くろしおは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が京都駅・新大阪駅 - 和歌山駅・海南駅・白浜駅・新宮駅間を東海道本線(JR京都線)・梅田貨物線・大阪環状線・阪和線・紀勢本線(きのくに線)経由で運行する特別急行列車である。
本項では、同一経路で運行されていた特急「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」のほか、過去に運行されていた臨時列車とともに、京都・大阪と南紀を結ぶ優等列車の沿革についても記述する。
京阪神(関西)地区と南紀(和歌山)を結ぶ列車で、特急「くろしお」としては、1965年(昭和40年)3月1日に天王寺駅 - 名古屋駅間を阪和線・紀勢本線・関西本線経由で紀伊半島を沿うルートで運行する列車として運行を開始した。1978年(昭和53年)10月2日に紀勢本線の和歌山駅 - 新宮駅間が電化されたことにより、新宮駅を境に系統分離され、天王寺駅 - 白浜駅・新宮駅間の列車を「くろしお」、名古屋駅 - 新宮駅・紀伊勝浦駅間の列車を「南紀」とした。
1989年(平成元年)7月22日にグリーン車をパノラマ型先頭車に改造した「スーパーくろしお」の運行を開始。天王寺駅構内の阪和短絡線が完成し「くろしお」「スーパーくろしお」が梅田貨物線を経由して東海道本線へ直通し、新大阪駅・京都駅まで運転されるようになった[1]。
「オーシャンアロー」は1996年(平成8年)7月31日より「スーパーくろしお(オーシャンアロー)」として運行を開始し[2]、1997年(平成9年)には列車名を「オーシャンアロー」へ変更した。
2012年(平成24年)3月17日より、「くろしお」「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」の列車名はすべて「くろしお」に統一された[3]。
2023年(令和5年)3月18日には大阪駅地下ホームが開業。長らく叶わなかった大阪駅への乗り入れが実現した[4]。
「くろしお」の名称は、日本近海を流れる「黒潮」に由来するため、この海流の沿岸(房総半島以西の太平洋沿岸)であればどの地域でも採用できる列車名であった。そのため、大阪対南紀直通列車の系譜を引く紀勢本線列車以外にも日本国有鉄道(国鉄)では、四国と房総半島でも使用されており、3地域で「くろしお」「黒潮」の名が同時使用され、重複するという事態が起こった。
これらは1965年(昭和40年)10月、四国の「黒潮」が「南風」に、房総の「くろしお」が「外房」にそれぞれ改称され、「くろしお」の3重複はこの時解消した。また、国鉄バスが運行した松山高知急行線の高知行きの急行バスも「くろしお」と名乗っていたが、本列車名と混同するため公募で「なんごく」と改称した。私鉄では、京成電鉄でもこの愛称を使用していたことがあったとされる(京成電鉄のダイヤ改正を参照)。
2025年(令和7年)3月15日現在、京都駅 - 新宮駅間で上り1本、京都駅 - 白浜駅間で下り1本、新大阪駅 - 新宮駅間で下り5本・上り4本、新大阪駅 - 白浜駅間で下り7本・上り8本、新大阪駅 - 海南駅間で上り1本、新大阪駅 - 和歌山駅間で下り3本・上り2本が定期列車として運転され、金曜日・土曜日・休日を中心に、新大阪駅 - 新宮駅間で1往復、新大阪駅 - 白浜駅間で下り1本・上り2本、新大阪駅 - 紀伊田辺駅間で下り1本が臨時列車として運転される[5]。列車番号は新宮発着の毎日運転の列車が50+号数M、新宮発着以外の毎日運転の列車が2050+号数M、週末中心に運転される臨時列車は6050+号数Mとなっている(上り・下りは阪和線基準)。
