伊賀国(いがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。
歴史
- 律令制以前
- 律令制以前は伊賀国造の領域であったとされる。
- 飛鳥時代
- 令制国設置に伴い当国域をも含む伊勢国が成立し、その後680年(天武天皇9年)に伊勢国から分立した。当初は2郡だったが、後に阿拝郡、山田郡、伊賀郡、名張郡の4郡になった。
- 室町時代・安土桃山時代
- おおむね仁木氏が伊賀守護をつとめたが、支配力は緩く、地侍による自治が進むが、織田氏により制圧された(天正伊賀の乱)。
- 第二次天正伊賀の乱ののち、伊賀3郡を織田信雄が、残りの1郡を織田信包が領することになった[1]。
- この頃に600を越える土塁付の屋敷が作られ、忍者の発生へとつながった。徳川家康が「神君伊賀越え」を実行したことでも知られる。
- 江戸時代
- 江戸時代には藤堂家の領国の一部となり、伊賀国一帯は伊勢津藩の領土となった。
近世以降の沿革
国内の施設
国府
国府は阿拝郡に所在した。現在の伊賀市坂之下字国町にあたる(北緯34度48分9.05秒 東経136度9分28.46秒 / 北緯34.8025139度 東経136.1579056度 / 34.8025139; 136.1579056 (伊賀国庁跡))。1989年(平成元年)から1994年(平成6年)にかけての発掘調査により、I-IV期に分類される8世紀末から11世紀半ばにかけての遺構とともに、「国厨」の墨書を有する土器が検出された[2]。政庁域は40メートル強四方で、主要建物群として正殿・前殿・左右脇殿の「品」字状の配置が認められている[2]。これらの遺構は、2009年(平成21年)7月23日に「伊賀国庁跡」として国の史跡に指定された[3]。
国分寺・国分尼寺
神社
延喜式内社
- 『延喜式神名帳』には、大社1座1社・小社24座24社の計25座25社が記載されている(「伊賀国の式内社一覧」参照)。大社1社は以下に示すもので、名神大社ではない。
- 総社・一宮以下
- 『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[4]。
守護所
守護所は、「府中」「こふ」と呼ばれた現在の伊賀市の東条・西条あたりと想定されている。
安国寺・利生塔
- 安国寺 - 正平元年(1346年)、平等寺を安国寺に改めた(「三国地誌」)
- 利生塔 - 楽音廃寺(三重県伊賀市佐那具町)に所在した。
地域
郡
江戸時代の藩
伊賀国の藩の一覧
藩名 |
居城 |
藩主
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伊賀上野藩
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伊賀上野城 |
筒井定次(20万石、1600年~1608年)。改易により廃藩
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津藩
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伊賀上野城(城代) |
藤堂家(22万950石→27万950石→32万3950石→27万3950石→27万950石、1608年~1871年) 藤堂氏は、伊賀・伊勢2国を領有し、本城は伊勢津城であったが、伊賀上野城にも城代をおいていた。
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人物
国司
伊賀守
伊賀目
伊賀史生
守護
鎌倉幕府
室町幕府
- 1337年~1339年 - 仁木義直
- 1339年~? - 千葉貞胤
- 1340年 - 桃井直常
- 1342年~1343年 - 千葉貞胤
- 1346年~1347年 - 仁木義長
- 1347年~1350年 - 高師冬
- 1351年 - 千葉氏胤
- 1351年~? - 仁木義長
- 1352年~1353年 - 細川清氏
- 1353年~1360年 - 仁木義長
- 1365年~1380年 - 中条元威(長秀)
- ?~1433年 - 仁木国行
- 1433年~? - 山名時熙
- 1470年~1477年 - 仁木氏
- ?~1487年 - 仁木貞長
- 1491年 - 仁木氏
戦国大名
伊賀国には有力な戦国大名は誕生しなかった。当時伊賀は群雄割拠の状態で、守護として入国した仁木兵部少輔も柘植氏に討たれた。のち仁木氏が国人達によって追放された後、阿加、山田、阿拝の3郡は六角氏、名張郡は北畠氏によって間接的な支配が行われた。
天正9年(1581年)、直接的な支配を目指した北畠信意(織田信雄)により平定されている(天正伊賀の乱)。
武家官位としての伊賀守
- 江戸時代以前
- 江戸時代下野壬生藩鳥居家
- 江戸時代信濃高遠藩内藤家
- 内藤重頼(従四位下):高遠藩内藤家5代。
- 内藤頼卿(従五位下):高遠藩内藤家7代。信濃高遠藩の第2代藩主
- 内藤頼尚(従五位下):高遠藩内藤家9代。高遠藩の第4代藩主
- 江戸時代尚庸系永井家
- 江戸時代伊賀守流藤井松平家
- 江戸時代越後黒川藩柳沢家
- 江戸時代出羽本荘藩六郷家
- 江戸時代その他
伊賀国の合戦
地理
脚注
注釈
- ^ 一文字目が「伊」の国は他に伊豆国(豆州)・伊勢国(勢州)・伊予国(予州)があり、また二文字目が「賀」の国は加賀国(加州)が存在する。
出典
- ^ 『織田信長家臣人名辞典 第2版』114頁
- ^ a b 伊賀国庁跡現地説明板。
- ^ 伊賀国庁跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 76-78。
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
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