上野市(うえのし)は、三重県西部に存在した市。2004年11月1日に阿山郡及び名賀郡の3町2村と合併し伊賀市となったため消滅した。
伊賀地域の中心都市であり、上野市街地は合併後は伊賀市の中心地区となっている。
忍者の里、松尾芭蕉の生まれ故郷として有名である。また、特産品に伊賀組紐が有る。
群馬県の旧国名上野(こうずけ)国や東京都台東区の上野と区別するため、伊賀上野(いがうえの)とも呼ばれる。
地理
上野盆地に位置する。
歴史
律令制の五畿七道では東海道の一角で、東国・伊勢への交通の要衝であった。
安土桃山時代に筒井氏が伊賀上野藩を立藩。江戸時代には伊勢津藩・藤堂氏の所領となり城代が置かれた。城下町として碁盤状に区画された町並みは、小京都に数えられている。
太平洋戦争では空襲の被害を受けた。上野空襲。
戦後、1951年(昭和26年)11月20日には、昭和天皇の戦後巡幸があり、上野小学校や服部地区農耕場に行幸した[1]。
かつて財政再建団体に指定された時期があり、昭和最後の財政再建団体に指定された市であった。(2006年、北海道夕張市が指定されるまで最後の財政再建団体の市とされていた。)
沿革
行政
歴代市長
特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる。
- 官選
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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1 |
杉森万之輔 |
1941年(昭和16年)11月29日 |
1946年(昭和21年)11月18日 |
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- 公選
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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1 |
中井徳次郎 |
1947年(昭和22年)4月5日 |
1953年(昭和28年)3月18日 |
辞職
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2 |
豊岡益人 |
1953年(昭和28年)5月3日 |
1965年(昭和40年)5月2日 |
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3 |
山本忠雄 |
1965年(昭和40年)5月3日 |
1969年(昭和44年)5月2日 |
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4 |
奥瀬平七郎 |
1969年(昭和44年)5月3日 |
1977年(昭和52年)4月26日 |
辞職
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5 |
今中原夫 |
1977年(昭和52年)4月27日 |
1993年(平成5年) |
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6 |
今岡睦之 |
1993年(平成5年)4月4日 |
2004年(平成16年)10月31日 |
廃止
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教育
高等学校
中学校
図書館
首都機能移転
上野市を中心とした伊賀地方・滋賀県南部、すなわちかつての伊賀と甲賀を合わせた「畿央地域」が首都機能移転の候補地の一つとして選定されている。選定の理由は、日本のほぼ中央であること、名古屋圏(中京圏)と大阪圏(関西圏,京阪神)の両方に近いこと、などである。
交通
名称等は2004年11月1日時点のもの
鉄道
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 関西本線: 佐那具駅 - 伊賀上野駅
- 近畿日本鉄道
- 近鉄大阪線: 伊賀神戸駅
- 伊賀線(現・伊賀鉄道伊賀線): 伊賀上野駅 - 新居駅 - 西大手駅 - 上野市駅 - 広小路駅 - 茅町駅 - 桑町駅 - 猪田道駅 - 市部駅 - 依那古駅 - 丸山駅 - 上林駅 - 比土駅 - 伊賀神戸駅
道路
観光
出身有名人
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第2、歴代知事編纂会、1983年。
関連項目