北海道枝幸郡の位置(1.浜頓別町 2.中頓別町 3.枝幸町)
枝幸郡(えさしぐん)は、北海道(北見国)宗谷総合振興局の郡。
人口12,024人、面積1,915.72km²、人口密度6.28人/km²。(2024年5月31日、住民基本台帳人口)
以下の3町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記3町のまま変更されていない。
歴史
郡発足までの沿革
江戸時代の枝幸郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって開かれたソウヤ場所(宗谷郡の前身)に含まれた。
江戸時代後期になると南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え文化4年枝幸郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり秋田藩が警固をおこない、同6年の6藩分領以降は秋田藩領となっていた。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して枝幸郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
北海道一・二級町村制施行時の枝幸郡の町村(1.枝幸村 青:合併を経ていない町村および合併と分立により発足時と同じ領域をもつ町村 水色:分立して現存する町村 21.頓別村 22.中頓別村)
- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
- 明治5年
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。なお当時枝幸郡に町村は設けられなかった。
参考文献
関連項目