新大阪駅 - 白浜駅間では概ね1時間に1本運転され、白浜駅 - 新宮駅間では2 - 4時間に1本運転されている。和歌山駅・海南駅・紀伊田辺駅発着の区間列車の一部は、かつて運転されていた「はんわライナー」を特急列車化したもので、これらを含めた朝の下りと夕方の上りは、通勤需要に対応した停車駅設定になっている。ライナー列車の格上げであるが、「らくラクびわこ」や「らくラクはりま」と違い、通勤特急種別の新設は行われておらず、これらの区間列車も「くろしお」として運行する。箕島駅・藤並駅・湯浅駅・南部駅は白浜駅までが運行区間の列車は全て停車する一方、新宮駅まで運行する列車はほとんどが通過する。関西空港線と接続する日根野駅は関西国際空港開港後のダイヤ改正によって一部列車が停車するようになったが、次第に停車本数が増え、現在は全列車が停車する。
運行開始当初は全て天王寺駅発着だったが、2004年(平成16年)10月16日のダイヤ改正以降、天王寺駅発着は原則臨時列車のみとなっており、現在は全ての定期列車が新大阪・京都方面へ直通運転している。なお、天王寺駅発着の列車には、東海道・山陽新幹線からの乗り継ぎにおける割引は(2024年3月16日に制度自体が廃止される以前から)適用されなかった。
京都駅・新大阪駅発着列車は東海道本線の支線(梅田貨物線)経由で運行しているため、かつては大阪駅を経由していなかった。その後同線の地下化に伴う大阪駅ホームの設置に伴い、2023年(令和5年)3月18日のダイヤ改正より全列車が大阪駅に停車するようになった[6]。なお、これと入れ替わる形で西九条駅が停車駅から外れている。
283系と287系は吹田総合車両所日根野支所、289系は同総合車両所京都支所(旧:京都総合運転所)に所属する車両が使用されている。283系は振り子式車両、287系と289系は非振り子式車両である。2011年(平成23年)3月12日以降、白浜駅 - 新宮駅間は乗り入れない車両があったが、2018年(平成30年)3月17日のダイヤ改正で7年振り(列車名の「くろしお」統一後では初)に現在運行中の車両全てが乗り入れるようになった(いずれの形式も6両の基本編成のみ乗り入れ)。なお、臨時列車は基本的に287系または289系での運転となる。
基本編成は6両で運転されているが、京都駅 - 白浜駅間に限り、繁忙期には京都寄りに付属編成3両(全て普通車指定席、ただし283系の場合、新大阪方1両(9号車)がパノラマ型グリーン車指定席になることがあり、この場合は7号車に車椅子対応座席がある。287系と289系は8号車に車椅子対応座席がある)を増結した9両編成で運転する日がある。新宮駅発着列車の場合、増結編成は白浜駅で増解結作業を行うため、下り列車では行き違い待ちおよび増結作業を見込んだ余裕時間を含めて、白浜駅で6 - 12分の長時間停車を行うダイヤが組まれている。これに対し、解結作業を行う列車の同駅での停車時間は2・3分であるため、新大阪駅 - 新宮駅間の平均所要時間は新大阪方面行きの方が若干長い。なお、白浜駅以北で折り返す場合は車両の増解結作業はない。
この増解結作業は、初期はパノラマ編成の381系(元スーパーくろしお)のみ行われていた(ほかの車両は実施されるまで、全区間9両編成だった)が、2011年3月から全特急列車(後に登場する車両も含む)で実施されるようになった(アコモ改良編成の381系は途中で増解結できないため、以降運用終了まで白浜駅 - 新宮駅間の運用が廃止された。また、同時に新宮駅に乗り入れる可能性がある列車は増解結部分に接する車両同士の幌の連結も廃止された為、6号車と7号車の通り抜けができなくなった)。この影響で余裕時分の追加により大阪方面 - 新宮駅間の所要時間がさらに延び、283系の速達性における381系に対する優位性がほぼ失われている。2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正時点の天王寺駅 - 新宮駅間の所要時間は最速3時間38分、2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正では最速3時間47分にまで延び、かつての最速列車(この区間を3時間18分で運転)よりも30分近く長くなっている。後述の非振り子車で運転される列車の最速列車と比較しても僅か1分の差となっており、後述の非振り子車で運転される「くろしお」とのダイヤの一体化が進められている状況にある。
