笙野 頼子(しょうの よりこ、1956年3月16日 - )は日本の小説家。本姓・市川。三重県出身、立命館大学法学部卒。
自称「神道左翼」の立場から急進的な政治性を打ち出し、私小説と幻想小説を周到なメタフィクションなどを用いて過激に混成させた作風で「闘う作家」「メタの女王」[1]とも呼ばれる。
2011年度より5年間立教大学特任教授(大学院文学研究科比較文明学専攻博士課程前期課程)を務めた。
自らをアヴァン・ポップ[2]作家と称し、藤枝静男や内向の世代などの影響を受けた独自の私小説を得意とする。概説的には世界への違和感を社会的な視座に見据えつつ、不穏な幻想とスラップスティックなユーモアによって批評的に描くスタイルと言え、この傾向は90年代後半「論争」を経てからより顕著になった。
デビュー自体は村上春樹や高橋源一郎などのポップ文学の書き手と近い時期であるが、あまりに対蹠的な作風とその転換、再評価の時期に鑑みて、阿部和重らのように理論性と娯楽性を併せ持った、いわゆるJ文学作家の一人と言われることもあるものの、本人はエッセイにおいてこのカテゴライズに疑念を表している[3]。
研究者とも言える支持者には長編評論『笙野頼子 虚空の戦士』を著した清水良典がおり、笙野のさまざまな作品に積極的な評価を与えている。
1956年、三重県四日市市に生まれ、伊勢市に育つ。 伊勢市立修道小学校、伊勢市立五十鈴中学校、三重県立伊勢高等学校卒業後、二浪して立命館大学法学部に入学し、主に民法を学ぶ。大学在学中より小説を書き始める。大学卒業後も他大学受験の口実のもと予備校に通いながら執筆していた。1981年、地獄絵図に固執する絵師の妄執と暗い情念を描いた「極楽」で第24回群像新人文学賞を受賞し、小説家デビュー[4]。藤枝静男や川村二郎、木下順二から選評で賛辞を受けるも、田久保英夫はこれを「小説の文章とは思えない」と評した[5]。
その後もひたすら両親からの仕送りを頼りに専業で小説を書き続けるが、向こう10年もの間は、いくつかの幻想文学的短篇が『群像』にかろうじて掲載されるほかは担当編集者からの没を受け続け[6]、また批評的な耳目からも遠ざかった。当然自身の収入はほとんどなく、現在でいう「引きこもり」のような生活のなか作品を執筆し続け、1991年、自身の境遇を思わせる女性のモノローグを介して他者や社会との断絶された関係を描き出した『なにもしてない』で野間文芸新人賞を受賞後、1994年、マジック・リアリズム的手法を用いて「先祖や身内や郷里との、無関係をも含む関係を、反リアリズムで表現」し[7]、「大地と共同体に挑んだ」[8]「二百回忌」で第7回三島由紀夫賞、海芝浦駅への紀行文的体裁の中で自由自在に時間軸を往還する語り口の「タイムスリップ・コンビナート」で第111回芥川賞を受賞し一気に注目を集める。また純文学新人賞として名のある上記三賞を受賞したことから「新人賞三冠王[9]」などとも称された[注釈 1]。
それらの受賞作と同時進行的に書かれた『硝子生命論』『レストレス・ドリーム』『増殖商店街』と作品を重ねるごとに80年代からの作風を次第に批評的にシフトさせていき、1996年に実母の病の中で「母と娘の間の愛憎のねじれと切なさ」を「言語のアクロバット」によって描いた[10]『母の発達』で第6回紫式部文学賞候補、1998年に東京で女性らしくなく独居する女性が妖怪化し、様々な都市の妖怪と出会う風刺的な『東京妖怪浮遊』で女流文学賞候補となる。しかしいずれも女性作家のみを対象にした賞であることから、「自分が取れば『女は得だ』と言われると思った」[11]という理由でいずれも辞退している。
純文学論争に怒った笙野はくだけた口語や俗語、卑語などを交えた晦渋かつ饒舌な文体へと転換し、『てんたまおや知らズどっぺるげんげる』頃を契機として、これまでのある種内向的な作風から、対外的な視野を持った批判的戦闘的な作風に軸足を移す。
2001年、森茉莉を援用して既成文壇の「少女」観、女性観への批判を行いつつ森を「やおい」的な偏見から切り離して擁護すると共に、笙野の現在に至るポリフォニックで狂騒的な語り口を確立した『幽界森娘異聞』で第29回泉鏡花文学賞受賞。2004年、鈴木いづみらの先行作を想起させる(実際に参考文献として巻末に鈴木の著作が記載されている)男性的性差別の支配原理と「原発[注釈 2]」権益によって運営される女性国家・ウラミズモを通して、男性原理的社会制度とそれに抵抗するフェミニズム双方の欺瞞を戯画的に描いたフェミニズム批評的ディストピア譚『水晶内制度』で第3回センス・オブ・ジェンダー賞受賞。2005年、生まれてすぐに一度死んだ女児に金毘羅が宿り女流作家となったという奇抜な設定のもと、社会・政治に排斥された土俗神などへの言及をからめ自他に冷徹な考察を綴った『金毘羅』で第16回伊藤整文学賞受賞。近作に『金毘羅』『萌神分魂譜』『海底八幡宮』の三部作、「おんたこ」「論畜」「ロリリベ(ロリコン・リベラリズム)」などのユーモラスな自作タームを用いて、日本の批評空間・政治言説へ痛烈な皮肉をぶつけた三部作『だいにっほん、おんたこめいわく史』『だいにっほん、ろんちくおげれつ記』『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』、狂騒的な情況のなかで愛猫の死を越えていくまでの記録『おはよう、水晶――おやすみ、水晶』などがある。
