- 2006年3月17日まで運行されていた東京発の寝台特急「出雲」は、東海道本線から山陰本線への直通が2番線以外では不可能であったため、2番のりばから発着していた。
- 大阪方面から奈良線へ直通する臨時列車は、2・3番のりばを使用する。
- JR西日本 京都駅 構内配線図
※ JR西日本 京都駅の構内鉄道配線図(注意 巾600px)を表示するには、右の [表示] をクリックされたい。
発着する在来線優等列車
当駅は関空特急「はるか」、山陰本線経由で北近畿方面へ向かう各種特急の起点となっている(ただし、「はるか」の一部は野洲駅または草津駅を始発・終着駅とする)。また、大阪駅発着の北陸・飛騨行きの特急も停車する。
出入口
在来線の出入口は、北側地上に「烏丸中央口」、南北自由通路に通じる西側橋上駅舎上に「西口」、地下自由通路に通じる地下1階に「地下東口」、南東側地上に「八条東口」がある。
現存しない出入口もあり、北側地下1階に存在した「地下中央口」は、2022年12月25日をもって閉鎖された[新聞 8]。2007年8月23日から2023年5月7日までは山陰線30番・31番乗り場ホームからビックカメラJR京都駅店2階に直結する「西洞院口(にしのとういんぐち)」が設置されていた。
乗り換えは、烏丸口のバス利用者は「烏丸中央口」、八条口のバス利用者は「八条東口」「新幹線八条口」など、近鉄線へは西口、地下鉄へは地下東口が至近である。
他の京都市内にある各線の駅や大都市の主要駅と比べると、烏丸中央口は駅前のターミナル(バス・タクシーのりば)が広くゆとりがあるのが特徴である。
今後、南北自由通路に面する「西口」の向かい側に新たな出入口を設ける計画がある[57]。高速バス乗り場が移設される再開発ビルと接続の自由通路と合わせ、2031年供用、事業費195億円での整備が発表されている[58]。
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烏丸中央口(2009年4月)
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西口改札(2022年12月)
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地下東口改札(2022年12月)
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八条東口改札(2022年12月)
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西洞院口改札(2022年12月)
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地下中央口改札(当時、2022年12月)
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出入口・自由通路の新設位置
駅弁
主な駅弁は下記の通り[59]。
- 京都牛膳
- 特製幕之内御膳
- 東海道 肉まつり
- 牛めし 近江
- あなごめし
- 二段重 海~金目と鯖の煮魚
- 八角弁当
- 厚切りロースとんかつ弁当
- 二段重 山~鶏とだし巻き卵
- 品川貝づくし
- 東海道新幹線弁当
- 六甲山縦走弁当
- パンダくろしお弁当
- おむすび弁当
- ハローキティ新幹線弁当
- 肉めし
- 八角弁当
- あっちっちかにめしとすきやき重
- ひっぱりだこ飯
- 神戸のすきやきとステーキ弁当
その他
- 南北自由通路を南(または南西)に八条通を跨ぐ形で延伸する計画があったが、財政難などの理由で頓挫した[新聞 13]。
- 国鉄時代から民営化後の初期まで(1993年3月まで)は、西明石駅から当駅までが禁煙区間であり、当駅より東では車内での喫煙が認められていた。
JR東海
JR東海の京都駅は東海道新幹線のみであり、JR西日本の駅の南側にある高架駅である。
東海道新幹線の全営業列車の停車駅であるが、発着駅 (始発列車や終着列車を担う駅) ではない。島式ホーム2面4線を持ち通過線はない。ただし中央側の2線は低速通過線として使用可能な構造である。新大阪方には京都駅前後区間専用の保守基地と横取装置がある。
ホーム(および新幹線車内)の乗り換え案内放送では、かつては地下鉄線はアナウンスされなかったが、2015年3月14日のダイヤ改正よりアナウンスされるようになった。
各ホームにはエレベーターが設置されており、11・12番線のエレベーターは1階の新幹線八条口に繋がっている。
コンコースには東海キヨスクの店舗もある。
出入口は、南側地上に「新幹線八条口」、南東側地上に「新幹線八条東口」、新幹線コンコース西側に「新幹線中央口」がある。
在来線と新幹線は「中央のりかえ口」と「東のりかえ口」を介して乗り換えできる。近鉄線へは新幹線中央口、地下鉄へは新幹線八条東口が最寄りである。
2016年3月10日にホームへの可動式安全柵の設置が完了した[新聞 14]。
