佐川急便株式会社(さがわきゅうびん、英語: SAGAWA EXPRESS CO.,LTD.)は、本社を京都府京都市南区に置く宅配事業を手掛けるSGホールディングスグループの企業。
佐川急便の創業は、1957年(昭和32年)3月22日に佐川清が京都・大阪間を中心とする運送事業を興したことにある。
法人としての佐川急便は1965年(昭和40年)に設立され(公式サイトでは1966年(昭和41年)4月と表記)[要出典]、まず北陸地方、近畿地方、中国地方、四国地方、九州地方に営業を拡大し、1988年(昭和63年)までに中部地方、関東地方、東北地方、北海道にも営業を拡大した。[要出典]
佐川急便は、もともと特別積合せ事業が主体であり、宅配便業者としては認識されていなかった。1990年代の運輸省の宅配便事業者の中に名前が出てこないのはそのためである。[要出典]
1998年(平成10年)、宅配便「佐川急便」を開始。宅配事業に参入した[注釈 1]。
2006年(平成18年)3月21日付で、佐川急便が株式移転で純粋持株会社「SGホールディングス株式会社」を設立し、佐川急便など各事業会社を傘下に置いた。大手運送会社が持株会社制に移行するのはヤマト運輸系列の持株会社であるヤマトホールディングスに次いで2例目である。
創業50周年を迎えた2007年(平成19年)3月21日には、会社を表す絵として、それまでの江戸時代の飛脚を描いたものから、現代のセールスドライバーを描いた「新飛脚マーク」に変更した。宅配便のブランドとしての「佐川急便」を「飛脚宅配便」に変更、その他の「佐川」を冠した商品名は概ね「飛脚」に置き換えられた。ただし飛脚の絵は会社の社章でもあるので用途を限定して使用されている。同時に路線ドライバーによる営業店間の荷物の輸送(路線)などを行っていた「佐川ギャラクシーハイウェイズ」を吸収合併し、路線事業にも進出した。
2016年(平成28年)3月30日、SGホールディングスとともに株式会社日立物流と資本業務提携契約を締結[2]。同年5月20日付で日立物流が当社株式の20%をSGホールディングスから譲り受け、当社は日立物流の持分法適用関連会社となった[3] が、2020年(令和2年)9月29日に、SGホールディングスが当社株式を買い戻し、日立物流との資本関係を解消した[4]。なお、日立物流との業務提携は継続する。
物流と言っても様々な形態があり、佐川急便が行う宅配は物流の1分野である。
競合他社のヤマト運輸(宅急便)や日本郵便(ゆうパック)が、自社営業所(郵便局)の他、コンビニエンスストアや取次店と提携することで、発送窓口を設けているのと比べ、佐川急便はそうした取次店の発送窓口は少ない。また、営業拠点網も旧国営企業由来のゆうパックはおろか、純民間企業のヤマトに比べても非常に少ない[5]。さらに、山間へき地や島しょ部(佐渡島[注釈 2]、伊豆諸島[注釈 3] など)への発送については、「中継料」と称する追加料金を要するデメリットがある[6](宅急便やゆうパックでは不要)。
強力な営業活動や発送条件に融通が利くことから[要出典]、発送個数の多い通信販売企業の利用や企業間取引が活発である。一方で、柔軟な時間指定が可能なため(ただし、宅配部門で深夜時間帯の配達が可能なのは佐川急便のみだったが、2010年(平成22年)5月をもってサービスは終了された)、個人の利用者も年々増加の傾向にある。[要出典]しかし「飛脚便」に変更される2007年(平成19年)3月21日より指定時間はやや狭く、地域によってはライバル企業と比べて劣るものとなった[要出典]が、深夜時間帯の指定配達は「飛脚TOP便」扱いで継続されている(ただし、2010年(平成22年)12月時点では「飛脚TOP便」は、受け取り側が法人に限定されるため、個人の受け取りは不可である)。
飛脚宅配便の規格を超える荷物は「飛脚ラージサイズ宅配便」(旧名称・佐川急便フリーサイズパッケージ→飛脚フリーサイズパッケージ)として「飛脚宅配便」と同様の地帯区分で運賃を設定している。
1999年(平成11年)にサービスを開始した「飛脚クール便」は、ニチレイロジグループ本社との提携により、同社グループの施設を利用することによって初期投資を抑えている。
その後、佐川急便もメール便事業に乗り出し、飛脚メール便の名称で行っている。一方、日本郵政公社がゆうメール(旧称:冊子小包郵便物)の大口割引率を引き上げた際には、これを逆利用する「飛脚ゆうメール」(旧名称「佐川ゆうメール」)を開始している。これは、佐川急便は集荷のみを行い、同社を差出人として日本郵便の統括支店に一括して差し出し(このため、返送時の還付先として、佐川急便の名称が本来の差出人と併せて表示される)、郵便のネットワークで配達するものである。ちなみに、本家の「ゆうメール」(2007年に冊子小包郵便物より改名)よりも「佐川ゆうメール」(2004年サービス開始)のほうが先である。
集荷・配達を担うドライバーの呼称「セールスドライバー」は、SGホールディングスが商標登録している(第4411039号)。このため、公式案内では「セールスドライバー®」と®マークが記載されている。ただし、同社ではそのような名前のサービスや商品は提供されていない。また、競合のヤマト運輸は同様のスタッフのことをセールスドライバーと呼んでいる。
