荒川 静香(あらかわ しずか、1981年12月29日[1] - )は、神奈川県鎌倉市出身の、1990年代から2000年代にかけて活躍した日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)である。マネジメントはユニバーサルスポーツマーケティング「USM」在籍(2007年 - )
主な戦績は、2006年トリノオリンピック金メダル、2004年世界選手権優勝、1998年長野オリンピック13位、1997年・1998年全日本選手権2連覇、2003年ユニバーシアード冬季大会・冬季アジア競技大会・2004年NHK杯各優勝、2004年GPファイナル2位など。
神奈川県鎌倉市出身だが、利府町に約10年間住んでいた縁から、利府町の観光大使に就任[3]。
アジア選手として初めて冬季オリンピックフィギュアスケート競技で金メダルを獲得し、「東洋の女神」と称えられた[4]。
人物
1981年(昭和56年)12月29日、東京都品川区にある関東逓信病院で生まれ、サラリーマンの父と幼稚園教諭の母のもと、神奈川県鎌倉市で育てられた[5]。名前の「静香」は、鎌倉に縁の深い静御前に因む[6]。1983年(昭和58年)春、父親の転勤に伴って、1歳4ヶ月で宮城県仙台市に転居、1993年(平成5年)「宮城郡 利府町」に転居し、約10年間 宮城郡 利府町に在住。利府町立しらかし台小学校、その後 利府町立しらかし台中学校 へ[7][2]。1997年(平成9年)、県下ではアイスホッケーやフィギュアスケートが盛んなことで知られる東北高等学校に入学[2]。2000年(平成12年)早稲田大学教育学部に入学し、卒業後の2004年(平成14年)春よりプリンスホテル(東京都)に所属[2]。2013年(平成25年)12月29日、自らの誕生日に一般男性との結婚を発表した[8][9][10]。2014年11月6日に第1子(長女)を出産した[11][12]。2018年5月23日、第2子(長男)出産を報告[13]。
公式サイト上には「出身地:神奈川県鎌倉市(出生地:東京都品川区)」と記載されている[5] が、マスメディアではしばしば「宮城県出身」と紹介される[14]。乳児期から高校卒業までを宮城県で過ごし、小学生時から「宮城郡利府町」に住み、約10年間を過ごした。トリノオリンピック の2006年2月当時も実家は利府町にあった。
荒川家は一般的なサラリーマン家庭で、生活費用を圧迫するフィギュアスケート活動継続のために、母親が衣装を手作りするなどの多くの支えがあったという[15]。
海外メディアからは、ポーカーフェイスであることもあり「クールビューティー」と称されていた[16]。日本での愛称はしーちゃん[17][18]。尊敬するスケーターはクリスティー・ヤマグチと佐藤有香[19]。佐藤有香は1998-1999年シーズンの振付も担当している[20]。安藤美姫や恩田美栄、鈴木明子には特に慕われており、プライベートでも非常に仲が良い。2度にわたってオリンピック代表の座を争った村主章枝との間には確執が取り沙汰されていたが、トリノオリンピック中に一緒に食事をするなどし、和解が報じられた(村主章枝#人物参照)。
趣味はグルメで、フィギュアスケート界きっての大食漢であることが知られている[21]。アイスクリームは好物であるものの、特にチョコミントアイスクリームだけは苦手としている。意外な趣味としてはバイク。2011年11月に大型二輪免許を取得している。愛車はヤマハ・ボルト[22]。2023年時点では愛車は電動ママチャリだが「機会があれば乗り回したい」と述べている[23]。シーズー1匹と3匹のカニンヘンダックスフントを飼っている愛犬家[※ 1]。
経歴
長野オリンピック出場
幼少時は水泳、体操、英会話、書道、そろばん、ピアノなど様々な習い事をしていた。なかでも3歳から始めた水泳では6歳までに全泳法を覚えたという。5歳のとき遊びに行った勝山スケーティングクラブでスケートに興味を持ち「ちびっこスケート教室」に入会した[24]。小学1年生のとき、オレンジワン泉(現・アイスリンク仙台)[※ 2] のスケートクラブ「泉DLLアカデミー」に入会し、長久保裕の指導の元本格的にフィギュアスケートを始めた[25]。小学3年生のときに5種類の3回転ジャンプをマスターし「天才少女」と呼ばれた。小学5年生で第1回野辺山合宿に参加[26][27]。小学6年生で全日本ジュニア選手権に初出場し、7位となった。また、1994年に初めての国際大会であるトリグラフトロフィーに出場し、優勝を果たした。
1994年、中学1年生で2度目の全日本ジュニア選手権に出場し優勝、以降この大会で史上初の3連覇を果たした。同様に全国中学校スケート・アイスホッケー大会でも3連覇を達成した。1995年、中学2年生で出場した国際大会のネーベルホルン杯では3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させてシニアの部で優勝。1997年、中学3年生でシニアの第65回全日本選手権に特例出場し、村主章枝に次いで2位に入った。同年の世界選手権の日本女子シングル代表枠は2枠だったが、荒川にはまだシニアでの実績がなかったためと、同回全日本選手権にケガで欠場した横谷花絵が特例で選出されたため、荒川の世界選手権入りはならなかった。
シニアへ完全移行1年目の1997-1998シーズン、第66回全日本選手権でライバルの村主らと競り合う中で高校1年生で初優勝を果たし、1枠しかなかった1998年長野オリンピックと1998年世界選手権の代表の座を勝ち取る。自身初のオリンピック出場となる長野五輪女子シングルでは、SPでは3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させたが、フリップがダブルとなり14位。フリーではルッツが2回共2回転と失敗、最後の3回転トウループを転倒するなど本調子では無かったが14位、総合で13位に入った。しかし一方、同じく初の代表だった1998年世界選手権では、ジャンプミスが続いて総合22位に終わった。
1998-1999シーズン、第67回全日本選手権では再び村主に競り勝ち2連覇を果たす。1999年アジア冬季競技大会では2位となったが、この年から始まった1999年四大陸選手権で6位に終わり、1999年世界選手権の代表入りを逃した。1999-2000シーズンは不調で低迷、昨年に続き世界選手権に選出されなかった。
世界選手権優勝
自己推薦入試で早稲田大学に進学、初めて親元を離れて東京での生活を始める。2000-2001シーズンは新横浜のプリンスクラブに在籍、染矢慎二に師事し初めてマンツーマンでのレッスンを経験する[28]。このシーズンから、プログラムの音楽を表現する気持ちが芽生えたという[28]。第69回全日本選手権は2位だったものの、国際大会ではふるわなかった。
2001-2002シーズンからは佐藤久美子に師事。2002年ソルトレークシティオリンピックの女子シングル日本代表枠は2枠あったが、1枠はグランプリファイナルに進出した恩田美栄が早々と五輪内定に。残り1枠が賭かった全日本選手権では、またしても村主との激闘を繰り広げたが、ジャンプ失敗が響いて総合2位に敗れ、2大会連続の五輪代表選出はかなわなかった。ただし四大陸選手権では、五輪代表の恩田(3位)を上回り総合2位と健闘した。
2002-2003シーズン、練習拠点を神宮外苑スケート場に移し佐野稔に師事、振付はニコライ・モロゾフに依頼した[29]。2002年末の第71回全日本選手権で3位になった後、年明けはユニバーシアード冬季競技大会、冬季アジア大会で立て続けに優勝。さらに四大陸選手権では2年連続の2位、初進出のグランプリファイナルでは4位となった。世界選手権直前に、リチャード・キャラハンの指導を受けることになった[30]。5年ぶりに出場した世界選手権では、SPでスピンに入る前に氷の溝にはまる不運で転倒、さらに肩を脱臼するアクシデントに見舞われたが、スピンをしながら肩をはめ直し最後まで滑りきった。フリーでは3回転ルッツ-3回転トウループ-2回転ループと高難度のコンビネーションを決め、初の入賞となる総合8位となった[31]。
