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中標津町(なかしべつちょう)は、北海道標津郡にある町。北海道東部(道東地域)に位置し、根室振興局が管轄する。地名は、標津川の中流域にあることに由来する[3][4]。
中標津町は、東西約42km、南北約27kmあり、南部は根釧台地の丘陵、北部は知床半島から連なる山岳地帯になっている[5]。土地は主に泥炭地と火山灰地である[5]。町域のうち約5割を山林が占めており、そのうち山岳林が約4割になっている[5]。中心市街地は標津川によって開かれた河岸段丘であり、標高約50mの低地に形成している[5]。
平野部には開拓使顧問ホーレス・ケプロンの提唱した開拓殖民区画に基づき、格子状に防風保安林を配置しており[5][6]、独特の風景は「根釧台地の格子状防風林」として「北海道遺産」[7] に、また「道東根釧台地の防風林」として「人と自然が織りなす日本の風景百選」に認定されている。
中標津町の人口は、1950年(昭和25年)の町制施行後から順調に増加し続けていたが、2010年(平成22年)以降は若い世代を中心に減少に転じている[8]。その理由として若い世代が遊べる施設・お店が無いこと、そのような状況からか就業できる企業が多数あるにもかかわらず札幌圏または道外の都市部へ若い世代は流れてしまっている。そのほか2010年以前は高校卒業後の進学者が少なかったが、2010年以降は高校卒業後、大学や短大、専門学校への進学者が増加傾向にあり、そのまま地方で就職するケースが人口減少になっていると考えられる。
2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[9]。
ケッペンの気候区分によると、中標津町は湿潤大陸性気候に属する。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。冬季は-20℃を下回る気温が観測されることが珍しくなく、寒さが厳しい。
北海道内の他市町村と比較して冬季の降雪量は多くない[2] が、特別豪雪地帯に指定されている。これは非常に強い風が吹き込むことで地吹雪などの暴風雪被害が発生することによる。これに対して防災科学技術研究所は、2013年より文部科学省地域防災対策支援研究プロジェクトの一環として「北海道中標津町を対象とした吹雪発生予測システム活用と効果的な雪氷防災対策への支援」を実施している[10][11][12]。
縄文時代前期ごろから人間が住んでいたとみられる遺跡やチャシ跡が当地からも多数出土している[15]。
19世紀初頭には、標津川とケネカ川沿いに標津と斜里を結ぶ「斜里山道」があった[2]。もともとアイヌが利用していた踏み分け道であったが、1810年(文化7年)に開通すると中標津に関する記録にも登場し、現在の中標津市街を流れるタワラマップ川やチナナ川はじめ町内の数ヶ所に小休所があったことなどが記されている[2]。1885年(明治18年)には現在の国道244号の前身となる「新斜里山道」が開通したため旧山道は廃止となった[2]。
1901年(明治34年)に殖民区画を開放すると、北海道の拓殖計画進展とともに北海道外からの移住者が増えていった[2]。ところが、大正から昭和にかけての世界的経済不況と冷害・凶作により離農者が続出し、中でも1931年(昭和6年)、1932年(昭和7年)の大凶作は開拓農民に大きな打撃を与えた[2]。そこで、北海道庁は「根釧原野農業開発5カ年計画」を策定し、穀物を主体とする農業から畜産を主体とする農業への転換を図った[2]。1937年(昭和12年)に日本国有鉄道(国鉄)標津線が開通すると、交通の要衝として発展していった[2]。中標津は標津村に属していたが、人口が増加して産業の振興が進んでいくと役場移転活動が活発になって分村運動に発展した[2]。戦時中は一時立ち消えになるが、終戦後に再び運動が起こり、1946年(昭和21年)に分村が実現した[2]。なお、分村から約3年後の1950年(昭和25年)には町制施行している[2]。
「「中標津町のあゆみ」参照[16]
中標津町の農業は酪農が中心であり[25]、耕地は約23,000 haの牧草地と約1,100 haの馬鈴薯(ジャガイモ)、テンサイ、ダイコンなどを作付している畑がある[25]。乳牛は約39,000頭を飼養している[25]。農家は機械化の進んだ大規模経営が多く、コントラクター(農作業委託)や酪農ヘルパー制度を利用した生活にゆとりある農業を営んでいる[25]。
中標津町は地理的に北海道東部の中心地であることから周辺地域の産業拠点になっている[26]。また、中標津空港があるため知床半島、摩周湖、阿寒湖、釧路湿原などへの観光拠点になっているほか[26]、移住体験事業「お試し暮らし」は北海道内トップクラスの受入実績になっている[26]。
町内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR北海道釧網本線標茶駅。
かつては町内に標津線が通っており、本線に計根別駅、開栄駅、当幌駅、中標津駅、上武佐駅、支線に協和駅があった。
標津線廃止後、中標津駅跡地には中標津町がバスターミナル「中標津町交通センター」を設置したほか、北海道旅客鉄道(JR北海道)が営業窓口となる「JR中標津トラベルセンター」を設置していたが、2012年(平成24年)3月末に閉店した[36]。
町内を通る幹線道路は、シーニックバイウェイの「釧路湿原・阿寒・摩周シーニックバイウェイ」になっている[37]。
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わたしたちは、朝夕気高い武佐岳を仰ぎ、標津川の流れとともにひらけゆく中標津の町民です。はてしない緑の原に、先人のきびしい開拓のあとをしのび、その心をうけて、みんなの力で明るい豊かなまちをつくるために、この憲章をさだめます。 1 からだをきたえ しあわせな家庭にしましょう 1 体位を増進しよう。 2 健全な子供を育てよう。 3 老人をうやまおう。 4 家族は協力しよう。 5 レクリエーションやスポーツをしよう。 1 誇りをもって働き 豊かなまちにしましょう 1 明るい職場にしよう。 2 職場の安全につとめよう。 3 資源をいかそう。 4 生産をたかめよう。 1 きまりを守り 明るいまちにしましょう 1 時間を守ろう。 2 交通道徳を守ろう。 3 防災、防犯につとめよう。 4 公共物を大切にしよう。 5 お互にたすけあおう。 6 礼儀や、親切を重んじよう。 1 自然を愛し 美しいまちにしましょう 1 木や花を育てよう。 2 動物を可愛いがろう。 3 道路を大切にしよう。 4 環境の美化につとめよう。 1 教養を高め よりよい文化を育てましょう 1 衣食住を工夫しよう。 2 文化活動を推進しよう。 3 ゆきとどいた教育をすすめよう。 4 文化財を大切にしよう。 — 昭和40年7月1日制定[52]
太字斜体は、振興局所在地。