湯木 博恵(ゆき ひろえ、本名:新沼 博江(にいぬま ひろえ、旧姓:湯木)、1948年11月15日[1] - 2011年9月7日 )は、日本のバドミントン選手。世界一に4度君臨したバドミントン女王[2][3]。日本人で唯一のバドミントン殿堂入り選手。夫は演歌歌手の新沼謙治。
広島県安芸郡海田町で生まれ、1歳で岡山県岡山市に移った[1][4]。山陽女子高等学校3年の時、高校総体で初優勝。
日本女子体育大学2年だった1969年、全英オープン選手権女子シングルスで初優勝を果たすと2年連続を含む計4度優勝。全英オープンは1977年に世界選手権が創設されるまで事実上の個人の世界選手権だったので[5]、世界一に4度君臨したことになる[2][3]。この偉業を称え、持ち回りの純銀製優勝プレートの永久保存を許された。
1971年には、高木紀子とのペアで、全英オープンのダブルスでも優勝している[6]。
バドミントンが公開競技として行われた1972年ミュンヘンオリンピックでは3位となった[7]。
また、世界女子団体選手権(ユーバー杯)も3度制覇、全日本総合バドミントン選手権大会でも5年連続を含む6度の優勝を飾り、1960年代から1970年代にかけて女子シングルスで圧倒的な強さを見せ「女王」の尊称付きで呼ばれた[3]。
1981年、現役を引退。1986年、バドミントンを通じて知り合った演歌歌手の新沼謙治と結婚。日本女子体育大学バドミントン部監督としても活躍した。
2002年、日本人選手初の国際バドミントン連盟の殿堂入り[2][6]。
山口県下松市では毎年、「湯木博恵杯争奪バドミントン大会」が開催されている[8]。
2011年9月7日、甲状腺癌のため東京都内の病院で死去[3]。62歳没。通夜は東京都大田区の臨海斎場で営まれ、夫の新沼が喪主を務めた。戒名は「羽鏡院謙室博翔大姉」。
この項目は、バドミントンに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。