天満橋駅
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この項目では、Osaka Metro・京阪電鉄の駅について説明しています。かつて天満橋電停と名乗っていた広島電鉄の電停については「天満町停留場」をご覧ください。 |
天満橋駅(てんまばしえき)は、大阪府大阪市中央区にある、京阪電気鉄道・大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の駅。京阪本線・京阪中之島線・Osaka Metro谷町線の3路線が乗り入れる。駅番号は京阪電気鉄道がKH03、Osaka MetroがT22。
概要
旧淀川(大川)に架かる天満橋の南詰に位置する。駅周辺はビジネス街・官公庁街であり、大阪府庁舎の最寄駅である[1]。観光地の大阪城からもほど近い[2]。
元は京阪電車における大阪側の起点駅であり、ターミナル駅時代は地下駅ではなく地上駅であった。1963年に地下鉄御堂筋線に接続するために淀屋橋駅への延伸で地下化及び中間駅となり、淀屋橋駅にターミナルの役割を譲った。地上駅跡地に建設された「大阪マーチャンダイズ・マートビル」(通称:OMMビル)は京阪ホールディングスの本社ビルである[3]。
2008年に新規開業した京阪中之島線は当駅を終点としており、全列車が京阪本線に直通している。現在の利用者数は京橋駅や淀屋橋駅を下回っている。
歴史
起点の駅として
1910年、京阪電鉄の開業に伴い大阪側の起点として設置された駅である。当初は現在の北浜駅寄りの高麗橋付近に起点を置く計画であったが、大阪市電との絡みもあり計画より京都寄りの当駅が起点となった。開業当初の駅は電停と変わりのない簡素な物であったが、大正時代にホームの高床化・駅舎の新築が行われ、3面4線の櫛形ホームとなった。昭和初期に行われた寝屋川改修工事(大川への合流部の付け替え工事)の際に旧河道埋立地の払い下げを受けて、1932年には3代目駅舎が造られた。この駅舎は櫛型4面6線の旅客用ホームに貨物用ホーム1面1線を加えた構造で、現 OMMビル中央付近に南北に地下道があり、これを境に各ホームの東側を降車ホーム、西側を乗車ホームとして、完全な乗降分離を行なっていた。地下道の南端は土佐堀通北側歩道下にあたるが、この地下道南端に降車用改札口があり、各降車ホームからの乗客は地下道改札口を経て大阪市電・バスに乗り換えていた。現在もOMMビルの東側には京阪東口と称する交差点やバス停が残っているが、これらはこの降車用改札口に由来しており、ここから天満橋交差点北東角の乗車口までの土佐堀通北側には名店街もあった。
乗車口の南側には1/4円形敷地の駅本屋、北側には3階建の京阪デパート天満橋店があった(1933年開店)。駅本屋には大形庇があり、戦後はひらかた大菊人形などの各種広告に使用された。本屋内中央には円形の切符売場があったが、天井がドーム風に非常に高く建築されており、ひらかた大菊人形開催時には提灯風広告が吊るされるなど、ここでも各種広告が行われていた。この駅舎は太平洋戦争・大阪への空襲で全焼したが、戦後修復され京阪本線地下化まで使用された。
地下駅への移行と中間駅化
淀屋橋・天満橋駅間の延伸開業に伴い、1963年4月16日、地下駅に移行した。北側2線(1・2番線)が淀屋橋に通じ、南側2線(3・4番線)が行き止まり式(2・3番線と4番線のホームは車止め部分でつながった櫛形ホーム)という構成で、1番線が淀屋橋からの京都方面、2番線が淀屋橋行、3・4番線が当駅折り返しの京都方面という割り当てになっていた。当初は3・4番線から当駅始発列車が発車する際は下り本線との平面交差を余儀なくされたが、1970年11月1日に当駅と京橋駅の間が複々線化され、立体交差で発着できるようになった。なお、当駅始発・終着の定期列車の設定は平日・土曜の朝夕に限られ、日中や休日は3・4番線に入線する列車が無いため、試運転列車・臨時列車の折り返しや新車の試乗会の発着場などに使われることもあったが、通常は照明が広告を除いて落とされ薄暗い状況だった。
中之島線の分岐駅として
当駅から北側に分岐する形で中之島線の建設が決定すると、当駅のホームの形態を変更する必要に迫られた。その建設工事の進捗に伴い、南側2線の行き止まり部分が貫通式に変更された上で、2006年4月16日に淀屋橋方面へ通じる線路が南側2線に切り替わるとともに、北側2線は中之島線開業まで当駅折り返しの京都方面用として使われた。この時、土曜・休日を含めた日中に当駅折り返しの定期列車が設定された。中之島線の開業までは、1番線に発着する列車は午前中の一部列車のみで、折り返し列車のほとんどは2番線を使用していたが、2008年8月1日より中之島線での習熟運転が開始されたため、昼間時間帯を中心に当駅始発の一部列車が1番線に変更された。なお、非使用時に1番線は閉鎖されており、休日には全く使われない1番線を利用してラッピング車両などの展示が行われることもあった。
