熊本市動植物園 (くまもとしどうしょくぶつえん)は、熊本県熊本市東区健軍にある、熊本市営の動物園・植物園。遊園地を併設している。
概要
植物園や遊園地を併設する憩いの場となっている。
1929年(昭和4年)、水前寺成趣園の東側の一角の約9,900㎡に「熊本動物園」として開園した[1]。
その後、1969年(昭和44年)、「水辺動物園」の構想のもとで江津湖の湖畔に位置する現在地に移転した[1]。園内南門より水前寺江津湖公園に抜けることができる。現在地に移転後の熊本市動物園として単独施設時代から別称「水辺(すいへん)動物園[2]」とも呼ばれている。
1986年に開催された『緑と水の祭典第4回全国都市緑化くまもとフェア「グリーンピック'86」』において熊本動物園は「アニマル広場」としてパビリオンとなった[1]。その後、同フェアの期間中に「植物ゾーン」として利用されていた跡地を植物園として加えて、1991年(平成3年)に「熊本市動植物園」という名称に変更された[1]。
2007年(平成19年)から隣接する江津湖の水辺環境も活かした再編整備計画が策定され、第1期として2008年(平成20年)に「サルたちの森」、2009年(平成21年)に「モンキーアイランド」、第2期として2011年(平成23年)に「チンパンジー愛ランド」、第3期として2013年(平成25年)に「ペンギン・カピバラ・サル山エリア」が整備された[1]。
施設情報
動植物園共通
- 住所:熊本県熊本市東区健軍5丁目14番2号
- 開園時間:9:00 - 17:00(入園は16:30まで)
- 休園日
- 月曜日(祝日または第4月曜日の場合は開園し、次の平日が休園)
- 年末年始(12月30日 - 1月1日)
- 入場料
- 大人・高校生:500円
- 小・中学生:100円
- 乳幼児:無料
- 団体(30名以上)の場合は2割引
遊園地施設
利用料金は大半の施設で1回200円だが、例外施設もあり。
- 観覧車
- チェーンタワー
- ティカップ
- メリーゴーランド
- 新幹線
- 子ども列車
- モノレール
- ミラーハウス(※料金1回100円)
- バイキング
- ドルフィンパラダイス
- ディスク・オー(※料金1回300円)
植物施設
- 植物施設には日本庭園や樹木見本園などがあり、四季折々の花が楽しめる。
- 植物施設正面の「花の休憩所」には大温室や洋らん室などを備え、熱帯・亜熱帯植物を展示しているため、一年を通じて花と緑に触れ合える。
- 「緑の相談所」を開設し、花と緑に関する相談や指導も行っている。
交通アクセス
公共交通機関
路面電車
路線バス
- 九州産交バス・熊本バス・熊本都市バス
- 動植物園入口バス停から約800m(動物ゾーン側入口)
- 熊本バス・熊本都市バス
- 動植物園西口バス停から約200m(植物ゾーン側入口)
- 画図橋バス停から約200m(植物ゾーン側入口)
- 九州産交バス
- 動植物園前バス停から約300m(動物ゾーン側入口)
自家用車
駐車場
- 料金
- 平日:無料
- 土・日・祝日:有料
- 軽・普通・中型自動車 1台1回につき200円
- 大型自動車(定員30名以上) 1台1回につき1,000円
- 収容台数:普通車1,225台、バス58台
歴史
- 1928年(昭和3年) - 建設承認、各地の動物園を視察。
- 1929年(昭和4年)7月 - 水前寺成趣園の東側に開園。敷地面積9,900 m2。一部の動物は広島市の羽田別荘より引き受ける。
- 1931年(昭和6年) - 園地を2,000 m2拡張。
- 1943年(昭和18年) - 第二次世界大戦の戦況悪化に伴い、空襲時に猛獣が脱出する恐れがあったために、翌1944年までにトラ・ライオン・クマ・ヒョウ・オオカミなど猛獣に該当する動物9種15頭を殺処分した(戦時猛獣処分)。ニシキヘビ、カバ、ゾウは職員らの主張により殺処分を免れたが、カバは栄養失調により死亡し、ニシキヘビは凍死した。なお、ワニは冬眠中だったため軍部に存在を隠したことにより、終戦まで生き延びた。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)10月 - 開園。
- 1958年(昭和33年) - 熊本市東部地区開発既成会が発足。江津湖周辺を観光地として整備する構想。
- 1963年(昭和38年) - 移転候補地の検討。江津湖畔への移転を決定。
- 1966年(昭和41年) - 水辺動物園建設準備室を設置。
- 1969年(昭和44年)2月28日 - 閉園(水前寺)。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 開園(水辺動物園)。敷地面積102,000 m2。
- 1977年(昭和52年) - 国内で初めてヒクイドリの人工孵化に成功。
- 1982年(昭和57年) - 国内で初めてシベリアオオカミの人工保育に成功。
- 1985年(昭和60年) - パプアニューギニアからブチクスクスが来園。
- 1986年(昭和61年) - 『緑と水の祭典第4回全国都市緑化くまもとフェア「グリーンピック'86」』開催。熊本動物園は「アニマル広場」として会場の一部となる。
- 1986年(昭和61年) - 「グリーンピック'86」閉幕後、植物ゾーン跡地をそのまま「植物園」として加える事になり、のちに名称も「熊本動物園」から「熊本市動植物園」に改称することになる。
- 1987年(昭和63年) - ブチクスクスの国内初の繁殖に成功。