『S倉迷妄通信』において「神道左翼」を自称するようになった。また現代社会構造の戯画として「明治政府ちゃん」「美少女」「火星人」「遊郭」「ポルノ」「ロリコン」などの挑発的な道具立ても好んで用いる。またフォイエルバッハやドゥルーズ(『千のプラトー──資本主義と分裂症』『批評と臨床』など)といった既存の哲学・思想の表立った援用も試みる。
主に『すばる』『文藝』両誌において連作『小説神変理層夢経』の執筆に着手していたが、2013年に自身がこれまで三十年以上膠原病(混合性結合組織病)に罹患していたことが発覚、現在は継続的な治療を受けている。その闘病記である『未闘病記――膠原病、『混合性結合組織病』の』で第67回野間文芸賞受賞[12]。
1998年頃、大塚英志が1980年代に主張した「売れない純文学は商品として劣る」との主張に対して笙野が抗議し、純文学論争となる[13]。さらに2002年には笙野は『ドン・キホーテの侃侃諤諤』[14]を発表して大塚の見解を、文学に商品価値のみを認める見解であり芸術としての文学に害を及ぼすものだと批判した。これに対して大塚は、『不良債権としての「文学」』[15]で、漫画雑誌の売り上げによって文芸誌の採算の悪さが補われていると主張してそれを批判の根拠とし、対症療法として提案した「既存の流通システムの外に文学の市場を作る」ために、また「文学」の「書き手」と「読者」が出会うための「文芸誌」ではない具体的な「場」として文学フリマを主催したが、これに関しても、笙野は、第1回だけに大塚がかかわり、その後事務局体制に移行したことを批判している。笙野の立場は純文学の徹底擁護であり、大塚のような考え方がでてくる背景として、「高給取り」の「編集者」こそが「文学は駄目だ駄目だ」という声を発していると指摘している[16]。しかし笙野は漫画などに対する攻撃を行っているわけではなく『多重人格探偵サイコ』などのヒット漫画の原作者という大塚が、ジャンプの売り上げが『すばる』、マガジンの売り上げが『群像』を支えている、とまるで「漫画全体の代表者」であるように振る舞っての文学への攻撃に反論している。更に「駄目」なものと一方的に断じていたはずの文芸雑誌で連載を行っているという言行不一致や、漫画の側では文学寄り、文学の側では漫画寄りの論者として態度を変える大塚の批評的なスタンス、更に大塚が編集側に働きかけ笙野を誌上からパージし反論を封じたことなどを批判した。
この件について笙野に批判されたこともある小谷野敦は、文学に無知な大塚の暴論に笙野が怒ったのも無理はないが、大塚が不誠実にも無視したため、笙野は「ついにおかしくなり、自分に異をとなえる者に対しては罵詈雑言を投げつけ、ついには小説中に登場させ、名をあげずに罵倒するようになってしまった」とし「大塚に滅ぼされた作家」と笙野のことを評している[17]。
2020年以降、反ジェンダー運動の立場からトランスジェンダーの権利促進に反対する発言を繰り返し、『笙野頼子発禁小説集』『女肉男食 ジェンダーの怖い話』『解禁随筆集』の3冊を著した(ともに鳥影社刊)。これらの著書では、性別承認医療については「海外ではブームと巨大医療複合体の利益のため、子供がどんどん生贄にされている」[18]と述べ、トランスジェンダーの権利擁護のための立法については「これ実はジョージ・ソロスやビル・ゲイツの金の都合である」[19]と述べ、大学でフェミニズムを教える女性の教授については「大学フェミニズムで出世する女だってどうせ男の家来だから前に出られる」[20]と述べている。また、性同一性障害特例法の生殖不能要件を違憲とした最高裁判決については、「こんな裁判官は国家反逆罪にしろ」[21]と主張している。
これらの発言・主張について、批評家の杉田俊介は「トランスの人々によって女性が抹殺されていく、という笙野の主張は、特権的感性を持った小説家が鋭敏に感じ取った孤独な主張でもなんでもなく、国際的な反ジェンダー運動の中に過不足なく組み込まれたものであり、凡庸すぎるほどに凡庸なトランス差別的言説の一つであるようにしか見えない」「トランス排除にコミットした現在の笙野は、許容不可能な形で致命的に間違えたのであり、典型的な差別主義者に堕し、国際的な反ジェンダー運動やそのアイコンとして体よく取り込まれ、滑稽な形で利用されてしまった」と評している[22]。