多田 裕計(ただ ゆうけい、1912年8月18日[1] - 1980年7月8日[1])は、日本の小説家・俳人。福井県福井市出身。
旧制福井中学校、旧制第二早稲田高等学院、早稲田大学文学部仏文科卒業。横光利一に師事[1]し、石塚友二らと交流する[1]。高等学院時代は、八木義徳、辻亮一、中村八朗らと同人誌「黙示」を創刊。
1940年より上海へ渡り、上海中華映画に勤務[1]、1941年、『大陸往来』に寄せた「長江デルタ」で第13回芥川賞受賞。
1945年福井に疎開するが空襲にあい、三国町(現坂井市)に移住し、三好達治らと交流を持つ。
1947年福井県社会教育委員を務め、福井県文化協議会の設立に参加。「蛇師」で大衆文芸懇話会賞佳作。また馬來田静秋、高田惣七らと『北陸生活』を創刊したのもこの年である。[2]49年神奈川県逗子市に住む[3]。
句作も始め、石田波郷主催の雑誌『鶴』同人となる[1]。
1957年日本文藝家協会の訪中団に加わり、井上靖、中野重治らと新中国を訪問。
1962年俳句雑誌『れもん』を創刊、主宰する[4]。
1980年7月8日、横須賀市内の病院にて67歳で死去[5]。
門田泰明は、多田に師事して小説を学び、多田の示唆によって大衆文学へ向かった[6]。
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