なお、ホームの南側(八条口側)にはJR東海の駅舎があるが、これは新幹線開通時に建設されたもので近鉄・新幹線のホーム下にあり、規模は小さく、新しい京都駅ビル建設の際も南北自由通路の設置やJR線と近鉄線の改札を完全分離化したことと、在来線の自動券売機が八条東口に集約され、JR東海の機種(地紋がJR東海の物で、左上に□に「海」の記述がありながら「西日本会社線」と表記)から烏丸口と同様のJR西日本の機種に変更された。
改札業務がJR東海からJR西日本(関連会社の委託を含む)に移管されたこと以外は大きな変更はなかった。
のりば
番線 |
路線 |
方向 |
行先
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11・12
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東海道新幹線
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上り
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東京方面
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13・14
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下り
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新大阪・博多方面
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(出典:JR東海:駅構内図)
近畿日本鉄道
頭端式ホーム4面4線を有する高架駅で、ホーム有効長は6両編成分である。新幹線ホームの下に位置し、ホーム全体が覆われている構造上、特急車両の喫煙室は当駅停車中は使用禁止となる[60]。
1997年にJR京都駅4代目駅舎が竣工して南北自由通路が通行可能になる以前には、烏丸口に有人個別対応の券売窓口が存在していた。
また中央口改札には、開業当初から長らく(国鉄→)JR京都駅の構内に入り込む形で乗換用の改札機があったが、現京都駅ビル建設および同駅南北自由通路設置に合わせて、両社の乗換改札口は完全に分離された。そして、2007年12月1日には駅リニューアルの一環として1階の八条口改札・切符売り場が廃止され、定期券売り場、駅営業所等を含めて2階改札口(中央口)に移転、集約された。駅長配置駅である。
のりば
(出典:近鉄:駅構内図)
種別ごとののりば表
のりば
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特急
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急行
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各駅停車
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1
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終日
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早朝・深夜
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早朝・深夜
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2
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朝のみ
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3
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-
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終日にわたって使用
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主に朝夕
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4
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朝・夕
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終日にわたって使用
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- 1・2番線は特急専用ホームであるが、朝および深夜時間帯は一般種別の列車も使用する[61]。
- 1・2・3番線は乗降分離型となっている。ホーム配置は南から1番線乗車ホーム、1番線降車・2番線乗車ホーム、2番線・3番線降車ホーム、3番線乗車・4番線乗降車ホームの順である。
- 2022年4月29日からは19200系あをによしが使用を開始した[62]。
- 準急は到着列車のみ。
京都市営地下鉄
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。
