甲斐 祐之(かい ひろゆき、1978年7月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。
宮崎県宮崎市出身。母・(旧姓)脇田代喜美は世界選手権で銀メダルを獲得し、モントリオールオリンピックに出場した元ユニチカのバスケットボール選手。父も弟もバレーボール選手。
宮崎市立高岡中学校入学後、母の影響もあり当初はバスケットをやるつもりだったが、バレー部の先生に誘われてバレーボールを始める[1]。中学3年時にさわやか杯宮崎県選抜に選ばれている[1]。高校は地元バレーの強豪・宮崎県立宮崎工業高等学校へ進学、1年からレギュラーに抜擢され、全日本ユースやジュニアに選ばれている[1]。
1997年、筑波大学へ進学[2]。
2000年に新日鐵(現堺ブレイザーズ)に入部[2]。翌2001年にVリーグ新人賞受賞[2]。全日本では2001年のグラチャンでの活躍で定着、2002年の世界選手権に出場、2001年・04年のワールドリーグに出場した。アテネ五輪予選にも出場するも、五輪本戦出場を果たせなかった。2005年に移籍を決意する[3]。
2005年に旭化成に派遣社員として入社、旭化成スパーキッズへ契約選手として入団する[4]。同年には足首を手術している。しかし、2006年、旭化成は廃部となり移籍することになった[5]。
翌2006年から豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)に所属[2]。2007年には全日本に復帰、07年ワールドリーグに出場した。その後2009年まで在籍した[6]。
2009年からJTサンダーズに入部した[2]。在籍中、貴重なベテラン選手として活躍し、天皇杯・黒鷲旗などの決勝進出に貢献した[7]。2014年、契約満了に伴い退団した[8]。
2015年7月、女子Vプレミアリーグの日立リヴァーレは甲斐のコーチ就任を発表した[9]。2017年、監督に昇格。2018-19シーズン途中で体調不良のため休養となる。シーズン終了後に退団した[10]。
74-75 吉田重誉 / 75-76 山田修司 / 76-77 村上情次 / 77-78 花輪晴彦 / 78-79 鶴徹朗 / 79-80 藤田幸光
80-81 該当者なし / 81-82 蘇武幸志 / 82-83 笠間裕治 / 83-84 奥野浩昭 / 84-85 米山一朋 / 85-86 川合俊一 / 86-87 眞鍋政義 / 87-88 植田辰哉 / 88-89 中西弘之 / 89-90 泉水智
90-91 中垣内祐一 / 91-92 該当者なし / 92-93 泉川正幸・宮崎謙彦 / 93-94 佐々木太一
94-95 平野信孝 / 95-96 該当者なし / 96-97 高橋智則 / 97-98 朝日健太郎 / 98-99 川浦博昭 / 99-00 加藤陽一
00-01 河野裕輔 / 01-02 甲斐祐之 / 02-03 越谷章 / 03-04 越川優 / 04-05 阿部裕太 / 05-06 石島雄介
06-07 富松崇彰 / 07-08 白澤健児 / 08-09 福澤達哉 / 09-10 今村駿
10-11 岡本祥吾 / 11-12 手塚大 / 12-13 千々木駿介 / 13-14 深津英臣 / 14-15 鶴田大樹 / 15-16 柳田将洋 / 16-17 藤中謙也 / 17-18 井上航
18-19 大竹壱青、西田有志 / 19-20 藤中優斗
20-21 河東祐大 / 21-22 大塚達宣、村山豪 / 22-23 該当者なし / 23-24 渡邉晃瑠
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