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富士宮市(ふじのみやし)は、静岡県東部の市。富士氏の発祥・根拠地としても知られる。
北方に世界文化遺産である富士山を有し、またその構成資産(富士山-信仰の対象と芸術の源泉)である富士山本宮浅間大社・山宮浅間神社・村山浅間神社・人穴富士講遺跡・白糸ノ滝といった文化的資産を擁す。
富士氏が大宮司を務める富士山本宮浅間大社の鳥居前町として栄えた。市域一帯は古くより富士上方と称され[1]、市域を中道往還・駿州往還・若彦路といった街道が通る交通の要衝であった。これらの背景から宿場町としての顔もあり、戦国時代には楽市が行われた。
富士山との関わりが深く[2]、登拝道である大宮・村山口登山道が位置したほか、現在富士登山道の1つである富士宮口を構える富士山の南の玄関口にあたる。鎌倉時代には富士野にて富士の巻狩りが行われ、曽我兄弟の仇討ちが発生した。これらは往来物といった史料、歌舞伎・能・浄瑠璃といった芸能の題材となり流布された。
「富士宮市」という都市名の由来は、「富士の宮」という浅間大社の旧社号から由来する[3]。古くは『今昔物語集』の「駿河国富士神主帰依地蔵語第十一」や『新勅撰和歌集』など、平安時代や鎌倉時代の古文集にもみられる古来から存在する名称である。
市域の約半分が富士箱根伊豆国立公園の区域内であり[7]、市北部には朝霧高原が広がり、その周辺には日本の滝百選の白糸の滝・音止の滝、ダイヤモンド富士のスポットとして知られる田貫湖といった自然観光地を持つ。また小田貫湿原は富士山西麓では唯一残された湿原であり[8]、環境省の「重要湿地」および「重要里地里山」に指定されている[9]。
富士登山道である富士宮口が位置し、2008年に天皇徳仁が皇太子時代に富士登山をした際はこの登山口から登った[10]。
富士山には大規模な侵食谷である大沢崩れがあり災害を引き起こす危険性があるため、国土交通省の直轄事業(富士砂防事務所)として砂防事業が行われている。これにより富士川下流域および田子の浦港の埋塞が防がれている[11]。例えば「案主富士氏記録」の『公社日記』には、「天保五午年四月八日、大風雨ニ而富士山大荒、洪水ニ而欠畑澤大水、百姓平吉宅流失、其上島之谷戸田地流失、大岩畑流失、源道寺同断」とあり、過去雪代の被害があった。
またこれら施設の存在から富士山南麓の防災拠点としても機能している。環富士山火山防災連絡会(富士山における防災の最高機関)設立の際は富士宮市が静岡県側の市町村を廻り取りまとめた[12]。
静岡県
山梨県
前述のように、富士宮市の市名の由来は浅間大社の「富士の宮」から由来している。浅間大社は市の中心的存在であり、旧大宮町時代においては1丁目1番地に位置していた。その名残で、現在も住所上は「富士宮市宮町1-1」である。『今昔物語集』には「今昔、駿河ノ国ノ富士ノ宮二、神主ナル者有ケリ…」とあり、『新勅撰和歌集』の北条泰時の歌の詞書には「駿河国に神拝し侍りけるに、ふじの宮にてよみて奉りける」とある。内務省への市制施行の上申書に添付された文書によると、以下のようにある[13]。
当地ニハ駿河国一ノ宮官幣大社浅間神社鎮座セラレ、其ノ奥ノ宮ハ富士山頂ニ鎮座マシマシテ、一名富士ノ宮トモ称セラレ、往昔ヨリ人口ニ膾炙セラレ、依テ新市ノ名称トシテ真ニ相応シク、之ニ付テハ両町村共何等異議ナキヲ以テ、新市ノ名称ハ富士宮市ト称ス
略号として「宮」と略すことも多い。例として以下のようなものが挙げられる。
富士山信仰の中心地である関係で、富士信仰が由来である主要な建築物や勢力が影響を与えてきた。富士宮市大宮に位置した富士山本宮浅間大社、富士宮市村山を本拠とする村山修験(富士修験)とそれらを構成する富士山興法寺・村山三坊などが該当する。特に浅間大社の社家である富士氏は、政治面でも大きな影響力を保持してきた。初代富士氏と伝わる富士豊麿は富士郡大領となり、富士郡の長と言える立場であった。中世に入るとこの地一帯は「富士上方」と称され、この富士上方の国人として富士氏は支配力を強めていた。