2003-2004シーズンは本格的にアメリカに練習場所を移し、キャラハンコーチの下で練習を続けた[30]。GPファイナルを含むGPシリーズ4戦全てで表彰台に上がり、全日本選手権3位ながら世界選手権の代表に選ばれた。世界選手権の3週間前、急遽コーチをタチアナ・タラソワに変更[30][※ 3]。世界選手権はフリーで3回転ルッツ-3回転トウループ-2回転ループ、3回転サルコウ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを含む全ての要素を完璧に決め、技術点では6.0満点も獲得して総合優勝を果たし、日本人選手として10年ぶり3人目の金メダリストに輝いた。実はこの当時、予選直前に左足坐骨を骨折する大ケガを負ったが、軽い肉離れだと思って競技を続けていたという[32]。当時はシーズンいっぱいでの競技引退、プロスケーター転向を決意していたが[33]、大学卒業後もプリンスホテルに所属して競技を続けることになった。卒業論文は「スポーツとマスコミの考察」。元々マスコミが苦手であったが、研究することで取材する側の気持ちが理解できるようになったという[34]。
トリノオリンピックで日本代表唯一の金メダル獲得
2004-2005シーズン、NHK杯で初優勝。GPファイナルでは自身最高の2位に入る。しかし全日本選手権はSP1位だったが、足の怪我でフリーを棄権。それでも昨年優勝の実績により、世界選手権に3年連続で選出された。世界選手権のSPは5位につけたが、フリー演技では必須のアクセルジャンプを跳び忘れるなどで得点が伸びず、総合9位に沈んだ。
2005-2006シーズンは中国杯とエリック・ボンパール杯でそれぞれ3位につけたものの、グランプリファイナル進出を逃してしまった。この時は「日本選手3人がグランプリファイナルで表彰台に上がりオリンピック出場枠が埋まったら?」と記者に質問された際、「引退する」と発言していたが[35]、全日本選手権で3位に入ったことで、8年ぶり2回目の五輪出場となるトリノオリンピック代表選出が決まった。
2005年12月、タラソワとの師弟関係を解消する。理由は、タラソワの新採点方式への対応が遅れていたので氷上で直接指導するニコライ・モロゾフについてステップのレベルを上げようとしたところ、タラソワとモロゾフが共同作業を拒んだため[36]。その後、正式にモロゾフの指導を受けることにし、国内では佐藤久美子に師事することとなった。加えて、SPとフリーのプログラムを同時に変更した。フリーで使用していた「幻想即興曲」をSPに回し、フリーは2004年世界選手権優勝時にも使用した「トゥーランドット」にした。
トリノ五輪女子シングル(SP:2月21日、FS:2月23日)では、SPでほぼノーミスの内容で3位につけ、荒川・サーシャ・コーエン・イリーナ・スルツカヤの上位3人全員が66点台に乗せ、1点差以内に並ぶ大接戦となった。フリーではループジャンプがダブルとなった以外は完璧の演技を披露、自己最高得点をたたきだして1位となり、会場の観衆からはスタンディングオベーションの賞賛を受けた。合計スコア191.34で総合優勝を果たし、アジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダル(併せて同五輪日本代表選手として唯一のメダル)を獲得。五輪女子フィギュア史上最年長(24歳)の金メダル獲得でもあった。ショートプログラム (SP) とフリースケーティング(フリー)で合計7つあるスピンと2つあるスパイラルの全てでレベル4を獲得し、2つのステップはともに事実上最高難度であるレベル3を獲得した。このようにレベルの取りこぼしが1つもなかったのは出場選手中荒川ただ1人であり、また、ISUジャッジングシステム導入後のISU公式試合を通じても初めてのことであった。演技構成点で8点台をマークしたのも荒川ただ一人だった。
トリノ五輪後の世界選手権(3月19日 - 26日)にも選ばれていたが、調整不足のため出場を辞退した(代替選手は恩田美栄)。同選手権終了の次の日にあたる3月27日(月)、仙台市都心部の東二番丁通りにて凱旋パレードが実施され、沿道には約7万3000人の観衆が集まった。同年5月7日、記者会見でアマチュア競技引退とプロ転向を表明。会見の席で「今後は自身の演技力の向上やスケート界を広くサポートしていきたい」と語った。
プロ転向後
2006年5月8日、自身で企画・プロデュースしたアイスショー「フレンズ・オン・アイス」を開催。同年6月からは「チャンピオンズ・オン・アイス 2006」に、11月にはプロフィギュアスケートの祭典「アイス・ウォーズ」に参加するなど、トリノオリンピックから1年の間に国内外の様々なアイスショーに出演した。
2007年4月3日、小学校から高校を卒業するまで練習拠点としていた「アイスリンク仙台」でスケート教室を開いた。7月28日には、長野県南牧村で開かれた日本スケート連盟主催のアイスショー「野辺山サマーフェスティバル・オン・アイス」にサプライズゲストとして出演。2010年3月19日と21日に米ABCで放映されたスペシャル番組『Thin Ice』(有名スケーターが男女でペアを組み、対戦するという内容[37])ではステファン・ランビエールとペアを組んで[38] 総合3位となったが、視聴者投票では1位、と好評を得た[39]。
2011年に石川翔子のフリープログラム「ミス・サイゴン」の振り付けを行った。これは荒川による初めての競技プログラムの振り付けである[40]。2012年9月23日、日本スケート連盟評議員会で史上最年少の30歳で日本スケート連盟理事に選任された[41]。2012年10月5日に行われたプロアマ混合の国際大会、第1回メダルウィナーズ・オープンで優勝し初代女王となった[42]。2014年10月8日、日本スケート連盟役員改選にて史上最年少の32歳で日本スケート連盟副会長に選任された[43][44]。2014年4月16日、自身の公式HPで妊娠3か月を公表し、当分の間アイスショーへの出演辞退を表明する[45]。同年11月長女を出産、約1か月後の同年12月、グランプリファイナルで解説者として仕事復帰を果たす。2016年4月にワシントン州スポケーンで初開催されたコーセー・チームチャレンジカップでアジアチームのチームキャプテンを務めた[46]。2018年4月17日、日本人として3人目の世界フィギュアスケート殿堂入りが発表された[47]。2018年5月に第2子(長男)を出産[48]。2022年9月で日本スケート連盟副会長を任期満了で退任[49]。
現在はアイスショー出演、バラエティ番組の出演、スケート解説、オリンピックキャスターを務めるなどの活動している。
その他
- 野辺山合宿は全国の隠れた才能を掘り起こすのが目的だったが、実は「宮城の天才少女、荒川静香」を抜擢するのも狙いの一つだった。ところが1992年7月に初めて開かれた合宿に、荒川は宮城県連の推薦が得られず応募できなかった。慌てたスケート連盟は同年9月に改めて合宿を開き、荒川を追加招集した。以降、都道府県連の推薦が無くても直接応募できるように手続きが変えられた[50]。
- トリノオリンピック一ヶ月前に、セントルイスから拠点のコネチカットに帰る途中、死を覚悟した体験があったという。空港上空で後輪が出ないため胴体着陸をするアナウンスが流れた時、「もし生き延びたら、トリノでは感謝の気持ちで演技しようと思った」と回顧している[51]。