同年10月19日の中之島線開業とともに同線に出入りする列車が北側2線を使うようになった。同時に当駅折り返しの列車の設定は廃止されたが、一部の渡り線は非常用として存置されている。なお、同線開業前日の同年10月18日には、1000系1503Fを使用した出町柳発当駅行普通列車の先頭車前面左側に黄色地黒文字で「天満橋」と表記された行先表示板が掲出された[4]。なお1503Fが充当された理由は、列車番号に「1503」の文字が入っていたためである[5]。
なお、京阪では大阪における拠点駅であることを強調するために「大阪天満橋駅」と案内することがあったが、2003年秋のダイヤ改正以降「大阪天満橋」の呼称はあまり使われなくなった。定期の折り返し列車がなくなったこともあるため、淀屋橋駅とは異なりこの表記の復活はなされていない。また、到着前の車内放送で「OMMビル、松坂屋前」と案内されていた(地下鉄は「松坂屋前」のみ)。
地下化以来、駅ビルには松坂屋が入居していたが、2004年5月5日をもって閉店し、代わって京阪の子会社である京阪流通システムズが運営する「京阪シティモール」がオープンした。駅ビルは2012年1月20日に都市再生緊急整備地域の指定を受けたため、建て替えが検討されている[6][7]。
年表
京阪電気鉄道
相対式ホームと島式ホームの複合型3面4線の地下駅。中央の2・3番線が島式になっている。ここから東側は、萱島駅・寝屋川信号所まで複々線区間となるが、当駅構内で上下一組となっている複々線は駅を出ると立体交差により方向別の複々線となる(下の配線図を参照)。西側は北寄りの2線(1・2番線)が中之島方面へ、南寄りの2線(3・4番線)が淀屋橋方面へそれぞれ複線で通じている。
駅は京阪シティモールのフロアーと直結しており、改札口とコンコースは地下1階、ホームは地下2階にある。改札口は東改札と西改札の2ヶ所あり、谷町線乗り換えの場合は東改札の方が近い。
2008年3月29日、隣接する大川に八軒家浜船着場が開設された。これに伴い、「水陸交通ターミナル」をコンセプトに、駅北側に八軒家浜船着場と直結するエントランス、地下ホームと地上部を結ぶエレベーター、インフォメーションセンターなどが設置された。また船着場の設置に先駆け、3月21日には駅ビル内の飲食店街「パナンテ京阪天満橋」が改装オープンしている。
4番ホームの淀屋橋側には、『先覚志茲成(せんかくのこころざしここになる)』の石碑が飾られている。これは元々地下トンネルのポータル上に飾られていたが、OMMビル竣工に伴いここに移設したものである。
のりば
配線図
備考
1番ホームとコンコース改札内およびコンコース改札外と地上を結ぶ改札内外兼用のエレベーターが設けられており、コンコース階には改札内と改札外の両側にドアがある。ただし地上から1番ホームへは直通できないようになっており、地上からコンコースで切符を購入して改札を通過して改札内からエレベーターに乗らないとホーム階へは行けないようになっている。
発車メロディの導入駅であるが、下り列車は種別に関係なく、淀屋橋方面には特急用、中之島方面には一般種別用のメロディが流れる。なお、中之島線開業前までは特急用のメロディのみを使用していた。
淀屋橋延伸開業以降は、淀屋橋行きと区別するため天満橋行きの行先表示板は黄色いものを使用していた。
大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)
島式1面2線のホームを持つ地下駅。改札口は北改札と南改札の2ヶ所。京阪天満橋駅へは北改札の方が近い。南改札は地下1階、北改札は地下2階、ホームは地下3階にある。かつては出口専用改札が北側に存在した。
当駅は、東梅田管区駅に所属しており、駅長が配置され、当駅のみの単駅管理となっている。
のりば
利用状況
京阪電気鉄道
2022年(令和4年)度のある特定日における1日乗降人員は49,681人(乗車人員:24,555人、降車人員:25,126人)である。京阪全線では京橋駅・淀屋橋駅・枚方市駅・寝屋川市駅・樟葉駅・香里園駅に次ぐ第7位。当駅までの7駅は全て大阪府内の駅で、京都府内の駅がランクインするのは次の第8位(祇園四条駅)以降である。
1992年頃の最ピーク時は1日平均乗降人員が9万人を越えていたが、その後は減少し、2004年度以降は6万人程度で推移している。