振り子式車両である381系の一部を非振り子式車両である287系へ置き換えたことにより、置き換え後の列車は和歌山駅 - 白浜駅間で5分程度所要時間が長くなっている。2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正では、残る381系の置き換え用として非振り子車の289系が投入されることから、10分前後所要時間が長くなっている[9]。2021年(令和3年)現在、非振り子式車両対応ダイヤにおける天王寺 - 新宮間の最速列車は3時間59分で、これは381系が投入された1978年(昭和53年)10月当時の最速列車(3時間53分)と6分の差になっている。
担当車両は下記の通り決まっているが、ダイヤの乱れや悪天候により運行取り止めが発生すると車両が変更されることがある。
283系電車は、かつて「オーシャンアロー」として運転されていた車両で、充当される列車は大型時刻表などで「オーシャンアロー車両で運転」と表記される。2025年(令和7年)3月15日時点では、下り5・11・29・35号、上り2・14・30・36号に充当される[7][8]。
グリーン車は原則1号車でパノラマ車となっているが、車両検査などで付属編成を2本連結した6両編成で運転される場合があり、この場合は1号車が普通車指定席となり6号車がパノラマ型グリーン車指定席となる。また、基本編成と付属編成を連結した場合、1号車と9号車の2両がグリーン車となることがある。3号車(基本編成)には展望ラウンジが設けられており、座席はすべて海を展望できるようになっている。
「くろしお」統一後もJR京都線の京都駅 - 新大阪駅間でも運用していたが、2016年3月のダイヤ改正でこの区間は運用線区から外された。
専用のHC編成が使用され、大型時刻表などで「新型車両で運転」と表記されていた。2025年(令和7年)3月15日時点では、下り1・3・9・13・17・19・25・27・33号、上り4・6・8・16・20・22・26・28・32号に充当される[7][8]。
2012年(平成24年)3月17日に運行を開始し、381系非パノラマ編成で運転されていた4往復(下り5・11・23・29号、上り4・10・22・24号)を置き換えた[3][10]。さらに、同年6月1日から3往復(下り3・15・19号、上り14・18・30号)にも充当された[11]。
2017年(平成29年)8月5日にHC605編成(6両)をアドベンチャーワールドのシーンをラッピングした車両「パンダくろしお『Smileアドベンチャートレイン』」にして臨時列車として運行し、翌日以降は定期列車として運行を開始した[12][13][14]。なお、運行期間は当初は2019年(令和元年)11月までの予定だったが、後に2023年(令和5年)冬頃までの予定に延長された。2019年(令和元年)12月26日にはHC601編成が同様のラッピングとなり2編成での運行となった[15]。2020年(令和2年)からはHC604編成が「パンダくろしお『サステナブルSmileトレイン』」のラッピングとなり、同年7月23日から運行を開始した[16][17]。なお、パンダくろしお車両は2024年(令和6年)3月現在、下り1・25号と上り4・26号で定期運用されており[8]、1編成が固定運用、残り2編成が一般車両と共通運用されている。定期運用を含む運行情報は公式X(旧:Twitter)[18]に公開されており、新大阪駅 - 和歌山駅間で1日最大6往復運行されている。
北陸新幹線の金沢開業前まで特急「しらさぎ」に使用されていた683系2000番台を直流化して形式変更された車両で、2025年(令和7年)3月15日時点では、下り7・15・21・23・31号、上り10・12・18・24・34号に充当される[7][8]。
