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この項目では、北海道十勝地方の郡について説明しています。
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兵庫県にあった「加東郡」あるいは漢字で郡河東と表記されるベトナム・ハノイ市の「ハドン区」とは異なります。 |
河東郡(かとうぐん)は、北海道(十勝国)十勝総合振興局の郡。
人口58,220人、面積1,822.32km²、人口密度31.9人/km²。(2024年9月30日、住民基本台帳人口)
以下の4町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記4町から音更町の一部(長流枝・長流枝幹線ほか概ね士幌川流域)、士幌町の一部(下居辺および概ね士幌川流域)、上士幌町の一部(概ね居辺東)[1]を除き、河西郡芽室町の一部(概ね十勝川以北)、上川郡清水町の一部(美蔓および御影の一部)を加えた区域にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
江戸時代の河東郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。江戸時代後期、河東郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年河東郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年の6藩分領以降は仙台藩領となった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して河東郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
明治9年の大区小区
- 第23大区
- 6小区 : 音更村、然別村、東士狩村、西士狩村、美蔓村
行政
- 浦河郡外十郡長
| この節の 加筆が望まれています。 (2021年3月) |
- 釧路郡外十一郡長
| この節の 加筆が望まれています。 (2021年3月) |
- 釧路郡外十郡長
| この節の 加筆が望まれています。 (2021年3月) |
- 釧路郡外十二郡長
| この節の 加筆が望まれています。 (2021年3月) |
- 河西郡外五郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
吉田直太郎 |
明治30年(1897年)7月 |
明治30年(1897年)11月5日 |
河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く
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脚注
- ^ いずれも相次ぐ町名変更のため、公開資料を用いての境界線の比定は難しい。
参考文献
関連項目