中世においては、他に現在の富士宮市上井出地域に位置した井出氏なども頭角を表していた。源頼朝の富士の巻狩の際に活躍したとされている。これら富士氏や井出氏は、後の武田信玄の駿河侵攻の際には対抗勢力となった。この時の富士氏の当主富士信忠は大宮城(別称:富士城)の城主であり、武力を用いて戦を重ねていた。また今川氏に属しており、例えば1566年(永禄9年)に今川氏真により大宮の神田市を楽市化する旨の朱印状は富士信忠宛に発給されている。また楽市化された理由として大宮が商都として栄えていた背景があり、六斎市が定期的に行われていた地でもある。これらの様子を『信長公記』巻十五は「大宮は要害然るべきにつきて」と記し、大宮は交通の要衝であり要害であった。
北部では、富士金山は今川氏管理の金山であったと考えられ、採掘が行われていた。しかし今川氏は滅亡する道を辿ることとなり、氏真から信忠の嫡子富士信通へ暇を許す旨の判物が送られると、その後富士氏は武田氏に帰順した。その後は社家富士氏としての姿に統一され、神職として世襲を継続した。この立場は江戸時代においても一貫して揺るがず、富士山周辺の利権関係なども富士氏は中核をなしている。江戸後期の富士氏当主富士重本は軍人を経た後東京府麹町に残ったため、富士氏による浅間大社の大宮司としては最後の人物にあたる。
文化施設等
スポーツ施設・公園
富士山の西麓に広がる朝霧高原を中心として第一次産業が行われている。富士山のわき水が豊富であることから、ワサビの栽培やニジマスの養殖も行われており、市町村単位では2012年現在、ニジマス生産量日本一である。
富士宮市の製造品出荷額等は年々増加傾向にあり、平成29年度は939,155百万円で1兆円に迫る状況にある[22]。 富士宮市は歴史的に見て富士地域(富士宮市・富士市)における製紙業隆盛の礎の地であり、駿河半紙生産の契機やその近代化にも係る地域であった。他旧芝川町域では明治30年(1897年)に四日市製紙芝川工場が完成、翌年稼働するなどしている[23]。その関係で古くより製紙業が盛んであったが、近年は輸送用機器・化学工業・医療用機器などを中心とした構成となっている。豊富な伏流水を利用した水に関係する産業が中心である。
市内では第三次産業の割合が最も大きい。
上場企業で本社を置くもの
本社以外
2006年の調査では、富士宮市が属する「富士宮商圏」の商圏人口は405,261人と県内7位であるが、市人口の3倍超の商圏を築いている。また物品全体における地元購買率が83.0%と県内1位(衣料品2位、食料品4位)であり、基本的に市内で消費される傾向にある。[24]。 その理由の1つとして「イオンモール富士宮」の存在があり、富士宮市民だけでなく、隣接する富士市や山梨県などの他商圏からの吸入率も増加傾向にある。
2001年に富士宮駅前に開業、及び2006年に大規模増築したイオンモール富士宮が、富士宮商圏の中心的な存在となっている。
富士宮駅周辺には大型小売店として従来より1972年(昭和47年)開業のユニー、1973年(昭和48年)開業の長崎屋、そして中規模小売店としてヤオハンやマキヤがあった[25]。しかし駅前の密集地で駐車場も含めた敷地の拡大がしづらいことと、同業者が複数乱立することによる過当競争などから、これら店舗の郊外移転例が見られた[注釈 3]。ヤオハンは郊外へ移転した上[注釈 4]、別店舗として1992年(平成4年)に「ヤオハン富士宮プラザ」を開業させた[26]。同施設の店舗面積は広大であり、当時富士地区(富士宮市・富士市)でも最大であった[25]。
しかしヤオハンは1997年に倒産、店舗は1996年にダイエー系列の中堅スーパーのセイフーとして再オープンしたものの(後にダイエー本体の店舗へと移管)、ダイエーの業績不振から僅か2年での撤退となった[注釈 5]。一方駅前に残ったユニーと長崎屋も老朽化と拡張の困難さに悩まされ、2001年にイオン富士宮SC(現イオンモール富士宮)が開業を決定したことで、これを契機としてどちらも同所からの撤退を決定した。なお、ユニーは1994年12月、国道139号線沿いにサンテラス富士宮店(現ピアゴ富士宮店)を開業しており、そちらへ統合した。また長崎屋は会社自体が倒産のため撤退となった。