2015年(平成27年)4月28日に381系の後継としての投入が決まり[19][20]、2015年(平成27年)10月31日に営業運転を開始した[21]。同年5月27日には289系の試運転が行われたが[22]、「くろしお」には287系と同じオーシャングリーンの帯が施されているものが投入された。2016年(平成28年)11月頃より順次、全車両グリーン車が全室から半室化(残りの半室は普通車指定席)された(同時にグリーン車の全座席にモバイル用コンセントが設置)[23]。
運行開始当初からキハ80系気動車が使用されていたが、1978年(昭和53年)の紀勢本線新宮電化時に381系電車に置き換えられた。先頭車はキハ82形のほか、1972年(昭和47年)10月からはキハ81形も運用され、キハ81形は「くろしお」が最後の定期特急運用となった。
1985年(昭和60年)4月には、増発のために485系電車44両が日根野電車区に配置され運用が始まった[注 2]。充当列車はグリーン車なしの普通車4両編成で組成され、列車によっては白浜駅での増解結により白浜駅以北を8両、白浜駅以南を4両で運転する列車もあった。
485系は急行格上げ列車にも充当され、急行停車駅でありながらもこの日のダイヤ改正により簡易委託駅化された椿駅や無人化された太地駅・湯川駅にも停車することとなった。また、この車両は振り子機能や低重心設計がなされていない[注 3]ため、カーブを高速で走行できないことや、停車駅の多さもあり、格上げ前の気動車急行列車との所要時間差は天王寺駅 - 白浜駅間が平均約15分の短縮で所要時間は2時間25分前後、天王寺駅 - 新宮駅間が平均約25分の短縮で所要時間は4時間30分前後[注 4]と気動車特急時代の「くろしお」と同等かそれ以上の所要時間を要し、「きのくに」より1時間以上速く走る381系「くろしお」と比較して速達効果は薄いものであった(遜色急行#特急における事例も参照)。なお、1往復は串本駅 - 新宮駅間を普通列車として運転していた。
1986年(昭和61年)11月1日から全列車が381系電車で運転されることになり、485系は当時新設されたエル特急「北近畿」用に転出した。この代替として、「やくも」の編成短縮によって捻出した381系が新たに転入した。381系電車は2012年(平成24年)から287系・289系による置き換えが始まり、2015年(平成27年)10月30日をもって運行を終了。
かつては381系「くろしお」「スーパーくろしお」に限り、8トラックによる磁気テープで各停車駅のイメージにあった車内チャイムを流していたが、1998年(平成10年)のテープ更新を最後に8トラの老朽化により順次廃止。381系末期には各駅とも電子オルゴールの音色の鉄道唱歌が流れていた。289系は683系と似たチャイムが流れる。287系は283系と同様のチャイムが流れていたが、自動放送導入時に683系と似たチャイムに変更された。さらに、283系も683系と似たチャイムに変更された[要出典]。
車内チャイムのメロディは以下のとおり[24]。
この表にない西九条駅・和泉府中駅・和泉砂川駅・藤並駅は収録されなかった。
JR発足後に運行開始した列車を挙げる。
1987年(昭和62年)9月 から 1988年(昭和63年)3月まで、「ふれあい紀州路キャンペーン」開催に伴い、京都駅 - 白浜駅間を奈良線・関西本線・阪和貨物線・阪和線・紀勢本線経由で運転する臨時特急列車として「ふれ愛紀州路」(ふれあいきしゅうじ)が運転されていた[25]。週末特急と称し[25]、京都駅は土曜日の10:55発、白浜駅は日曜日の14:26発で、途中の停車駅は、宇治駅・奈良駅・王寺駅・八尾駅・和歌山駅・御坊駅・紀伊田辺駅であった[26]。
1988年(昭和63年)4月から「しらはま」に名称が変わり、1989年(平成元年)3月まで「ふれ愛紀州路」と同じ運行形態で運転された[27][28]。
名古屋駅 - 東和歌山(現:和歌山)駅間を運行した「あすか」や2010年(平成22年)春季に運転された臨時特急「まほろば」とならび、奈良県内を走行する数少ない国鉄・JRの特急列車であった。