改札口は北改札(有人)、中央1改札(有人)、中央2改札(無人)、南改札(無人)の4か所で、奈良線以外のJR在来線への乗り換えは中央2改札が、JR奈良線・新幹線および近鉄線との乗り換えは南改札が便利である。JR線の東側の地下で南北方向に交差しているため、南北自由通路からのアクセスは悪い。
のりば
のりば |
路線 |
方向 |
行先
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1
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烏丸線
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下り
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竹田・奈良方面
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2
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上り
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国際会館方面
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(出典:京都市営地下鉄:構内図)
京都駅ビル
京都駅の駅舎のうち、JR西日本の烏丸中央口側のものを「京都駅ビル」と呼ぶ。
地上16階、地下3階 (高さ60m)、敷地面積38,000m²、延床面積は238,000m²、東西の長さは470mにおよび、鉄道駅の駅舎としては日本有数の規模である。1997年に完成した複合商業施設であり、新しい京都市の顔となりつつある。大阪駅の大阪ステーションシティや(JR西日本)、名古屋駅のJRセントラルタワーズ(JR東海)、札幌駅のJRタワー(JR北海道)、博多駅のJR博多シティ(JR九州)など、その後のJR各社のターミナル駅再開発の先駆け的存在でもある。
現在の駅舎は4代目に当たる。1952年に竣工した鉄筋コンクリート造の3代目駅舎は、駅が発展するとともに増築に次ぐ増築を重ねたため、地下街を含む商店街や連絡通路などを含めると構内の構造は複雑化し、不便なものになっていた。また駅舎本体にも老朽化に伴う種々の問題が生じて来た。そこで、抜本的対策として駅ビルの新築が計画された。これは1994年の平安遷都1200年記念事業の一環でもあった[36]。
京都駅ビルの設計
京都駅ビル(JR西日本)は、日本の鉄道駅舎としては異例の国際指名コンペ方式で行われ、新駅ビル設計者には原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、ベルナール・チュミ、ペーター・ブスマン(wikidata)の7名の複数の建築家が指名された。設計審査の結果、先ず原広司案、安藤忠雄案、スターリング案の3案に絞り込まれ、さらなる協議を経て、梅田スカイビル(大阪市北区)などの作品で知られる原広司の案が最終案として採用された。
京都駅周辺は高さ120mまでの建築物が建築可能となる特例措置が設けられているが、高さ制限の緩和は古都の景観を損なうものとして反対意見も根強かったため、建物の巨大さ、高さに起因する圧迫感を回避し、いかに周辺環境との調和を図るかが作品の評価のポイントとなった。採用された原広司案は、最大高さを60mに抑えた上で、南北方向の道路に合わせて建物を分割して視線を通すなど、圧迫感を回避するような配慮が随所に見られる。
採用にいたらなかった諸案の概要は次の通り。
- 安藤忠雄案:線路上に巨大な屋根を架けてその上を広大な広場とし、さらにそこをまたぐようにして羅城門をイメージした逆凹字形の駅舎を建設する。
- ペーター・ブスマン案:屋根部分を長大な弓形に湾曲させ、北面には京町家を意識して高さ31mに揃えた軒先線を設ける。
- 池原義郎案:烏丸通の正面側を巨大な門形とし、そこから中央部に向かって階段状に高さを下げ、さらに西側に向かって上昇させる。
- 黒川紀章案:羅城門を意識した高さ120mの門型の超高層建築。圧倒的な重量感と黒色の配色の威圧感が賛否両論を呼んだ。
- ジェームズ・スターリング案:空間を3分割し、西側に高さ120mの円筒形のホテルを建てる。
- ベルナール・チュミ案:駅舎を南北に分割し、北側は31mのスカイラインを強調してその上に「京の七口」を意識した7本のタワーを建てる。南側は45mのスカイラインで揃える。
この他、駅ビル建設に反対した市民グループは、寺社風木造建築の駅舎で、周辺の商店を保護するため、大型商業施設をテナントに入れないという独自の案を提唱し、当時駅ビル問題を扱った『NNNドキュメント』(日本テレビ系列・当該回は読売テレビ制作)でも紹介されていた。
京都駅ビルの構造
京都駅ビルは、東側にJR西日本ホテルズのホテルグランヴィア京都、西側に百貨店のジェイアール京都伊勢丹が位置する。その間の中央コンコースは、4000枚のガラスを使用した正面と大屋根で覆う広々とした吹き抜け(横幅147m、奥行29m、高さ50m)になっている。吹き抜けの最上部には地上45mの空中径路が通っている。
