「名古屋はええよ!やっとかめ」(なごやはええよやっとかめ)は、つボイノリオが歌唱する楽曲である。プロデュースおよび作詞・作曲・編曲は山本正之[1]。
1985年6月21日に、東芝EMI(現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)から7インチシングルレコードとして発売された。B面は「エビふりゃーでゃースキ」 。規格品番:TP-17729。
つボイ自身のシングルとしては、1978年11月に発売された『一宮の夜』以来、6年半ぶりとなった。1996年発売のアルバム『あっ超ー』(規格品番:TOCT9490)に収録されている。また、2010年に名古屋開府400年を記念して、名古屋市の協力によりキングレコードから発売されたコンピレーション・アルバム『名古屋の歌だがね 名古屋開府400年記念CD』(規格品番:KICS-1511、ASIN:B002TK1VOS)にも収録された。
制作
表題曲は、つボイが山本に依頼して制作されたものである。タイトルは当初「大名古屋行進曲」とする予定だったが、つボイが「タイトルに名古屋弁を入れたい」と要望したことから、名古屋弁で「久しぶり」を意味する「やっとかめ(八十日目)」を加え、このタイトルとなった。
つボイがこの曲を制作した理由は、1980年代前半の名古屋の状況にあった。当時は「エビフリャー」などタレントのタモリの名古屋いじりネタなどによって名古屋が揶揄の対象にされたり、名古屋オリンピック誘致の失敗、1985年の円高ショックによる自動車や繊維関連産業といった名古屋圏の経済への打撃など、名古屋人が地元に対して自信喪失している傾向があり、もう名古屋は高望みするな、派手な話も控えようと言う空気が名古屋市役所にも広がっていた。しかしつボイはそうした状況で「名古屋人に自信を失うなと言いたかった」のだという。1番・2番の歌い出しでそれぞれ東京と大阪を「まああかん(もうだめだ)」と挑発し、これからのパフォーマー、イニシアチブ、そして未来の首都は名古屋だと宣言し、名古屋にまつわる様々な事物・現象を織り込んだ歌詞が特徴である。名古屋の市花ではなく愛知県の県花のカキツバタや、岡崎市の郷土菓子である淡雪も入れられている。
動画投稿サイトでの反響
2000年代まで、発表後15年ほどは愛知県民の間でも認知度が低くご当地ソングとしては定着しなかったが、インターネットの普及と発展と共にFlashアニメが有志により制作され、各種ウェブサイトや動画投稿サイトなどで見られるようになったことで、ネット上での知名度が高まり注目されるようになった。
2003年に、日本テレビ系で放送されたバラエティー番組『ブラックワイドショー』および、『中井正広のブラックバラエティ』(2004年10月10日放送)で紹介された。
山下達郎が、ラジオ番組『サンデーソングブック』(TFM・JFN系)の珍盤・奇盤特集で流したこともある(例:2006年11月19日)。全国ネットのテレビ番組などでも名古屋の話題が出る際にバックにこの曲が流されるなどして、全国的にも名古屋の代表的なご当地ソングとして認知されるようになった。
評価
名古屋出身の作家清水義範は、2003年の著書『やっとかめ大名古屋語辞典』の中で、この曲を「名古屋国の国歌ともいえる」と評している[2]。
山本のセルフカバー
山本本人のセルフカバーバージョンもある。タイトルは「名古屋はええよやっとかめ」。山本のアルバム『十三の魔王』(ベラ・ボーエンタテインメント、2000年7月、規格品番:BXCA-1013)[3]所収[4]。つボイバージョンとの相違点は、タイトルに「!」が付かないほか、一部歌詞やキーが異なる。
曲に登場する項目
歌詞への登場順。★印の項目はつボイ版のみ、☆印の項目は山本版のみに登場。
「エビふりゃーでゃースキ」に登場する項目
収録曲
参加ミュージシャン
- 演奏 : ロダン山本と新名古屋ヒルハーモニー
- コーラス : モリグチヅケとエスカ地下抜け道合唱隊
脚注
注釈
- ^ 楽曲が発表された1985年には、厚生省(現:厚生労働省)が日本初のHIV感染者の存在を公表し「AIDSパニック」が発生した。
- ^ 曲中では「つるまいこうえん」と歌われる。
- ^ 名古屋駅の待ち合わせ場所とされたコンコースの柱の装飾のこととされるが、発表以前の1980年に改修工事で撤去されている。
- ^ この歌の発表当時、地下鉄名城線は環状線化していなかったばかりか、名古屋高速都心環状線が同年5月7日に東新町 - 東別院間で部分開通してからまだ間もない頃だった。
- ^ この項のみ「あった」と歌われている。
出典
関連項目