1990年(平成2年)の国際花と緑の博覧会(花の万博)開催期間中、万博観客向けに土曜・日曜を中心に京橋駅 - 白浜駅間で1日1往復(午前が白浜発・午後が京橋発)が運転された。天王寺駅 - 京橋駅間は大阪環状線を経由し、途中大阪駅に停車した。「やくも」用編成が運用されたこともあった。
1993年(平成5年)から夏の海水浴シーズンに、全車指定席の臨時特急「マリンくろしお」の運転が開始された。1996年(平成8年)には、京都駅 - 新宮駅間で「マリンくろしお」1・2号として、大阪駅 - 白浜駅間で「マリンくろしお」3・4号が運転されている。また、同様の列車として、「春咲きくろしお」(冬季)が運転された。なお「春咲きくろしお」は、定期列車が全て停車する御坊駅を通過していた。
2000年(平成12年)から土・休日のみ紀伊田辺発新大阪行きの臨時特急「おはようくろしお」が運転された。途中の停車駅は、南部駅・御坊駅・湯浅駅・箕島駅・海南駅・和歌山駅・日根野駅・天王寺駅。
当初は、大阪方面への行楽客の輸送を見込んで運行を開始したが利用率が伸び悩み平日を中心に特急通勤利用者が増加したことから翌年のダイヤ改正より「おはようくろしお」の列車名を使わずに定期列車とし毎日運行することになり、2005年(平成17年)のダイヤ改正より運行区間を白浜駅 - 新大阪駅間と拡大された。
2005年(平成17年)の海水浴シーズンに、京橋駅 - 白浜駅間で臨時特急「ホワイトビーチエクスプレス」が運転された[29]。途中の停車駅は、大阪駅・天王寺駅・和歌山駅・海南駅・箕島駅・湯浅駅・御坊駅・南部駅・紀伊田辺駅。
白浜駅まで乗車した乗客に限りその場で浴衣が当たる三角くじを配布するなどのイベントを実施したものの、事前のPR不足もあり乗車率が予想を下回ったため、この年だけの運転に終わった。京橋駅から大阪駅経由で白浜駅まで乗車すると、鶴橋駅経由(天王寺駅乗り換え)に比べ運賃が割高になる[注 5]ことも響いた。
2012年(平成24年)から2014年(平成26年)まで、白浜で行われる花火大会(7月30日・8月10日)にあわせて白浜発和歌山行きとして運行されていた[30]。287系・283系の3両編成(全て普通車)が使用され、一部は指定席となる。当日、白浜駅でこの列車の指定席券を提示すると、全員に特別観覧席が招待されるサービスも存在した。
本列車群は本来、南紀方面への観光用としての特急の色合いが強いため、自由席は基本的に2両しかなく、全車両が禁煙となるまではラッシュ時を中心に特に2号車(禁煙車の自由席)に偏って激しく混雑する傾向があった。しかし、阪和線内においても日中の快速列車はほぼ全列車が熊取駅 - 和歌山駅間各駅に停車する紀州路快速化されるなど、近年では特急と阪和線快速列車との格差拡大が進んだり、「はんわライナー」の廃止による代替としての和歌山駅・海南駅・紀伊田辺駅発着の区間列車を設定したり、和泉府中駅・和泉砂川駅への停車拡大をしたりすることにより[31][32]、阪和線内では国鉄時代の1970年代に運転されていた新快速と同じような性格を帯びるようになるなど、通勤・ビジネス特急としての色合いも濃くなっており、ラッシュ時間帯を中心に自由席では立ち客が出ることも多い。このため、和歌山駅・海南駅始発終着の列車は、自由席が1両多い3両に設定されていたが、2018年(平成30年)3月のダイヤ改正で設定が廃止され、他の列車と同じ設定になった[注 6]。なお全ての「くろしお」が、2022年(令和4年)3月12日改正で全車指定席となっている。
