佐藤 友哉(さとう ゆうや、1980年12月7日[1] -)は、日本の小説家。北海道千歳市出身。
ミステリーやホラー、ヤングアダルトの定石から意図的に逸脱したエンターテインメント小説でデビューしたが、近年では純文学をメインに活動している。
1980年、北海道千歳市に生まれた。
中学三年生の頃は『新世紀エヴァンゲリオン』に熱中していた。同時期に聴いたラジオ番組『ファンタジーワールド』内のラジオドラマ『パラサイト・イブ』が気になり、原作本を購入、これまでほとんど小説に触れたことのなかった佐藤は、読み進めるのにかなり難儀したが、なんとか読破した。以降は角川ホラー文庫を読むようになった[2]。
その後、NHK教育番組『土曜ソリトン SIDE-B』で知った京極夏彦の『魍魎の匣』をきっかけに、森博嗣や西澤保彦などの講談社ノベルスを読み始めた[3]。浦賀和宏の『時の鳥籠』を読んで「こんな狂った物語が現在の出版流通に乗るのか。これを本にするなんてすごい賞だ」と驚愕し、メフィスト賞へ応募した[4]。
北海道千歳北陽高等学校卒業後、フリーターを経て、2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』で、第21回メフィスト賞を受賞。「鏡家サーガ」と銘打って売り出されるも、3作を発表しても重版がかからず、担当編集者の太田克史には「重版童貞」と呼ばれ、結局、売上不振から講談社ノベルスで続編を出せないと宣告された[5]。
2002年7月に文芸・批評誌『新現実』(角川書店)が大塚英志と東浩紀によって創刊され、佐藤は『世界の終わりの終わり』をvol.1~3で連載する。「若い世代の書き手に機会を与える媒体を作ること」を目的として創刊された『新現実』は、講談社ノベルスからの新刊が出せなくなった佐藤に小説を発表する場を与えることになった。
『新現実』での執筆と同時期に、太田克史が主宰・編集した同人誌『タンデムローターの方法論』に参加。2002年11月の第一回文学フリマで販売、好評を博す。佐藤のほか、西尾維新が小説、舞城王太郎が挿絵、笹井一個が表紙イラストを寄稿した。この『タンデムローターの方法論』の執筆陣に、乙一、北山猛邦、滝本竜彦などの若い世代の書き手が加わる形で、2003年9月に文芸誌『ファウスト』(講談社)が創刊される。以後『ファウスト』は佐藤のホームグラウンドとなった。2010年7月に講談社の100%出資子会社として星海社が創立、太田克史が副社長(現在は代表取締役社長)として移籍した後は、星海社FICTIONSでも多数の作品を発表している。
周囲の支援と『ファウスト』創刊前後のムーブメントに乗る形で一般的に認知されるようになる。作品終盤で突如作者本人が登場し「鏡家サーガは、もう出せません」と独白することで話題となった『クリスマス・テロル』が重版されると、デビュー作である『フリッカー式』と2作目の『エナメルを塗った魂の比重』が笹井一個のカヴァーイラストで新装、増刷され、講談社ノベルスから刊行された作品はすべて笹井一個の装画で統一された。
『クリスマス・テロル』刊行後は『新潮』『群像』などの文芸誌から声がかかるようになる。文芸誌で執筆をするにあたり「東京に根城を持って、編集者と密に話をしないと文学は書けない」と判断し、2002年12月に上京。
2005年、『子供たち怒る怒る怒る』が第27回野間文芸新人賞候補となる。
2007年、『1000の小説とバックベアード』が第20回三島由紀夫賞を受賞。当時同賞の史上最年少記録であった(現在は宇佐見りんが最年少)。『灰色のダイエットコカコーラ』で再び野間文芸新人賞候補(第29回)。
2011年、『新潮』(新潮社)2009年1月号に掲載した『デンデラ』が映画化。主演は浅丘ルリ子が務めた。監督の天願大介は『楢山節考』を監督した今村昌平の息子。2011年6月25日から全国で公開された。著作が映像化されたのはこれが初めてであった。
2012年、『佐藤友哉×星海社1000ドル小説の旅』として、書き下ろし著作をGumroadにて、10名限定に1000ドルで先着販売する企画を行った。この際に執筆された『ラストオーダーの再稼働 鏡佐奈はおわらない探偵』は、2017年1月現在においても「鏡家サーガ」の最新「本編」となっている。各購入者ごとに結末が異なるマルチエンディング制がとられている。同時決済によって当初の定員を超える12名の購入が決定したが、佐藤は新たに二編の追加執筆を行った。7月3日から8日にかけて、担当編集者の太田克史と共に全国12人の購入者に直接会い、渡している。
ミステリー、SF、純文学、青春小説、私小説といった多くの要素を内包・縦断する作風が特徴である。