- 中央コンコースの巨大な吹き抜け空間は、映画『ガメラ3 邪神覚醒』ではガメラとイリスの決戦の舞台とされ、怪獣映画では初の屋内戦が繰り広げられた。なお、設定上ではガメラ・イリス双方の身長とも京都駅より大きい。
吹き抜けから東西へは渓谷状の階段が設けられている。伊勢丹側の大階段は段数171段、高低差は11階建てビルに相当する35m、全長は70mある。大階段はコンサートや、毎年2月の「JR京都駅ビル大階段駆け上がり大会」(主催:KBS京都)などイベント会場としても利用されるほか、カップルや観光客の憩いの場ともなっている。また、非常時の避難経路となることも想定されている。
京都駅ビルの延床面積238,000m2の内訳は、駅施設が約12,000m2、ホテルグランヴィア京都が約70,000m2、百貨店などの商業施設が約88,000m2、「美術館・えきKYOTO」などの文化施設が約11,000m2、駐車場が約37,000m2、行政関係施設などが約38,000m2、となっている。他都市の大規模な駅ビルの場合、面積のかなりの部分を企業向けの賃貸オフィスに割いていることが多いのに対して、京都駅ビルはそうした部分をほとんど持たない。
その後、嵯峨野線ホーム亀岡寄り側付近は京都駅NKビル(JR西日本不動産開発)が増築され、新しく改札口(西洞院口)を設けた。この改札口は、同ビルに出店した家電量販店のビックカメラ京都店の内部に取り込まれている。(その後、閉店のため閉鎖)
-
駅ビル内観(2017年7月)
-
駅ビル大階段付近(2018年7月)
-
コロナ禍中、
社会的距離を促す大階段の
ライトアップ(2021年12月)
建築・設計
- 建築設計:原広司 / アトリエファイ建築研究所
- 施工:京都駅ビル建設工事JV(大林・鉄建・大鉄他JV)
- 竣工:1997年
- 用途:駅舎・複合施設
- 構造:鉄骨造+鉄骨鉄筋コンクリート造
- 階数:地上16階、地下3階 (高さ60m、横幅470m、奥行80m)
- 敷地面積:38,000m2
- 建築面積:32,400m2
- 延床面積:238,000m2
- 所在地:京都府京都市下京区烏丸通塩小路下る東塩小路町901番地
- 第40回建築業協会賞受賞
ジェイアール京都伊勢丹
駅ビルに対する賛否両論
京都駅ビルは、規模の巨大さとデザインの斬新さにより、建設時はもちろん建築後もその評価には賛否がある。建設当時には、京都・まちづくり市民会議などが中心になって、激しい反対運動が起こった。また1990年代初頭、京都仏教会はこの駅ビル建設に「景観が悪くなる」という趣旨で強く反対していた。
- 賞賛意見
- 単なる交通ターミナルではなくさまざまな機能が盛り込まれており、京都の新しい中心核を創り上げている。巨大な吹き抜け空間と大階段など、未来指向のデザインに溢れており、これほどまでに人目を引く駅舎は日本では他に例を見ず、今や京都の新しい観光スポットとしてもすっかり定着した。こうした斬新な建築は、新しいものと歴史あるものとが調和をもって共存する京都に相応しい。
- 批判意見
- 採用された設計案では圧迫感を回避するような配慮が随所に見られるが、根本的な解決になっているとは言い難い部分がある。ハーフミラーのガラスやアルミパネルを多用した造形も歴史ある古都の景観を破壊している。高さ60mの巨大建築は京都を分断する衝立のようなものであり、京都の南北の一体化を阻害している[新聞 15]。観光客向けに和風デザインが望ましいのではないか[63]。
構造上の問題
京都駅ビルの中央エリアは巨大な吹き抜けのコンコースで、アーチ形のガラス屋根が半開き状態であることから、強風の際は駅舎内に雨、雪が入り込むことがある[64]。
2018年(平成30年)9月4日の台風21号上陸時には中央コンコースのガラス屋根が構内へ落下し、男女3人が負傷する事故が発生した[65]。
2023年1月24日の大雪時には、構内を利用客が傘をさして移動する模様がSNSで話題になった[66]。ネットメディアのBusiness Journalは「鉄道会社関係者」の話として、ガラス屋根の落下防止措置や、雪や雨などが構内に入らないようする対策が求められるとし、災害に対する脆弱性を指摘した[64]。
JR京都駅NKビル(JR西日本)
2007年8月23日、京都駅ビルの西側、JR嵯峨野線ホームの亀岡寄り側付近に京都駅NKビルが増築された。延床面積は約10,200m²。同ビルには家電量販店ビックカメラ京都店が出店した。同ビルの中にはJR嵯峨野線プラットホーム(30・31番のりば)に直結する改札口(JR京都駅西洞院口)が新設され(この改札口はビックカメラの売場内部に直結している)、京都寄り車両に乗客が集中する嵯峨野線の混雑緩和が図られている。
利用状況
- JR西日本 - 2023年度の1日平均の乗車人員は164,712人である。
- 同社の駅では大阪駅に次ぐ第2位。京都府内のJR西日本の駅の中では最多。
- JR東海 - 2023年度の1日平均の乗車人員は38,000人である。新幹線の利用者数は東京駅、新大阪駅、名古屋駅に次いで多い[67]。
- 京都市営地下鉄 - 2023年度の1日平均の乗降人員は128,442人である。市営地下鉄京都駅の客数であり、近鉄京都線・近鉄奈良線と直通する列車の乗降客を含む[68]。