一方、きのくに線内(箕島駅 - 和歌山駅間)の利用客は、バブル崩壊以降の景気低迷などによる観光客の減少や、高速道路の延伸に伴うマイカー・バスへの転移もあって年々減少しており[注 7]、1990年(平成2年)には1日平均5,000人を超える利用があったが、2010年(平成22年)には平均2,100人程度と半数以下にまで減少している。このため、2010年(平成22年)3月13日には週末のみ運転の列車2往復が廃止、新宮駅発着列車は翌2011年(平成23年)3月12日に2往復を、2018年(平成30年)3月17日に1往復を白浜駅発着に見直す改正を行った。JR西日本は割引切符の発売で対抗しているものの、鉄道利用客の減少に歯止めがかからない状況にある。2010年(平成22年)よりやや増加に転じたものの、2014年(平成26年)より再び減少している[33]。
戦後の紀勢西線初の準急3401・3400列車として、1950年(昭和25年)に天王寺駅 - 新宮駅間で運行を開始したが、当初から毎日運転の臨時列車で、列車名は付けられていなかった。同年10月に定期列車化され、1952年(昭和27年)に「熊野」と名付けられた。1956年(昭和31年)から和歌山市駅発着の編成が連結されるようになり、1959年(昭和34年)からは紀勢本線の全線開通に伴い運行区間が天王寺駅・和歌山市駅 - 名古屋駅間に変更されたが、1961年(昭和36年)に急行化されることにより「紀州」に改称され、廃止された。
準急「くまの」を急行化して改称された列車で、1961年(昭和36年)に天王寺駅 - 名古屋駅間で運行を開始した。使用車両も「くまの」が客車を使用していたのに対して、「紀州」は気動車が使用された。1968年(昭和43年)からは名古屋駅発着の紀勢本線急行列車の総称として運転されるようになった。1978年(昭和53年)に天王寺駅 - 新宮駅間の「きのくに」と名古屋駅 - 紀伊勝浦駅間の「紀州」に系統分割されたため、紀伊勝浦駅以西への乗り入れはなくなった。
御坊駅・紀伊田辺駅から天王寺駅へのビジネス列車として1953年(昭和28年)5月に天王寺駅 - 白浜口(現:白浜)駅間で毎日運転の臨時列車として運行を開始した。同年11月に定期列車化され、1959年(昭和34年)に天王寺駅 - 新宮駅間の運転になり、同時に気動車化され、自由席も連結されるようになった。1960年(昭和35年)6月には客車で運転される列車が1往復増発されて2往復になり、毎日運転の臨時列車も同年10月に1往復運転されるようになった。1961年(昭和36年)からは南海本線難波駅発着の列車も乗り入れるようになった。
1966年(昭和41年)に「南紀」は急行列車化されたが、1968年(昭和43年)に「きのくに」に統合されて廃止された。
「しらはま」は、1956年(昭和31年)に天王寺駅 - 白浜口駅間で毎日運転の臨時列車として運行を開始した。1957年(昭和32年)に定期列車化され、白浜への観光に便利なダイヤ設定であったが、「きのくに」や「南紀」が気動車化される一方、1963年(昭和38年)に気動車化されるまでは客車で運転されていた。1966年(昭和41年)に急行列車化され、1968年(昭和43年)のダイヤ改正では紀勢本線で運転されている急行列車の運行区間の整理により、名古屋駅・京都駅 - 白浜駅・新宮駅間の運転に変更された。1972年(昭和47年)から京都 - 白浜間の列車にはグリーン車も連結されたが、1980年(昭和55年)に京都駅 - 白浜駅間の「しらはま」は運行区間を京都駅 - 和歌山駅間に変更して「紀ノ川」に改称、名古屋発着の列車も名古屋駅 - 奈良駅間が残されて「かすが」に統合されて廃止された。
「紀ノ川」の編成も「しらはま」で運転されていたときのまま、グリーン車が連結された5両で運転されていたが、奈良線全線電車化に伴い、1984年(昭和59年)10月1日に廃止された。
「紀ノ川」の列車名は、和歌山線内で並走する紀の川が由来となっている。
1956年(昭和31年)に新宮駅 → 天王寺駅間で準急103列車として運行を開始し、1958年(昭和33年)に「はやたま」の名称が付けられた。運行開始当初から天王寺発新鹿行きの夜行快速の車両を使用したため片道運転であったが、1959年に天王寺駅 → 新宮駅間の夜行普通列車が準急列車化され、新宮行きは夜行列車であるものの1往復になった。1960年(昭和35年)に「南紀」に統合されて廃止された。
