陸中国(りくちゅうのくに)は、東北戦争終結直後に陸奥国から分立した、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。領域はほぼ現在の岩手県にあたるが、岩手県南東部の気仙郡、陸前高田市、大船渡市、釜石市南部及び岩手県西北の二戸郡を欠き、秋田県北東部の鹿角市と小坂町を含む。
領域
1869年(明治元年)の制定時の領域は、現在の岩手県から下記を除き、秋田県鹿角市・鹿角郡小坂町を加えた区域に相当する。
沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、陸奥国のうち後の陸中国内の支配は以下の通り(728村・466,080石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。
- 岩手郡(85村・45,941石余) - 盛岡藩
- 紫波郡(75村・54,630石余) - 盛岡藩、陸奥八戸藩
- 稗貫郡(68村・51,689石余) - 盛岡藩
- 和賀郡(69村・53,170石余) - 盛岡藩
- 閉伊郡(138村・28,559石余) - 盛岡藩
- 九戸郡(59村・12,537石余) - 陸奥八戸藩、盛岡藩
- 磐井郡(86村・84,007石余) - 陸前仙台藩、一関藩
- 胆沢郡(37村・75,764石余) - 仙台藩
- 江刺郡(41村・38,815石余) - 仙台藩
- 鹿角郡(70村・20,965石余) - 盛岡藩
- 慶応4年9月24日(1868年11月8日) - 戊辰戦争後の処分により仙台藩が廃藩。
- 明治元年
- 明治2年
- 明治4年
- 明治5年1月8日(1872年2月16日) - 盛岡県(第3次)が岩手県に改称。
- 明治8年(1875年)11月22日 - 水沢県が磐井県に改称。
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により磐井県のうち陸前国が宮城県、陸中国が岩手県に分割編入。
国内の施設
神社
令制国としての一宮ではないが、駒形神社(奥州市)が全国一の宮会により「陸中国新一の宮」として認定されている。
地域
郡
人口
明治5年(1872年)の調査では、人口は51万521人を数えた。
脚注
- ^ a b c d e f g h 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。
- ^ a b 磐井郡の一部は一時的に磐城平藩領となる予定であったが、実行されなかった。
参考文献
関連項目
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