田園調布(でんえんちょうふ)は、東京都大田区・世田谷区の広域地名。都内有数の高級住宅街となっている。
町名は大田区田園調布、田園調布本町(でんえんちょうふほんちょう)、田園調布南、世田谷区玉川田園調布。本項では、田園調布および田園調布本町について解説する。
大田区の最西端、世田谷の最南端に位置し、西側を流れる多摩川を都県境として、神奈川県川崎市中原区の東側にあたる。
田園調布は、1918年(大正7年)に実業家渋沢栄一らによって立ち上げられた「理想的な住宅地『田園都市』の開発」を目的とする田園都市株式会社[5]により主に開発され、1923年(大正12年)8月から分譲開始した地域である。田園都市株式会社は東急、東急不動産の始祖にあたる会社である。
旧東京市大森区田園調布の一部である。また隣接する世田谷区(旧・玉川村)に玉川田園調布(たまがわでんえんちょうふ)の町名があるが、田園都市株式会社が多摩川台住宅地として田園調布と一体的に造成・分譲を行った地域である。
昭和30年代初頭の住居表示変更により、大田区田園調布一丁目から五丁目が、一丁目から七丁目に変更された。さらに1970年(昭和45年)に地番改正が行われ、中原街道から北側の田園調布三丁目から七丁目を一丁目から五丁目に、中原街道と東海道新幹線と品鶴線(現・横須賀線)に挟まれる田園調布二丁目を田園調布本町、線路の南側の田園調布一丁目を田園調布南と変更した。
現在の大田区田園調布の大部分の地域が第一種低層住居専用地域と第二種風致地区[6]にあたり、日本有数の高級住宅街として有名である[7][8]。
現在の大田区田園調布は一丁目~五丁目から成り、広さは約63万坪(約205万平方メートル)である[9]。
田園調布と表記のつく地域は、次の二つからなる。
高級住宅街のイメージで語られる際の「田園調布」とは、田園調布駅西側に広がる扇状の街路付近の大田区田園調布三丁目、四丁目の一部、及び世田谷区玉川田園調布の一部を中心とした一帯を指す[11]が、かつては田園調布一丁目から二丁目にかけての国分寺崖線に面した部分、及び田園調布四丁目から五丁目にかけての多摩川に面した国分寺崖線の辺りに大邸宅が集中し、現在、多摩川駅周辺の斜面に点在するマンション群はその名残である[12]。
大田区田園調布には、北から、東急東横線と目黒線が乗り入れる田園調布駅と、この2線に加え東急多摩川線の始発駅でもある多摩川駅があり、田園調布本町には東急多摩川線の沼部駅がある。
田園調布には、東京都内で最大規模の古墳である荏原台古墳群のうち、田園調布古墳群[注釈 1]があり、荏原台古墳群で最古の宝萊山古墳と最大の亀甲山古墳がある[13][14]。
大深度地下方式によるリニア中央新幹線のトンネル掘削工事が予定されており、完成時には第一首都圏トンネルが田園調布の一部を東西に通過する。
住宅地の地価は、2025年(令和7年)1月1日の公示地価によれば、田園調布2-24-21の地点で70万円/m2、田園調布3-23-15の地点で119万円/m2、田園調布4-27-8の地点で71万9000円/m2となっている[15]。
開発当初は日本の都市に新たに出現した中堅層向けの住宅地であったが、田園調布に居住しこの街の開発を推進した、渋沢栄一の子渋沢秀雄によると「私は田園調布の西側に半円のエトワール型を取り入れてもらった。この分譲地のサイト・プランを依頼した矢部金太郎君に注文をつけたのである[16]」とエトワール型の道路を造り街路樹を植え、広場と公園を整備し、庭を広くとり緑地の一部とし、街全体を庭園のようにするなど、良好な住宅環境であったことから次第に評価が高まった。また国分寺崖線の良好な地盤の上にある事から[19]、関東大震災後に都心から多くの人が移住し、関東大震災後から都心で被災した富裕層が次々に移り住むようになった[20]。
開発当初からの駅西側に広がる扇状に整備された区画一体は、イチョウの並木と相まって高級住宅街としての趣を備えている[21]。地元自治会としては1926年(大正15年)に設立された「田園調布会[22]」があり、住宅の新改築に際しては厳しい制限を求め、環境保全に努めている[23]。大田区役所[24]及び田園調布会によれば、田園調布が「日本で初めて庭園都市(ガーデンシティー)として計画的に開発され分譲された地域」であるとされている[注釈 3]。
対比される兵庫県芦屋市六麓荘町は1928年(昭和3年)から、お屋敷町として数万坪が開発されたが[25][注釈 4]、田園調布では、田園都市株式会社により街全体を庭園、つまり庭園都市(ガーデンシティー)にすることを目的に、約30万坪(約100万平方メートル)が開発されており、開発コンセプトは全く異なっている。なお田園調布も、当初は旧制大学や旧制高等学校を卒業し、工場(企業)に勤める中堅層を販売の対象にしていた[26]。
東急東横線・目黒線が通る多摩川駅の東側、田園調布一丁目に、約3万平方メートルの広さの田園調布せせらぎ公園[27](旧多摩川園遊園地の一部)があり、多摩川駅の西側から多摩川の河川敷との間、一丁目と四丁目に約6万6千平方メートルの広さの多摩川台公園[28]が、そして三丁目には大正時代末期からある宝来公園[29]があり、第二種風致地区による建築制限と相まって、良好な住環境が整っている。
田園調布一丁目、二丁目の主要区画道路には桜並木が植えられ、かつて学校の始業式の季節には満開の桜が花のトンネルのようであった。現在ではその多くが老木となり、最盛期よりも減ってはいるが、開花期には美しい花を咲かせている。