- トリノオリンピック女子シングル金メダルに輝いたことを記念して、出身校の仙台市立台原小学校にヤエベニシダレが植樹された。名称は「チェリーバウアー (Cherry Bauer)」。
- トリノオリンピックの練習時に、アメリカの音響機器メーカー・ボーズが発売したノイズキャンセリングヘッドホン「QuietComfort」を装着している映像が幾度も流れ、ボーズ株式会社に問い合わせが殺到。認知度アップおよび売り上げアップに貢献した[52]。
- 2011年11月に「完全に思いつき」でオートバイの大型運転免許を取得した。愛車はヤマハ・XVS1300CAストライカー[53]。ただし免許取得後は全くオートバイに乗っていないとのことで、そのため2012年末には『大人のバイク時間 MOTORISE』(BS11)の企画で改めて講習を受けることになった[54]。2013年、ヤマハ発動機販売よりヤマハのバイクPR大使「JAPAN CRUISING アンバサダー」に任命され[55]、講習会やミーティングイベントに参加している[56]。2014年にはヤマハ発動機本社を訪問、ヤマハ・ボルトを贈呈された[57]。
技術・演技
スケーティングには重厚感と伸びがある[58]。
競技では用いなかったものの、トリノオリンピックの公式練習では3回転ルッツ-3回転ループの2連続3回転や、3回転サルコウ-3回転トウループ-3回転ループ、3回転トウループ-3回転トウループ-3回転ループの3連続3回転を披露しているほか、練習では3回転アクセルや4回転トウループを跳んだこともあった[59][60]。ジャンプの種類ではルッツを得意とする一方、フリップでは踏み切る瞬間にアウトサイドエッジに乗ってしまう「リップ」になりがちだった[61]。
大きく上体を反らせた「レイバック・イナバウアー」は特徴的。トリノオリンピック後はものまねが流行し、2006年の新語・流行語大賞を受賞するまでになった[62]。競技では決して加点されることのないイナバウアーを彼女が敢えて取り入れたのは、長野オリンピックで実際に見たスルヤ・ボナリーのバックフリップを見て大感動したからだった。禁止ワザで大減点されたにもかかわらず観衆の大喝采を浴びたそのパフォーマンスを見て、ルールに縛られて自分らしさを失うより、人々の記憶に残るスケーターになりたいと強く思ったからだと語っている[63]。
身体がとても柔軟で、ビールマンスピンの練習を始めたころは「体が柔らかすぎてグニャグニャなので、どこで止めるのかが難しい」と言っていた[64]。
記録
新採点システム:
- ショートプログラム世界最高得点 59.02点(2003 スケートアメリカ)[65]
- フリースケーティング世界最高得点 113.37点(2003 スケートアメリカ)[66]
- 合計スコア世界最高得点 172.39点(2003 スケートアメリカ)[67]
- 新採点システムによる女子シングル初3回転ルッツ-3回転トウループ(2003 スケートカナダ フリースケーティング)[68]
- 新採点システムによる女子シングル初3回転サルコウ-3回転トウループ(2004 NHK杯 フリースケーティング)[69]
旧採点システム:
その他:
主な戦績
詳細
プログラム
メディア出演など
テレビ
ラジオ
CM
映画
受賞
栄典
日本オリンピック委員会
その他
出版物
書籍
DVD
- 荒川静香 Moment〜Beautiful skating〜(ポニーキャニオン、2006年)
- トリノ2006オリンピック冬季競技大会 フィギュアスケート(ジェネオンエンタテインメント、2006年)
- スケート靴の約束 〜名古屋女子フィギュア物語〜(ポニーキャニオン、2014年)
- 花は咲く on ICE 〜荒川静香 羽生結弦〜(NHKエンタープライズ、2015年12月18日)[86]
CD
その他
- 荒川静香 2007年 カレンダー(トライエックス、2006年) ISBN 9784777432615
- 荒川静香-2006-メモリアル切手(エバーユアーズ、2006年)
- 荒川静香監修 フィギュアスケート・ミュージック・コレクション(ビクターエンタテインメント、2009年)
注釈
- ^ 一番古くから飼っているシーズーの名前は「チョコ」。ダックスフントのうちの1匹はオリンピック金メダル獲得の記念として飼い始め、2005-2006シーズンのエキシビションで使用した曲『ケルティック・ウーマン』の「ユー・レイズ・ミー・アップ」のイタリア語訳「Tirami su」にちなんで「ティラミス」と名づけられた。3匹目に飼い始めたダックスフント「アロマ」は「静香」の「香」にちなんだもの。4匹目はアロマが産んだ「ローザ」
- ^ 2002年から「コナミスポーツクラブ泉」と改称、経営難のため2004年12月閉鎖。その後、荒川のトリノオリンピック金メダル獲得をきっかけにリンク再開の機運が高まり、宮城県や仙台市の支援もあって、2007年3月「アイスリンク仙台」として再開。
- ^ 日本スケート連盟の城田憲子が、2003年暮れに日本を訪れていたアレクセイ・ヤグディンからサーシャ・コーエンとタラソワの離縁を聞きつけ、タラソワの確保に走った。
- ^ 2002/2003 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
- ^ 39年間(当時)続く同番組史上初の実在人物の出演でもあった。
出典
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- ^ 荒川静香Information
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- ^ 「スタンダードナンバー大比較 アランフェス協奏曲」『フィギュアスケートDays vol.9』ダイエックス出版、2009年4月、pp.54-57
- ^ 振付師については『氷上のアーティストたち』p.8
- ^ “鈴鹿央士&Cocomiが音楽番組初MC 時代を超えた名曲に興味津々 博多大吉と“三重奏”進行”. ORICON NEWS (2023年9月30日). 2023年10月9日閲覧。
- ^ “荒川静香さん、ミスド新CMで“ポン・デ・バウアー”披露”. スポーツ報知 (2016年2月9日). 2016年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月10日閲覧。
- ^ “CHARACTER”. ゴーちゃん。〜モコと氷の上の約束〜<劇場版アニメ>. 2018年4月25日閲覧。
- ^ “平成18年春の褒章受章者 宮城県” (PDF). 内閣府. p. 1 (2006年4月29日). 2006年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
- ^ 町民栄誉賞が贈られました (PDF) (「広報 利府」平成18年5月号 No.372)
- ^ 荒川静香選手 杜の都を笑顔でパレード Archived 2010年2月27日, at the Wayback Machine.(「仙台市政だより」 2006年5月号)
- ^ “歯が命アワード 荒川静香さん受賞”. 日本歯科新聞 (東京都千代田区: 日本歯科新聞社): p. 1. (2015年8月4日)
- ^ 花は咲く on ICE ~荒川静香 羽生結弦~
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
荒川静香に関連するカテゴリがあります。
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1934年 – 1999年 | |
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2000年 – | |