- 同局の駅では第1位。2019年度まではおおむね増加傾向だった。
- 近畿日本鉄道 - 2023年11月7日の乗降人員は72,154人である。近鉄京都駅の客数であり、市営地下鉄烏丸線と直通する列車の乗降客を含まない[69]。
- 同社の駅では大阪阿部野橋駅、鶴橋駅、大阪難波駅、近鉄名古屋駅に次ぐ第5位。2022年度の年間推計乗降人員は30,184千人であり、1日平均では82,696人となる。いずれの数値も、京都府内の近鉄の駅、及び京都府内の私鉄の駅では最多の利用客数であり、2019年度までは横ばいだった。
年度別乗降・乗車人員数は下表の通り。
年度
|
JR東海[注釈 7]
|
JR西日本[注釈 8]
|
京都市営地下鉄[70][71]
|
近畿日本鉄道[注釈 9][72]
|
1日平均 乗車人員
|
増加率
|
1日平均 乗車人員
|
増加率
|
1日平均 乗車人員
|
1日平均 乗降人員
|
増加率
|
特定日[73]
|
1日平均 乗降人員
|
増加率
|
年間 乗降人員
|
調査日 |
乗降人員
|
1991年(平成03年)
|
|
|
132,672 |
|
50,279
|
99,437
|
|
|
|
128,940
|
|
47,192,000
|
1992年(平成04年)
|
25,482 |
|
139,419 |
5.1% |
50,493
|
100,367
|
0.9%
|
|
|
129,364
|
0.3% |
47,218,000
|
1993年(平成05年)
|
25,623 |
0.6%
|
144,545 |
3.7% |
51,721
|
102,573
|
2.2%
|
|
|
129,099
|
-0.2% |
47,121,000
|
1994年(平成06年)
|
24,659 |
-3.8%
|
147,953 |
2.4% |
|
|
|
|
|
|
|
|
1995年(平成07年)
|
25,253 |
2.4%
|
151,904 |
2.7% |
|
|
|
|
|
|
|
|
1996年(平成08年)
|
26,166 |
3.6%
|
155,995 |
2.7% |
|
|
|
|
|
|
|
|
1997年(平成09年)
|
25,926 |
-0.9%
|
163,463 |
4.8% |
54,344
|
|
|
|
|
124,488
|
|
45,438,000
|
1998年(平成10年)
|
25,150 |
-3.0%
|
163,803 |
0.2% |
52,139
|
|
|
|
|
123,293
|
-1.0% |
45,002,000
|
1999年(平成11年)
|
24,472 |
-2.7%
|
162,287 |
-0.9% |
52,120
|
103,393
|
|
|
|
121,260
|
-1.6% |
44,260,000
|
2000年(平成12年)
|
24,753 |
1.1%
|
164,712 |
1.5% |
53,010
|
105,267
|
1.8%
|
|
|
119,633
|
-1.3% |
43,666,000
|
2001年(平成13年)
|
24,666 |
-0.4%
|
167,416 |
1.6% |
54,540
|
108,281
|
2.9%
|
|
|
116,071
|
-3.0% |
42,336,000
|
2002年(平成14年)
|
24,579 |
-0.4%
|
169,378 |
1.2% |
54,331
|
107,936
|
-0.3%
|
|
|
113,019
|
-2.6% |
41,252,000
|
2003年(平成15年)
|
26,958 |
9.7%
|
171,653 |
1.3% |
54,641
|
108,450
|
0.5%
|
|
|
110,882
|
-1.9% |
40,472,000
|
2004年(平成16年)
|
29,120 |
8.0%
|
173,934 |
1.3% |
53,699
|
106,435
|
-1.9%
|
|
|
108,727
|
-1.9% |
39,794,000
|
2005年(平成17年)
|
30,921 |
6.2%
|
176,403 |
1.4% |
53,133
|
105,704
|
-0.7%
|
11月8日 |
89,420 |
108,512
|
-0.2% |
39,607,000
|
2006年(平成18年)
|
32,263 |
4.3%
|
179,156 |
1.6% |
53,262
|
105,327
|
-0.4%
|
- |
|
108,907
|
0.4% |
39,751,000
|
2007年(平成19年)
|
33,637 |
4.3%
|
180,413 |
0.7% |
53,077
|
104,650
|
-0.6%
|
- |
|
108,014
|
-0.8% |
39,425,000
|
2008年(平成20年)
|
33,255 |
-1.1%
|
182,534 |
1.2% |
52,572
|
103,659
|
-0.9%
|
11月18日 |