各年度の1日あたりの利用状況は下表の通り。特定日利用状況は大阪府の、1日平均乗車人員は大阪市のデータである。
各年度 特定日・1日平均利用状況[統計 1][統計 2]
年度
|
特定日利用状況
|
1日平均 乗車人員
|
出典
|
調査日
|
乗車人員
|
降車人員
|
乗降人員
|
1990年(平成02年)
|
11月06日
|
45,040
|
46,727
|
91,767
|
51,016
|
[大阪府 1]
|
1991年(平成03年)
|
-
|
54,374
|
[大阪府 2]
|
1992年(平成04年)
|
11月10日
|
45,393
|
47,750
|
93,143
|
49,577
|
[大阪府 3]
|
1993年(平成05年)
|
-
|
48,565
|
[大阪府 4]
|
1994年(平成06年)
|
-
|
48,111
|
[大阪府 5]
|
1995年(平成07年)
|
11月21日
|
42,054
|
44,876
|
86,930
|
48,195
|
[大阪府 6]
|
1996年(平成08年)
|
-
|
45,166
|
[大阪府 7]
|
1997年(平成09年)
|
-
|
42,195
|
[大阪府 8]
|
1998年(平成10年)
|
11月10日
|
36,165
|
38,178
|
74,343
|
40,650
|
[大阪府 9]
|
1999年(平成11年)
|
-
|
38,393
|
[大阪府 10]
|
2000年(平成12年)
|
11月07日
|
33,507
|
35,530
|
69,037
|
37,534
|
[大阪府 11]
|
2001年(平成13年)
|
-
|
35,066
|
[大阪府 12]
|
2002年(平成14年)
|
12月10日
|
31,260
|
33,488
|
64,748
|
34,147
|
[大阪府 13]
|
2003年(平成15年)
|
10月28日
|
31,591
|
33,296
|
64,887
|
32,574
|
[大阪府 14]
|
2004年(平成16年)
|
11月09日
|
29,425
|
31,561
|
60,986
|
32,036
|
[大阪府 15]
|
2005年(平成17年)
|
11月08日
|
29,614
|
31,563
|
61,177
|
32,017
|
[大阪府 16]
|
2006年(平成18年)
|
11月07日
|
28,550
|
30,162
|
58,712
|
29,930
|
[大阪府 17]
|
2007年(平成19年)
|
11月13日
|
29,010
|
30,154
|
59,164
|
29,544
|
[大阪府 18]
|
2008年(平成20年)
|
11月11日
|
29,561
|
30,450
|
60,011
|
29,749
|
[大阪府 19]
|
2009年(平成21年)
|
11月10日
|
29,442
|
30,550
|
59,992
|
29,108
|
[大阪府 20]
|
2010年(平成22年)
|
11月09日
|
30,220
|
30,433
|
60,653
|
30,203
|
[大阪府 21]
|
2011年(平成23年)
|
11月01日
|
28,270
|
30,144
|
58,414
|
30,678
|
[大阪府 22]
|
2012年(平成24年)
|
10月31日
|
27,483
|
28,215
|
55,698
|
29,482
|
[大阪府 23]
|
2013年(平成25年)
|
11月12日
|
27,444
|
28,503
|
55,947
|
28,736
|
[大阪府 24]
|
2014年(平成26年)
|
11月11日
|
27,817
|
28,761
|
56,578
|
29,004
|
[大阪府 25]
|
2015年(平成27年)
|
11月10日
|
28,366
|
29,263
|
57,629
|
29,239
|
[大阪府 26]
|
2016年(平成28年)
|
11月08日
|
28,402
|
29,162
|
57,564
|
30,011
|
[大阪府 27]
|
2017年(平成29年)
|
11月07日
|
28,532
|
29,425
|
57,957
|
31,254
|
[大阪府 28]
|
2018年(平成30年)
|
11月06日
|
28,373
|
29,187
|
57,560
|
30,193
|
[大阪府 29]
|
2019年(令和元年)
|
11月12日
|