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※ 開催年は年度 1934-65年度は翌年1-4月、1966-81年度は同年11-12月、1982-96年度は翌年1月、1997年度以降は同年12月に開催された。
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第8回(1991年) | |
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第9回(1992年) | |
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第10回(1993年) | |
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第11回(1994年) | |
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第12回(1995年) | |
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第13回(1996年) | |
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第14回(1997年) | |
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第15回(1998年) | |
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第16回(1999年) | |
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第17回(2000年) | |
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第18回(2001年) |
「小泉語録」(米百俵・聖域なき構造改革・恐れず怯まず捉われず・骨太の方針・ワイドショー内閣・改革の「痛み」) 小泉純一郎(内閣総理大臣)
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第19回(2002年) | |
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第20回(2003年) | |
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第21回(2004年) | |
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第22回(2005年) | |
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第23回(2006年) | |
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第24回(2007年) | |
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第25回(2008年) | |
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第26回(2009年) | |
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第27回(2010年) | |
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※受賞者の役職は当時のもの。 |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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芸能 | |
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政治 | |
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学術 | |
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社会経済 | |
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文化 | |
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特別 | |
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記載のない年は選出なし 「社会経済部門」は、2019年まで「経済部門」 |
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2024 |
大賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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日経WOMAN創刊35周年特別賞 | |
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2023 |
大賞 | |
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受賞 |
遠藤舞憂子(花王株式会社化粧品事業部門マステージビジネスグループKATE)
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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2022 |
大賞 | |
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世界に希望を紡ぐ科学者賞 | |
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理系の新・ロールモデル賞 | |
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思いやり経営賞 | |
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子育てダイバーシティ賞 |
北川聡子(社会福祉法人 麦の子会 理事長・総合施設長)
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心の揺らぎサポート賞 |
櫻本真理(cotree/コーチェット 代表取締役)
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途上国の自立支援に貢献賞 | |
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循環型社会へのイノベーター賞 |
坂野晶(一般社団法人ゼロ・ウェイスト・ジャパン 代表理事)
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2021 |
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2020 |
大賞 | |
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準大賞 | |