90,194 |
107,801
|
-0.2% |
39,455,000
|
2009年(平成21年)
|
31,066 |
-6.6%
|
179,882 |
-1.5% |
51,590
|
102,292
|
-1.3%
|
- |
|
102,945
|
-4.5% |
37,575,000
|
2010年(平成22年)
|
31,726 |
2.1%
|
183,715 |
2.1% |
53,144
|
105,771
|
3.4%
|
11月9日 |
87,880 |
103,611
|
0.6% |
37,818,000
|
2011年(平成23年)
|
32,093 |
1.1%
|
185,983 |
1.2% |
53,707
|
106,891
|
1.1%
|
- |
|
101,181
|
-2.3% |
36,931,000
|
2012年(平成24年)
|
33,414 |
4.1%
|
189,486 |
1.9% |
55,017
|
109,499
|
2.4%
|
11月13日 |
80,732 |
100,910
|
-0.3% |
36,933,000
|
2013年(平成25年)
|
34,490 |
3.1%
|
194,927 |
2.9% |
56,963
|
113,361
|
3.5%
|
- |
|
99,471
|
-1.4% |
36,307,000
|
2014年(平成26年)
|
35,173 |
2.0%
|
193,972 |
-0.5% |
58,888
|
117,205
|
3.4%
|
- |
|
100,762
|
1.3% |
36,778,000
|
2015年(平成27年)
|
37,066 |
5.4%
|
200,044 |
3.1% |
61,045
|
121,475
|
3.6%
|
11月10日 |
82,414 |
101,705
|
0.9% |
37,224,000
|
2016年(平成28年)
|
37,630 |
1.5%
|
200,426 |
0.2% |
61,993
|
123,360
|
1.6%
|
- |
|
101,973
|
0.3% |
37,220,000
|
2017年(平成29年)
|
38,748 |
3.0%
|
203,296 |
1.4% |
62,988
|
125,341
|
1.6%
|
- |
|
102,137
|
0.2% |
37,280,000
|
2018年(平成30年)
|
39,227 |
1.2%
|
200,426 |
-1.4%
|
64,718 |
128,783 |
2.7%
|
11月13日 |
83,478 |
100,929
|
-1.2% |
36,839,000
|
2019年(令和元年)
|
36,566 |
-6.8%
|
195,082 |
-2.7%
|
65,463 |
130,295 |
1.7%
|
- |
|
100,874
|
-0.1% |
36,920,000
|
2020年(令和02年)
|
14,384 |
-60.8%
|
127,178 |
-34.8%
|
36,647 |
73,533 |
-43.6%
|
- |
|
63,085
|
-37.5% |
23,026,000
|
2021年(令和03年)
|
19,318 |
34.3%
|
130,294 |
2.5%
|
41,451 |
83,366 |
13.4%
|
11月9日 |
63,506 |
71,485
|
13.3% |
26,092,000
|
2022年(令和04年)
|
31,912 |
65.2%
|
149,406 |
14.7%
|
54,106 |
108,159 |
29.7%
|
11月8日 |
69,950 |
82,696
|
15.7% |
30,184,000
|
2023年(令和05年)
|
38,000 |
19%
|
164,712 |
10.2%
|
63,754 |
128,442 |
18.8%
|
11月7日 |
72,154 |
|
|
|
年度別1日平均乗車人員(1900年代—1940年代)
各年度の1日平均乗車人員は下表の通り[注釈 10]。
年度 |
1日平均乗車人員
|
1906年(明治39年) |
5,285
|
1907年(明治40年) |
6,244
|
1908年(明治41年) |
6,179
|
1909年(明治42年) |
6,731
|
1910年(明治43年) |
6,412
|
1911年(明治44年) |
6,466
|
1912年(大正 元年) |
5,181
|
1913年(大正02年) |
5,125
|
1914年(大正03年) |
4,835
|
1915年(大正04年) |
7,098
|
1916年(大正05年) |
3,756
|
1917年(大正06年) |
6,808
|
1918年(大正07年) |
8,130
|
1919年(大正08年) |
9,430
|
1920年(大正09年) |
10,302
|
1921年(大正10年) |
11,621
|
1922年(大正11年) |
13,044
|
1923年(大正12年) |
14,629
