文部大臣(もんぶだいじん、英: Minister of Education, Science, Sports and Culture)は、かつて日本の文部省の長および主任の大臣であった国務大臣である。日本語略称は文相(ぶんしょう)。
前身は文部卿(もんぶきょう)、後身は文部科学大臣。
一覧表の凡例は、脚注[1][2][3] を参照のこと。
歴代文部卿
歴代文部大臣
大日本帝国憲法下
日本国憲法下
太文字は内閣総理大臣経験者
脚注
- ^ 辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
- ^ 臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
- ^ 代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。日本国憲法施行前は任命によって1代と数え、施行後は組閣ごとに1代と数える。ただし、内閣改造を経て留任する場合は1代と数えない。なお、文部科学省のサイト とは数え方が異なる。
- ^ 田中の文部大輔在任期間は、1874年9月27日 - 1880年3月15日。
- ^ 『官報』第1688号、明治22年2月18日。
関連項目
外部リンク