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受賞 |
石川賀代(社会医療法人 石川記念会理事長、石川ヘルスケアグループ 総院長)
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 |
平田麻莉(一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会 代表理事)
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受賞 | |
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特別賞 | |
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2019 |
大賞 | |
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再出発サポート賞 | |
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新・事業承継モデル賞 | |
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世界の子供を守る賞 | |
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ブレイクドラマ制作賞 | |
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イノベーティブ起業家賞 | |
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日本を伝えるメディア賞 | |
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子育て支援サポート賞 |
高塚清佳(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター) 黄春梅(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)
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特別賞 | |
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2018 |
大賞 | |
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人生100年時代のロールモデル賞 | |
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働き方改革サポート賞 | |
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超高齢化社会の希望賞 | |
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共感型プロモーション賞 |
和気洋子(ヤフー コーポレートコミュニケーション本部 ブランドマネジメント室リーダー)
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「アストロウーマン」の道開拓賞 | |
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特別賞 | |
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2017 |
大賞 |
弭間友子(東宝 映像本部 映像事業部 アニメ事業グループ 宣伝プロデューサー)
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デザインものづくり賞 | |
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「ドボジョ」キャリア開拓賞 | |
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食ビジネス革新賞 | |
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イノベーティブものづくり賞 | |
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子育て家庭応援ビジネス賞 | |
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チーム2017賞 | |
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2016 |
大賞 | |
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メガヒットメーカー賞 | |
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次世代ものづくり賞 | |
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ベストマーケッター賞 | |
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未来をつくるサイエンティスト賞 |
髙橋政代(理化学研究所 多細胞システム形成研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー・眼科医)
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情熱経営者賞 | |
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チェンジメーカー賞 | |
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2015 |
大賞 | |
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準大賞〈リーダー部門〉 | |
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準大賞〈キャリアクリエイト部門〉 | |
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入賞〈リーダー部門〉 | |
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入賞〈キャリアクリエイト部門〉 | |
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入賞〈ヒットメーカー部門〉 | |
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2014 |
大賞<キャリアクリエイト部門> | |
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準大賞<リーダー部門> | |
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準大賞<ヒットメーカー部門> | |
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入賞<リーダー部門> | |