純文学・大衆文学を問わない様々な小説、ロック音楽や漫画・アニメ・ゲームといったサブカルチャーなどさまざまな意匠を戯画・パロディ的に用いる。また、先行作品を参考・下敷きにしてオマージュ的に作品を執筆することが多く、『鏡家サーガ』はJ・D・サリンジャーの『グラース・サーガ』、『1000の小説とバックベアード』は高橋源一郎の『日本文学盛衰史』、『デンデラ』は柳田国男『遠野物語』、深沢七郎『楢山節考』、吉村昭『羆嵐』などへのオマージュとして執筆された。
佐藤の原風景である北海道は頻繁に作品の舞台となり、「閑散とした息苦しい地方都市」「灰色の町」として描写される。また、置かれた状況に対しての憤り、憎悪、鬱屈、焦燥、葛藤といった苦悩を生々しく描写する語り手を主人公に据えることが多い。主人公は物事や事件、環境に自ら狂いながらも抵抗していく。これらの舞台設定や語り手の心象、物語の筋といったものは、佐藤自身が置かれている実際の状況や、昔の経験などが少なからず反映されており、私小説的な筆致であると言える(「北海道の地方都市で、無為の日々を過ごすフリーター」の語り手を描いた『水没ピアノ』、「作家としてデビュー、上京するも執筆活動が思うように進まない」といった主人公を描いた『世界の終わりの終わり』など)。
メフィスト賞で同時期にデビューし、交友関係もあった舞城王太郎や西尾維新と比較されることが多く、シニカルで刺々しい作風や自虐的な発言から、今までの文学の流れを無視した若い世代の書き手とされるが、実際は大江健三郎や中上健次といった「王道」が大好きだという(「活字倶楽部」2005年春 インタビュー参照)。
影響を受けた作家にJ・D・サリンジャー、中上健次、高橋源一郎、上遠野浩平、浦賀和宏などを挙げている。また、佐藤の影響を受けたと公言する作家に、森田季節、小柳粒男、鏡征爾、斜線堂有紀などがいる。
妻は小説家の島本理生。2006年末に結婚、一度離婚を経て、2010年末に復縁し再婚した[6]。
デビュー作の『フリッカー式』をメフィスト賞に投稿した際はまだ19歳であったため、『メフィスト』の座談会では「戦慄の十九歳」と呼ばれていた。
映画『立喰師列伝』(監督:押井守)に出演している。
「ユヤタン」という愛称で呼ばれており、このことは佐藤本人も知っている(『ファウスト』Vol.1エッセイ参照)。
出身地北海道の放送局HTB製作のバラエティー番組『水曜どうでしょう』のファン。同番組の企画の一つ「東京ウォーカー」を真似し東京を歩き続けた結果、ひどい筋肉痛で3日間、動けなくなったという逸話を持つ。
ギターやロック音楽が趣味であり、出版関係者と共にバンドを結成するほど。ナンバーガール、SUPERCARなどを好んで聴くという。こういったバンドの名前は作中にも現れ、三作目『水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪』では、中村一義が物語を進行するにあたっての大きなファクターとして登場した。また、ロックバンド昆虫キッズのアルバム『こおったゆめをとかすように』にコメントを寄稿している。
2019年より、滝本竜彦、海猫沢めろん、pha、ロベスらとロックバンド、エリーツを結成して活動している[7]。
渡辺浩弐が中心となって進めているニコニコ動画内の「ニコニコチャンネルGTV」[8]にも参加し、読者との新たな関係を模索している。
佐藤は作家のJ・D・サリンジャーに強い影響を受けており、「鏡家」はサリンジャーの『グラース・サーガ』に登場する「グラース家」がモチーフになっている。
表紙絵はノベルス、文庫版とも笹井一個が描いている。ノベルス版『フリッカー式』、『エナメルを塗った魂の比重』の表紙は、増刷分より笹井のイラストに変更された。
2021年11月より「佐藤友哉デビュー20周年記念復刊企画」として『フリッカー式』『エナメルを塗った魂の比重』『水没ピアノ』『クリスマス・テロル』が星海社FICTIONSから4カ月連続で刊行された。
単行本
短編シリーズ。タイトルは全てサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』(野崎孝訳)からもじったものである。
未単行本化作品
関連単行本
鏡家サーガには含まれないが、登場人物や設定が一部共通する。
太宰治が現代に転生したという体裁で綴られる作品。
ダンガンロンパ
スパイク・チュンソフトのゲームソフト『ダンガンロンパシリーズ』のノベライズ作品。登場人物の一人である十神白夜が主人公のスピンオフ作品である。表紙イラストは上・中巻が高河ゆん、下巻がしまどりる。
連載
単発作品
極小部数の販売・配布作品
その他
尖端出版のライトノベルレーベル「浮文字」および文学レーベル「嬉文化」より刊行。
尖端出版『浮文誌』(台湾版『ファウスト』)に掲載。
鶴山文化社のレーベル「ファウストノベルズ」より刊行。
鶴山文化社『파우스트』(韓国版『ファウスト』)に掲載。