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この項目では、愛知県名古屋市昭和区の鶴舞公園について説明しています。同じ読みの東京都町田市にある鶴間公園については「鶴間公園」をご覧ください。 |
鶴舞公園(つるまこうえん)は、愛知県名古屋市昭和区鶴舞(つるまい)一丁目にある、名古屋市が管理する都市公園。名古屋市が最初に設置した公園である[3]。国の登録記念物(名勝地関係)に登録されている。春は桜の名所として知られ、日本さくら名所100選にも選定されている。
概要
1909年(明治42年)に開設された名古屋市が設置した初の公園[3]。名古屋市では1893年(明治26年)に公園設置臨時委員会が設けられたが、精進川改修工事及び1910年(明治43年)に第10回関西府県連合共進会が開催されることになり会場の整備が必要となったことでようやく具体化した[3]。名古屋市による公園設置の申請手続は1907年(明治40年)1月26日付けで行われた[3]。当地に立地した理由は、予定していた新堀川整備に伴う大量の土砂の処理のために、当時沼地であった当地を埋め立てて整備するのが効率的と考えたからである。
なお、名古屋市内には既に大光院の南の清寿院があった跡に1879年(明治12年)に県営の浪越公園が開設されていた[4]。しかし、鶴舞公園の開園に伴い、県営の浪越公園は1909年(明治42年)1月29日告示により廃止された[3]。公園機能は鶴舞に移転したが、1910年(明治43年)12月26日に県から市に一部の土地が譲渡され古墳の跡が残る浪越公園跡にも小公園が再整備された[3][4](那古野山公園、のちの那古野山古墳公園)。
整備
公園としての本格的な造園工事は共進会が終了した後に始まった[3]。動物園の開園(後に東山に移転)、図書館建設、普選記念壇(普通選挙制度の成立を記念)を名古屋新聞社(現・中日新聞社)より寄贈、名古屋市公会堂の建設(昭和天皇の成婚記念)と整備した。
和洋折衷の大公園が完成したのは1920年(大正9年)頃といわれている[3]。
戦後の一時期は進駐軍が使用し、市民の利用を制限した。現在では八幡山古墳を除く全域を市民に開放している。春から夏にかけては、桜、チューリップ、バラ、菖蒲、紫陽花と多くの花を見ることができ、4月から6月にかけては花まつりを開催する。
園内にはラジオ体操やコスプレ撮影、スマートフォンゲーム「ポケモンGO」を楽しむ人たちも多くみられる[新聞 1][新聞 2][5]。
名称
鶴舞公園の呼称は1909年(明治42年)11月19日の名古屋市の告示で「つるまこうえん」と定められた[3][新聞 3]。鶴舞の地名の語源は諸説あって明らかでないが、呼称が確認できる最も古い資料である『愛知県郡町村字名調』(1882年)には「東鶴舞(ヒガシツルマイ)」という記載がある[新聞 3]。小学校(名古屋市立鶴舞小学校)の名称は鶴舞公園と同じく「つるま」となっているが、住居表示や駅名(鶴舞駅)では「つるまい」となっていて呼称が混在している[新聞 3]。そのため「つるまいこうえん」と呼ぶ者も多い。一部の携帯電話などでは「つるまいこうえん」と入力しないと正しく変換しないことがある。「つるまい」に造られた公園の名称が何故「つるま」になったのかは資料が無く不明である。
例えば愛知県出身の山本正之が作詞作曲した、名古屋を代表するタレント、シンガーソングライターであるつボイノリオの「名古屋はええよ!やっとかめ」でも「つるまい公園に集まってよ」と歌っている。
つボイ自身もあまり気にしていない様子で、「音符的には合っている」事が「つるま」でなく「つるまい」になった理由と語っている。アシスタントの小高直子に「つるみゃあにしといたら?」と提案され、歌う際にバージョンアップしようかと語っていた。[ラジオ 1]
公園の名称は、名古屋市参事会において検討された際には「貴一公園」「東部公園」「名古屋公園」「砦山公園」「鶴舞公園」といった案が出された中から検討されたものであるという。
構造
公園の西側は起伏の少ない地形を活かした西洋風の回遊式庭園だが、公園の東側はもともとの緩やかな丘陵の地形を活かした日本風の土と水と緑が多様な表情をみせる自然の庭園になっている。公園の西中央付近にある鶴舞駅(JR鶴舞駅南口)から公園に入ると、正面に噴水塔が位置している。すぐ南に普選記念壇があり、公園のほぼ中央にあたる。その東に奏楽堂が位置し、東北に北花壇、南東に南花壇が広がる。その先は、竜ヶ池や胡蝶ヶ池などの池が点在する。北西の端にはテニスコートがあり、名古屋市公会堂が北端に位置する。入口の南にはグリーンプラザ、その南に中央図書館があり、陸上競技場は勤労会館に面する南西の角、その東側には児童遊園を挟んで野球場があり、鶴舞(つるま)小学校と接する。
歴史
施設等
300 m
17
16
15
13
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
- かつては土のグラウンドの陸上競技場だった(2017年まで)。
- テニスコート[8](4面)
- 第二次世界大戦後、公園を接収したGHQにより、胡蝶ヶ池の北半分を埋め立てて造成されたベビーゴルフ場に起源を持つ[新聞 4]。1952年(昭和27年)の市への返還後、胡蝶ヶ池復元により一旦消滅したものの、1962年(昭和37年)に位置を変えて再開した[新聞 4]。1ホールが10メートルから20メートルで、全9ホールからなる[新聞 4]。