28,847
|
29,501
|
58,348
|
30,063
|
[大阪府 30]
|
2020年(令和02年)
|
11月10日
|
24,176
|
24,847
|
49,023
|
20,956
|
[大阪府 31]
|
2021年(令和03年)
|
11月09日
|
23,460
|
23,953
|
47,413
|
23,541
|
[大阪府 32]
|
2022年(令和04年)
|
11月08日
|
24,555
|
25,126
|
49,681
|
26,178
|
[大阪府 33]
|
Osaka Metro
2023年11月7日の1日乗降人員は81,139人(乗車人員:41,300人、降車人員:39,839人)である。Osaka Metroの全107駅中第12位であり、谷町線が乗り入れる駅では天王寺駅、東梅田駅、谷町四丁目駅に次ぐ第4位[注 1]。2017年の調査で谷町四丁目駅に抜かれ、以降は第3位から第4位となっている。
各年度の特定日における利用状況は下表の通りである。なお1969・1995年度の記録については、それぞれ1970・1996年に行われた調査である。
年度別特定日利用状況[統計 1][統計 2][統計 3]
年度
|
調査日
|
乗車人員
|
降車人員
|
乗降人員
|
出典
|
府
|
メトロ
|
1967年(昭和42年)
|
11月14日
|
18,006
|
16,651
|
34,657
|
[大阪府 34]
|
|
1968年(昭和43年)
|
11月12日
|
24,522
|
19,488
|
44,010
|
[大阪府 35]
|
|
1969年(昭和44年)
|
01月27日
|
42,776
|
41,357
|
84,133
|
[大阪府 36]
|
|
1970年(昭和45年)
|
11月06日
|
50,267
|
47,149
|
97,416
|
[大阪府 37]
|
|
1972年(昭和47年)
|
11月14日
|
48,748
|
48,118
|
96,866
|
[大阪府 38]
|
|
1975年(昭和50年)
|
11月07日
|
51,127
|
49,913
|
101,040
|
[大阪府 39]
|
|
1977年(昭和52年)
|
11月18日
|
49,275
|
48,700
|
97,975
|
[大阪府 40]
|
|
1981年(昭和56年)
|
11月10日
|
56,626
|
56,711
|
113,337
|
[大阪府 41]
|
|
1985年(昭和60年)
|
11月12日
|
53,122
|
53,133
|
106,255
|
[大阪府 42]
|
|
1987年(昭和62年)
|
11月10日
|
57,669
|
56,843
|
114,512
|
[大阪府 43]
|
|
1990年(平成02年)
|
11月06日
|
59,264
|
57,723
|
116,987
|
[大阪府 1]
|
|
1995年(平成07年)
|
02月15日
|
53,842
|
52,749
|
106,591
|
[大阪府 6]
|
|
1998年(平成10年)
|
11月10日
|
48,865
|
49,194
|
98,059
|
[大阪府 9]
|
|
2007年(平成19年)
|
11月13日
|
45,688
|
45,345
|
91,033
|
[大阪府 18]
|
|
2008年(平成20年)
|
11月11日
|
45,646
|
44,807
|
90,453
|
[大阪府 19]
|
|
2009年(平成21年)
|
11月10日
|
45,906
|
45,288
|
91,194
|
[大阪府 20]
|
|
2010年(平成22年)
|
11月09日
|
44,701
|
43,980
|
88,681
|
[大阪府 21]
|
|
2011年(平成23年)
|
11月08日
|
42,934
|
42,381
|
85,315
|
[大阪府 22]
|
|
2012年(平成24年)
|
11月13日
|
43,403
|
42,938
|
86,341
|
[大阪府 23]
|
|
2013年(平成25年)
|
11月19日
|
43,062
|
42,451
|
85,513
|
[大阪府 24]
|
[メトロ 1]
|
2014年(平成26年)
|
11月11日
|
44,340
|
43,455
|
87,795
|
[大阪府 25]
|
[メトロ 2]
|
2015年(平成27年)
|
11月17日
|
46,120
|
45,399
|
91,519
|