|
1924年(大正13年) |
15,867
|
1925年(大正14年) |
16,136
|
1926年(昭和 元年) |
17,042
|
1927年(昭和02年) |
16,903
|
1928年(昭和03年) |
20,108
|
1929年(昭和04年) |
16,990
|
1930年(昭和05年) |
17,523
|
1931年(昭和06年) |
17,160
|
1932年(昭和07年) |
17,105
|
1933年(昭和08年) |
17,932
|
1934年(昭和09年) |
18,574
|
1935年(昭和10年) |
19,833
|
1936年(昭和11年) |
21,113
|
1937年(昭和12年) |
16,784
|
1938年(昭和13年) |
18,539
|
1939年(昭和14年) |
27,757
|
1940年(昭和15年) |
32,603
|
1941年(昭和16年) |
36,760
|
1943年(昭和18年) |
43,782
|
1946年(昭和21年) |
50,844
|
年度別利用状況(1950年代—1980年代)
各年度の利用状況は次の通り[注釈 10][注釈 9]。
年度 |
日本国有鉄道 |
近畿日本鉄道
|
1日平均 乗車人員 |
1日平均 乗降人員
|
1950年(昭和25年) |
54,592 |
-
|
1955年(昭和30年) |
71,818 |
-
|
1960年(昭和35年) |
88,547 |
-
|
1965年(昭和40年) |
89,566 |
40,268
|
1970年(昭和45年) |
99,608 |
72,153
|
1975年(昭和50年) |
118,385 |
102,553
|
1980年(昭和55年) |
114,313 |
110,063
|
1985年(昭和60年) |
133,864 |
128,570
|
駅周辺
周辺は大型商業地域並びに観光客向けのホテルが多く立ち並んでいる。ただし、駅建設当時に市街地の外縁部で土地の確保や線路の敷設がしやすかったことから、中心市街地の四条通や三条通からは外れた、市街南郊に設置された。当時は七条西洞院より南東にまともな東西道路がなかったこともあって七条停車場、七条ステーションなどと通称されていたが、あくまで現在の塩小路通より南であり、その後八条通北側の現在地に移転した。そのため、京都随一の繁華街である四条河原町からは約2kmほど距離が離れており、当地へは阪急京都線の京都河原町駅や京阪本線の祇園四条駅が最寄りである。当駅から四条河原町や市内に点在する観光地へはバスや地下鉄に乗り換える必要がある。
烏丸口
駅の北側に位置している。当駅の表玄関であり、京都駅ビルや地下街も烏丸口に位置している。
駅付帯施設など
名所・旧跡など
公共施設
企業・金融機関など
西洞院口
八条口
駅の南側に位置している。
- 駅付帯施設など
- 名所・旧跡など
- 公共施設
- 企業・金融機関など
バスターミナル
南東北・関東・中部・中国・四国・九州方面の高速バス路線が発着している。また市内を縦横に結ぶ路線バスの起点や定期観光バスの出発地でもあり、多数のバスが発着している。
路線バス
烏丸口
京都駅前停留所にて発着する。
なお烏丸口を経由する一般路線バスは、他にも京阪バス308号経路[注釈 11](西本願寺 - 京都駅八条口)があるが、この系統は準循環的な経路を採り、京都駅烏丸口前を通るルートではあるものの、全便が停車せずに通過となる。ただし同じ京都駅の八条口に向かう系統であるので、そのまま乗車すれば大回りにはなるものの、京都駅自体にたどり着くことはできる。
ザ・サウザンド 京都
烏丸口よりやや東側に離れている、京都センチュリーホテル北隣のザ・サウザンド キョウト(京都第2タワーホテル跡地に開業)入口前の構内に設置されている。
八条口
南北自由通路に近い京都駅八条口と八条東口に近い京都駅八条口アバンティ前の2つの停留所がある[76]。
高速バス(烏丸口)
烏丸口(JRバスのりば)
国鉄時代から自動車駅として独立した窓口が設置されていた。
烏丸口(民営バスのりば)
新阪急ホテル前
京都ヨドバシ
インフォマティックの一部便が発着。但し、実際の停留所は七条通の京都ヨドバシ駐車場出入口付近となる。
- 高尾・新宿方面:「さくら高速バス」(インフォマティック)
高速バス(八条口)
E2
- 横浜桜木町・新宿・東京駅・海浜幕張方面:「アミー号」(山一サービス)
F3
近鉄バスが共同運行している路線(一部を除く)などが発着する。下記路線のうち発車場所と到着場所が異なる路線もある。
G2
G3
H2 - H3
京都アバンティ前
上記以外のツアーバスから移行した路線が発着。かつては近鉄八条口付近の「八条口観光バス駐車場」から発着していた便もあったが、駅前広場再開発に伴い撤去されたため、2015年2月26日から2017年1月31日までこれらの路線は地下鉄十条駅付近の『京都鴨川十条(タイムズ鴨川西)』に発着していた。2017年2月1日からは京都アバンティ前に整備された新たな観光バス駐車場に発着している。また、WILLERが近隣に降車専用の停留所『京都駅ホテルセントノーム京都前』を設置している。
京都VIPラウンジ