戦後には、長嶋茂雄など著名人が多く住み、1980年代には星セント・ルイスのギャグのネタ「田園調布に家が建つ[注釈 5]」にもなった。
大正時代に、渋沢栄一が中心となって、イギリスで提唱された田園都市構想をモデルとした[30]。その理念は、都市の外側を田園や緑地帯で囲み、企業も誘致し、交通渋滞や公害のない、住宅環境に優れた都市を建設するというものである[30]。田園調布の駅前広場を中心に放射状に延びる街路は、当時のヨーロッパの都市に見られた特徴をそのまま取り入れた名残である[30]。
日本の田園都市建設の参考とするため、渋沢秀雄が田園都市視察のため1919年(大正8年)8月から欧米11カ国を訪問した。その時の回想記によると エベネザー・ハワードがロンドン郊外に創設した田園都市レッチワースよりも、サンフランシスコ郊外の高級住宅地セントフランシス・ウッドの街並を田園都市建設の参考にしているようである[31]。
また、分譲当時の「田園都市案内パンフレット」の中の理想的住宅地[32]によると、日本の田園都市を建設するにあたり、次のように述べている。
つまり、ロンドンのレッチワースは住宅街に隣接して工業地域を作り、住宅街の周囲を農業地域が取り囲み緑地帯にしたのに対し、日本の田園都市ではそれらを造らず、「街全体を庭園都市(ガーデンシティー)とすることを建設の目的とした」のである。実際に田園調布の西側に半円のエトワール型の道路を取り入れ、採算を度外視し[33]、道路面積だけでも街全体の18パーセントに達しており[34][注釈 7]、また広場と公園を整備し、良好な住環境を提供している。
また「田園都市案内パンフレット」には、理想的な住宅地である田園都市において住宅建設をする上で守るべき条件として以下の基準を挙げている。
これらの「理念」及び「建築の基準」は、現在の田園調布においても「一般社団法人田園調布会」及び大田区都市計画[35]による「田園調布憲章」「環境保全についての申し合わせ」及び「大田区田園調布地区地区計画」などにより受け継がれている。
1950年、田園調布南に開校した東京都立大田高等学校は、1953年2月に東京都立田園調布高等学校に改称している。
田園調布学園中等部・高等部は1926年開校の調布女学校に起源を持つ私立の女子校である。戦後の新制度に適合して調布中学校、調布高等学校となったが、2004年4月に現校名に改称した。学校敷地は世田谷区東玉川にあるが、環八通りを挟んで田園調布と隣り合っており、最寄駅は東急東横線・目黒線の田園調布駅である。
警察署や消防署は、当初「東調布警察署」「東調布消防署」を名乗っていたが、1987年(昭和62年)12月に警察署が、1994年(平成6年)11月1日に消防署がそれぞれ「田園調布 - 」と改称した。 ただし、田園調布警察署は田園調布一丁目にあるが、田園調布消防署の所在地は雪谷大塚町である。なお、田園調布を冠した施設には他に「田園調布郵便局」があるがその所在地は南雪谷であり、これら警察署、消防署、郵便局の三者は中原街道と環八通りとの交差点「田園調布陸橋」を囲んで向かい合って存在している。
2024年(令和6年)4月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[46]。
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)[48][49]。
この項目は、日本の町・字に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:日本の町・字/Portal:日本の町・字)。
この項目は、東京都に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/東京都)。
池上 | 石川町 | 鵜の木 | 大森北 | 大森中 | 大森西 | 大森本町 | 大森東 | 大森南 | 上池台 | 北千束 | 北馬込 | 北嶺町 | 久が原 | 山王 | 千鳥 | 中央 | 田園調布 | 田園調布本町 | 田園調布南 | 仲池上 | 中馬込 | 西馬込 | 西嶺町 | 東馬込 | 東嶺町 | 東雪谷 | 南久が原 | 南千束 | 南馬込 | 南雪谷 | 雪谷大塚町
蒲田 | 蒲田本町 | 北糀谷 | 下丸子 | 新蒲田 | 多摩川 | 仲六郷 | 西蒲田 | 西糀谷 | 西六郷 | 萩中 | 羽田 | 羽田旭町 | 東蒲田 | 東糀谷 | 東矢口 | 東六郷 | 本羽田 | 南蒲田 | 南六郷 | 矢口
京浜島 | 昭和島 | 城南島 | 東海 | 羽田空港 | ふるさとの浜辺公園 | 平和島 | 平和の森公園 | 令和島
大森 | 雪ヶ谷 | 糀谷
池尻(四丁目の一部を除く) | 上馬 | 経堂 | 駒沢(一・二丁目) | 桜 | 桜丘 | 三軒茶屋 | 下馬 | 世田谷 | 太子堂 | 弦巻 | 野沢 | 三宿 | 宮坂 | 若林
赤堤 | 池尻(四丁目33~39番のみ) | 梅丘 | 大原 | 豪徳寺 | 桜上水 | 北沢 | 代沢 | 代田 | 羽根木 | 松原
奥沢 | 尾山台 | 上野毛 | 上用賀 | 駒沢(三 - 五丁目) | 駒沢公園 | 桜新町 | 新町 | 瀬田 | 玉川 | 玉川台 | 玉川田園調布 | 玉堤 | 等々力 | 中町 | 野毛 | 東玉川 | 深沢 | 用賀
宇奈根 | 大蔵 | 岡本 | 鎌田 | 喜多見 | 砧 | 砧公園 | 成城 | 祖師谷 | 千歳台 | 船橋
粕谷 | 上北沢 | 上祖師谷 | 北烏山 | 給田 | 八幡山 | 南烏山
二子玉川