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入賞<ヒットメーカー部門> | |
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入賞<キャリアクリエイト部門> | |
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2013 |
大賞<リーダー部門> | |
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準大賞<ヒットメーカー部門> | |
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準大賞<リーダー部門> | |
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リーダー部門入賞 | |
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入賞<ヒットメーカー部門> | |
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入賞<キャリアクリエイト部門> | |
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2012 |
大賞 | |
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準大賞 |
森本千絵(goen゜主宰 コミュニケーションディレクター アートディレクター)
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準大賞 | |
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リーダー部門入賞 |
野坂千秋(味の素 執行役員 食品事業本部 食品研究所 商品開発センター長)
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リーダー部門入賞 | |
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ヒットメーカー部門入賞 | |
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ヒットメーカー部門入賞 | |
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キャリアクリエイト部門入賞 | |
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ヒットメーカー部門入賞 | |
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特別賞 | |
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2011 |
大賞 1位 |
福島理恵子(東芝 研究開発センターマルチメディアラボラトリー 主任研究員兼エコテクノロジー推進室参事)
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2位 | |
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3位 | |
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4位 |
日置真世(北海道大学大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター助手/NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事兼事務局顧問)
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5位 | |
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6位 | |
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7位 | |
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8位 | |
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9位 |
熨斗麻起子(中国・深圳 可宝得環保技術有限公司 総経理)
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10位 |
小林麻美(日本コカ・コーラ マーケティング本部 ウォーターカテゴリーウォーターグループマネジャー)
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ヒットメーカー部門 | |
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キャリアクリエイト部門 |
白木夏子(株式会社HASUNA 株式会社HASUNA 代表取締役) 高橋啓子(米国サンフランシスコのフランス料理店「EL PASEO」エグゼクティブ・シェフ)
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2010 |
大賞 1位<リーダー部門> |
西郷真理子(都市計画プランナー/株式会社まちづくりカンパニー・シープネットワーク代表取締役)
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2位<リーダー部門> | |
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3位<キャリアクリエイト部門> | |
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4位<リーダー部門> | |
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5位<ヒットメーカー部門> | |
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6位<キャリアクリエイト部門> | |
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7位<リーダー部門> | |
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8位<ヒットメーカー部門> |
呉裕利子(花王 ファブリック&ホームケア事業ユニット ファブリックケア事業グループ シニア開発マネージャー)
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9位<リーダー部門> | |
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10位<ヒットメーカー部門> |
吉本光里(松竹 映画宣伝部 宣伝企画室 宣伝プロデューサー)
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今年の顔 |
福島みずほ(内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画) 湊かなえ(作家)
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2009 |