[大阪府 26]
|
[メトロ 3]
|
2016年(平成28年)
|
11月08日
|
45,429
|
45,017
|
90,446
|
[大阪府 27]
|
[メトロ 4]
|
2017年(平成29年)
|
11月14日
|
45,919
|
44,922
|
90,841
|
[大阪府 28]
|
[メトロ 5]
|
2018年(平成30年)
|
11月13日
|
46,089
|
44,845
|
90,934
|
[大阪府 29]
|
[メトロ 6]
|
2019年(令和元年)
|
11月12日
|
44,768
|
43,517
|
88,285
|
[大阪府 30]
|
[メトロ 7]
|
2020年(令和02年)
|
11月10日
|
38,039
|
37,170
|
75,209
|
[大阪府 31]
|
[メトロ 8]
|
2021年(令和03年)
|
11月16日
|
38,461
|
37,662
|
76,123
|
[大阪府 32]
|
[メトロ 9]
|
2022年(令和04年)
|
11月15日
|
40,018
|
39,032
|
79,050
|
[大阪府 33]
|
[メトロ 10]
|
2023年(令和05年)
|
11月07日
|
41,300
|
39,839
|
81,139
|
|
[メトロ 11]
|
駅周辺
- 駅北側を大川が流れ、駅名の由来となった天満橋が架かる。
- 京阪天満橋駅ビルは京阪シティモール(エディオンなどが入居)と大阪キャッスルホテルで構成されている。
- 谷町筋以東は大手前の官庁街となっている。大坂城の最寄駅のひとつで、最寄の虎口は京橋口となるが、Osaka Metroの南改札は大手口にも近接している。
- 公的機関
- 教育機関
- 施設
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バス路線
大阪シティバスが乗り入れており、大阪駅前(梅田駅)、あべの橋(天王寺駅)、なんば(難波駅)に次ぐ大阪シティバスの4番目の都心バスターミナルの役割を果たしている(操車場も兼ねている)。停留所名は「天満橋」で、「京阪前」の副名称がある。
かつては近鉄バスの路線も乗り入れていた[注 2]。
隣の駅
- 京阪電気鉄道
- 京阪本線(淀屋橋 - 京橋間は種別を問わず各駅に停車)
- ■快速特急「洛楽」・□ライナー・■特急・■通勤快急・■快速急行・■急行・■通勤準急・■準急・■区間急行・■普通
- 北浜駅 (KH02) - 天満橋駅 (KH03) - 京橋駅 (KH04)
- 通勤快急・通勤準急は平日下りのみ、ライナーは平日のみ運転。
- 中之島線(中之島 - 京橋間は種別を問わず各駅に停車)
- ■通勤快急・■快速急行・■通勤準急・■準急・■区間急行・■普通
- なにわ橋駅 (KH51) - 天満橋駅 (KH03) - 京橋駅(京阪本線)(KH04)
- 土休日の中之島線は普通と区間急行(下りのみ)のみ運転
- 大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)
- 谷町線
- 南森町駅 (T21) - 天満橋駅 (T22) - 谷町四丁目駅 (T23)
脚注
注釈
- ^ 最新の路線別データである1998年調査によると、谷町線の駅としては東梅田駅に次いで第2位で、天王寺駅をやや上回る。
- ^ 京橋を経て鶴見区の諸口(のちに浜南口。車庫があった)、さらに東大阪市の機械団地、大東市の大阪産業大学や朋来住宅(三洋電機大東事業所の近く)まで運行していた。
出典
本文中の出典
- ^ “大阪府庁本館”. 大阪府. 2022年7月21日閲覧。
- ^ “交通アクセス”. 大阪城天守閣. 2022年7月21日閲覧。
- ^ “OMMビル(大阪マーチャンダイズ・マート)の紹介 地図〈アクセス〉と写真 | 大阪市中央区大手前”. bb-building.net. 2022年7月21日閲覧。
- ^ 10月18日(土)、最後の天満橋ゆき列車に着脱式の行先表示板を掲出して運転します (PDF) (報道発表資料) - 京阪電気鉄道(2008年10月10日付)
- ^ 電気車研究会刊 『鉄道ピクトリアル』2009年8月臨時増刊号(特集:京阪電気鉄道) p.238
- ^ 「京阪電鉄/天満橋駅ビル建替(大阪市中央区)検討/都市再生緊急整備地域指定受け」 - 日刊建設工業新聞(2012年1月23日付、見出しのリンク)
- ^ 大阪市 報道発表 Archived 2013-03-28 at the Wayback Machine.(2012年1月23日閲覧)・大阪府 報道発表 Archived 2012-01-03 at the Wayback Machine.(2012年1月23日閲覧)