- 1993年(平成5年) - 中国からキンシコウが来園。
- 1997年(平成9年) - キンシコウを繁殖。
- 2005年(平成17年) - タッチ愛ランドが完成。
- 2008年(平成20年) - サルたちの森が完成。
- 2010年(平成22年) - カバの「ケンポウ」[3]が亡くなる。愛媛県からやってきた若い「モモコ」がカバ舎の跡を継いだ。
- 2011年(平成23年) - 動植物園北側の散策路を駐車場に変える工事を実施。
- 週末や行楽シーズンには駐車場が満車状態になり、ゴールデンウィークなどの大型連休ピーク時には、動植物園入口から国道57号(東バイパス)付近まで、約900 mの渋滞が発生していたため。整備後の駐車台数は、約1.6倍の1,394台に拡充。北側一帯で計1,029台分を確保。さらに、東側の1カ所と西側2カ所で計365台分を整備。総事業費は約3億2千万円(うち国補助1億5千万円)。駐車場整備の中心となる散策路は、水路や芝生のスペースがあり、熊本市は水路部分を残し、舗装も最低限にとどめて「可能な限り緑の空間を維持する」とした[4]。
- 2012年(平成24年)
- 雄のアムールトラ「トモオ」が亡くなる。15歳11カ月で、人間でいえば70歳代だった。
- ワオキツネザルの赤ちゃんが前年に続き2匹、アカカンガルーの赤ちゃんが2匹、シバヤギが3匹それぞれ新たに誕生した。
- 前年度からの駐車場の拡張工事が終わり、土曜日・日曜日・祝日に限り、駐車場を有料化。軽・普通・中型自動車は1台1回200円、大型自動車(定員30名以上)は1,000円となっている。なお、平日の駐車料金は無料。
- 2013年(平成25年) - 雄のユキヒョウ「マイケル」[5]が亡くなる。12歳4カ月で、人間でいえば60 - 70歳程度だった。ユキヒョウの寿命は15年くらいで、同園のユキヒョウは雌のスピカ(7歳)だけとなった。
- 2015年(平成27年)
- 6月27日、ジャガー黒化個体のオスである「チャペ」が死亡。当時ジャガーの国内飼育個体最高齢である24歳であったため前年から衰えが目立ち、6月下旬から起立できなくなっていた[8]。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 2月25日 - 土曜・日曜・祝日に限り一部の営業を再開。植物ゾーン側入口(西門)が復旧されるまでの間は入場料を無料とした[10]。
- 2018年(平成30年)
- 10月、預けられていた猛獣たちが帰還。
- 12月22日 - 熊本地震からの復旧工事が完了し、全ての営業を再開。動物ゾーン側入口(正門)からの入園も可能になった。
- 2019年(令和元年)
- 雄のライオン「サン」が預けられていたアフリカンサファリから帰還した際に、共に譲渡されて来園したメスの「クリア」との間に3頭の子が5月9日に生まれる。7月21日に、オスの子が「レオ」、メスが「サニー」「ココ」と命名された[11]。
- 5月22日、ウンピョウの「イーナ」が死亡。14歳と高齢でもあり同年2月より肝炎の兆候があり治療中だった[12]。
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)
- 2023年(令和5年)
- 6月1日に、レッサーパンダの「かぼす」と「シンファ」の間に第一子となる子供が1頭誕生した。[20]同月23日に、子がメスであることと「杏香(あこ)」と命名したことを発表。[21]
- 6月に熊本大学大学院生命科学研究部老化・健康長寿学講座で研究用に飼育されていたハダカデバネズミ11頭とダマラランドデバネズミ4頭の家族がそれぞれ同講座の三浦恭子教授より譲渡され、同月6月30日より展示開始。[22]ダマラランドデバネズミは国内の動物園では初の一般公開となる。
- 8月20日に、ユキヒョウのメス「スピカ」が死亡したことが翌日21日に発表された。18歳の高齢でもあり、前年秋から血尿が出るなど腎機能の疾患の兆候があり治療中だったが8月中旬から体調の衰えが目立ち腎不全で死亡した[23]。これによりユキヒョウは同園からいなくなった。
動植物園へ移動時のエピソード
竹田 斎(ひとし)元熊本動物園園長の著書から[24]
- 1961年(昭和36年) - 1962年(昭和37年)のころは「広い敷地に移転して若返りを」の声が市役所や議会で大きくなりました。移転候補地としては熊本城と山なら西山地区に立田山、そして水辺の江津湖が有力になります。江津湖を選んだのは1965年(昭和40年)2月12日と13日に上野動物園の初代園長の古賀忠道さんを呼んで候補地を調査した時に、古賀さんに「ここがいい」と推薦してもらったから。1965年(昭和40年)の12月に用地買収がまとまった。最初はぶかぶかの湿田で閉口した。水路と道路で池を作り、島と島をつなぐ橋を架け、予定した外形ができあがって色々な施設を作っていった。動物の移動で一番大変だったのは猛獣です。
- 神経質なライオンやトラは腹をすかせたときにオリに入れた。インド象もたいへんだった。輸送時はライフル銃と麻酔銃を用意した。ニシキヘビは水道水をかけた。ワニは動物園長がしっぽを捕まえてオリに移した。カバは何日も食事で慣れさせてからオリに入れた。クマは麻酔がさめ、園長の中指と薬指を噛んだので、中指は縫合したが薬指は第一関節から先はアルコール漬けになった。
脚注
参考文献
- 「熊本動物園60周年記念 動物園ものがたり」熊本動物園 1989年
- 「動物大移動ものがたり」竹田 斎(ひとし)著 熊本日日新聞社 2008年
外部リンク