大賞 1位<ヒットメーカー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<ヒットメーカー部門> | |
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4位<キャリアクリエイト部門> | |
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5位<キャリアクリエイト部門> | |
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6位<ヒットメーカー部門> | |
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7位<リーダー部門> | |
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8位<リーダ-部門> | |
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9位<リーダー部門> | |
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10位<ヒットメーカー部門> | |
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特別賞 | |
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話題賞 | |
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2008 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<キャリアクリエイト部門> | |
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5位<ヒットメーカー部門> |
海老澤香織(花王 ビューティケア事業ユニット プレミアム・ヘアケアグループ インバスグループ)
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6位<ヒットメーカー部門> | |
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7位<リーダー部門> |
松村文代(東芝 産業システム社 事業開発推進統括部 課長代理)
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8位<リーダ-部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> | |
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10位<キャリアクリエイト部門> | |
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特別賞 | |
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2007 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<キャリアクリエイト部門> | |
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5位<ヒットメーカー部門> | |
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6位<リーダー部門> | |
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7位<キャリアクリエイト部門> | |
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8位<リーダ-部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> |
鈴木里佳(三洋電機 パワーグループ モバイルエナジーカンパニー マーケティング部 マーケティング課 主任)
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10位<ヒットメーカー部門> | |
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特別賞 | |
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2006 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<キャリアクリエイト部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<ヒットメーカー部門> | |
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5位<リーダー部門> | |
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6位<リーダー部門> | |
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7位<リーダー部門> | |
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8位<リーダ-部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> | |
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10位<ヒットメーカー部門> |
高橋美由紀(日産自動車 マーケティング本部マーケティングダイレクターオフィス マーケティング・ダイレクター)
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特別賞 | |
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話題賞 | |
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2005 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<ヒットメーカー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<リーダー部門> | |
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5位<リーダー部門> |
内出幸美(気仙デーサービスセンターグループホーム「ひまわり」総所長)
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6位<リーダー部門> |
関幸子(まちづくり三鷹 事業部企画事業 グループマネジャー)
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7位<リーダー部門> | |
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8位<ヒットメーカー部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> |