2024年(令和6年)7月10日、スマートクラブの会員などを対象として、同年9月2日から置き配サービスを開始することを発表した[7]。
2025年2月25日 - 不在で受け取れなかった飛脚宅配便を郵便局の窓口で受け取れるサービスを全国で提供開始[8]。
日本貨物鉄道(JR貨物)がM250系貨物電車(スーパーレールカーゴ)を用いて、東海道線経由で東京貨物ターミナル - 安治川口(大阪市此花区)間に運行する特急貨物コンテナ列車は、佐川急便専用の貨物列車となっている。
1990年代まではペールオレンジと濃青のトラックボディに飛脚マークと「佐川急便」の文字のみといった単純なものであった(最初期の天然ガス燃料使用のトラックも旧塗装であった)が、1997年の創業40周年を機に銀をベースとし、白・青色の波状のデザインのカラーの、銀河を基調にした新塗装車両が登場し、2001年より正式に採用された(これを「ギャラクシーカラー」と呼ぶ)。
同社の営業所は、競合であるヤマトの宅急便センター(特に●●3丁目センターなど)や日本郵便の集配センターのように小規模な店舗を多数配置せず、比較的規模の大きな営業店を広域圏内に1店舗配置して広範囲を網羅する形式を取っている[注釈 5]。しかしながら、都市部では近年「SC」と略されるサービスセンターの設置がなされ、ビル街など自動車より人力での配達が有力な地域での小規模店舗の展開が見られる。[要出典]
1店舗の管轄するエリアが広域であるが故に、郡部など営業店からある程度離れた地域では、他社にはあまり見受けられない「ドッキング」と呼ばれる作業が行われる。これは、同社の集配方式に基づくもので、2tトラックで営業店より配達エリアへ荷物を輸送し、小荷物や個人宛の荷物を中心に軽自動車のへ積み替えを行う作業を指す。[要出典]
2017年11月1日には、北海道旭川市にて、地元のタクシー会社・旭川中央ハイヤー(現・旭川中央交通)と共同で戸別配送を行う貨客混載の事業にも着手した[11]。また、2019年4月18日にはJR北海道及び天塩ハイヤーの両社と共同で宗谷本線の稚内 - 幌延間で鉄道とタクシーを利用した貨客混載事業を開始。稚内駅で列車に荷物を積み込み、幌延駅で天塩ハイヤーのドライバーが荷物を降ろして幌延町内の各家庭に配達する[12]。
1992年(平成4年)には、裏金を国会議員に渡して、政界工作を仕掛けた「東京佐川急便事件」を引き起こし、また2001年(平成13年)には奈良県警察を舞台とした汚職事件「奈良佐川急便事件」も発生した。
これを受け、その後、地域法人の完全統合(1992年(平成4年) 〜 1994年(平成6年)にかけて実施。また2002年(平成14年)には別件で佐川急便グループ23社を合併)、コンプライアンスの推進を行った。
2002年(平成14年)12月25日、当時京都府議会の自由民主党府議団長だった森田喜兵衛が佐川急便の全役員を解任し、自らを代表取締役とするなど計6名が役員に就任するという虚偽の登記(登録印鑑変更も)が行われた。森田は現法人成立からしばらくの間実際に佐川急便の役員になっており、その後独立して京和運送を興したあとも取引があったが、2000年(平成12年)に取引をやめている。後日森田は逮捕に至り、解任登記された役員は翌2003年(平成15年)1月6日付で回復登記されている。
八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館が青森県野辺地町から借用した国の重要文化財「赤漆塗木鉢」を、八戸市から委託された佐川急便が野辺地町立歴史民俗資料館から縄文館への運搬中に破損した[13]。
東北支社仙台店(現:南東北支店仙台営業所)で経理などの担当者が、直属の上司からエアガンで撃たれたり、つばを吐きかけられたりする暴行や嫌がらせを受け、2011年(平成23年)12月にうつ病の診断を受けた。4日後に自宅で制服姿で自殺した[14]。
東京営業所の運転手ら6人が、道路交通法の駐車違反での交通違反切符を免れるため、知人らを身代わり出頭させていたとして、2016年(平成28年)11月22日に、警視庁が刑法の犯人隠匿教唆と犯人隠匿の容疑で逮捕した[15]。
同営業所では、約30人の運転手が身代わり出頭をしてもらったことがあると証言しており、営業所内で蔓延している可能性が出ている[16]。
2017年(平成29年)3月3日には、都内8営業所の社員ら計44人を書類送検したことを警視庁が発表した。これまでに106人もの検挙者がでており、事件は他の営業所にまで広がりを見せている[17]。
従業員が荷物を投げるなどの不躾な行為を収めた動画がインターネットで公開され、佐川急便は謝罪と当該従業員の懲戒解雇を行った[18]。
同社から配送業務を請け負っていた運送業の当時51歳の男性が、2009年に脳内出血で死亡。この男性の遺族は2019年に同社に対し、約4,500万円の損害賠償を求め大阪地方裁判所に訴訟を提起。この男性は死亡前の時間外労働が平均で月151時間に及んでおり、男性は個人事業主として同社と業務委託契約を締結していたが、遺族側は「実質的には会社の指揮下にあり、佐川には安全配慮義務があった」と主張し争っている[19]。
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