丹波橋駅(たんばばしえき)・近鉄丹波橋駅(きんてつたんばばしえき)は、京都府京都市伏見区桃山にある、京阪電気鉄道京阪本線・近畿日本鉄道(近鉄)京都線の駅。駅番号は京阪がKH30、近鉄がB07。両駅は連絡通路で結ばれている。
先に開業したのは京阪電気鉄道であり、京阪線の開通から2ヶ月遅れて桃山駅として開業、1913年に現在の駅名に変更された[1]。現在の駅名の由来は、この付近に「桑野丹波守」の屋敷があり、かけられた橋『丹波橋』と言われている[2]。
次いで近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道が1928年に西大寺(現在の大和西大寺)から京都に至る路線を開業させた際、当地にはまず堀内駅(ほりうちえき[3])が設けられた[4]。その後1945年12月21日に奈良電気鉄道は路線を付け替え近接する京阪神急行電鉄[注 1]の丹波橋駅への乗り入れを開始し[4]、堀内駅は丹波橋駅に統合されて貨物側線となった[3]。
太平洋戦争中の1943年3月8日に奈良電気鉄道との乗り入れ準備のために駅を移設、京阪が阪神急行電鉄と合併し、京阪神急行電鉄[注 2]となった翌年の1944年8月に着工。嵐山駅(現阪急嵐山駅)のポイント・信号設備を転用して太平洋戦争終了後の1945年12月に完成[5]。奈良電堀内駅を当駅に統合し、ここに奈良電と京阪神急行の直通運転(奈良電の一部列車はさらに近鉄へも乗り入れ、京阪神急行 - 奈良電 - 近鉄の3社直通運転)が実現した。その後京阪と分離し、奈良電が近鉄に吸収合併され近鉄京都線となっても継続して相互直通運転を行っていた。当時は現在の2番線と4番線を奈良電の電車が使用していた。駅構内大阪側の平面交差が列車ダイヤ作成や増発の差し支えとなり、近鉄京都線の架線電圧1500V昇圧(1969年実施)と大型車導入、京阪本線ATS設置(1967年より順次実施)を契機に、1968年12月20日に相互乗り入れによる直通運転が廃止された[6][7]。それに合わせて近鉄京都線の駅は近畿日本丹波橋駅(1970年3月1日より近鉄丹波橋駅)として独立し、近鉄線との連絡線は撤去されている(駅北側の駐輪場周辺や、駅南側の分岐線跡地にその名残が見られる)。この近畿日本丹波橋駅の駅設備は乗り入れ廃止の前年の1967年に設けられていた近鉄京都線の線内列車専用のホームを利用したものであり(線路は1966年に旧線跡に再敷設されて線内の通過列車が使用)、これはかつての堀内駅の跡地に建てられていたものである[8]。相互直通運転廃止から約10年間は、双方の駅に相手駅の列車の発車案内装置が設置されていた。
また、当時は京阪丹波橋駅-中書島駅間(約1.4 km)の高架化が計画されたが、具体化することなく現在に至っている[9]。
1987年6月1日のダイヤ改正で京阪急行の8連化に伴い、それまであった北口の構内踏切を地下道にしてホームを北側に延長した。併せて、それまでは北口の出入り口は西側にしかなかったが、東側にも出入口が造られ、翌1988年には出入口を兼ねた2つの駅ビルが竣工した[10]。
平成に入り南口の橋上駅舎の拡張と、エスカレーター・エレベーター・多目的トイレの設置などの改良工事[11]が行われ、その後、拡張部分にはジューサーバーや本屋などが造られた。また非常渡り線も撤去された。
↑伏見桃山駅
↓墨染駅
島式2面4線のホームを持つ待避可能駅。北口は地下駅舎となっている。南口は橋上駅舎となっており、全てのホームにエスカレーター・エレベーター、出口にはエレベーターが設置されている。 北口は以前は地上駅舎で、ホームとは構内踏切で結ばれていた。
南口橋上駅舎内にはもより市、マツモトキヨシ、JTB京阪トラベル(旧京阪交通社)、SWEETS BOX、カスカード、麺座の店舗が営業している。このうち、麺座は「比叡」として系列店の中では最初(1974年10月)にオープンした。
↑伏見駅
↓桃山御陵前駅
相対式2面2線のホームを持つ地上駅で橋上駅舎を有する。ホーム有効長は6両。
ホームとコンコースを結ぶエレベーターが設置されているが、出口には階段しかなく、ホーム南端にあるスロープか、京阪側にあるエレベーターを利用することになる。改札口は1ヶ所のみ。
京阪の京都府内の駅の中では利用者が多い駅であり、最多の祇園四条駅に次ぐ。京都市統計書と京都府統計書によれば近年の1日あたり乗降・乗車人員は下記の通り[37][38]。
京阪丹波橋駅には、バス路線は乗り入れていない。最寄りのバス停は駅の東側、国道24号の丹波橋。西側は竹田街道沿いの西丹波橋が最寄りだが、少し距離がある[40]。