列車名は、和歌山県新宮市にある熊野速玉大社が由来となっている。
1989年(平成元年)7月22日に、381系車両にパノラマ型グリーン車を連結した列車として運行を開始し、同車を使用した列車は「スーパーくろしお」として、パノラマ型グリーン車を連結していない「くろしお」と区別した。2011年(平成23年)3月12日のダイヤ改正時点では6往復が運用され、基本的に新宮駅発着で運転されていたが、2号は海南発、6・27号は白浜駅発着となっていた[34]。2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正により、「くろしお」に統合されて廃止された[3]。
1996年(平成8年)7月31日から「スーパーくろしお(オーシャンアロー)」の列車名で運行を開始し[2]、1997年に「オーシャンアロー」に改称された。運行開始当初から1日3往復が運転されていたが、京都駅 - 新宮駅間の所要時間が最速4時間3分走破。2011年(平成23年)3月12日のダイヤ改正で、運用変更により新大阪発和歌山行きでも「オーシャンアロー」31号が運行され、新大阪駅 - 和歌山駅間は3.5往復であった[34]。基本的に京都駅 - 新宮駅間を最速で結ぶ列車で、停車駅も少なく設定されたが、通勤需要に対応して和歌山駅 - 白浜駅間では全停車駅に停車する列車も1往復設定されていた。2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正により、「くろしお」に統合されて廃止された[3]。
快速「黒潮号」運行当時は、関西本線 - 王寺駅 - 和歌山線経由で連絡が可能であるものの、大阪 - 和歌山間を直接結ぶ鉄道を国鉄が管理していなかったため、私鉄による国鉄の飛び地路線への直通運転という形を採った。この列車は公募による列車愛称の付与など異例な点が多いことや、運営事業者の南海鉄道(現・南海電気鉄道南海本線)・阪和電気鉄道・鉄道省が互いの威信を賭け列車運行を行ったことでも知られる。
2011年(平成23年)9月3日に日本に上陸した台風12号は紀伊半島を中心に大雨をもたらし、特に本列車群が走行する白浜駅 - 新宮駅間では、那智駅 - 紀伊天満駅間の那智川橋梁が那智川の増水により一部流失[82]するなどの大きな被害が出た。
不通区間のうち、白浜駅 - 串本駅間は同年9月17日[83]、串本駅 - 紀伊勝浦駅間は同年9月26日に運転を再開した[84]が、白浜駅に留置されていた283系6両1本の床下機器が冠水して故障し、那智川橋梁が流失したため新宮駅に381系(スーパーくろしお編成)6両編成×2本と283系6両編成×1本が取り残されて車両が不足していることから、紀伊勝浦駅まで運転再開後も特急列車は当初2往復しか運転されていなかった[85]。
しかし、283系は11月12日から13日にかけて[86]、381系は同月13日から14日にかけてと[87]、同月19日から20日にかけて[88]、新宮駅から紀勢本線JR東海管轄区間・伊勢鉄道伊勢線・関西本線(名古屋地区)・名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線・東海道本線(名古屋地区)・琵琶湖線・JR京都線経由で京都総合運転所まで甲種輸送で搬出された[89]。この甲種輸送により車両数の不足がある程度解消できたことから、2011年(平成23年)11月19日から紀伊勝浦駅まで6往復運転されるようになった[90]。
くろしお - スーパーくろしお - オーシャンアロー - しらはま - はやたま - 南紀(1978年まで) - はまゆう - あすか - くまの(1961年まで) / 大阪対南紀直通優等列車沿革
きのくに / 国鉄・南海直通優等列車沿革
南紀(1978年以降) - 紀州 - うしお - くまの(1961年以降) / 紀勢本線新宮駅以東優等列車沿革
紀伊 - 大和 - 伊勢 - 那智 / 東京対紀伊半島優等列車沿革