国道1号イオンモールKYOTO沿いに設置。
- 川崎・秋葉原・東京・新宿・東京ディズニーランド・千葉・王子・さいたま新都心・志木・大宮方面:「VIPライナー」(平成エンタープライズ・平成コミュニティバス)
隣の駅
※東海道新幹線の列車および在来線特急・急行の停車駅は各列車記事を参照。括弧内の英数字は駅番号を示す。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- JR京都線・琵琶湖線(東海道本線)、 湖西線
- ■新快速
- 山科駅 (JR-A30/JR-B30) - 京都駅 (JR-A31/JR-B31) - 高槻駅 (JR-A38)
- ■快速(朝の時間帯のみ運転。琵琶湖線内は普通として運転)
- 山科駅 (JR-A30/JR-B30) - 京都駅 (JR-A31/JR-B31) - 長岡京駅 (JR-A35)
- ■普通(高槻駅 - 西明石駅間は快速となる普通電車を含む)
- 山科駅 (JR-A30/JR-B30) - 京都駅 (JR-A31/JR-B31) - (貨)京都貨物駅 - 西大路駅 (JR-A32)
- 嵯峨野線(山陰本線)
- ■快速
- 京都駅 (JR-E01) - 二条駅 (JR-E04)
- ■普通
- 京都駅 (JR-E01) - 梅小路京都西駅 (JR-E02)
- 奈良線
- ■みやこ路快速・■快速・■区間快速・■普通
- 京都駅 (JR-D01) - 東福寺駅 (JR-D02)
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- 東海道新幹線
- 米原駅 - (栗東信号場) - 京都駅 - (鳥飼信号場)- 新大阪駅
- 近畿日本鉄道
- B 京都線
- ■急行・■準急・■普通
- 京都駅 (B01) - 東寺駅 (B02)
- 京都市営地下鉄
- 烏丸線
- 五条駅 (K10) - 京都駅 (K11) - 九条駅 (K12)
かつて存在した路線
- 鉄道省(国有鉄道)
- 奈良線(旧線)
- 京都駅 - 東寺仮停車場
脚注
注釈
- ^ 京都側の終着駅は1876年7月 - 9月は向日町駅、同年9月から京都駅開業までは大宮通仮停車場だった[10]。
- ^ 当時は京都駅付近では現在の近鉄京都線の敷地を通っていた。
- ^ 東海道新幹線開業後は、東京 - 山陽方面の列車がほぼ全て京都・新大阪発着に短縮される予定で、それらに用いる車両の留置場所を確保する必要もあった[14]。
- ^ 『鉄道唱歌』東海道篇46番に「東寺の塔を左にて とまれば七條ステーシヨン 京都々々と呼びたつる 驛夫のこゑも勇ましや」という歌詞がある。
- ^ 『JR時刻表』2002年6月号(交通新聞社、No.470)の当駅構内図による。
- ^ 結局京都駅まで路線が開業したのは1928年11月15日であり、同月10日に実施された即位の礼には間に合わなかった[46]。
- ^ 2003年度は「都市交通年報 平成17年版」(財団法人 運輸政策研究機構)より、「各駅旅客発着通過状況(中京交通圏)」に記載された数値について、定期外と定期を加算し、365日で除して算出。他の年度は 京都府統計書 より、記載された数値を当該年度の日数で除して算出。
- ^ 2017年度は“データで見るJR西日本”. 西日本旅客鉄道. 2017年9月23日閲覧。他の年度は 京都府統計書 より、記載された数値を当該年度の日数で除して算出。
- ^ a b 1日平均乗降人員は年間の数値を各年の日数で除して算出。年間乗降人員は、京都市が近鉄からの報告を基にまとめた統計表より、記載された乗客(定期外+定期)と降客(定期外+定期)の数値を合算。
- ^ a b 京都市統計書 より、記載された数値を当該年度の日数で除して算出。1908年までは東海道線京都駅と関西線七条駅の乗客数の合計。
- ^ 2020年12月7日廃止[75]。
- ^ 長野支社担当。
- ^ a b c d 夜行便のみ停車し、昼行便は停車しない。
- ^ 松本本社担当。
- ^ 中南信支社担当。
出典
新聞などの報道
その他
参考文献
関連項目
外部リンク
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乗り入れ路線と駅の一覧 |
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北陸新幹線( 東京 - 高崎 - 上越妙高 / 上越妙高 - 敦賀 ) |
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第1回選定 | |
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第2回選定 | |
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第3回選定 | |
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第4回選定 | |
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※: 廃止された駅 |