新宿御苑(しんじゅくぎょえん)は、東京都新宿区と渋谷区に跨がる環境省所管の庭園である。
もともとは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である[1]。1879年(明治12年)に新宿植物御苑が開設され、宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなったが、第二次世界大戦後は一般に公開され、現在は環境省管轄の国民公園として親しまれている[2]。2006年(平成18年)に、「新宿御苑」の名を冠してから100周年を迎えた[2]。開園100周年事業の一環として、絶滅が危惧されている植物の保護センターを設置することが計画されている。
かつては、例年4月には内閣総理大臣主催の「桜を見る会」が開催されていた。また、11月上旬には環境大臣主催の「菊を観る会」が開催される。大正天皇と昭和天皇の大喪の礼が執り行われた場所でもある。
隣接する東京都立新宿高等学校の敷地は、1921年(大正10年)にこの新宿御苑の土地の一部が東京府へ下賜されたものである。
なお、本来の新宿御苑の正門は南東部にある(都道418号線の「大京町」交差点前)が、普段は閉鎖されており、一般の来園者はここから入場することはできない。これはそもそも新宿御苑が皇室の所有物であり、皇族や国内外の賓客を迎える入場門として皇居寄りの道路沿いに正門が設けられたが、戦後になって国民公園として一般の来園者を受け入れることになると、正門は公共交通機関からの便が悪く、交通の便が良い箇所に入場門を新たに設けたことによる。一方で、現在でも国の公式行事の際にはこの正門を用いて賓客を受け入れることはある。
御苑内は約58ヘクタールのスペースに「日本庭園」、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」を組み合わせており、樹木の数は1万本を超える。日本さくら名所100選に選定されており、65種・約1300本の桜があり、春には花見の名所として大勢の観光客で賑わう。ソメイヨシノが見ごろを迎える3月下旬から4月上旬にかけても多くの来園者を迎えるが、一般財団法人国民公園協会ではイチヨウを御苑の桜の代表品種として位置付けており、イチヨウ等の多品種のヤエザクラが見ごろを迎える4月中旬から下旬を御苑の桜のベストシーズンと位置付けている[11]。
「玉藻池」を中心とする回遊式日本庭園は、内藤家下屋敷の庭園『玉川園』の遺構であり[12]、安永元年(1772年)に完成した。
また東西に連なる「上ノ池」「中ノ池」「下ノ池」はもともと渋谷川(穏田川)の最上流部にあたり、本来の谷地形を利用して池としたもの。
多くの温室植物を集めた大型温室は1958年(昭和33年)に完成し、当時としては東洋一の規模であった。2007年(平成19年)5月13日に建て替えのため閉館し、2012年(平成24年)11月20日にリニューアルオープンした。
来園者が森に親しむための「母と子の森」も作られている。
大木戸門にほど近い場所に位置する大型温室。温室内の広さは、2,750平方メートルで様々な展示植物を観察することができる。 展示内容は、山岳地帯の熱帯植物や沖縄・小笠原の亜熱帯植物、熱帯低地の熱帯植物などから成り、複数のセクションに分割されている。 また、新宿御苑では、熱帯植物や亜熱帯植物を中心に約2,700種を栽培し他にも、日本植物園協会の植物多様性保全拠点園として、絶滅危惧種の生息域外保全にも力を注いでおり、温室内でも絶滅危惧種の植物を鑑賞することができる[13]。
新宿御苑400年の歴史に触れあうストーリーを描いた常設展示施設で、「記憶の庭」をコンセプトにしている。 歴史・文化といった魅力を五感で体験するため、デジタルとアナログが融合した展示コンテンツが魅力である。 床壁3面に映像を投影する超没入型の映像体験をシアターで楽しむことができる。 展示コーナーに進むと、庭園の歩み、温室、桜と菊、皇室庭園時代の主要なトピックスを紹介している。デジタルコンテンツから、植物の美しい標本まで、多様な展示手法を駆使して価値ある新宿御苑の姿を発信しているのである[14]。
御苑内の施設は1945年(昭和20年)5月の空襲で大きな被害を受けたが、戦災を逃れた建造物も残る。
他には、御苑の守衛などが使用していた旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所など昭和初期の建造物も見ることができる。
苑内にレストラン、カフェなどがある[20]。
「明治の洋館24選」淡交社 2009年
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