- ^ a b c d e 『京阪百年のあゆみ 資料編』 p.135
- ^ 『京阪百年のあゆみ 資料編』 p.186
- ^ 『京阪百年のあゆみ 資料編』 p.188
- ^ 「関西の鉄道」 No.53 p.13
- ^ 『京阪百年のあゆみ』 p.744 「念願の京阪百貨店開業」
- ^ 『街をつなぐ、心をむすぶ。』 p.65
- ^ 『京阪百年のあゆみ』 p.213 「空襲による被害」
- ^ 『街をつなぐ、心をむすぶ。』 p.69
- ^ 『関西の鉄道』別冊第1巻 「京阪電気鉄道戦後分離独立後の歩み」(関西鉄道研究会 2010年12月20日発行)14.「1500V昇圧」p.68-71
- ^ 『京阪百年のあゆみ 資料編』 p.232
- ^ 『京阪百年のあゆみ』 p.292 「変電所の増強」
- ^ 「天満橋駅の自動改札化実施 京阪電鉄」『交通新聞』交通協力会、1975年5月17日、1面。
- ^ 『くらしの中の京阪』1979年3月号 / 『京阪百年のあゆみ』 p.370 「優先座席の設置と駅施設の充実」
- ^ 『街をつなぐ、心をむすぶ。』 p.76
- ^ 『京阪百年のあゆみ』 p.370 「優先座席の設置と駅施設の充実」
- ^ 『くらしの中の京阪』1988年9月号 / 開業80周年記念誌『過去が咲いてる今』巻末年表177頁
- ^ 『くらしの中の京阪』1989年1月号 / 『京阪百年のあゆみ』 p.443には「1.2番線もホームが19メートル延長された」との記述あり。
- ^ 『くらしの中の京阪』1992年5月号 / 開業90周年記念誌『街をつなぐ 心をむすぶ』109頁「進むバリアフリー化」
- ^ 『くらしの中の京阪』1994年5月号
- ^ 『くらしの中の京阪』1994年12月号
- ^ 『くらしの中の京阪』1995年2月号
- ^ 『くらしの中の京阪』1995年5月号
- ^ 『くらしの中の京阪』1995年6月号
- ^ 『くらしの中の京阪』1996年7月号
- ^ 『くらしの中の京阪』1998年9月号 / 開業90周年記念誌『街をつなぐ 心をむすぶ』177頁「パナンテ京阪天満橋がオープン」
- ^ 京阪開業百周年記念誌『京阪百年のあゆみ』p.537「駅構内施設の充実」『京阪百年のあゆみ 資料編』 p.260
- ^ 『京阪百年のあゆみ』 p.539 「駅施設の改良」
- ^ 『K PRESS』2007年8月号 p.16「くらしのなかの京阪」
- ^ a b 『K PRESS』2008年3月号 p.16「くらしのなかの京阪」
- ^ 『K PRESS』2008年4月号 p.4
- ^ 『K PRESS』2008年4月号 p.16「くらしのなかの京阪」
- ^ 『K PRESS』2009年8月号 p.7
- ^ 『K PRESS』2009年10月号 p.16「くらしのなかの京阪」
- ^ “京阪天満橋駅「パナンテ」 21日新装オープン”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 4. (2017年3月6日)
- ^ “谷町線 天満橋駅の可動式ホーム柵の運用開始について”. Osaka Metro. 2024年12月14日閲覧。
- ^ a b c d “天満橋駅|駅構内図”. 京阪電気鉄道. 2022年9月20日閲覧。
- ^ a b “Osaka Metro|天満橋”. www.osakametro.co.jp. 2018年8月12日閲覧。
- ^ オフィスJ.B、旭和則『都市鉄道完全ガイド 関西私鉄・地下鉄 2022-2023年版』双葉社、2022年8月31日、119頁。
利用状況の出典
- 大阪市高速電気軌道
- 大阪府統計年鑑
参考文献
- 開業80周年記念誌『過去が咲いてる今』 - 京阪電気鉄道、1990年7月
- 開業90周年記念誌『街をつなぐ、心をむすぶ。』 - 京阪電気鉄道、2000年10月
- 開業100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』『京阪百年のあゆみ 資料編』 - 京阪電気鉄道、2011年3月
- 駅置き広報誌『くらしの中の京阪』 各号
- 駅置き広報誌『K-PRESS』内「くらしの中の京阪」 各号
関連項目
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外部リンク
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