- バラ園内に設置されているブロンズ製の「ベアトリーチェ」像はイタリアの作家フランチェスコ・メッシーナ(英語版)によるもので、1958年の夏にカラーラの海岸で作家が出会った9歳の少女をモデルにしたものであるという[新聞 5]。像自体は145センチメートルだが、台座が60センチメートルある[新聞 5]。評価額は1800万円で、1986年(昭和61年)4月9日から公開されている[新聞 5]。
- TSURUMA GARDEN(カフェやレストランが入居する商業施設)
ギャラリー
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名古屋市公会堂
(2020年(令和2年)10月)
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名古屋市鶴舞中央図書館
(2020年(令和2年)10月)
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鶴舞公園噴水塔
(2021年(令和3年)6月)
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普選記念壇
(2021年(令和3年)6月)
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奏楽堂
(2021年(令和3年)6月)
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竜ケ池
(2017年(平成29年)6月)
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胡蝶ケ池
(2021年(令和3年)6月)
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秋の池
(2017年(平成29年)5月)
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鶴々亭
(2017年(平成29年)6月)
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百華庵
(2017年(平成29年)6月)
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ヌンクヌスク鶴舞公園
(2017年(平成29年)5月)
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八幡山古墳
(2007年(平成19年)2月)
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バラ園
(2017年(平成29年)5月)
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1910年(明治43年)に開催された「第10回関西府県連合共進会」。噴水塔。
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1928年(昭和3年)に開催された御大典奉祝名古屋博覧会。中央線西側にあった正門。
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名古屋市消防音楽隊カラーガード リリーエンゼルス
(2008年(平成20年)4月)
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「ブルーグラス・ミュージック・フェスティバル 2013」の様子
(2013年(平成25年)5月)
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「ポケモンGO」により集まった人々
(2016年(平成28年)7月)
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鶴舞公園花まつり
(2015年(平成27年)3月)
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鶴舞公園花まつり
(2016年(平成28年)3月)
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TSURUMA GARDEN
(2023年(令和5年)6月)
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TSURUMA GARDEN
(2023年(令和5年)6月)
祭り
- 花まつり - 4〜6月
- 納涼まつり - 7月下旬
- ムーンライトステージ - 10月
アクセス
鉄道
バス
道路
周辺の施設
脚注
WEB
新聞
書籍
ラジオ
- ^ CBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』2023年6月26日放送分
参考文献
- 名古屋の公園100年のあゆみ編集委員会 編『名古屋の公園 100年のあゆみ』2010年。
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
鶴舞公園に関連するカテゴリがあります。
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