齋藤未来(ナムコ チームナンジャ「自由が丘スイーツフォレスト」ストアディレクター)
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10位<キャリアクリエイト部門> | |
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2004 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<ヒットメーカー部門> | |
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5位<リーダー部門> | |
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6位<リーダー部門> |
名取美和(タイ・チェンマイHIV感染孤児施設「バーンロムサイ」代表)
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7位<キャリアクリエイト部門> | |
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8位<ヒットメーカー部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> | |
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10位<今年の顔> | |
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2003 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<リーダー部門 | |
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3位<キャリアクリエイト部門> |
堀木エリ子(堀木エリ子&アソシエイツ代表 和紙プロデューサー)
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4位<ヒットメーカー部門> | |
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5位<ヒットメーカー/リーダー部門> | |
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6位<リーダー部門> | |
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7位<今年の顔> | |
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8位<リーダー部門> | |
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9位<リーダー部門> | |
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10位<今年の顔> | |
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特別賞<今年の顔> | |
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2002 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<ネット部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<ヒットメーカー部門> | |
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5位<リーダー/ネット部門> | |
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6位<ヒットメーカー部門> | |
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7位<ネット部門> | |
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8位<カルチャー部門> | |
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9位<キャリアクリエイト部門> | |
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10位<カルチャー部門> | |
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2001 |
大賞 1位<ヒットメーカー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<脱・事務部門> | |
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5位<カルチャー部門> | |
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6位<ネット部門/リーダー部門> | |
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7位<リーダー部門> | |
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8位<ヒットメーカー部門> | |
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9位<ネット部門> | |
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10位<カルチャー部門> | |
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2000 |
大賞 1位<ヒットメーカー部門> | |
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2位<キャリア・起業家部門> | |
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3位<ヒットメーカー部門> | |
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4位<カルチャー部門> | |
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5位<キャリア・起業家部門> | |
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6位<ヒットメーカー部門> | |
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7位<脱・事務部門> | |
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8位<カルチャー部門> | |
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9位<キャリア・起業家部門> | |
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10位<ヒットメーカー部門> | |
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