営業所
定期観光バス
路線バス
コミュニティバス
高速バス
高速道路
一般国道
県道
林道
道路愛称
市の医療の中核をなすのが、富士宮市立病院である。富士宮市立病院は市街地に位置し、主要駅からのアクセスなども良好である。
1929年(昭和4年)8月に大宮町立図書館が開館。1934年(昭和9年)2月には優良図書館として文部省から表彰されている。1943年(昭和18年)6月には大宮町が市制施行して富士宮市が発足し、大宮町立図書館から富士宮市立図書館に改称。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月には富士宮青年学校に移転し、8月にはかつての建物が強制疎開により解体された。[31]
戦後の1946年(昭和21年)7月には連雀町(現・東町)の大頂寺に移転し、11月には富士宮市医師会城山診療所を借用して開館した。1967年(昭和42年)6月には宮町の専売公社跡に移転し、1969年(昭和44年)9月には宮町に新館を新築して移転した。1989年(平成元年)3月29日には宮町に現行館が開館。1991年(平成3年)には日本図書館協会建築賞を受賞している。[31]1993年(平成5年)3月28日には上井出に西富士図書館が開館。2010年(平成22年)3月には富士宮市と芝川町が合併し、くれいどる芝楽に芝川図書館が開館。2011年(平成23年)3月23日には芝川図書館が長貫の芝川会館に移転した。[31]
現在の富士宮市立図書館は、中央図書館、西富士図書館、芝川図書館の3館、自動車図書館「ひばり号」、富士宮駅前交流センター、大富士交流センター、8ある公民館図書室の配本所からなる。[31]
平成20年度の観光客入り込み客数は640万人以上であり、最近10年間は600~700万人で推移する[32]観光都市である。観光資源として、市北部に富士山の恩恵を受けた自然資源があり、市中心部は富士山本宮浅間大社や湧玉池といった歴史的建造物がある。
環境省が公表した富士山がある風景100選において富士宮市内では17箇所が指定されており[33]、これは静岡県側では最多である。
南東方向に東名高速道路・新東名高速道路があり北方向に中央自動車道といった高速道路が通るため、以下のルートが考えられる。特に市北部は中央自動車道からのアクセスもよい。
登山道の1つである富士宮口がある。五合目までの交通手段としては、車で静岡県道152号富士公園太郎坊線(富士山スカイライン)まで、または富士宮駅からの登山バス利用が考えられる。
富士山本宮浅間大社や富士五山などの寺院や史跡等が点在している。
南に公共交通機関が分布し中心市街地を構成、市域の縦に国道139号が、横に国道469号と十字に国道が通る構成である。北部は観光地化が進む。
富士山本宮浅間大社が位置する宮町は最も門前町としての様相を残す場所である。14丁まで存在し、市内の主要施設の多くはここに集結している。前述のように浅間大社(1丁目)は旧大宮町時代の1丁目1番地を引き継いでおり、富士宮市立中央図書館(13丁目)・富士宮市民文化会館(14丁目)などが位置する。他静岡県富士山世界遺産センターが位置している。
著名な催事として以下のものが知られる。
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産として、以下の6箇所が2013年(平成25年)6月22日に世界文化遺産に登録された。
2006年:八戸市 / 2007年:富士宮市 / 2008年:久留米市 / 2009年:横手市 / 2010年:厚木市 / 2011年:姫路市 / 2012年:北九州市 / 2013年:豊川市 / 2014年:郡山市 / 2015年:十和田市 / 2016年:江東区 / 2019年:明石市
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